2021年度 FINDAS共催国際ワークショップ「文化の翻訳、文学の翻訳~ベンガルから日本へ、日本からベンガルへ」
国際ワークショップ
「文化の翻訳、文学の翻訳~ベンガルから日本へ、日本からベンガルへ」
((科研基盤C)「ベンガル語ベンガル文学の総合的研究」(代表:丹羽京子)と共催)
【日時】 2021年9月25日(土)14:00~17:30(日本)
(10:30~14:00(インド)、11:00~14:30(バングラデシュ)
【場所】 ZOOM会議
【報告】
◇Lopamudra Malek(University of Dhaka, Bangladesh)
“Japanese Proses and Poems Translated in Bengali Language: 1863-1971”
本発表では、ベンガルにおいて1863年から1971年にかけてなされた日本文学のベンガル語翻訳の歴史が報告された。翻訳者と翻訳作品について情報が詳細にまとめられた。例えば、1915年には岡倉天心と親交のあったPriyambada Deviにより岡倉天心の『茶の本』、1916年にはHelmanta Deviにより河口慧海の”Three years in Tibet”、1935年にはSurendranath Moitroにより野口米次郎の助けのもと50の俳句が翻訳された。また、1960年にはJyotirmoy Chottopaddhayが川端康成の『伊豆の踊り子』を翻訳した。Chottopaddhayには日本での滞在経験があることを踏まえると、彼がおそらくこの時代で唯一、日本語からベンガル語の翻訳を行なった人物であると推測がなされる。更に日本側のお墨付きを得られたという点で他の作品とは異なることが指摘できる。多くの翻訳作品が英語からの重訳なのか日本語からの直接の翻訳なのか不明な点が未だあるものの、ベンガルにおいて断続的に日本文学、特に散文と詩の翻訳が試みられてきたことが判明した。
◇新田杏奈(青山学院大学)
「日本におけるタゴール翻訳の歩み―近代文学・思想との接点を中心に―」
本発表では、近代文学・思想との関わりに着目して日本におけるタゴール翻訳の歴史を見ることで、日本でどのような文脈でいかにタゴールが受容されたのかが報告された。
発表者はまず、日本におけるタゴール翻訳の歴史を概観し6段階の分類が可能であるとした上で、タゴール来日(1915年)前後が最も集中的に翻訳がなされた時期であったとする。日本におけるタゴール詩翻訳のパイオニア増野三良はタゴールのノーベル文学賞受賞以前にタゴールの詩才を発見し、いち早く日本に伝えた。1914年から英書が続々と日本にも伝えられ、1915年から翻訳が過熱し、合計23冊の翻訳書や関連本が出版されるに至る。この時に翻訳に従事した翻訳者について分析すると、三木露風主宰の詩雑誌「未来」に集った象徴派詩人の系統と、キリスト総合雑誌「六合雑誌」に携わった自由キリスト教徒の系統の2系統に分類することができる。前者は、タゴールの「詩」に注目し、 後者は詩人の「思想」に強い関心を示した。これらの人々によりタゴールが受容された理由として、発表者は、自然主義からの脱却を図る大正詩壇の試み、第二次世界大戦を契機とした西欧文明に対する危機感、宗教上の親和性を挙げた。しかし1916年から知識人により「タゴール・ブーム」が批判されるようになり、翻訳の数は減少する。そこには「ベンガル人としてのタゴール」に対する相対的な理解の欠如が原因としてあると指摘する。ただし、その中でもこの間に数々の翻訳が行われたことを踏まえると、これらの翻訳作品は限られた情報の中でも後世(戦前・戦後期)の翻訳を基礎づけるものとなったと考察する。
◇Tariq Sheikh(English and Foreign Language University, Hyderabad, India)
「蕉風俳諧のベンガル語訳を巡って」
本発表では、芭蕉俳諧のベンガル語訳をめぐって複数の観点から議論がなされた。発表者は俳諧を、制約の中で面白い句を読むために日本語の曖昧さなどを利用した最大の工夫が凝らされた文学と捉え、その中でも松尾芭蕉の俳諧を翻訳することの意義を、日本文学の代表的な文人の作品を訳すことになるだけではなく、日本文学の一番日本語らしい形式を訳すことであると定義する。その上で、注釈の必要性、切れ字、文法性、主語・代名詞・人称、文法数、掛詞、季語・植物、擬音語・擬態語、仏教の術語といった異なる論点に沿って、実際に発表者によりなされた翻訳を見ながら、翻訳の限界や翻訳で可能な工夫、ベンガル語ならではの曖昧さの伝え方を紹介した。
発表者はベンガルにおいて俳句に関する間違った言説が流布していることを指摘した上で、世界に俳句の起源を伝えることの重要性を強調した。また、日本語の日本古典文学に関する書籍においても豊富な注釈が加えられていることを踏まえ、文学の鑑賞を促すためにはベンガル語翻訳版でも注釈をつけることの必要性を説いた。最後に、インドでは文学の翻訳に関して、英語を通した重訳が一般的であることを指摘した上で、翻訳は原文に対する暴力であるという哲学者ヴァルター・ベンヤミンの意見を引用し、日本語からベンガル語への直接翻訳の重要性も強調した。
◇丹羽京子(東京外国語大学)
「『十二か月の家と世界』を訳す」
本発表では、Joy Goswamiの詩「十二か月の家と世界」を翻訳するにあたっての課題について検討し、翻訳に対する異なる考え方のありようについてまとめた。本作品はベンガル暦の各月についての詩を含む作品であり、本発表ではバッドロ月(秋:8月中旬~9月中旬)とアッシン月(秋:9月中旬~10月中旬)の詩が検討された。いずれの詩でも、神話あるいは伝統などに基づいて暗黙のうちに共有されている背景、目標言語の読者になじみのない事象(季節の風物詩等)、音韻(韻律や押韻)や詩のスタイル(十四行詩であるなど)が翻訳上の問題となる。
その問題を検討する上で、翻訳の基本に立ち返ると、「読み易さ」は善きことなのか?という問いが表出する。「読み易さ」を優先させて目標言語で自然な表現をするか、または「読み易さ」を優先させずに「異質なものを異質なままで」表現するかという異なる考え方がある。つまりこのことは起点言語と目標言語のどちらに近づけるかということに他ならない。
翻訳という行為自体は「異質なものを異質なものとして受け入れること」だが、実際には起点言語と目標言語の力関係や翻訳者の意図などで、その程度には違いが生じる。その例として発表者はタゴールとビシュヌ・デによるふたつの”Journey of the Maggi”のベンガル語訳を挙げる。タゴールは流暢で読み易い翻訳をした一方で、ビシュヌは原文をできるだけ取り込み、その結果として彼の翻訳には「異質性」が目立つ。こうした考察を踏まえ、改めて「十二か月の家と世界」の翻訳が本発表の結論として試みられた。
2021年度第4回FINDAS研究会「インドにおける感情を考える:モダニティとヒンディー映画における恋愛を中心に」
2021年度第4回FINDAS研究会
(共同利用・共同研究課題「南アジアの社会変動・運動における情動的契機」2021年度第3回研究会と共催)
「インドにおける感情を考える:モダニティとヒンディー映画における恋愛を中心に」
【日時】 2021年9月3日(金)13:00-16:30
【場所】 ZOOM会議
【報告】
◇押川 文子(国立民族学博物館)
「パッションとダルマ:2000年代ヒンディー語商業映画における「両立」の手法」
発表者によれば、近年、インドの中高齢女性の間に、従来の慣習に反する形態での結婚を望む子世代に対して、承認するような態度の変化が見て取れるという。「普通」の人々が社会変化を受け入れる時の心象やその集合的感情は、その時々の規範や価値、感情、身体的感覚など複数の変数によって複合的に形成される。その表象と捉えられる映画作品は、情動を分析するにあたっての一つの手がかりとなると述べる。
1990年代〜2010年代にかけてヒンディー語商業映画は、複数の側面から過渡期にあったと言える。90年代末から2000年代初頭にかけての映画では、「クリーン」で「家族的な」ストーリーや家族への焦点化、ディアスポラの描写が特徴的であった。2000年代後半以降は観客の分化、国際市場の比重増大といった要因を背景に、多様化の進行と「作品性」への重視が際立った。
今回の発表では、Aditya Chopra監督のヒット作”Dilwale Dulhania Le Jayenge”(1995)及び”Rab Ne Bana Di Jodi”(2008)を取り上げ、分析が行われた。前者が若い二人の恋愛―父親の反対とその克服―(ダルマにも合致する)成就という形をとるのに対し、後者は若い二人の恋愛―それぞれの中にあるダルマと恋愛の統合―成就という形をとる。このようにいずれの作品でも一見対立する恋愛とダルマの相互関係と共存が見られる。このように、この時代のヒンディー語商業映画にはインド社会に複合的に存在する規範や価値観を、たとえ対抗するものであっても否定しないという「価値併存型映画」とも言える特徴があると考察した。そしてその特徴ゆえに多くの観客の感情に訴えかけられるものとなり、受け入れられたと結論づけた。
◇村上 明香(人間文化研究機構/東京外国語大学)
「「感情」は何を語るのか:Margrit Pernau氏の研究を通して」
本発表ではMargrit Pernau氏の著作を通して、その研究動向を追いながら、情動研究の意義と可能性についての考察が試みられた。Margrit Pernau氏は18〜20世紀のインドの歴史分野における感情史の第一人者である。これまでに19世紀以降の北インドのムスリム文化や歴史を中心に多角的な観点から多くの著作を残してきた。同氏は、感情研究とは社会階層や権力、暴力、あらゆる社会的・政治的・経済的関係がアイデンティティの感覚と結びついているかを示唆するものであり、これまで取り上げられてきた問題に新たな答えを見つけるためのアプローチであると定義している。
同氏の感情研究に対する視座を踏まえた上で、本発表では著書のEmotions and Modernity in Colonial India: From Balance to Fervorに着目してその同氏の分析を振り返った。この著書は、長年、感情に対する制御の増加と密接に関連するプロセスとみられてきたModernityに対して「感情と規律のゼロサム・ゲーム」のような解釈に異議を唱えることを目的にし、あらゆる種類の文献を手がかりに、感情から規律、規律から感情と単純に置き換えるのではなく感情と規律の関係性をより複雑に描くことを目指したものである。
同氏によれば、1860〜1870年頃は感情への規制が強い時期であったが、1870 年以降より感情を抑えることが重視されつつも、「共同体」への愛を生むような強い感情をもつことが奨励されるようになった。そして19世紀末〜20世紀初めには未だに感情に対する規制は多く残っていたものの、「適切」な感情を持つことは当然のことであると正当化され、その感情を持つ者の倫理性を証明するような崇高なものへと変容した。ここでの「適切」な感情とはムスリム共同体に対する情熱的な愛や植民地政府への不満を指す。
発表者は同氏の分析とウルドゥー語小説との比較を通し、小説にも共通の動きが見られることを指摘した。また、女性たちが感情を持つ権利があることを主張し始めたことから、感情を表現する可能性の存在を示唆したことを受け、女性によって書かれた文学作品における女性の感情の表現について更なる分析の必要性を投げかけた。
2021年度 第3回FINDAS研究会「インド文学と情動―音韻と歴史小説」
2021年度 第3回FINDAS研究会
(共同利用・共同研究課題「南アジアの社会変動・運動における情動的契機」2021年度第2回研究会と共催)
「インド文学と情動―音韻と歴史小説」
【日時】 2021年7月10日(土)13:00-16:30
【場所】 ZOOM会議
【報告】
◇丹羽 京子(東京外国語大学)
「押韻が喚起するもの」
本報告は、これまでのベンガル詩と押韻の関係を踏まえ、実際にベンガル詩を押韻の観点から分析し、押韻の効果について考察した。もとよりベンガル詩では押韻が絶対的な規則であった。一方、19世紀に入ると、英国文化の影響を受け、モドゥシュドン・ドットがベンガル文学史上初めて無韻詩で詩作を行う。それまで単なる規則として受け入れられてきた押韻が詩作上の束縛であると捉えられるような風潮も生まれた。しかし、無韻詩という選択肢の浮上で、押韻、無韻の選択が行えるようになり、同時に押韻に関するさまざまな考察がなされるようになる。モドゥシュドンの後、タゴールの時代からまた押韻への回帰が起こり、現在に至るまで様々な詩人により押韻詩は制作され続けており、韻を踏むだけでなく押韻により生み出される詩的効果が様々な工夫のもとに追求されている。
◇萩田 博(元東京外国語大学)
「動乱文学とウルドゥー歴史小説家 ―情動という観点からの考察―」
本報告では、カイスィー・ラームプリーの『血』、ライース・アフマド・ジャアフリーの『聖戦士』、ラシード・アフタル・ナドヴィーの『8月15日』、M.アスラムの『イブリースの踊り』といったウルドゥー歴史小説のあらすじを紹介し、各々が描いたインド・パキスタンの分離独立を読み解く試みがなされた。これらの歴史小説ではしばしば序文に作家の執筆の動機が綿密に記述されるという特徴があり、作家の信念が色濃く反映されている傾向にある。
インド・パキスタンの分離独立を背景に書かれた文学作品(動乱文学)の代表的作家であるクリシャン・チャンダルやマントーの作品と比較すると、これらの歴史小説は、現実とされるものを疑念もなく受け入れ、政治や宗教といった問題に対する自己の信念を作中人物に語らせる傾向があるために、「分離独立の本質とは何か」といった方向に読者の思考を向かわせることがないという考察がなされた。また、ある意味でステレオタイプ化されたイメージがリフレインのようにして繰り返されることによって、ムスリムとして想定する空間が拡張され、新たな共同体の記憶として定着していく可能性を孕んでいることが指摘された。
2021年度 第2回FINDAS研究会 「南アジアの感染症を考える―バングラデシュとスリランカの事例から」
2021年度 第2回FINDAS研究会
「南アジアの感染症を考える―バングラデシュとスリランカの事例から」
【日時】 2021年6月26日(土)13:00-16:30
【場所】 ZOOM会議
【報告】
◇東城文柄(東京外国語大学)
「バングラデシュのカラ・アザール流行に関する医療地理学的研究及び地域住民の予防行動の混合研究法的調査」
本報告では、バングラデシュをフィールドに、感染症カラ・アザール(サシチョウバエを媒介にし、発症後放置すれば死に至る)の流行状況に影響を与えている諸条件の分析・考察、及び流行地における地域住民の予防行動に関する調査からの知見が提示された。
まず、流行に起因する要素について、「洪水の影響を受けない(屋敷地、自然堤防、微高地など)」かつ「氾濫原(雨季の冠水域)から離れすぎていない」立地に集中して症例が発生していることが地理情報や患者データより示された。今後、今回の調査結果を踏まえて、より詳細なデータや社会経済指標など他の変数を考慮して分析を行うことで、結果の更なる精緻化が期待される。
次に、地域住民の予防行動に関する調査では、ほとんどの地域住民はカラ・アザールの存在を認識しているものの、半分以上の住民はカラ・アザールに関する知識(感染症であること、感染媒介、予防の可不可)を持ち合わせていないことが判明した。これを踏まえ、質問票回答の指標化(探索的因子分析)の推進、及び環境条件と予防行動を指標化した統計的分析の推進が今後の課題として提示された。
◇佐藤惠子(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)
「スリランカにおけるマラリア-流行から撲滅まで」
本報告では、スリランカにおけるマラリアの流行と撲滅の歴史を詳細に分析することで流行の背景とマラリア対策成功の鍵について考察が行われた。
まず、1934年〜1935年の流行について、その原因は長期にわたる干ばつと人口移動にあるということが提示された。臨時診療所が開設され、同時にボウフラ対策の強化がなされた。日常的な媒介蚊の生態に対するサーベイランスの強化が重要であり、特に天候や人口移動も含めた環境変化に対して早期の対策が重要であることがここから示唆される。その後、感染は減少し撲滅まで近づいたものの、マラリアに対する警戒心の低下から1967年~1970年にかけて再度流行してしまう。1930年代の流行と共通の原因(気候・人口移動等)もあったが、原虫・流行地域・死者数・殺虫剤散布等、異なる点もあった。過去2回の流行の比較により、殺虫剤・薬剤に対して耐性が出てくるため常に状況を把握し、原因となる環境変化や人口移動に注視を続けることが重要だとの見解が示された。
その後、マラリア撲滅に向け、政府主導のAnti-Malaria Campaignを中心に多機関多分野連携をしながら、サーベイランス強化や早期発見・治療の徹底、体験的学習等の実施がなされ、感染ゼロを達成することに成功した。データを基に多角的な視点からの分析と政策への適用をしたことが撲滅の鍵となったと言える。
2021年度 第1回FINDAS共催研究会「創作と情動―ジェンダーの視点から」
2021年度 第1回FINDAS共催研究会
(共同利用・共同研究課題「南アジアの社会変動・運動における情動的契機」2021年度第1回研究会と共催)
「創作と情動―ジェンダーの視点から」の報告
【日時】 2021年5月23日(日)13:00-16:30
【場所】 ZOOM会議
参加人数:40人
【報告】
◆佐藤斉華(帝京大学)
「感じる「大地」:ネパール語小説に見る情動の女性的形態」
“The “Earth” That Moves: Contours of Women’s Emotion in Three Nepali Novels”
本報告では、ネパール丘陵部のバフン(Brahman)出身の女性を主人公に描いた三つのネパール語小説−Prabha Kaini著『暴露』(2010)、 Amar Neupane著『白い大地』(2012)、 Nilam Karki Niharika著『ヨグマヤ』(2018)における女性の情動に関する描写を、女性達の経験についての証言として捉え、分析する試みがなされた。
ネパール女性は、自らの思うところや感情を表現しそれに準じて振る舞うより、「耐える」こと、いわば「(すべてを呑む込み受容する)大地」となることを繰り返し諭され、強いられてきた。そのことは小説からでも繰り返し描写され、読み取ることができる。ここでは更に、それに対して「声を上げる」「立ち上がる」「感じる」などの様々なレベルで女性たちが抵抗する描写が提示されていることも観察された。そういった「耐えない」行動へと導くことになる女性の力強さ、開放を求める女性の心理は鮮明に描き出されていたものの、一方で、「感じる」ことから行動に移るに至るまでの心の動き、心理的変化の描写に欠けていることが指摘された。
◆小牧幸代 (高崎経済大学)
「英国におけるムスリム女性アーティストの作品と語りに関する「情動」的考察」
” Muslim Women Artists’ Works and Narratives in the UK: An Analysis Focusing on ‘Affectus’.”
本報告では、マンチェスター大学ウィットワース美術館で2019年に開催された「信仰を越えて:今日のムスリム女性アーティスト」展を、情動という観点から分析する試みがなされた。この企画展は、5人のムスリム移民女性アーティストの作品を、彼女たちの私物やお気に入りの他のアーティストの作品とそれについてのコメント、更に生い立ち等に関する語りなどとともに展示するもので、美術展でありながら博物館のような事物と解説にあふれた展示内容が特徴的であった。豊富な展示内容に見られるような「ストーリーの過剰」は、観客が作品を鑑賞して自由に想像する余地をなくし、主催者と参加者の意図に従順に共鳴することを余儀なくする。美術館という特殊な空間にアーティスト自らのアイデンティティを語るモノが展示され、それをアーティストやキュレーター、観客が見て感じることで、情動=アフェクトされアフェクトする関係が築かれたという考察がなされた。このことから、企画展のタイトルにあるように、キュレーターや一般の観客が、非ムスリムという信仰を越えてムスリム女性アーティストに歩み寄ることがこの企画の趣旨であったのではないかと指摘された。