2011年7月9日 第4回FINDAS研究会「現代(いま)、タゴールを読む」の報告

掲載日 | 2011年07月21日

7月9日(土) に行われました第4回FINDAS研究会「現代(いま)、タゴールを読む」の報告です。

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「現代(いま)、タゴールを読む」

報告者1.丹羽京子

タイトル:「ベンガル詩人が見るタゴール」

報告:

報告者はまず、タゴールの作品を読むということが一体どういった意味を持つのかという問題を、ベンガル人にとってのタゴールと、非ベンガル人にとってのタゴールという観点から取り上げて紹介した。その後、30年代の詩人(タゴール直後の世代)、今日の詩人(タゴール没後の世代)それぞれにとってタゴールが一体どのような存在であり、どういった影響を与えたのかを述べた。それぞれの時代の代表として、ブッドデブ・ボシュとジョエ・ゴーシャミのタゴール論を考察の対象とした。
オミヨ・デヴは、「世界文学としてのタゴール」という報告のなかで、イギリスの詩人シェークスピアがその後に登場するイギリスの詩人たちに与えた影響力に匹敵するものを、タゴールもベンガル人に対して持っていると言っても見当はずれな予測ではない、と評している。また、タゴールに与えられた「世界詩人」という称号は、彼に先立つゲーテに劣るものではないこと、また、タゴールはベンガル、インド、世界という順番で捉えられるべき存在であり、矛盾なくこの3者を代表するものとしてとらえられる、とデヴは評している。
「彼ら〈タゴール直後の世代〉にとってタゴールを模倣することは不可避であり、そしてタゴールを模倣することは不可能だった」とブッドデブ・ボシュが述べているように、タゴールは30年代の詩人たちにとって、ひとつのジレンマとして立ち現われてきたと考えられる。ベンガル人の中にはタゴール批判に熱心な者たちも登場してくるが、彼ら自身もやはりタゴールに心酔していることには違いなかった。
ジョエ・ゴーシャミは著作『わたしのロビンドロナト〈タゴール〉』の中で、まるで家族の一員のように日常生活のなかにタゴールは常にあった、と言及している。彼は成長していく過程で自分の周囲にいるタゴール信奉者たちの大仰な言葉によって表現されるタゴールと、自身の家族的、個人的なタゴール観との大きな差異に気付き、一度はタゴールから遠ざかってしまう。しかし彼自身、詩人として大成した後、タゴールとその時代のほかの詩人たちの詩を改めて読むようになると、タゴールの偉大さと唯一性にようやく気付くことになった。

報告者2.臼田雅之(東海大学)

タイトル:「タゴールと近代ベンガル人の世界」

報告:

本報告では、丹羽京子著『タゴール』の書評を行った上で、当時のベンガル社会におけるタゴール家、およびラビンドラナート・タゴールの歴史的・社会的位置づけが行われた。

『タゴール』中で著者は、1900年代にタゴールの人生は困難に陥り、そのことがその後の人生における分岐点と位置づけられ、彼が世界詩人となるきっかけとなったと評している。それに対し報告者は、ニロード・チョウドゥリの説などを紹介しつつ、タゴールの人生において1890年代も同様に重要であったことを指摘した。
 タゴールは1890年代に結婚し、東ベンガルの農村で質素な生活を送っていた。幼少期、学業面で落ちこぼれ、兄弟とは対照的に冴えなかったタゴールは、この時期の結婚と農村での生活により、初めて人生の中に癒しを見出したのではないか。また、タゴールはザミンダールであるにもかかわらず、ムスリム農民とも親交を持った。一般的に、中間層は地方からカルカッタへ移住するが、タゴールは、彼らとは異なりカルカッタから地方に移住し、東ベンガルの農村に辿り着いた。そこは彼にとって、ムスリムの小作人との交流の場であり、何よりも、自分がいかに自然の中で孤独に生きていくかを実感する場であった。
 タゴール家は、ピラリバラモンと呼ばれる、いわゆる「堕落した」バラモン家系に属していた。かれらは、とりわけ通婚圏という点で周縁化された。富を築けば通婚の問題を解消できると考えたタゴールの祖父は、宗主国イギリスのパートナーとして働き、蓄財した。祖父の企業家としての活躍により、従来周縁化されていたタゴール家は、活性化し、名家となった。
1847年の世界恐慌以降、タゴール家は地主という色合いを強めた。タゴールの父は、地主として政治的、経済的権力を持ったが、彼が宗主国イギリスに抵抗するには限界があった。そこで彼は、自らの活動領域を内面に求めた。このような考え方は、タゴールの父に限らず、他のベンガル人・インド人エリートに共通していた。すなわち、外的領域がイギリスに支配される世界であるのとは対照的に、内的領域にはインド人の価値観が維持される、と彼らは考えた。歴史研究において、「ウチ」と「ソト」という区別は重視されてきたが、報告者はタゴールの著作『家と世界』にも、「家(=内)」と「世界(=外)」という意味が込められていると指摘し、このことが歴史家であるパルタ・チャタジーの思想にも影響を与えたことを示唆した。
タゴール家は一般的な中間層(madhyabitta)とは区別される市民貴族(abhijat)に属す。このことは、たとえば、タゴール家が、服装や思想など様々な面で中間層を先取りし、ときには批判したことに現れている。タゴールがナショナリズム全盛期にナショナリズムを批判したことは、その顕著な例である。タゴールはインド文明にも西欧文明にも距離をとったと考えられる。
報告者によれば、タゴールは近代詩人であると位置づけられる。「近代」がいつ始まるかについては諸説あるが、報告者は、近代文学はモダニズムの文学であり、歴史的近代と関わりのないものであるという見解を示した。それに従えば、近代の問題を主題として扱い、近代を批判したタゴールの作品は、近代文学の範疇に分類することができよう。

報告者3.外川昌彦(広島大学)

タイトル:「タゴールとその周辺」

報告:

報告者は、「これまで様々な視点からタゴール研究がなされてきたが、「世界的、歴史的に評価されているタゴール」という問題に焦点が置かれがちであり、「等身大のタゴール」特に「文学者としての等身大のタゴール」を描くことが不足していた」と指摘し、「丹羽京子氏の著書『タゴール』が、この盲点を埋めるための画期的な役割を担うであろう」と、評価した。次いで、タゴールに纏わる諸問題として、「タゴール評価の逆説」「タゴールの周辺の問題」「周辺から見るタゴール」という3つのテーマについて、以下のような疑問・問題が提示された。
①「タゴール評価の持つ逆説」
・インド社会の中においても、ベンガル語を母語としない人々は作品自体ではなく、歴史的コンテクストの中でタゴールを評価している。ベンガル語の分からない人にタゴールをどのように理解してもらうのか?
・「ギタンジョリ」の持つベンガル語の音の美しさ、それは他の言語に翻訳不可能である。しかしその一方、ノーベル賞受賞は英語に翻訳された「ギタンジョリ」が評価された故である。タゴール評価の焦点は何か?
・アマルティア・センの指摘した「『深く有意義で多面的な現代思想家としてのタゴール』というインドやバングラデシュにおけるイメージと、『同じことばかり繰り返している遠い国の精神主義者』という欧米でのイメージとの間にある落差」が近年、さらに顕著になっている。しかし同時に、欧米での評価や歴史的交流があったからこそ歴史的現象としてのタゴールをベンガルの一詩人以上の存在にしている。
②「タゴールの周辺の問題」
・日本とタゴールの関係を論じる際、必ず触れられるのが「岡倉天心と深い親交があった」ということである。既存の記録によって、ノーベル賞受賞以前からタゴールと岡倉の間に交流があったことは確認されているが、それと同時に、二人の親交が「思想的親交」まで行き得ていたのか疑問に残るような記録も残されている。二人の「親交」の意味については再検討を要する。
・堀至徳はタゴールがシャンティニケタンに開いた学園の最初の外国人留学生である。学園が国立大学となり国際交流の場となっていく以前にこうした人物がいたということは、見逃すことができない点である。
・野口米次郎は「昔からあることを同じように繰り返しているに過ぎない」と、タゴールに対して批判的であったが、これは野口のタゴールに対する理解が非常に表面的であった故であり、互いに対する認識のギャップが1938年に勃発するタゴール・野口論争の背景となっていくのではないか。
③「周辺からみるタゴール」
・岡倉天心の「アジアはひとつ」という着想は1902年、インドにおいての体験によって生み出されたとされる。インド体験を通してアジア認識を通して広げた岡倉は『東洋の覚醒』の中でインド人の若者を鼓舞する内容の文章を残したが、日露戦争とともに発行された『日本の覚醒』では一転、欧米に日本文化への理解を訴える立場を取る。それに対し、タゴールは1901年の著書で「東洋の文明と西洋の文明には大きな相違がある」、「ナショナリズムとは西洋の言葉でインドにはない」という観点を強調していたが、1908年の著書では「普遍的な人間性や宗教への探求が東西の矛盾を克服する視点を導く」という立場へ転向している。このタゴールの意識の変化によって、言語の壁を超えて共有される知的世界を創造するべく、「英語版ギタンジョリ」が生み出されたのではないか?また、同じ時を過ごした岡倉天心とタゴールの西洋に対する態度の変化を対比することも必要である。

●質疑応答

質疑応答では、タゴールが他の文学者から抜き出た存在感をもった理由について、主に議論が交わされた。その中で、ベンガルの近代文学における他の文学者の背景や、その言語の教養などを考慮する必要があることが指摘され、比較研究の重要性が明らかになった。
その後、タゴールがインド独立期に行ったナショナリズム批判がどのように引き継がれていったかについても議論が行われた。タゴールは、ガンディーに批判的であったが、シンボルとして民族運動を束ねる存在としては彼を認めていた。タゴールはnation-shipの持つ排他性の危険性を批判したが、具体的な運動は行わなかった。それゆえ、タゴールの運動は目立った形で現れてはいない、と評された。

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