2021年度第4回FINDAS研究会「インドにおける感情を考える:モダニティとヒンディー映画における恋愛を中心に」
2021年度第4回FINDAS研究会
(共同利用・共同研究課題「南アジアの社会変動・運動における情動的契機」2021年度第3回研究会と共催)
「インドにおける感情を考える:モダニティとヒンディー映画における恋愛を中心に」
【日時】 2021年9月3日(金)13:00-16:30
【場所】 ZOOM会議
【報告】
◇押川 文子(国立民族学博物館)
「パッションとダルマ:2000年代ヒンディー語商業映画における「両立」の手法」
発表者によれば、近年、インドの中高齢女性の間に、従来の慣習に反する形態での結婚を望む子世代に対して、承認するような態度の変化が見て取れるという。「普通」の人々が社会変化を受け入れる時の心象やその集合的感情は、その時々の規範や価値、感情、身体的感覚など複数の変数によって複合的に形成される。その表象と捉えられる映画作品は、情動を分析するにあたっての一つの手がかりとなると述べる。
1990年代〜2010年代にかけてヒンディー語商業映画は、複数の側面から過渡期にあったと言える。90年代末から2000年代初頭にかけての映画では、「クリーン」で「家族的な」ストーリーや家族への焦点化、ディアスポラの描写が特徴的であった。2000年代後半以降は観客の分化、国際市場の比重増大といった要因を背景に、多様化の進行と「作品性」への重視が際立った。
今回の発表では、Aditya Chopra監督のヒット作”Dilwale Dulhania Le Jayenge”(1995)及び”Rab Ne Bana Di Jodi”(2008)を取り上げ、分析が行われた。前者が若い二人の恋愛―父親の反対とその克服―(ダルマにも合致する)成就という形をとるのに対し、後者は若い二人の恋愛―それぞれの中にあるダルマと恋愛の統合―成就という形をとる。このようにいずれの作品でも一見対立する恋愛とダルマの相互関係と共存が見られる。このように、この時代のヒンディー語商業映画にはインド社会に複合的に存在する規範や価値観を、たとえ対抗するものであっても否定しないという「価値併存型映画」とも言える特徴があると考察した。そしてその特徴ゆえに多くの観客の感情に訴えかけられるものとなり、受け入れられたと結論づけた。
◇村上 明香(人間文化研究機構/東京外国語大学)
「「感情」は何を語るのか:Margrit Pernau氏の研究を通して」
本発表ではMargrit Pernau氏の著作を通して、その研究動向を追いながら、情動研究の意義と可能性についての考察が試みられた。Margrit Pernau氏は18〜20世紀のインドの歴史分野における感情史の第一人者である。これまでに19世紀以降の北インドのムスリム文化や歴史を中心に多角的な観点から多くの著作を残してきた。同氏は、感情研究とは社会階層や権力、暴力、あらゆる社会的・政治的・経済的関係がアイデンティティの感覚と結びついているかを示唆するものであり、これまで取り上げられてきた問題に新たな答えを見つけるためのアプローチであると定義している。
同氏の感情研究に対する視座を踏まえた上で、本発表では著書のEmotions and Modernity in Colonial India: From Balance to Fervorに着目してその同氏の分析を振り返った。この著書は、長年、感情に対する制御の増加と密接に関連するプロセスとみられてきたModernityに対して「感情と規律のゼロサム・ゲーム」のような解釈に異議を唱えることを目的にし、あらゆる種類の文献を手がかりに、感情から規律、規律から感情と単純に置き換えるのではなく感情と規律の関係性をより複雑に描くことを目指したものである。
同氏によれば、1860〜1870年頃は感情への規制が強い時期であったが、1870 年以降より感情を抑えることが重視されつつも、「共同体」への愛を生むような強い感情をもつことが奨励されるようになった。そして19世紀末〜20世紀初めには未だに感情に対する規制は多く残っていたものの、「適切」な感情を持つことは当然のことであると正当化され、その感情を持つ者の倫理性を証明するような崇高なものへと変容した。ここでの「適切」な感情とはムスリム共同体に対する情熱的な愛や植民地政府への不満を指す。
発表者は同氏の分析とウルドゥー語小説との比較を通し、小説にも共通の動きが見られることを指摘した。また、女性たちが感情を持つ権利があることを主張し始めたことから、感情を表現する可能性の存在を示唆したことを受け、女性によって書かれた文学作品における女性の感情の表現について更なる分析の必要性を投げかけた。