平成14年度第1回東京外国語大学
運営諮問会議議事要旨




1. 日 時:平成14年6月7日(金) 13:57〜 16:00
2. 場 所:如水会館 松風の間
3. 議 事:【発言内容の記録中、委員の発言には〇印を、大学側の発言には●を付した。】


    (1)会長の選出について 
        学長から、会長の選出方法について配布資料に基づき説明があり、審議の結果、
        本間委員に引き続き会長に就任していただくことが承認された。

    (2)「法人化」への対応について 
                        
法人化後の国立大学は、三つの組織を基本として運営をしていく。(1)学長、副学長を中心とする役員会、(2)主に経営に関する重要事項や方針を検討する運営協議会、(3)主に教学に関する重要事項や方針を検討する評議会。
 ご助言をいただきたい一点目は、役員会、運営協議会に参加いただくことになる学外者について。学外者の役員は、非常勤で、日常業務を担当せず、役員会で意見だけを述べることになる。 運営協議会メンバーには、相当数の学外者を依頼することになっているが、会議の頻度が多くなることを考えると、委員の条件を備えている方は少数である。こういった学外の役員等について、どのように考えたらよいか。
 二点目は、財政問題。法人化後、財政はますます厳しくなっていく。文部科学省からの運営費交付金の中身は、学生数等客観的な指標に基づくもの及び特定の教育研究施設の運営や事業の実施のためのものとなる。また、大学で掲げた中期目標・計画の評価により、運営費交付金は増減されることになる。中期目標・計画を充分に達成していけば、財政的にはなんとかなるという保証はない。本学において産学協同による事業収入や特許収入等を追求する道は険しい。財政問題を考えていくヒントになるようなことがあれば、ご教授いただきたい。

制度で決められているからそこを埋めるというのではなく、新しく再生する大学として、運営協議会委員に何を期待するのかを明確にすれば、自ずと学外者の人選はできる。どんなことを期待しているのか。

次の四点について期待している。(1)大所高所からの大学あるいは高等教育に関する意見、(2)国民の目線からの意見、(3)効率的な大学運営・経営への助言、(4)大学の在り方について外部からのモニタリング。

常勤の定義は、大学に物理的に勤務する時間の長短ではなく、その組織に100%コミットメントしていること、そして、組織に対して責任を負っていることだと考えている。

学長を補佐する副学長が非常勤というのは、実際にどのような形態であっても不可解に思う。

学校法人では、非常勤の副学長というのは、責任が取れないので考えられない。
 ただ、経理顧問という形で企業の方を非常勤として、副学長待遇でお願いするケースはあった。

役員会に学外の非常勤役員が常時出席することは不可能であるから、外部の人が入る会と内部だけの会と別立てにするしかないであろうという話を聞いた。これは実質、内部者だけの運営になるから問題である。また、運営諮問会議の構成員のようなメンバーを毎週集めることも不可能である。この問題についてはきちんと考える必要がある。

副学長を初めて設置したのは医科大学を新設したときであったが、附属病院では、病院担当副学長になっても診療や教育の手を抜くことができないため、非常勤副学長を求めるという要請が出た。常勤と非常勤、学内と学外、この四つの組み合わせは非常にデリケートな問題なので、慎重にお考えいただきたい。

法人化の枠組みは、教育についてよく分かっていない人が、大学は閉鎖的だ、非効率的だという先入観に基づいてできた結果、大変わかりにくく使いにくい組織になっている。それでもうまくつきあうしかない。
 東京外国語大学には、外国語を勉強するノウハウとか大変な知的所有権が蓄積されている。そこで有名な財界人ではなく、例えばIT専門家などを役員としてお願いして、その資金化を考えるとよい。

外部の力を取り入れていくことが大切であり、卒業生でも優れた者もいる。役員に関しては、公募するなど踏み込んで新しい息吹を取り入れることが大事である。
社会が知的財産のソフトを欲しがっている。特許にするようなものは無いと言われた がとんでもない。沢山あるのではないか。考え方と目の付け所によるのではないか。そ れを是非考えていただきたい。

国家公務員の定数を削減するという命題が、国立大学にも及んでいる。けれども、大学は自己改革できないとされている。そこで、外部者を入れて改革するということになった。
しかし、自己点検・自己評価もまだ緒についたところで、誰が評価するのか、評価さ れたらどうするのか、評価が本当に難しい。
常勤・非常勤の問題は、非常にデリケートであり、委員のご意見を踏まえながら考え て行かざるを得ない。

(3)本学のグランドデザインについて
 本学が我が国の高等教育、研究において担っている役割を自覚し、今後どの方向に取り組み、発展していったらよいかを考え、このグランドデザインを作成した。7〜8割程度固まっているが、2割程度はさらに修正が入る可能性がある。その一つとして本日先生方から賜ったご意 見を参考にさせていただき、さらに練っていきたいと考えている。
  本日ご検討いただきたい部分は、本学の教育研究の方向性をまとめた「拠点大学化」の部分である。本学が個性化をはかるポイントはここにあると考えている。これには、「1.世界諸地域の言語・文化・社会に関する高等教育の拠点」「2.世界諸地域言語・文化・社会に関する学際的かつ先端的な研究拠点」「3.日本語教育研究の世界的な拠点」という3本の柱があるが、今後、学内の組織改革あるいは組織連携の工夫をして強化していきたいと考えているのは、1−(2)高度専門職業人の養成と、3の日本語教育にあるので、とくにこの部分についてご助言を賜りたい。日本語教育について本学は、大学入学前教育から学部、大学院にいたる多様なレベルの留学生ならびに研究者の必要性に応じて、学習者の母語を考慮した日本語教育のポテンシャリティをもっている。

東京外国語大学で学んだ日本語が今の一番きれいな、正統な日本語だという権威が作れ るようならすばらしい。また、国語学になるのではなく、コミュニケーションで使用するうえで、日本語とはこういうものだということを明確に出来るならすばらしい。この点で、三つ目の項目に取り上げていることは賛成である。

高度な職業人を育成する気持ちが大学にあっても社会が受け入れる枠が狭く、学生が一番おろおろしている。外大を卒業して活躍している方々の実例を示せば、学生たちもわかりやすいので、大学としてその点で学生に力を貸していただきたい。

外国勤務の時、外大卒業生で日本語を勉強した人たちが、大変な活躍をしているのに出 会った。王室、政府、財界人等にきちんと日本を説くことが出来、感心するほど美しい日本語を使っていた。日本を知って帰国した留学生がどれだけ社会に影響を与えているかという実例である。
  特化コースを設定し、それに対応する先生を集め充実を図るより、学生を外国に出していく方が効果的ではないか。
  大学の世界では、教員の評価をやっていないように思える。大学の中と外、それぞれの評価を続けて行うようなシステムがないと、どんなに立派なグランドデザインも実現しない。

日本語の教育法を研究しているところは、日本にはあるようでない。国際交流基金の日本語教育センターは、日本語教師(外国人)を教育しているが、教育法の点で、ここに外大の知恵が入るといいと思う。
  タイ人が「つ」と言えないように、国別に日本語教育法が必要であり、そして、国別に教育法の開発が出来るのは外大である。それこそ特許がとれるのではないか。
外国のことを勉強して世界のことを知るのではなく、日本のことを持って対話する。 そういう能力を持った人をつくることを外大の一つの柱にしてほしい。

日本語教育の拠点化を是非お願いしたい。日本語教育の必要性を認識され、その背景の言語教育の貴重な経験をもっておられるのは、外国語教育の関係の方々であるから、外大に是非がんばっていただきたい。
日本人の「うなずき」ということの意味をコミュニケーションの研究対象として、博 士号を取ろうとしている台湾出身の留学生に会った。日本研究、日本語教育研究に外国 人を入れるということも、やっていけるとよい。

日本人が日本語教育を受ける道も開いていただきたい。
日本語をこれからどう創ってどう活かしていくべきか、世界の言語がこれからどうなるのか、国際化が進む中で日本語はいつまで残るのか、という議論が言語学者の中にはあると思う。
  言語や文字だけでなく、動作や身振りも含めた、広い意味での日本語教育を、日本人に対する生涯教育の中に位置づけていただきたい。

私立大学は、学生が沢山くるという前提でよい教育をするというメカニズムがある。国立大学が独立法人化になるとグランドコンペティションの時代に入る。
  東京外国語大学は、何を売り物に、どういう風にするのか学生に見えてこない。学生は立地条件など変な理屈で場所を選ぶ可能性がある。外大は、ネームバリューを売り物にして、26言語をきちんと教える。それも、府中に来いというのではなく、ビジネスマンを対象に霞ヶ関とか丸の内に積極的に出て行ってほしい。

私学には明快な建学の精神があるが、国立には今までそれを考える必要がなかったのではないだろうか。グランドデザインの個々の目標は適切であって、賛成だけれども、これは組織.が考えた目標であって、例えば、言語とは社会にとって何ぞや、というようなところから発想した、何か人が打ち立てた目標がこれをカヴァーして、それを象徴するようなものがあるとよいのではないか。

グローバリゼーション、効率化などの言葉を使う場合、その意味あいがあいまいなまま社会で使われていることがあるので、コンセプトをはっきりさせた上で議論しないといけない。それから、広報の努力が必要である。

外大が日本語をやるのかという疑問に対しては、乱暴だが、日本語は外国人が、国語は日本人が勉強するものということにしておけば、日本語も外国語大学の授業範囲に入る。そういうかたちで日本語教育を大きくしていくことはできるでしょう。しかし、そのための制度いじりということになると教員配置、定員配分をどうするかが大きな問題。それをどうするかが学長の宿題である。