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わたしの教育マニフェスト




1.総論

専任教員として大学教育に関わるようになって7年目を迎えます。
つまり、やっと「小学校」は卒業して、「中学校」に入学したことになります。
ともなれば、教育の方針も新しく刷新しなければなりません。
学生ばかりに「成長」を求めることは、あまりに一方的ですから。
学生とともに過ごした7年間。わたしもまた、学生に「育てて」もらいました。
学生が成長し続けるように、わたしも成長し続けたいと思います。

ということで、新しい教育マニフェスト(方針の宣言)。
これまでと大きく変わるものではありませんが、改めて言葉にしてみたいと思います。







2.学校教育について

わたしが目指しているのは、究極的には、次のようなことです。
「学生一人ひとりのエンパワーメント」
別のことばでいうと、
「人間力(にんげんぢから)の向上」 です。
だから実際のところ、ポルトガル語がネイディブ並にできなくても、アフリカについて限りなく多くの知識をもっていなくても、世界のすべての動向に精通していなくても、構わないと思っています。目標を高くもつことも、努力も必要です。しかし、「子ども時代」から「大人時代」の狭間にいる大学生のみなさんの教育は、もっと別のところに求められるべきではないか、と考えています。

「エンパワーメント」や「にんげんぢから」といっても、勉強しなくていいということではありません。人間力を向上させるには、よくアンテナをはり、よく学び、よく読み、よく考え、よく行動し、よく協力し、よく書き、よくふり返らなければならないからです。そして、何より自分自身の人生と生活、そして世界や日本や地域といった社会の中で、「当事者」にならなければなりません。人(先生)任せの勉強、人(親)任せの生活、人(友人)任せの行動、人(社会)任せの生き方では、人間力は培われません。
自分の人生・生活・社会の主人公(「当事者」)として自立するための、第一歩を踏み出す。
これこそ、大学の4年間で始めてほしいことであり、お手伝いできればと思っていることです。そのためには、大学の授業もただ座っているだけでは、意味がありません。必修だから、進級に必要だからという姿勢では、お金も時間も労力もったいなくないでしょうか。先生の教え方が悪いとか、面白くないなど、色々理由はあると思いますが、文句ばかりいって損するのは自分ではないでしょうか。この論理では、「先生」がみなさんの学びや生活の主人公になってしまいます。主人公たるみなさんがすべきことは、何でしょうか。

外大の学生は府中に籠りがちです。もちろん、授業が忙しいことと立地条件に起因する部分もありますが、それだけでもないような気がします。みなさん、どこか外の世界を怖がっていませんか。自分を「守る」ことに終始していませんか。自分を大切にしすぎていませんか。このような「守り」の姿勢が、みなさんの成長に必要な挑戦力を奪っているように思う場面に多々出会います。

2年生の秋にゼミを選ぶとき、3年生の冬から春にかけて就職活動をするとき、3年生になって卒論のテーマを探すとき、そのときになって慌てて、「自分は何をしたいのだろう」、「何に向いているのだろう」と考える学生さんが多いようです。多くのみなさんは、自分の頭の中から何かをひねり出そうともがくようです。しかし、その答えは本当にみなさんの頭の中にあるでしょうか。大人たちはまったく異なった質問を投げかけませんか?
「あなたは、どのような生活を送ってきましたか?」
「社会(わが社)に対してどう貢献できますか?」
「そう考える根拠となる経験は?」、と。

もちろん、それらの問いへの答えは一つではなく、そして日々変化していくことでしょう。同じことが、わたしたち教員にも問われていると思います。わたしたちだけでありません。この社会に生きるすべての人が、一生をかけて付き合っていく問いだと思います。

「自分が求めるもの」ではなく、「自分が求められるもの」とは何なのか。この発想の転換こそ、今必要とされていることだと思います。それを知るためには、独りコンピュータの前に座っていても、自分の感覚や考えに答えを求めても、何も見つからないでしょう。なぜなら、「他者」、そして社会との関わりがなければ、その答えは見つからないからです。是非、大学のキャンパスから一歩も二歩も足を踏み出してほしいと思います。あるいは、大学の中にもたくさんの機会があります。

以上がみなさんに期待したいこと、そのためにお手伝いしたいことの大枠です。個別の授業についての教育方針については、担当する科目にあわせて書いてみます。詳細は、シラバスを見ていただきたければと思います。
なお、すべての授業で「参加型学習」の形式を目指しています。



なぜなら、何事においても答えは一つではないからです。どこから見るか…で、すべては変わってきます。たった一つの脳みそ、身体しかないわたしがみなさんに教えられることは、ごくわずかです。そして、わたしの見方はわたしのものであって、世代の違うみなさんがもつ視点から見たときに、必ずしも妥当ではないかもしれません。何より、ここから先はみなさんが自分の力で人生を社会の中で生きていくのであって、自分で考え、自分の見方を育む一方、別の人の考えやものの見方から学ぶという双方向のやり取りこそ重要です。

これは、「にんげんぢから」向上に関わっています。ですので、驚かれることが多いのですが、語学の授業でも、地域基礎の授業でも、100人を超える人が履修する専修専門の授業でも、ゼミでも、参加型学習の手法を多用しています。具体的には、ブレーンストーミング、ゲーム、グループワーク、発表などです。

そして、6年が経過しての結論は、
人は、同じ立場にいる者同士の方が、より多くのものを学び合える
ということです。これを、Peer Education(ピア・エデュケーション)、相互教育といいます。先生から言われてもわからないことが、同じ立場にある学生から言われたらわかる…という経験をしたことはないでしょうか。学生同士の方が、すっと染み入るようなアドバイスができることはよくあります。また、アドバイスをした側の学生も、その経験が自らの学習に役に立ちます。「あのときあんな風に批判したけど、わたしはどうなんだろう」、という気づきは重要です。これが、批判的精神をもって自分の考えをふり返るために、重要な手順となります。

ですので、わたしが大学での授業を通してやろうとしていることは、
学生同士が学び合える「場」をつくり、そのファシリテーションをすること
ちょっと無責任な言い方かもしれませんが、わたしがすべきことはファシリテーションであり、授業がみなさんにとって面白いものになる、役に立つものになるかどうかは、受講生のみなさん次第…ということになります。

そこで、最後にみなさんが知りたいことを。
わたしは「厳しい先生」と言われることが多いようです(!)。
自覚はあまりないのですが(!)、多分毎回必ず出席をとる、レポートが多い、ひどいレポートは再提出させる、「シビアな」評価を行う…からでしょうか。授業でもいつも説明しているのですが、念のためここでも書いておきます。

わたしの評価はすべて数値化されています。出席・レポート・小テスト・試験を、エクセル管理しており、6割以下は不合格。6割以上は「可」。7割以上は「良」。8割以上は「優」です。これは、大学の規定にあわせたものであって、出てきた結果を出てきたとおりに入力して、それを評価に素直に反映させています。当たり前のことを、当たり前にしているだけ…と思っていたのですが。これは、単に「厳しい」からそうしているのではなく、fairness(公平性)のためにやっています。真面目に授業に出て、一生懸命勉強している人が報われないシステムは、みなさんにとっても、大学という組織にとっても、社会にとっても、望ましいことではないと考えているからです。「やった人が報われる公平なシステム」こそ、みなさんの成績評価を超えて、日本社会、世界に求めていきたいと考えている基本です。

なぜなら、アフリカの女性たちの一日に寄り添うとわかるのですが、彼女たちは本当に早朝から夜遅くまで一日中働いています。でも、そんな彼女たちが丹精込めて栽培するコーヒー豆を売って手にするのは、日本で私たちが支払う価格の10分の1をはるかに下回るお金です。このギャップを正当化しうる納得のいく論理に、わたしはいまだに出会ったことはありません。もちろん、わたしもこの不公平な世界の反対側で、その不公平さから享受しています。その自覚をもって、だからこそ、小さな不公平から大きな不公平まで意識的に問題にし続けたいと考えています。

また、「やる気」のない方の受講はお断りしています
みなさんも、忙しいと思いますし、わたしも全力で教えているので、単位目当ての受講生に履修していただいても、お互い不幸なだけです。なぜなら、アフリカについて学ぶということは、上に述べたとおり、自分が問われることであり、参加型学習を行う、ピア・エヂュケーションを行う場において、やる気のない人の参加は他の受講生のモチベーションを下げる可能性があるからです。

「一見さん」的な学生さんの期待に応えられず申し訳なく思うこともあります。でも、質の高い教育を行うためには、仕方がないのです。また、みなさんも、資源(お金)、時間、労力を投入している大学生活なのですから、是非「本気」で授業に取り組んでほしいと思います。そして、授業はすべてではありません。授業ばかりを真面目にしても、自分を発展させるには十分ではありません。

授業はきっかけにすぎません
自分を発展させるには、与えられた枠組み(授業)を超えていかねばなりません。大学にいる間に、是非外に飛び出していっていただければと思います。つまり、本当の意味で「主人公」になってほしいと思います。

長くなりましたが、各授業で目指していることは次の通りです。 


ポルトガル・アフリカ研究(地域基礎)
    1、2年生を対象とした授業。高校までの勉強で、教科書や先生を信じ、暗記したり、要領よくま
    とめることに慣れ親しんできたみなさんに、大学で学ぶ際のイ・ロ・ハを一緒に学んでもらいま
    す。とくに、語学づけの毎日の中、どこか置き去りにしてきた問題意識、批判的精神や分析能力
    を、育む手法を学びます。事例とするのは、世界史(特に欧米中心の世界史)です。資本主義の  
    発達、現在のグローバル化のきっかけをつくった大航海時代、世界的な序列構造を形成した帝
    国主義・植民地主義の時代を、ポルトガルを入口に再考します。その際、大航海時代で征服さ
    れた側(東アフリカインド洋世界)、植民地支配を受けた側(アフリカやアジア)に視点を置くもの
    とします。
     @ 学術リテラシーを身につける
      ・ 大学で学ぶということを理解する 
      ・ 社会科学的アプローチを学ぶ 
         自分で調べ、自分で分析し、自分で考え、自分の意見を述べ、他者の意見に耳を傾け、
         議論し、結論を導き出すことを学ぶ
          A 欧米中心の世界史像を乗り越える
      ・ 従来の世界史を問い直す
      ・ 帝国主義・植民地主義から世界を見る視点を問い直す
      ・ 日本の歴史を世界と連動させたものとして学ぶ
      ・ 植民地支配された側から世界史を考えてみる
     B 以上をポルトガルによる大航海と東アフリカ(インド洋)を事例として再検討する
     C 以上をポルトガルによる植民地支配とアフリカ人の抵抗を事例として再検討する


アフリカ地域研究(専修専門・地域専門・ゼミナール)
    もっと違ったところから現在の世界のあり方や自分の位置を問い直したい人、今まで出会ったこ
    とのないような価値観の転換を経験したい人、チャレンジや冒険が好きな人、将来国際協力の
    分野に進みたいと漠然と考えている人。そんなみなさんに、@〜Aはお薦めです。
    ゼミのBは、真剣にアフリカに関わろうとしている人向けなので、@・Aの授業を受け、ゼミ案内 
    を詳しく読んでから、挑戦してください。選抜制です。「やる気」のない人は他のゼミを希望してく
    ださい。
     @ 【基礎】「国際関係とアフリカ地域」(前期)…世界におけるアフリカの位置や役割を、世
      界史的展開と日本との関係から読み説く。
     A 【専門】「アフリカ平和・紛争論」(後期)…現代アフリカにおける紛争と平和について学
      び、アフリカから世界やわたしたち自身の平和・紛争を考える。
     B 【応用】「アフリカ・ゼミ」(通年)…学生それぞれの関心分野や地域(国)にそって、アフリ     
      カについて学ぶ。


中級ポルトガル語
    
多くの学生の願いは、「ポルトガル語を使えるようになること」だと思います。しかし、使えるよう   
    になるには、実際に使うしかありません。でも、ポルトガル語を使う機会はそう多くはありません。
    30人を超える受講生と教材を翻訳していても、全員をあてるまでに2週間〜3週間はかかってし
    まいます。そうしても、翻訳できる教材は月に2〜5頁程度。これでは身につかないので、受講生
    全員が授業毎、何らかの形でポルトガル語を使うアクションを取り入れています。聞き取りテス
    ト、作文作成、翻訳(提出)です。いずれも、各受講生にフィードバックを行うことで、「やりっぱな
    し」にならないようにしています。また、「使えるポルトガル語」の集大成として、各受講生にポル
    トガル語で調べ、ポルトガル語で資料を作成し、発表する機会を提供しています。また、ここ2年
    は、毎年ネイティブの方のお手伝いをいただいています。
    @ ツール(道具)としてのポルトガル語を身につける 
     ・ 毎回、聞き取りや作文の小テストを行うことで、能動的な学びを実現する 
     ・ 個々の受講生が翻訳指導を受ける
     ・ 学年の最後には、ポルトガル語でのリサーチと発表を行う
    A 多様なポルトガル語に親しむ
     ・ ポルトガルやポルトガル語圏アフリカ諸国のポルトガル語に慣れる





3.大学院(前期課程)教育について

みなさんは、何のために大学院に行くのでしょうか?
本当に、大学院に行かなくてはならないのでしょうか。
モラトリアムのため?修士号という資格のため?就職活動に失敗したから?
最初から、厳しい質問かもしれません。

もちろん、人それぞれだと思います。
でも、どうしても学びたいことがなければ、あるいはとくに人生設計上の戦略がなければ、大学院には進学しなくていいと思います。むしろ、早く社会にまみれ、社会に浸り、課題に直面し、どうしても学びたい(深めたい、考えたい)テーマが見つかったときに、是非大学院に来てくれればと思います。
それからでも決して遅くはありません

なぜなら、修士論文を書くということは、それを書く側にとっても、それを指導する側にとっても、大きな、大きなことだからです。
なんとなく…選んだ、魂のないテーマに喰らいつき続けることは、並大抵のことではありません。大学院に入ると、繰り返し、繰り返し、「テーマは?」「研究手法は?」「ディシプリンは?」「理論は?」と聞かれます。

大学時代までは許された「なんとなく」は、大学院ではもう許されません
ですので、自分の掘り下げたい学問的テーマ、そのための根深い問題意識をもたないで大学院に来るべきではない…これが、大学院に進学するかどうか迷っている人へのアドバイスです。

なぜわたしがこのようなことを書くかというと、修士課程はたった2年で、ディシプリンを踏まえ、調査を行い、学位論文をまとめなければならないからです。そして、入学後1年経てばすぐにまた就職活動が始まります。

みなが働いているときに、わざわざ大学という場に留まり続けるには、それなりの問題意識が不可欠です。それは、「自分が好きだから」、「興味があるから」ということではなく、やはり社会的意義というものが念頭に置かれていなければなりません。

なぜなら、わたしの理解では、学部生と異なり、
大学院生は学生であるものの、「社会人」だからです
単なる学生ではもはやありません。社会人として大学院生活をまっとうするということを意識せずに、大学の延長のように過ごしてしまうのであれば、それはお互いに時間の無駄だと思います。本学の大学院に入ってくる人の中には、学部生と同じような扱いを求める人もいますが、それは違うのではないかと思うことが多々あります。

ですので、多くの問合せをいただきますが、覚悟・準備のない進学希望者には、大学院進学をお薦めしていません。積極的にわたしのところに来てくださいとお返事することはまずありません。とくに、ディシプリン教育を受けていない方には、是非まずはディシプリン教育を受けてくださいとお願いします。それは、本学大学院ではディシプリン教育は行っていないからです。また、「アフリカを学びたい」という問合せを受けることも多々ありますが、本学大学院博士前期課程では、私しかアフリカ教育に携わっておらず、まず不可能です。アフリカについて専門に学びたい場合は、複数教員がいる大学院への進学をお薦めします。

さらに怖がらせてしまったと思いますが、こんなことを書いている教員のところでも学びたいのであれば、扉を叩いてください。
やる気のある人には、扉はいつでも開かれています
その代わり、相当勉強しなければならないことを覚悟してください。それは、苛めているわけではなく、その人のために思ってです。同じ世代の人たちが働いているときに大学院に行くのであれば、みなさんの「仕事」は何より勉強することです。ですので、勉強を仕事だと思って取り組める人に、来ていただければと思います。

ですので、それ以外のことについては、学部生時代にしっかりやっておいてください。あるいは、並行してやる心構えでお願いします。





4.大学院(後期課程)教育について

基本的に前期について書いたことと同じです。もうほとんど書くべきことはないと思いますが、一点大きく異なり、予めお伝えしておきたいことは次の点です。

研究を極めたい…人だけに扉は開かれています
よくみなさんに「どうやったら研究者になれますか?」と聞かれます。 わたしが専任として就職したのは34歳のときです!(しかも昨今においては、これでも随分若い方です)

博士号を取っても、就職は難しいのが現状です。ましてやアフリカ関係であれば、なおさらです。就職の一貫として「研究者になる」という意味でしたら、まずその道は「イバラの道」だということを自覚してください。 就職が難しいだけではありません。
20代後半から30代前半という時期に、独学を基本とする博士課程に在籍するのは心身ともに苦しいことです。「孤独」です。博士課程への進学を後悔する人は非常に多いです。

「なぜこのテーマを博士課程に進学してまで学ばなくてはならないのか」
が自分の中でクリアでないと、辛いことも(の方が)多いです。
ですので、社会の中で経験を積んで、そのテーマについて深く、深く、じっくり考えたい。という人以外には、博士後期課程への進学はお薦めできません。

でも、そうしたいと望むのであれば、とことんお付き合いします。
わたしもみなさんたちから、是非学ばせていただければと思っています。

もちろん、途中で進路を変える人もいていいと思います。あくまでも心構えの話だということを念頭に入れてくださればと思います。博士後期課程の学生の指導は、「指導」というより、共同研究のようなものです。わたし自身、もっとも楽しく、学ぶところが多い授業です。他方、博士後期課程ともなれば、一研究室、一大学に閉じこもっていてはダメです。学会や研究会、他大学の院生との自主勉強会など、「他流試合」を徹底的に心掛けましょう。もうこの段階ともなれば、指導教員は単なる「踏み台」です。どんどん踏みつけて、先に進んでいってくれればと思います。 






 
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