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アフリカ

カーボヴェルデ共和国について

1.カーボヴェルデの政治

Mapa de Cabo Verdeカーボヴェルデは、大西洋上に浮かぶ大小15にも上る島で構成される。ポルトガルの植民地支配のきっかけは、1460年、ポルトガルの航海士であったDiogo Gomes と Antonio Noli の来航によるものであり、その二年後、サンチアゴ島にポルトガル人が入植し始める。

カーボヴェルデは、ヨーロッパ・アフリカ・ブラジル間の航路になくてはならない要地となっており、ヨーロッパ人航海士の食料調達の場であった。さらにカーボヴェルデの住民は、奴隷として南北アメリカ大陸に連れて行かれる運命に直面した。このような歴史的背景の結果、カーボヴェルデの人・植物・動物は世界中に拡散されてしまったのである。以上のように、航路の中継地として、奴隷貿易によって栄えたカーボヴェルデであるが、1867年に奴隷貿易が廃止され、断続的な干ばつの発生により、カーボヴェルデは衰退の一途を辿った。

Amilcar Cabralそのカーボヴェルデにも変化の機運がやってくる。1956年、地元出身の知識人・Amilcar Cabral が独立闘争のために、ギニアビサウ・カーボヴェルデ独立アフリカ党PAIGC を結成したからである。PAIGCはポルトガル軍と激しい戦闘を闘い、1963年にはギニアビサウとカーボヴェルデの一方的独立を宣言する。1974年、長引く各ポルトガル領での植民地解放戦争に耐え切れず、ポルトガルで無血革命が発生し、独裁政権が倒れると、革命政権とPAIGCは和平協定に調印し、移行政府がつくられた。そして1975年の7月5日に独立が宣言され、初代大統領として党の指導者であったAristides Pereiraが就任する。(Amilcar Cabralは闘争中に暗殺された。)

1991年、初の複数政党制選挙が行われ、一党制からの移行を果たした。

参考サイト
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/angola/
http://www.angola.or.jp/Pages/Planguage=1_Open.html?language=1
http://www.angola-portal.ao/mat/Default.aspx
http://www.angola-portal.ao/PortaldoGoverno/
http://www.angola-portal.ao/PortalDoCidadao/SobreAngola.aspx
http://www.angoladigital.net/sobrepais/index.php?option=com_content&task=view&id=29&Itemid=4
http://www.mulheresnegras.org/angola.html
http://www.cplp.org/Default.aspx
http://www.parlamento.ao/a
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/46548
http://www.unic.or.jp/recent/act50_b.htm

 

2.カーボヴェルデの政治

Flag of Cape Verde

カーボヴェルデの国旗(1992年制定)
10個の星=10の島を象徴
青=空と海 白=平和 赤=民衆の努力
紅白の帯=国の形成までの道のり


その名の通り共和制を国家体制とするカーボヴェルデ共和国は、他のポルトガル語圏アフリカ諸国と同様、1975年に独立。それ以来、一党制の政権を握っていたのはカーボヴェルデ独立アフリカ党PAICVであった。政権運営後、増大する国内外の批判を受けて1990年には複数政党制に移行した。1991年1月、初の複数政党制国政選挙が行われ、反対派の民主運動グループMpDが政権交代を実現する。しかし、PAICVは、2001年、選挙に勝利し、政権を奪取する。PAICVとMpD以外の政党の勢力は限定的だが、比較的有力な政党に中道右派の独立民主カーボヴェルデ連合(UCID)がある。

カーボヴェルデは国家体制として共和制、半大統領制を採る立憲国家である。現行憲法は、1992年9月25日に採択されたもの。1995年と1999年の2回、大幅な改正が行われている。
国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出される。任期は5年で、3選は禁止されている。首相は国民議会により選出され、大統領が任命する。内閣に相当する閣僚評議会のメンバーは、首相の推薦に基づき大統領が任命する。

立法府は一院制の国民議会である。定数は72議席。議員は比例代表制に基づき、国民の直接選挙で選出される。任期は5年。

参考サイト

http://caboverde.vozdipovo-online.com/
http://flagspot.net/flags/cv.html
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/capeverde/data.html
http://wapedia.mobi/ja/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%87

 

3.カーボヴェルデの文学

カーボヴェルデの文学カーボヴェルデにおける文学は、1842年に印刷機が発明された時代に遡ることができる。1936年には、”Claridade”という雑誌が初めて編集される一方、カーボヴェルデ出身者による最初の作品は、Amanach de Lembrancas という雑誌に掲載された詩であった。 たとえ詩中の社会的言及がカーボヴェルデについてのものではなく、またそのスタイルはポルトガル文学を真似たものであっても、その詩は独立したものであって、ポルトガルのそれとは異なっていた。

カーボヴェルデの文学はポルトガル語圏アフリカで最も豊かとされている。著名な詩人としては、フルゾニ・セルジオタルヴェス・エウジェニオB・レザペドロ・カルドーゾが挙げられ、マヌエル・ロペスエンリケ・テシェイラ・デ・ソウザアルメイダ・ジェルマーノ、2009年にカモンイス賞を受賞したアルメニオ・ヴィエイラのような作家も挙げられる。

参考サイト
http://www.caboindex.com/blog/artigos/literatura
http://www.britannica.com
http://igitur-archive.library.uu.nl/dissertations/2003-0310-101002/pt3c2.pdf
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%87

4. カーボヴェルデのスポーツ

美しい海・ビーチを持つカーボヴェルデでは、居住者・旅行者問わず。ダイビングやサーフィンなどのマリンスポーツが盛んである。また、カーボヴェルデではボクシングが盛んで、2008年7月に東京で行われたK-1の大会に出場して勝利し、日本人K-1ファンからの期待も高まっている。 マリンスポーツやボクシングなどカーボヴェルデには小さい国ながらも様々なスポーツが存在するが、その中でも民衆の間で最もポピュラーなスポーツといえばサッカーである。しかし、残念ながら、カーボヴェルデ代表チームは世界的に見てもあまり強いとは言えない。FIFAの世界ランキングでは、日本が世界32位であるのに対して、カーボヴェルデ代表は107位、アフリカ大陸だけで見ても29位である。カーボヴェルデ国内には日本のJリーグのようなプロのサッカーリーグは存在しない。しかし、現在、移民としてアメリカ合衆国に渡ったカーボヴェルデ人によるカーボヴェルデのサッカーリーグNELASAがアメマサチューセッツ州にある。18チームが在籍し、Zona AとZona Bの二つに分けられリーグ戦が行われている。

参考サイト
http://www.nelasa.org/index.aspx (o site oficial de NELASA)
http://www.spigamidju.com/ (o site oficial de Spiga Midju F.C)
http://www.boavistacv.com/EngSport.htm (o site de Boa Vista.com)
http://www.sarago.co.jp/nfhtm/cv.html (o site de bandeira nacional de Cabo Verde)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080708-00000016-gbr-fight (o site de yahoo, esporte)
http://www.fifa.com/ (o site oficial de FIFA)
 

5. カーボヴェルデの音楽

大部分のカーボヴェルデ人が混血あるいはアフリカ系であるため、カーボヴェルデの文化はヨーロッパとアフリカの文化が混合させたものとなった。特に、音楽と料理に関してはそれが顕著である。植民地支配を行っていたポルトガルだけではなく、他国の航海の中継拠点ともなっていたカーボヴェルデは、フランスやイタリア、イギリスなどの影響も受けている。中でも、次の4つの種類の音楽が有名である。

Musicos cabo-verdianos a actuar.●Morna:最も知られるカーボヴェルデの音楽・ダンスの一種。アコースティックギター・カヴァキーニョ・ピアノ・バイオリンというとてもシンプルで伝統的な編成で演奏される。ポルトガルの音楽・ファドの影響を大きく受ける。Mornaは郷愁的メロディーでゆっくりとした曲調が特徴的である。
●Coladeira:1920年代〜50年代にかけて登場。アップテンポのColadeiraは、Mornaで使われる楽器に加え、ドラムやベースも使用する。より現代的な音楽である。
●Funana:植民地期、元々、サンチアゴ島の奥地の人々によって演奏されていたFunanaは、その当時、町の人間には知られてはいなかった音楽である。独立後、Bulimundoというグループの登場により、国民的音楽として知られるようになった。
●Batuque:サンチアゴ島起源の音楽。名前から分かるように(太鼓の意味)、アフリカ大陸出身者の音楽で、アフリカ系の人々の声を伝えることを目的としていることが多い。8分の6拍子が特徴。

参考サイト
Guia de Cabo Verde http://www.guiadecaboverde.cv/
Porton di nos ilha http://portoncv.gov.cv:7778/
www.afroluso.com http://afroluso.com/
道祖神 http://dososhin.com/dictionary/capeverde/
カーボヴェルデとその音楽 http://www.s-art.musical.to/kanaco/caboverde/

 

5.サントメ・プリンシペの料理

サントメ・プリンシペは、基本的に自給自足の国である。
その恵まれた気候により、カカオ・ココナッツ・タロイモ・バナナ・キャッサバなどの栽培が行われ、余剰の輸出も行っている。

最も有名な料理はCatchupaと呼ばれる料理である。Aguardienteとはカーボヴェルデの有名なCachaca(サトウキビでできた酒)。 コーヒーやmanecomというフォーゴ島のお酒もまたよく知られるカーボヴェルデの飲み物である。

Cachupa.jpg○Catchupa:ブラジルの豆料理フェイジャオンにも似ているこの料理は、とうもろこし・青葉・  じゃがいも・肉・青バナナ・リングイッサ(ソーセージ)と具だくさんな煮込み料理。上述したとおり、カーボヴェルデの代表料理である。
カーボベルデのごはん
○Pissois:ブラジルのパステウに似た揚げ物料理。通常、ブラジルではそのパステウの中身に使う具というのはチーズ・肉・ヤシの芽・エビが主流であるが、このPissoisには、島国らしく、サーモンあるいはマグロが使われる。

○Ponche:サトウキビでできた焼酎カシャッサと様々な果物を混ぜ合わせたカクテル。

参考サイト
http://e-food.jp/map/nation/caboverde.html
http://www.caboverde.com/

 
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