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アフリカ

アンゴラ共和国について

アンゴラ共和国

1.アンゴラの政治

18州163市町村の地方行政区分からなるアンゴラは、その国名のとおり大統領を元首とする共和制国家である。複数政党制を採用しており、アンゴラ解放人民運動(MPLA)・アンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)・社会改革党・アンゴラ民族解放戦線(FNLA)・新民主選挙連合などをはじめとする12の政党が存在する。

アンゴラでは、1975年の独立後から政権争いをめぐる内戦が勃発。内戦と呼ばれているが、同戦争は、そもそも、モザンビークと同様に、脱植民地化過程におけるアンゴラ解放運動の分裂とそれに介入した周辺諸国や諸外国に起源を有する。独立後、社会主義を掲げたMPLAが主導権を握るのを嫌った南部アフリカの白人政権(南アフリカおよびローデシア)と西側諸国がUNITAとFNLAの連合を支える形で、戦争は深刻化した。一方のMPLAもまた、東側諸国の軍事支援を受け、アンゴラの戦争は冷戦の代理戦争として、大規模なものとなっていった。

長年にわたりMPLAを支援してきた東側諸国の自壊を受けて、MPLA政権は1990年に社会主義路線を放棄し、翌年には複数政党制の導入を決めた。そして、ポルトガル政府の仲介で1991年5月、MPLAとUNITAがリスボンで和平協定に調印する。しかし1992年の大統領選および議会選をめぐる対立から再び内戦に突入。国連の仲介で1994年11月に和平が合意されるが、1998年に内戦が再燃した。豊富な石油収入を使って、MPLA政権は民間軍事会社の助けを借り始めると情勢は変化し、ついに2002年2月、UNITAのジョナス・サビンビ議長が戦死する。これを受けて、和平の機運が高まり、3月15日に双方は休戦で合意した。同年4月4日に和平協定が結ばれ、27年間の内戦に終止符が打たれた。

その後2008年9月に行われた総選挙により、MPLAがUNITAに勝利し、国政の主としての正統性を確保し、現在に至る。2009年時点の大統領はJose Eduardo dos Santos、首相はFernando da Piedade Dias dos Santosである。外務省・農水省・厚生労働省をはじめとする34の省が存在する。

参考サイト
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/angola/
http://www.angola.or.jp/Pages/Planguage=1_Open.html?language=1
http://www.angola-portal.ao/mat/Default.aspx
http://www.angola-portal.ao/PortaldoGoverno/
http://www.angola-portal.ao/PortalDoCidadao/SobreAngola.aspx
http://www.angoladigital.net/sobrepais/index.php?option=com_content&task=view&id=29&Itemid=4
http://www.mulheresnegras.org/angola.html
http://www.cplp.org/Default.aspx
http://www.parlamento.ao/a
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/46548
http://www.unic.or.jp/recent/act50_b.htm

 
2. アンゴラの文学

ギニアビサウでは、野球やバスケットボール・ラグビーといった世界の多くの国々で人気のあるスポーツがまだあまり知られてはいない。ポルトガルの支配下にあったギニアビサウはその影響からか、サッカーが最もポピュラーで唯一プロリーグの存在するスポーツとなっている。しかし、世界ランク171位、アフリカ54カ国中48位のギニアビサウのサッカーはまだまだ発展途上の段階にある。

Antonio de Assis Juniorアンゴラ文学が世界へ知れ渡ったのは、1935年に、Antonio de Assis Junior(右写真)により出版された“O Segredo da Morta”という小説が最初である。

その他にも“Mensagem(メッセージ)”という雑誌を通してAgostinho NetoやViriato da Cruz・Antonio Jacintoといった作家が世界に知られるようになる。これらの作家らによって創造された思想は彼らの文学作品に反映され、アンゴラ人のアイデンティティ形成に影響を与えることになった。

独立後、アンゴラ作家による作家組合が創設され、その活動は盛んなものへと発展した。1980年を境に彼らは、国内の歴史や政治、情勢、あるいは愛などを自由に表現するようになった。

Agostinho Neto
Agostinho Neto
(1922-79)
Mario Coelho
Mario Coelho
Pinto de Andrade
(1928-90)
Arlindo do Carmo
Arlindo do Carmo
Pires Barbeitos
(1940-)

Pepetela
Pepetela
(1941-)
Jose Eduardo
Jose Eduardo
Agualusa
(1960-)
参考サイト
http://www.angoladigital.net/artecultura/index.php?option=com_content&task=view&id=1002&Itemid=40 http://www.nexus.ao/kandjimbo/neto_na_geracao40.htm http://betogomes.sites.uol.com.br/ArlindoBarbeitos.htm http://www.nexus.ao/kandjimbo/mario_pinto_de_andrade.htm http://www.nexus.ao/kandjimbo/pepetela.htm http://betogomes.sites.uol.com.br/AgostinhoNeto.htm http://www.agualusa.info/cgi-bin/baseportal.pl?htx=/agualusa/div&page=biografia&lg=pt&cs=bw http://www.nexus.ao/kandjimbo/antonio_assis.htm http://www.angoladigital.net/artecultura/index.php?option=com_content&task=view&id=59&Itemid=39
 

3.アンゴラの料理

400年にもおよぶポルトガルによる植民地支配は、アンゴラの文化に大きな影響を与えた。料理もまた例外ではない。パーム油に加え、アンゴラ料理にオリーブオイルが使われるようになったのがその歴史を物語る。アンゴラで多く栽培されているマンジョッカ(キャッサバ)もまたポルトガルよりもたらされたものである。アンゴラ料理は、ブラジル・ポルトガル・アフリカ料理が組み合わされていることで有名である。

http://e-food.jp/blog/archives/muamba.jpg ○Muamba:アンゴラ家庭料理。鳥もしくは魚、オクラ・カボチャ・たまねぎ・にんにく・パーム油を煮込み合わせたもの。赤い色はトマトではなくパーム油によるもの。Funge(写真右)と呼ばれるとうもろこしあるいはキャッサバを粉上にして水と練ったものと共に食べるのが普通である。日本で言う餅のようなものである。

http://www.campestre.com.br/img/foto_dende_01_p.jpg

○Azeite de dende:デンデ油は、アフリカ料理特にアンゴラ料理によく使用される食用油。左写真がデンデの実。アフリカ原産のこの果実の黄色い果肉の部分よりオイルを抽出するが、実は食用油として使われるだけではなく、日本の石鹸などの原材料としても多く使われている。

4. アンゴラの音楽

首都ルアンダは様々なアンゴラ音楽のスタイルが形成された場であり、主な音楽の種類はKizomba・Kuduro・Rebita・Semba・Kazukutaそして Kebetulaである。アンゴラの音楽の特徴は、ダンスと深いつながりを持っている。1950年〜70年にかけて、人々は様々な楽器の音に合わせて、道端や畑などで踊りを踊っていた。その後、それらの音楽やダンスのスタイルがダンスホールへともたらされたことにより、より大衆化した。1980年代になると多くの音楽やダンス・スタイルは発展し、他の音楽との融合も起こった。後にそれらの音楽はブラジルやキューバの音楽に多大な影響を与えた。

Semba●Semba:サロンなどでのパーティーで踊られる音楽。都会的で、その成長は首都ルアンダにみられる。ゆったりとしたステップで、踊りの主導者はあくまでも男性側に委ねられる。ここに、ヨーロッパ的な特徴が垣間見られ、それゆえにSembaは「昔のダンス」と言われる。ブラジルのサンバはこのアンゴラのSembaを起源とする。

Kazukuta

●Kazukuta:ゆっくりとした曲調。体をシェイクさせるダンスがその特徴である。そしてさらに特徴的なのは、足の先と踵でステッキや傘を支えることである。使われる楽器は空き缶とビン。ダンサーは縞模様のズボンや装飾された服を身に纏う。その姿は軍隊を表しており、仮面を纏うダンサーは動物を象徴する。

 

Canta Angola

●“Canta Angola(アンゴラを歌う)”(下写真)と名づけられたCDは、2000年1月にルアンダでレコーディングされたものであり、多くの著名アンゴラ人アーティストがこのプロジェクトに参加した。同CDのプロデューサーによると、歌詞は苦痛についてのもので、拍子は期待を表す。リズムは物哀しく速い。それがダンスの歓喜をもたらしている。

参考サイト
http://www.instituto-camoes.pt/encarte/cantangola.htm
http://www.differencemusic.com/pt/artigo.aspx?id=126
http://www.dancasafricanas.com/_tipos_de_danca.html#kizomba
http://www.nzinga.org.br/incab/som.htm
 
 
 
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