2. アンゴラの文学
ギニアビサウでは、野球やバスケットボール・ラグビーといった世界の多くの国々で人気のあるスポーツがまだあまり知られてはいない。ポルトガルの支配下にあったギニアビサウはその影響からか、サッカーが最もポピュラーで唯一プロリーグの存在するスポーツとなっている。しかし、世界ランク171位、アフリカ54カ国中48位のギニアビサウのサッカーはまだまだ発展途上の段階にある。
アンゴラ文学が世界へ知れ渡ったのは、1935年に、Antonio de Assis Junior(右写真)により出版された“O Segredo da Morta”という小説が最初である。
その他にも“Mensagem(メッセージ)”という雑誌を通してAgostinho NetoやViriato da Cruz・Antonio Jacintoといった作家が世界に知られるようになる。これらの作家らによって創造された思想は彼らの文学作品に反映され、アンゴラ人のアイデンティティ形成に影響を与えることになった。
独立後、アンゴラ作家による作家組合が創設され、その活動は盛んなものへと発展した。1980年を境に彼らは、国内の歴史や政治、情勢、あるいは愛などを自由に表現するようになった。 |