「我々は、死後の臓器提供へと自己決定している存在なのである。 」
この不思議な言葉は、何だろうか? 発言者は町野朔上智大学法学部教授、発言の場面は臓器移植法改正に向けた厚生省研究班の最終報告書(2000年8月22日)である。
日本の臓器移植法は、周知の通り、平成9年7月16日に公布されその3ヶ月後から施行された。現在、臓器移植の数を増やすための改訂作業が厚生省において進められており、上記の最終報告書を受け、今年度秋の国会で改正法案が審議される予定である。
今回の修正案では、深刻なと言ってよいほど重大な根本的変更がもくろまれている。日本の現行法では、死にかけている人体から移植のための臓器摘出を行ってよい絶対条件としてその当人がドナーカードにその意思を明確に表示してあり、なおかつ家族が反対しないことがあげられている。それが修正案では、ドナーカードなどの書面にて自分の身体からの臓器移植に明確に反対の意思表示がなされていない人物に関しては、臓器提供の意思があると見て、移植のための臓器摘出を行ってもよい、としている。
つまり、ドナーカードに明確に臓器移植に反対する旨を明示している極々例外的な人物を除いて、ほとんどすべての日本人は、不慮の事故等で脳死状態に陥ったときに、即ち死にかけたときに、自分の身体から臓器を摘出される可能性がある、ということである。
法理上の180度の転換だと言ってよいであろう。この、すべての国民の生死に直接関わる可能性のある重大な変更が、十分な国民的議論を待つことなく、移植医と厚生省と関係者の意思により、この秋の法案改正で目指されているのである。
『侵入者 いま<生命>はどこに?』の編訳者西谷氏によれば、フランスでは、すでに明確な反対の意思表示がなければ臓器摘出に同意したものとする法律が施行されている(77頁)。「侵入者」の著者、フランスの哲学者ジャン=リュック・ナンシー氏は、50歳の夏(1990年)心筋梗塞の発作にみまわれ、その翌年心臓の臓器移植を受けた。「侵入者」は、そのナンシー氏が「他人の心臓を受け入れてから、やがて10年になろうとしている」(7頁)時点で、自分の心臓移植体験を公表したものである。
「移植はまず十全な回復として現れる。つまり気がつけば心臓がまた脈打っているのだ。」(25頁)「とはいえ、すぐに、よそ者としての他者が顕在化してくる。・・・免疫学的な他者、置き換えられないのに置き換えられてしまった他者だ。その他者の顕在化が「拒絶反応」と呼ばれる。」(27頁)身体のアイデンティティを守っている免疫システムが他人に由来する心臓を拒否するのである。その拒絶反応を抑えるために、免疫=アイデンティテイを低下させる強力な薬剤(免疫抑制剤)を投与する。すると、身体の内部に隠れていた異物・古くからの内部への侵入者が活性化する。「そんなふうにしてわたしは、何度も、帯状ヘルペスのウイルスやサイトメガロウイルスを経験することになる。」(30頁)そして胃やその他の身体部分を痛め弱める別の治療が施される。
「そのうえガンがやってくる。悪性リンパ腫だ。」(34頁)「ここでもまた、別のやり方で治療は暴力的な侵入を必要とする。化学療法や放射線療法で相当量の外来物を混入させるのだ。悪性リンパ腫が体をむしばみ病弊させるのと同時に、治療が体を攻撃し、いろんなしかたで苦しめる。」(35頁)そして、苦痛を抑えるためのモルヒネが投与される。このモルヒネは、アイデンティティの最後の砦、脳神経系のアイデンティテイを危うくする。すなわち、意識の低下と錯乱。「冒険が終るときには意識朦朧としている。もう自分が誰だか分からない。・・・ひとはたちまち、いくつもの何だか分からない状態の間で、さまざまな苦痛の間で、無力さの間で、意思阻喪の間で、漂い、異様な宙吊り状態になってしまう。」(37頁)
さて、『侵入者 いま<生命>はどこに?』は、ナンシー氏の「侵入者」、ナンシーへのインタヴュー「ナンシー、他者の心臓」、編訳者西谷氏の「ワンダーランドからの声―「侵入者」の余白に」並びに「不死の時代」という4編からなっている。西谷氏の2編の論考は、脳死臓器移植問題について注目すべき独自の分析を行っている。
事柄の重大性に鑑み、ここではもう少し、脳死臓器移植問題についていくつかの論点を簡単に整理しておこう。
1)生前同意か推定同意か? 厚生省の臓器移植法改正の動きは、現在の生前同意から推定同意(反対の明確な意思表示がなければ、同意したものと推定する)に向かっていると言える。この点に関して欧米がおしなべて推定同意を取っているというのは俗論であり、デンマーク倫理委員会の調査によれば、明確に推定同意を取っているのはスペイン、ポルトガル、オーストリアだけである。日本の現行法のように個人が脳死か身体死を選択できるという法案を採用している国はなく、近親者の権限をどこまでどのように認めるかでスペクトルがある。なお、デンマーク倫理委員会ははっきりと推定同意の導入に反対している。
2)脳死は個人の死か? 過去30年間の脳死者について正確なデータが取れる事例を収集し、脳死から心臓死までにかかる時間を調べた結果によれば、175例で1週間以上かかっており、そのうち80例が2週間以上かかっていた。さらに7例においては、脳死判定後半年以上も心臓が動いていたことがわかった。最長で14年5ヶ月動いていた例が報告されている。また、脳死患者がまるで生きているかのように自分で手を動かし、胸の上に持っていく「ラザロ症候」は世界中で相当数が報告されている。これは医学的には脳死と判定された患者の脳幹の一部が生きている可能性を示唆している。
3)死の定義 欧米の移植医を含む専門家の間には、大脳死(脳幹は生きていて、大脳だけが死んだ状態。すなわち植物状態)を死の定義とすべきだと意見が根強く存在する一方、市民の間にも脳死を死とする定義に対して異議申し立ての動きが生じている。
推定同意が立法化された場合、我々はみんな臓器提供予備軍です。覚悟は出来ていますか?
参考文献
・小松美彦『黄昏の哲学:脳死臓器移植・原発・ダイオキシン』河出書房新社、2000
・森岡正博「日本の「脳死」法は世界の最先端」『中央公論』(2001年2月号)318-327頁
・森岡正博氏の「臓器移植法改正を考える」ホームページ:
http://member.nifty.ne.jp/lifestudies/ishokuho.htm
(吉本秀之)