『化学史研究』第27巻(2000): 244-246
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 紹介
吉本秀之
ジョンH.ハモンド『カメラ・オブスクラ年代記』川島昭夫訳、朝日選書、2000、1400円+税、262Pp+xxiv、ISBN 4-02-259751-8

 カメラ・オブスクラという言葉を聞いて人は何を思い出すだろう。たぶん、写真の歴史に関心のある方は、写真機の前身としてのカメラ・オブスクラを思い起こすだろうし、美術史に関心のある方は、遠近法的なスケッチの補助器具としてのカメラ・オブスクラを想像するであろう。
 原理的には針穴写真機と同じものであるカメラ・オブスクラ(ラテン語で「暗い箱」という意味の言葉)は、しかし、写真機のない時代の写真機の代わりというだけの器械でも、写真のない時代における遠近法的に正しい風景描画装置というだけの器械でもなかった。
 まず、ハモンドの本を繙いて驚かされるのは、過去の忘れられた器械だと思われているこのカメラ・オブスクラが現役の展望装置として活躍中という事実である。訳者あとがきによれば、ロンドンの有名な王立グリニッジ天文台(現在は天文博物館にかわっている)にこの観光客用の展望室としてのカメラ・オブスクラが設置されており、小高い丘の上からテムズ川や対岸の景色が眺められるということである。すなわち、観光地によくある展望台や展望室、また海辺のリゾート地の桟橋に設置されている展望室が全体としてレンズと反射鏡を備えた「暗い部屋」=カメラ・オブスクラとして設計され、そうしたものとして現在もかなりの数運用されているのである。
 このたった一つの事実が、カメラ・オブスクラの歴史的用途に関して見直しを迫る。
 歴史的に古い順にカメラ・オブスクラの用途を整理してみよう。
 1)太陽観測装置。 
 科学史にとってはなじみのものだが、13世紀の光学研究者たち、ロジャー・ベイコン、ウィテロ、ジョン・ペッカムは、日蝕を観測する天文装置としてのカメラ・オブスクラに言及している。17世紀にはたとえばガリレオの敵対者として知られるクリストフ・シャイナーの太陽黒点観測は、彼自身の工夫により、望遠鏡を組み込んだカメラ・オブスクラでなされた。
 2)透視画描写装置。 
 ルネサンスの画家にして建築家のレオン・バッティスタ・アルベルティの名前が、芸術史関係の事典や著作においてカメラ・オブスクラの発明者として挙げられていることがあるが、おそらくそれはちょっとした誤訳に基づく誤解であろう。レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿にはカメラ・オブスクラの原理が明白に記されている。ピンホールのかわりにレンズを用いたカメラ・オブスクラに初めて言及しているのは数学者ジロラモ・カルダーノである。スケッチ用の携帯可能なカメラ・オブスクラは17世紀に作られ、18世紀に普及する。多くの機器製作者が、携帯可能なスケッチ用カメラ・オブスクラを製作し宣伝した。旅行者やアマチュア画家は、この携帯カメラ・オブスクラをよく利用した。フェルメールがこうしたカメラ・オブスクラを利用したかどうかという美術史論争は活発であるが、資料に基づく限り職業画家が利用したかどうかは不明である。(ハモンドは、職業画家の利用に関しては懐疑的である。)
 3)風景観測装置、あるいは観光装置。 
 まず、ジョン・ラスキンの証言を聞いてみよう。「私は暗い一日、カメラ・オブスクラを見ていて、それがかつての巨匠たちの最高の作品にそっくりなのに衝撃を覚えたことが一度ならずある。木立は空を背景にくろぐろと迫り来て、ところどころにぽつんぽつんと銀色に光る枝や、異様に輝く木の葉のかたまりが見える・・・。」(83頁)あるいは、18世紀の科学技術に関する代表的書物『百科全書』からカメラ・オブスクラの記述を抜き出してみよう。「この装置は視覚の本性に多くの光を投げかけている。対象物とそっくりな映像(イメージ)を現出することによって、それは大変に面白い光景=見世物(スペクタクル)を生み出す。対象物の色彩や運動を、他のどんな表象形式よりもうまく再現することができる。注1)」
 つまり、カメラ・オブスクラのなかに入ってスクリーンに映る外の世界のイメージを見ることそのものが楽しい。しかも、直接目で見るよりも、外のものの色彩や動きが鮮やかに生き生きと見える。カメラ・オブスクラの前を誰か人間が歩く。その動きがスクリーン(または壁)に映る。それが、直接目で見るよりもいきいきとして感じられる。あるいは、外の風景のなかで木々の葉っぱが風でそよぐ。これも、直接目で見るよりも鮮やかに生き生きと感じられる。
 ということで、カメラ・オブスクラに映る静止像をなぞるというよりも、むしろ、スクリーンや壁に映って動くイメージの鮮やかさに魅了されているのである。
 18世紀、19世紀にカメラ・オブスクラが広範囲に普及した理由は、この点に求められなければならないだろう。太陽黒点観測に使われ続けたことも、挿絵画家が利用したことも事実であるが、カメラ・オブスクラの人気の第一の理由は、カメラ・オブスクラに映るイメージそのものの魅力にあったとみなされなければならないであろう注2)。確かに、カメラ・オブスクラで景色を写し取ることはできたが、「これで景色を描くのはあまりにもったいない」(101頁)のであった。
 4)製図用器具。
 拡大縮小機能のあるコピー機が普及する以前、図面の拡大縮小のためにデザイン事務所でよく使われていたデザイン・スコープは、製図用器具としてのカメラ・オブスクラの後身であると言える。なお、たまに誤解されているが、作図補助器具として用いられていたカメラ・ルシダは、カメラ(箱)がなく、原理的にもカメラ・オブスクラとは異なる。
 5)軍事器具。
 第1次世界大戦、第2次世界大戦の最中、カメラ・オブスクラはいくつかの国で観測・測定装置として空軍演習等に用いられていた。
 以上、時代の流れに沿って、用途を整理してみたが、専門家向けの機器としても、娯楽装置としてもカメラ・オブスクラが人気の頂点に達したのは19世紀のことであった。部屋型のカメラ・オブスクラは、遊園地、公園、行楽地など各地に建設され、人気を集めた。また、携帯型のカメラ・オブスクラは、この世紀の初頭における写真機の発明にも関わらず、アマチュア画家達に愛用され続け、この世紀のあいだじゅう、製造と販売が続けられたのである。
 なお、ハモンドの叙述は、前書きで彼自身認めるとおり、「多くはばらばらの抜粋にすぎず、書物としての叙述の体をなしていないが、いちおう各世紀ごとに配列している」というものであり、また訳者の川島昭夫氏が正しく指摘しているとおり、古びてしまったところや引用が不正確な箇所が散見される。しかしながら、これだけ多様な材料を1冊の書物にまとめていることの便利さは何ものにも代え難く、評者としてはむしろ、カメラ・オブスクラは、いわば科学技術史の忘れられた領域として科学史家の体系的調査・研究を待っていると評してみたい誘惑にかられるが、いかがなものであろうか。
 

    注

1) ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜:視覚空間の変容とモダニティ』遠藤知巳訳、十月社、1997、3200円 +税、304Pp. ISBN 4-915665-56-9、60頁。この書物の第2章は「カメラ・オブスキュラとその主体」と題されており、ハモンドの書物よりもずっと明確にテーゼが提示されている。今回の書評では取り上げなかったが、視覚モデルとしてのカメラ・オブスクラや古典的な認識モデルとしてのカメラ・オブスクラの位置づけは非常に興味深いものである。

2) 評者が勤務する大学の授業(科学思想史演習)で本年度この書物を取り上げたところ、担当した学生が身近な材料を駆使しカメラ・オブスクラを製作して、大学に持って見えた。半透明紙に映る外の景色は、他の画像映写装置には代え難い質感をもち、参加する者すべてを魅了した。日光写真や、針穴写真機と合わせて、初等中等教育の工作理科授業にうってつけだと思われる。