現代フランス語における心性与格について―拡大与格と比較して― 佐藤 麻里子

 本稿の研究の目的は、発話においてある種の効果をもたらししばしば強調的・情意的なニュアンスを含む「心性与格」が、どのように解釈されどのような制約のもとに現われるかを、心性与格とある面で類似した性質を共有する「拡大与格」の特徴に依拠しながら検証するものである。
 よりくだけたフランス語において以下の文の下線部に現われるような主に1・2人称の与格、いわゆる心性与格は、その虚辞的な性質から例外として言及されることが多かった。Regarde-moi ça!
 またdonner, voler のように交換の概念が伴う動詞が語彙的に与格を要求するのに対して、交換の概念が薄いouvrir, fabriquer などの動詞と共起する非語彙的与格をLeclère(1976)にしたがって。「拡大与格」と呼ぶ。これはしばしばpour+Nに置き換えることができる。
 本稿第1章では、心性与格と拡大与格の一般的な定義と主要な論文による定義を概括する。必ずしも用語が統一されてこなかった事実をふまえて用語の整理を試み、両与格の生起に関与的な「ことばのレベル」に関しても考察する。また、心性与格は他の印欧語にもみられる与格であるので、特に親縁性のあるオック語を例にその定義に触れる。
 第2章では、心性与格が談話のなかで人称によって異なった機能を持つ点を明らかにする。そこでDeguée-Bertrand(1981)に従い、1・2・3人称の心性与格を各々「話者の/対話者の/再帰的心性与格」と呼ぶ。そしてインフォーマントの回答も考慮に入れつつ、心性与格の解釈の可能性、生起するための言語外的な制約などを探る。
 一般的な事柄を述べるときの2人称代名詞の用法である「総称的与格」は、「対話者の関心を呼ぶ」という共通の特徴から2人称の「対話者の心性与格」に似ている。 一方、1人称の「話者の心性与格」は、その解釈や生起する制約などの点で拡大与格と類似している。本稿では特に1人称の「話者の心性与格」に注目し、拡大与格との共通点・相違点などを考察するが、それは「話者の心性与格」「拡大与格」各々の特性を理解するのに不可欠だと思われるからである。
 結論では、心性与格は談話において様々な効果を持つが、その解釈には動詞の意味が関与的で文脈に依存するところが大きい。一般に、心性与格を用いることによって話者の行為に対する関心を示したり、対話者の共感を求めたりすることができる。ところが心性与格はその人称によって異なった機能を持つので、人称ごとに各々「話者の心性与格」「対話者の心性与格」「再帰心性与格」という用語を採用して検討すべきである。
 また、拡大与格と「話者の心性与格」の共通点は言語外的な制約にある。それは、話者と行為項の間に情意的な価値や同時代性が介入するなど何らかの関係が必要であるという制約である。一方、総称的与格と類似している「対話者の心性与格」は、人目を引く行為の過程を記述する文や強調的な発話で生起しやすいという特徴があるが、上述の「話者の心性与格」のような制約はみられない。