La phrase nominale injonctive de type «Pas de X» - L’Extension d’emploi 川島 浩一郎

 フランス語学では、名詞文を主な対象とする研究はあまりなされていない。しかし名詞文研究は文とその独立性の問題と結びついていて、決して無視してよい分野ではない。
 形式 <<Pas de X>>も名詞文である。この形式には次の二つの用法が認められる。

Je dois donc recoudre les bords de la dure-mère pour fermer l'ouverture. Là, pas de problème.
  Mais rentrez vos armes. Pas de provocation, s'il vous plaît.
 前者を「断定用法」、後者を「命令用法」と呼ぶ。前者を特徴づけているのは基本的に非存在に言及する記述文である点であり、後者は話者から他者への働きかけを特徴とする命令文である。これらの用法はいかなる関係にあり、またその相違は何に起因しているのであろう。
 まず観察されるのは、<<Pas de X>>において「断定用法」が「命令用法」よりも頻度が高いという事実である。我々の資料では前者が93例であるのに対して、後者は25例に過ぎなかった。

 また、「断定」および「命令」は「疑問」や「感嘆」と共に伝統的に様態と呼ばれる範疇をなすが、<<Pas de X>>のこの二つの用法には、他の様態との両立可能性の差異もみられる。「断定用法」は「疑問」や「感嘆」と結びつくが、「命令用法」はそれらと結びつかない。
  Promis ; j'emmènerai Müller, pas d'objection ?
  Ça, pas de risque avec moi !
 「命令」は「疑問」や「感嘆」と両立せず、「疑問」や「感嘆」と共に現れるのは基本的に非存在の記述であり、これは「断定」の示す内容である。
 これらの観察は、「有標」対「無標」という対立概念を想起させる。音韻論起源のこの対立を同定するには、二つの基準がある。「中和」と「頻度」である。つまり、奪取的な対立関係にある単位AとBが、ある環境のもとでBに中和した場合、Aを有標、そしてBを無標の単位と呼び、またそれらの単位間に頻度差が認められるときには、高頻度の方を無標、低頻度の方を有標と呼ぶ。
 音韻の対立と違って実質を伴わない意味の対立に、この概念を安易に持ち込むべきではない。しかし<<Pas de X>>の二つの用法の頻度差からは、その「断定用法」を無標、「命令用法」を有標だと言えよう。
 両立可能性の差異に関して、「疑問」や「感嘆」と結びつくときに中和が起こるといってよいかには疑問が残る。しかしこの相違によって、「断定用法」が「命令用法」よりも基本的で特性の少ない用法であることは明らかである。
 一般に無標の要素は有標の要素より広い意味領域をカバーする。頻度の高いものが低いものより使い勝手が悪いのは、経済的ではないからだ。この考え方を要素とその環境との関係にあてはめると、有標の要素は無標のよりも環境により多くの特性を要求する、ということになる。実際、有標の「命令用法」が固有な状況下でしか現れないのに対して、無標の「断定用法」を取り巻く状況にはほとんど特性がみられない。

  Donc, peinture d'un côté, vie tragique de l'autre. - Pas de rapport entre l'oeuvre et la vie ?
  D'ailleurs, le règlement de l'hôtel l'interdit. Pas de rapports sexuels avec les clients.

 同じ<<pas de rapport>>であるが、後者では状況が「命令」に特有な特性を示している。
 問題を別の観点から論じてみよう。いわゆる「命令法」には fictifと呼ばれる用法がある。つまり元来の「命令用法」からの用法の拡張が存在する。しかし形式<<Pas de X>>の「命令用法」にはこの拡張はないと言ってよい。
  Je vous donne les règles du jeu. Ne les rompez pas,je ne vous romperai pas le cou.
 このことは、<<Pas de X>>の「命令用法」がすでに「断定用法」からの用法の拡張であり、fictifな用法への二度目の拡張が困難であることを暗示している。一般に、無標の要素は有標の要素よりも拡張しやすい。
 結局、<<Pas de X>>の二つの用法の相違は、有標と無標の対立に重なっている。この対立は状況の相違として顕現し、「命令用法」は状況により多くの特性を要求する。この意味では、「命令用法」は「断定用法」よりも状況への依存度が高い。このことは、独立性とは特性が少なくその結果状況に特性を要求しないことだということを示唆してもいる。