現代フランス語における同格 後藤(中尾) 和美
現代フランス語の述定には、通常、動詞述辞が用いられる。しかし、E.
バンヴェニストが指摘するように、動詞述辞を専ら使用する言語においても名詞述辞だけで十分な場合がある。本論文が分析対象としている同格、即ち「繋辞の介入なしに述定関係を結ぶ二項間の述定関係」もその可能性のひとつと考えられる。本論文は、名詞述辞が現代フランス語においていかなる可能性を秘めているかを、同格の分析によって明らかすることを目的とする。具体的には、同格がどのような条件のもとで、またどのような述定を担うのかを実際に収集した資料体をもとに分析、考察を行う。
第一部では、同格に関する先行研究を概観した。まず第一章で、「同格」が今日考えられているような文法概念にどのように発展していったかを考察し、元来修辞学の概念であった「同格
(appositio)」が、十八世紀の『百科全書』学派の文法を経て現在あるような文法概念へと発展していったことを明確にした。次いで、第二章では、現在出版されている文法書や辞書において同格が如何に定義されているかを五冊の文法書及び辞書をもとに調査した。その結果、様々な形式が同格として扱われ、同格という概念が教育レベルにおいても未だに一つに定まっていない事実が明らかになった。第三章では、フランス語の同格に関する言語学的研究を網羅的に検討した。同格は、時制や法などと比較すると、これまで言語学的にあまり取り上げられることがなかった概念ではあるものの、今世紀の言語学者によって統辞論的、意味論的、また語用論的等様々な観点から研究され、多くの事実が明らかにされてきた。これらの先行研究を概観した結果、同格の述定メカニズムが正確に記述されていないこと、コピュラ文のメカニズムと同じメカニズムとしばしば自動的に考えられていることがわかり、同格の述定メカニズムを明らかにするために形態論的、また統辞論的なアプローチで同格を分析するべく方向を定めた。
第二部では、同格の述定としばしば同等と考えられている状態動詞による述定を、先行研究に言及しつつ概観した。第一章では、コピュラ文«X
ETRE Y» の分析を行った。コピュラ文は、X が非指示的な変数を、Y が指示的な値を示す同定文、またX が指示的な値を、 Y が非指示的な属性を示す記述文に二分することが出来、両者は多くの点で異なることを見た。また、
X 、Yの機能に関して、それぞれの名詞句が持つ指示力が大きく関与していることを論じた。第二章では、«X AVOIR YZ»の分析を行った。«X AVOIR
YZ»において、AVOIR はYとZを、またそれと同時に Y-Zを発話テーマであるXに関係付けるコネクターであることが既に先行研究によって明らかにされている。この見解を踏まえた上で、意味解釈という視点から«X
AVOIR YZ»を Z がY を位置づける場合(所有解釈と命名)と、Y をX やZ に関連づけながら提示する場合(リスト解釈、属性定時解釈と命名)とに分類した。また、その解釈にはY
に使用される名詞とそれを限定する限定辞が大きく関与していることを明確にした。
第三部では、書きことばにおける同格を分析した。まず、第一章において、分析対象とする同格の形式を明確にした。既に述べたように、同格は文法書や言語学者によって様々に定義されているが、ここで分析の対象とする同格を次のように定めた。「同格とは繋辞の介入なしに述定関係を結ぶ二項間の述定関係を指す。」また、同格における述定の対象である項を支持項
(X) 、また、述定を担っている他方の項を同格項 (Y) と呼ぶことに取り決めした。この定義の結果排除されることとなった形式についても具体的に例を挙げ、同格と見なさない根拠を明確した。第二章においては、書きことばの資料体について具体的に記した。資料体は、新聞、雑誌、映画のプログラム、小説、言語学の論文、書簡集など、異なったタイプのテキストを選び、これら様々な資料体を分析した結果、800あまりの同格を得た。第三章では、句読点についてこれまでの研究を概観した。同格の収集例を観察すると、同格の二項間及び同格項と主文の述部間は通常何らかの句読点によって分離されていることに気づく。多くの場合、コンマがその役割を担っているが、コロン、セミコロンなども使用されることがある。句読点の存在が同格にどのように影響を及ぼしているかを理解するためにも、句読点が本来持っている機能を把握しておく必要があった。
用例を収集、分析した結果、同格を大きく二つの述定メカニズムに分類し、一方を、同定
(identification)、もう一方を属性付与 (caractérisation) と命名した。第四章では、同定タイプの同格をコピュラ文の同定文と比較することで、そのメカニズムを明らかにした。同格 «X, Y» が同定文 «X ETRE Y»と異なる点は、前者の場合、X, Y
が共に冠詞限定された指示的な名詞句、即ち値であるのに対し、後者の場合は、Y は指示的な値であるが、X はたとえ冠詞限定されていても非指示的な変数でしかないという点である。つまり、同定文の
Y の限定辞は、文法性のためのみ存在し、指示性とは無縁だが、同格項の限定辞は Y を指示的な名詞句として機能させるために専ら存在しているのである。また、同格項
Y は支持項 X を集合 Y の一員として同定するか、もしくは非照応的な同一指示関係によってX を同定する。その結果、同格項は、文脈に応じて、支持項の言い換え、命名、属性提示の三つの機能を持つことが明らかになった。
第五章では、属性付与タイプの同格をコピュラ文の記述文と比較することで、そのメカニズムを明らかにした。両者とも非指示的な
Y が指示的な X の属性を付与するという共通点を持つが、前者の場合、X とY の繋辞に対する位置関係が決定的であり、位置を入れ替えると述定が成り立たなくなる危険性もあるのに対し、後者の場合、繋辞が存在しないので、
X とY の位置関係に関する制約は乏しく、Y がX に先行したり、また両者間に主文の述部が割り込んできたとしても述定は依然として成立することが多い。換言すれば、同格の場合、統辞的につなぐ要素がないかわりに、二項間の意味関係での結びつきが重要であり、意味が二項を関係付ける限りにおいて述定が成立し得ると考えられる。属性付与タイプの同格において、同格項は、常に非指示的な無冠詞名詞、または形容詞句、分詞によって担われ、文脈に応じて、支持項の属性提示、補足説明を行う。多くの場合、同格項が付与する属性は周知性が低いものであるのが同定タイプの同格と異なる点である。
第六章では、属性付与タイプの同格だが、ひとつは伝統文法において「絶対構文」と呼ばれるタイプ«XY»、もうひとつは同格項が絶対構文を成す«X,
YZ»タイプをそれぞれ分析した。前者のタイプの二項は、決して句読点で分離されることがなく、また支持項、同格項全体で状況補語として機能するという点で、他の同格とは性質を大きく異にする。このことから、同格関係を成立させる方法として、一つには、二項が自立した項であること及び同格項が文の直接構成要素でないことを句読点で分離して示す方法、またもう一つには、二項を句読点で分離せずに状況補語の機能を二項全体に担わせるやり方の二つの方法があるのではないかと仮定した。他方、«X,
YZ»のタイプに関しては «X AVOIR YZ» と解釈上重なり合う点があるものの、それとは異なり、「全体(X) - 部分(YZ)」という意味関係によって保証された述定関係であることを明らかにした。繋辞によって保証されている述定と比較すると、繋辞なしの述定は意味上の制約にかなり縛られているものの、意味を支えとするためか、両者の位置関係は主文においてかなり自由であるという事実も明らかになった。
第七章では、同格項を複数従えた同格の分析を行った。その結果、同定タイプの同格は指示的な名詞句から構成され、それぞれ自立性が高いため複数の支持項を持ちにくいこと、他方、属性記述タイプの同格は支持項のみが指示的な名詞句であるため、位置的にも柔軟で、また三、四項もの同格項を自由に従えられることが明らかになった。第八章では、複数の同格が入れ子状態になっている同格を考察し、同格の述定が二項の意味関係、またそれを取り巻く文脈に完全に依存していることを明確に示した。
これらの多様な同格の例を分析した結果、ひとつの事実がおのずと見えてきた。同格はテキストによって頻度が異なるということである。第九章では、それをより具体的に示し、主としてジャーナリズムで好まれるタイプ、小説で用いられるタイプの二つの傾向があることを論じた。前者は固有名詞をどちらかの項に使用し、述定関係は支持項、同格項間のみに留まっているのに対し、後者は普通名詞を用い、同格項が状況補語として主文の述部にもかかってゆくような述定関係を結ぶ傾向にあることを論じた。
第四部では、話しことばにおける同格を分析した。第一章では、話しことばの構造が書きことばのそれとは異なることを先行研究に言及しながら明らかにした。第二章では、資料体の概要、話しことばの表記法を明確に示した後、句読点が存在しない話しことばにおいて同格をどのように認識するか、その方法を明らかにした。第三章では、資料体から収集した用例の分析を具体的に行った。資料体は、テレビ、ラジオでの対談、語り、自由会話など多様であったにもかかわらず、得られた同格の用例はわずか30程度であった。また、同格項は支持項とほとんど同じ形式で若干の言い換えをするに過ぎず、支持項に対して、新情報をほとんどもたらさないことも判明した。つまり、話しことばのようにばらばらな(décondensé)構造では、同格は主文の述定に寄生する重い、あまりにも凝縮され過ぎた(condensé)形式であり、そのため述定形式として好まれないと言うことができる。
以上の分析から明らかになったことは、現代フランス語において述定は動詞述辞によって担われるというごく当たり前の事実である。確かに同格は名詞述辞が述定を担った構造である。しかし、その述定は二項の意味関係や文脈的要素に完全に依存しており、それなしでは成立し得ない。また、同格は大抵主文の述定内に存在する二次的な述定である。つまり、同格は統辞的にも意味的にも自立性を欠いた述定構造と言える。が、一方、繋辞によって保証された述定ではないため、同格項の限定辞はコピュラ文
«X ETRE Y» の Y の限定辞のように文法性のためにのみ存在することはなく、専ら指示機能のマーカーとして機能できるという利点を持てるのである。