博士論文要旨

フランス語の非動詞文研究 La phrase non-verbale en français

川島 浩一郎

現代フランス語において,動詞を述辞としない発話が,(1)のように独立文となることがある.これらを非動詞文と総称する.
(1) Toi, malheureuse? (SAGAN, F., Un certain sourire, p.76)
本論文は,内心構造・外心構造という概念とAndré MARTINETの機能統辞論を理論的基盤として,現代フランス語の非動詞文を実例の調査をもとに分析した研究である.体系的な研究が従来あまりなかった非動詞文に,その全体像が把握できるような記述を与え,動詞文に還元できない非動詞文が存在することを明らかにした.フランス語には,動詞文とは異質な成立基盤を持った文タイプが存在するのである.また,非動詞文内部の統辞構造を分析するためには,内心構造および外心構造という概念が有効であることを示した.特に外心構造は,非動詞文の成立と密接な関係にある.
序章で,「文」を談話の他の部分から独立した発話として定義した.このように定義された文は,言語にとって必然的な存在である.また,文の独立は意味・韻律・句読法などによって明確化されることもあるが,本質的なのは統辞的な独立性である.文の研究はこの定義を出発点として,経験的に行う必要がある.動詞文の独立は動詞という記号素の性格そのものによって保証される.これに対して,非動詞文の成立基盤はどこにあるのだろうか.この問題設定が,本論文の記述全般の背景である.
内心構造・外心構造は主としてアメリカ構造主義言語学が用いた概念だが,定義に曖昧な部分があり,また実践的な利用価値に疑問もある.第1章ではこれらを新たに,以下のように定義し直した.内心構造は,文の中で一まとまりとなって統辞機能を担うような連辞である.外心構造は,一まとまりとなって統辞機能を担わないような連辞である.例えばcette jeune filleは動詞の目的辞や主辞などとして機能しうるので内心構造である.これに対してje marcheは文の核で,それ自体に明確な統辞機能は認められない.従って外心構造である.統辞機能は,発話の他の部分への従属性を含意する.内心構造が従属的で,外心構造が独立的な性格を持つのはこのためである.非動詞文の成立には,外心構造のこの性質を利用したものが少なくない.
内心構造・外心構造に定義を与える過程で,等位・従属(限定)・自律化・ネクサスの四種の統辞関係を整理し,これらが発話の他の部分とどのような関係を持ちうるかを明らかにした.ネクサスには,等位関係,従属関係,自律化関係のいずれとも異なる統辞関係という,いわば消極的な形で定義を与えた.逆に言えば,ネクサスは他の関係を除く全ての統辞関係をカバーするという積極的な側面を持つ.このような統辞関係の存在が,言語にある種の柔軟性を与えうることに注目すべきである.実際非動詞文において,ネクサス(概ね外心構造と考えてよい)は様々な形で実現される.
第2章から第10章では,非動詞文の実例を述辞の品詞に従って分類し,文としての独立性と内心構造・外心構造との関連を論じた.非動詞文の全体像を示すための,いわば記述的な部分である.非動詞的述辞の可能性のパターンを,ほぼ網羅的に提示した.さらに,全体が外心構造である非動詞文の方が,内心構造よりも独立性が高い傾向があることを明らかにした.
(2) Charmante, ta soirée, Becket! (ANOUILH, J., Becket, p.143)
例えば(2)の非動詞文charmante, ta soirée全体は,文中で一まとまりの統辞行動を持ちにくい.つまり外心構造である.このような連辞は従属性が低く,その点で内心構造であるta soirée charmanteとは性格が大きく異なる.統辞機能を担いにくいという消極的なステイタスを利用することで,外心構造は文としての独立性を高めうる.
同じく第2章から第10章では,それぞれの品詞がどのような性格を持つかという点にも考察を加えた.独立的であるか,自律的であるか,階層化が可能(従属節中に現れうる)か,非統辞的であるかなどが主な基準である.独立的な記号素には,動詞,間投詞,OUI, SI, NONがある.動詞(文)とOUI, SI, NONは階層化できるが,間投詞はその可能性を持たない.一般に非動詞文は階層化を拒む傾向があるが,これはOUI, SI, NON以外の非動詞文が間投詞的な性格を持つことを暗示する.非動詞文がしばしば情意的であるのは,このことと関連している.これらの記号素の独立性は,それ自身の性質によって保証される.他方,非独立的な要素(副詞,前置詞句,従属節,不定詞,疑問詞,形容詞,名詞,代名詞)を述辞とする非動詞文は,統辞的な独立性は基本的に低い.従ってその独立は,文脈・状況の支えや語彙的特性,外心構造による場合が多い.つまり統辞的には,どのような拡張を持つかが重要である.
後半の第11章から第20章では,非動詞文が関係する個々の問題点を個別的に取り上げて論じた.非動詞文は決して孤立した現象ではなく,フランス語が提起する様々な,より大きな論点と密接に関連している.また内心構造・外心構造という区別が,様々な局面で重要な役割を果たしていることも明らかにした.これらはもともと動詞文をモデルに定義した用語で,非動詞文のみならず,動詞文内部の現象にも関わる一般性の高い区別である.非動詞文への適用はむしろその応用に過ぎない.
第11章では,...ce qui revient au mêmeのような同格と非動詞文とを対比した.これは基本的に内心構造で独立性は低い.また名詞句とは異なり,全体が外心構造となるような拡張も持ちにくい.ただし,独立文全体と同格であるというステイタスそのものが,このタイプの同格に擬似的な独立性を与えていると考えられる.Le facteur qui passe!タイプの名詞文にも言及した.
第12章では,不定詞を述辞とする非動詞文を分析した.独立的な動詞と従属的な不定詞との対比は,独立性と従属性という非動詞文全般に渡る論点に対応する.不定詞は主辞をとらない.これはほとんどの動詞文が主辞を要求するという事実とも相まって,不定詞の従属性と表裏一体の関係にある.すなわち,動詞記号素は主辞を要求し全体で外心構造をつくる.それに対して主辞をとらない不定詞は内心構造的であり,従属性が強い.
動詞命令文が条件・譲歩節に対応する現象を「虚構の命令法」と呼ぶ.第13章では,特に並置によるこの用法を,動詞文がその独立性を弱化させる現象として位置づけた.すなわち,外心構造が内心構造的に働く.このように,独立性と従属性の問題は動詞文にも関係する.独立性の弱化は,他の文への従属化を意味する.この点で「虚構の命令法」は,多くの非動詞文に見られる従属要素が独立性を高める現象とは逆の方向性を示す.一方,否定動詞命令文には「虚構の命令法」がほとんど見られない.これは否定動詞命令文に用法の拡大を促すほどの頻度がないことと,印象的な表現になりやすい否定命令には独立性の弱化が起こりにくいためだと考えられる.
前置詞avecが導く項が,主辞と内容的に重複する現象がある.例えば,avec des amies, nous sommes allées voir [...]という場合に,nousが指示しているのが文意上「友人たちと私」であることがある.第14章ではこのような現象を,ある項が「主辞+述辞」の外側に取り出される現象として記述した.つまり,Pierre et Marie se disputentからMarieを取り出したものがPierre se dispute avec Marieであるとし,avecによる「重複」もこれと類似の現象として平行的に解釈する.すなわち,動詞文において,外心構造(主辞+述辞)内部の一要素が内心構造を作る従属的な要素(avec N)となる.
(3) J'aime Luc qui ne m'aime pas. Amour non partagé tristesse obligatoire. (Un certain sourire, p.116)
名詞文において,述辞となる名詞が(3)のように冠詞類などの限定を受けていないことがある(無限定辞名詞).第16章では無限定辞名詞を述辞とする名詞文を記述した.動詞文中での無限定辞名詞句は,機能辞によって自律化されているか,述辞であるか,述辞の一部であるか,等位されていることが多い.つまり明確な統辞行動を持たないような位置に現れる傾向がある.非動詞文の述辞としての名詞が無限定辞であることが相対的に多いのも,これと同じ傾向である.名詞述辞は独立文の核としてそこにあるだけで,明確な統辞機能は担っていない.この意味で無限定辞名詞句には外心構造的な性格と関連しうる部分がある.
(4) 38. Ce n'est pas grave. Une aspirine et ça passera [...].
(NOTHOMB, A., Mercure, p.18)
(4)のように,動詞文の前に等位接続された名詞句が条件等を表すことがある.第16章ではこの構文を,動詞文の周囲で非動詞的要素がどのような統辞行動をとるかというより広い現象群の中に位置づけた.まず非動詞要素が動詞文の前にあるか後にあるか,等位されているか並置であるかで現象を分類し,それらの共通点・相違点を記述した.さらに,等位接続の働きにも注目した.等位は結んだ要素を一体化して,これらの要素と文の残りの部分との関係を等質化させる.この構文は接続詞を除くと解釈が不安定になることが多いが,それは動詞文との等位によって名詞句が文に近いステイタスに,いわば擬似的に昇格させられているからである.このようにして名詞句と文とがあたかも等質のもののように扱われてしまえば,残る意味解釈は文脈・状況にゆだねてしまうことができる.
(5) Il y eut un zig-zag, une explosion, des flammes.
(DELACORTA, Nana, p.183)
(5)におけるように,IL Y A構文が何らかの過程(procès)を表現することがある.第17章では,この現象をいわゆる能格構造と比較し,両者の類似点及び相違点を検討した.IL Y A構文は事態をそのままで提示し,義務的な参加項(主辞)を要求しない.述辞と参加項との統辞関係は内心構造である.IL Y A構文は「自動・他動」の区別も曖昧である.能格構造と決定的に異なるのは,動作主を明示するための積極的な標識を欠くことと,二つ以上の参加項をとることが稀なことである.述辞が受ける限定は,その解釈が全面的に状況・文脈・語彙に依存した曖昧な関係である.IL Y A構文においては動作主や主体は積極的に表示する必要がむしろないのであり,「動作主-過程-被動作主」のような明示的な関係の消去が,この表現の狙いだと考えられる.
(6) A 6 heures, il partit. Le lendemain, il arriva à 4 heures et s'en alla à 6 heures. Le surlendemain, arrivée à 4 heures, départ à 6 heures.
(NOTHOMB, A., Les Catilinaires, p.84)
第18章では(6)のような過程を表す非動詞文を記述した.過程表現には動詞だけでなく,非動詞述辞も利用される.後者には提示詞を用いる場合(IL Y A構文など)とそうでない場合(非動詞文)とがある.提示詞は非動詞要素を述辞に特化し,このとき動詞と非動詞要素との区別はいわば無効化される.ただしこれらの相違はil y aの有無にのみ帰着するわけではない.noms d'actionは動詞的な性格を持つ名詞を指し,統辞的観点からは「述辞となりやすい名詞」と定義できる.このような名詞の存在,そして過程を表す名詞文の存在は,動詞・名詞の対立という伝統的な問題に対する重要な論点である.
非動詞文はしばしば情意的な発話であると言われる.第19章では,mais ouiやmais nonという強調表現を分析し,言語構造と情意的な発話現象との関係に言及した.まずoui, si, nonを,従属節中にも現れうるという点で間投詞から区別する.そしてmaisとoui, si, nonにそれぞれ知的な用法と情意的な用法という両極がありうることを確認し,以下のように推論した.oui, si, nonへのmaisの付加は,知的な側面の強いoui, si, nonにいわば間投詞的な性格を与え,情意的側面を強調する操作である.Je crois que ouiに対し*Je crois que mais ouiが不可であるように,mais ouiの統辞行動は間投詞に類似している.
(7) Ce n'est rien. Pas de panique...! (DJIAN, Ph., Crocodiles, p.28)
動詞文の断片pas de Nが(7)のように,独立性を示すことがある.第20章ではこのようなPas de N構文について記述した.この構文は主に「不在」と「禁止」の二つの用法を持つ.この用法の相違は主として文脈・状況に依っているが,語彙的な傾向も関係する.「不在」よりも「禁止」のほうに制約が多い.Pas de N構文の成立要因としては,動詞限定のpasとde Nとが結びつきを強めたこと,pas de Nがil y aやavoirという意味特性の比較的希薄な構文と共起する頻度が高いことがあげられる.あわせて「禁止」の成立が「不在」に部分的に依存している可能性も指摘した.
外心構造には否定的な定義が生むある種の柔軟性があり,次のように様々なやり方でつくることが可能である.
(8) Mon père considérait la vie avec un désespoir tranquille. Pas moi. (Crocodiles, p.58)
(9) Il commanda une bière, moi un crème.
(SADOUL, J., Le homard fou, p.178)
外心構造を「主題・陳述」のような意味的概念と混同すべきではない.内心構造・外心構造は統辞的な概念である.また,どの項が述辞や陳述かということももちろん重要だが,それ以上に,これらの文の独立性にとっては,全体が外心構造であるということの方がより大きな意味を持つ.例えば(1)のtoiとmalheureuseの二要素のうちどちらが述辞であるかという問題は,この連辞全体の独立性が高いという事実にはほとんど影響を与えない.
本論文での考察をもとに,非動詞文という現象をもし一言で表現するとすれば,「周辺的な文形式」という位置づけが最も相応しいと思われる.この「周辺性」は,少なくとも次の三つの観点で理解すべきである.i)非動詞文は動詞文に比べて,その多様性という面で明らかに劣る.頻度もずっと低い.ii)非動詞文は,動詞文の存在を前提にしている.非動詞文において外心構造が重要性を持ちうるのは,それが階層的な統辞構造を持つ動詞文のいわば裏返しだからである.動詞文中では,階層構造の頂点に位置する動詞に向かって,諸要素が多かれ少なかれ内心構造的にまとまってしまう.また,動詞・名詞の区別が曖昧な言語では,非動詞文という問題設定そのものが難しい.iii)非動詞文は柔軟性を備えた表現形式である.動詞文は安定した文形式であるが,その分ある種の硬直性も持つ.非動詞文は文脈や状況をより大きく反映しやすく,動詞文で表現しにくい意味内容を引き受けることができる.
動詞を述辞としていない点を除けば,非動詞文が利用している言語要素は動詞文と同一である.フランス語の構文においては,中心的な役割を果たす動詞文と周辺的な非動詞文とが,いわば相補的に働いている.非動詞文研究は,動詞文ひいてはフランス語全体をより深く理解するために必要不可欠な分野であると言ってよい.