1998年度 府中市生涯学習センター
西洋史 「フランス文化を探る」

担当 川口裕司(東京外国語大学)

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第1回 中世フランスの夢

1.果樹園


『薔薇物語』の冒頭 
(ギヨーム・ド・ロリス, 13世紀前半)
 夢で見るのは絵空事や嘘偽りばかりと言う人がいる。けれども偽りどころか、あとになって真実とわかる、そんな夢を見ることがある。(...) けれどもわたしとしては、夢は人々に吉凶を告げ知らせるものだと確信している。少なからぬ者が夜、それとわからぬかたちで多くの事どもを夢に見て、のちにその意味を明確に悟るからだ。(...) だからもし誰かにわたしの取りかかる物語の名を尋ねられたら、『薔薇物語』と答えよう。(...)
 季節は五月、歓びに満ちた愛の季節、すべてのものが陽気になるとき、茂みも垣もことごとく新しい葉で身を飾り、(...)草と青や白やさまざまな色の花、(...)鸚鵡や雲雀も大喜びで楽しんでいる。(...)ある晩わたしは夢を見た。私はせせらぎの方へ進んでいった (...)

 自然との調和
『クレルヴォー修道院地誌』
 果樹園の尽きるところから菜園が始まる。木々に覆われた岸辺で休もうとやってくる病弱な修道士たちの目に、楽しい風景を提供するところでもある。
(...)その泉は私に非難するような口調で、私の渇きをしばしば癒し、手や足さえも洗う水を私に与え、たくさんの親切と慈悲の仕事で私に尽くしていることを、思い起こさせるのである。(...)

2.森林

『獅子の騎士』の冒頭 (クレティアン・ド・トロワ, 12世紀末) ペンテコステの祝日にアーサー王は宴会を催す。王が途中で席を外し、人々は驚く。王の寝室の外で毒舌家のクーがキャログルナンを非難する。王妃は二人をとりなして、キャログルナンに楽しいお話をするようお願いする。

 キャログルナンが話しはじめた。
「7年以上も前のことですが、私は完全に騎士の武装をし、しかし農民のようにたったひとりで、冒険の対象を探しに出かけたことがありました。密林の中の道を右に曲がりました。木イチゴや茨の密生した難儀な道が何本もありました。
(...)そしてまる一日じゅう馬に跨って進み、ブロセリアンドという名の森を出ました。やがて野性の灌木だけで覆われた荒野に入ると、半里ほども離れていない所にウェールズ式の張り出した櫓が見えました。(...)領主は、私が鐙からおりるのを手伝いに来ました。ちょうど宿がほしいと思っていたときなので、馬をおりました。(...)
 その夜は大層心地よく泊めてもらったし、馬も私が頼んだ通り、家畜小屋に入れてくれました。夜が明けたとき、親切な主人と彼の愛する令嬢の加護を神に祈って、私は宿を出ました。
 林の中の開墾地で野牛が決闘しているのを見たのは、この宿からそう遠くないところでした。
(...)そのとき、醜悪でぞっとするほど並外れて大きい、ムーア人そっくりの自由農民がひとり、手に棍棒をもって、木の切株に腰をおろしているのが目に入りました。

 文明の周辺部としての森
 領主(戦う者
bellatores)  森=領有物、狩場
 農民(働く者
laboratores) 森=食物の採取場
 聖職者(祈る者
oratores)  森=隠者の住処

3.海

『聖ブランダンの航海』 (ブノワ, 12世紀初頭) 王族出身のブランダンは気高い理想をめざし、真の名誉を求め、偽りの名誉を捨て、修道院に入る。彼は天国を生前に見たいと考えた。善人が死後にどうなるのか、悪人が入る地獄とはどのようなところなのか。そこで森に住む隠者バランに告白に行く。バランはメルノックの話を語る.バランの勧めでメルノックは航海をして、天国の花が咲く孤島に漕ぎ着いたという。
 修道院長のブランダンは
40日間、毎週3日の断食をして出立の用意をして、十四名の僧と航海にでる。
 聖職者の異郷遍歴
(peregrinatio) 聖コルンバヌス

12世紀の科学復興
 ○ 商業の復活(ロンバルディアとフランドル)
 ○ 都市の勃興(アラビア都市の影響、チュニス、コルドバ、ダマスクス等)
 ○ 知識人の誕生(三身分の変革、ブルジョワの登場)
   シャルトルのベルナール
 「我々は巨人の肩に乗っている小人のようなものである。それゆえに、我々はその巨人たちよりももっと多くのことを見ることができるし、もっと遠くまで見ることもできる。しかしそれは我々自身の眼が鋭いからではなく、また我々自身の背丈が高いからでもなく、まさに我々がその巨人によって高く掲げられているがゆえなのだ。」

4.都市

a.大聖堂 尺度と光(12,13世紀のあらゆる視覚的な美の源泉)。
b.宮殿
 バビロニアの塔
(『フロワールとブランシュフロール』 12世紀半ば)
 コンスタンティノープルの宮殿(『シャルルマーニュの巡礼』 11世紀半ば-12世紀後半)

5.聖地巡礼

サンチャゴ・デ・コンポステラ巡礼
聖ヤコブ伝
巡礼路の救護所
 「それは聖なる場所、神の家、聖なる巡礼者の安らぎ
(...)。誰でも、このような聖なる所を建てた者は、疑いもなく、神の国を得る。」 (『サンチャゴ巡礼の案内』)

6.幻視

 幻視文学・・・パウロの幻視、聖パトリキウスの煉獄、ゴットシャルクの幻視
 幻視とは他界と地上を結ぶチャンネルであり、これを通して、生者は死者の魂の状態についての啓示を得ることができる。中世人にとって幻視は十分に信じるに値したのである。年代記作家のメルゼブルクのティートマルはこう言っている。「これは夢ではない。真実の幻視なのだ。」
 尊者ピエールは『奇蹟の書』の中で、「われわれが恋い慕うあの世について、われわれの信仰と希望を強める事柄を聞くことは、この世で呻吟しているわれわれにとっての慰めである。」と述べ、夜中にエステリャでサンチャゴ巡礼路を下りていった幽霊の軍隊を見たと語っている。

7.異界(ブルターニュ・ケルトの驚異)

『聖杯物語』 (クレチアン・ド・トロワ, 12世紀後半)
 田舎者の青年はが、ある時、野良で騎士に出会う。自分もアーサー王の騎士になりたいと思う。母は騎馬試合で傷ついて死んだ夫のことを思い出して、息子を説得するが、母の反対を押し切って彼は家を出る。(...)若者は武芸を積み、騎士になる。
 若者は漁師から家に泊まるように勧められる。豪奢な広間での食事。食事の間に異様な行列を見る。穂先から血がしたたる槍、純金の燭台、若い娘が宝石で飾られた純金のグラアルを持っている。彼はこの儀式の意味を知りたいが、助言を思い出し、「誰にそれで食事を供するのか」と敢えて尋ねない。寝室で一夜を過ごし、翌朝、誰も応答がない。外に出ると城が消える。

第2回 騎士と奥方

騎士階級と貴族
 領民=領主支配権に服する。下級戦士(miles)=領主支配権を免れる
 貴族
(nobiles)は下級戦士に対する上層部のための呼び名

『愛について』(アンドレアス・カペラーヌス
, 12世紀末)
  第1巻 恋愛の手引き(第1章―第12章)
  第2巻 愛は如何にして持続しうるか(第1章―第8章)
  第3巻 恋愛の否定について
 愛は如何にして獲得しうるか(第1巻、第6章)
  「人は禁じられたものこそ得ようと奮起し、与えられるものをいっそう欲する」
  愛の4つの段階
   
(1) 愛の希望を与える、(2) キスを交わす、 (3) 抱擁する、
   
(4) 自己のすべてを捧げることによる愛の成就
  身分の差
 平民の男と大貴族の女性の対話
 女「
(...)あなたがいかなる美徳に飾られていようとも、ことさら階級が2つも下の平民出の男など、とても愛する気持ちにはなれません」
  結婚と恋愛
 「夫婦の間には真の愛が占める余地はあるか否か。」シャンパーニュ伯爵夫人の返答、「夫婦の間には真の愛はその力を及ぼしえない。愛人たちは何ら必要に迫られずあらゆることを自由に分かち合うことが許されますが、夫婦はお互いの欲望に応ずべき義務がある」
 肉体と精神の解放→ 夫婦の外に愛を求める
 結婚の権威の失墜→ 教会権威が及ばぬ貴族階級。

恋愛の類型論

1.至純の愛 (fine amor)

  苦悩と喜びを交互に味わいつつ近寄りがたい高貴な貴婦人を愛し、人格を向上させる。(トルバドゥールの歌)
  幾つかの美徳・・・雅びぶり(クルトワジー)、節度、若さ

「雲雀が陽の光に向かって」(ベルナルト・デ・ヴェンタドルン)
 雲雀が陽の光に向かって/悦びにあふれて羽ばたき舞いあがり/
 心に満ちてくる甘やかな思いゆえに/我を忘れて落ちくるのを目にするとき/
 ああ、恋の歓喜に浸っている人が/なんとこの身には羨ましいことか。/
 愛への渇きゆえにわが胸が破れるのが/我ながら不思議でならぬ。
 ああ、愛についてはわけ知りのつもりでいたが/愛の何たるかをなんとわずか
 しか知らなかったことか。/愛しても報いられることのない女性を/
 愛さずにはいられないのだから。/あの女性は私の心を、私というもの
 を、/彼女自身を、この世の全てを奪い去ってしまった。/私に残された
 ものは愛の渇きと憧れの心だけ。
(...)
 さればあの方のもとを去って、愛の想いを断ち切ろう、/私に死ねとの仰せ
 なのだから、死をもって応えよう。/引き留めようとはなさらぬのだから、
 立ち去ってゆこう、/いずかたとも知らぬ流浪の旅に出る、あわれな
 男として。/
(...)
 歌を作ることはもうするまい、もうやめだ、/して、悦びからも愛からも
 この身を隠すのだ。
「気にそまぬことを歌わねばならない」(ディア伯爵夫人)
 気にそまぬことを歌わねばならない、/恋人へのこの怨みはさほどにも
 深い。/この世の何にもましてあの方を愛しているのに、/慈悲もみやびも
 あの方の眼には入らない、/私の美貌も、私の値打ちも、わきまえある
 心も。/なぜなら私は欺かれ、裏切られたのだ、/醜い女ででもあるかの
 ような仕打ちを受けて。/
(...)
 いとしいお方、あなたのお心の傲慢さが私には驚きです、/私が悲嘆にく
 れているのは、そのために他なりませぬ。/他の女性の愛があなたをこの
 私から奪うのは道義に背くこと、/その女性があなたに何を言おうと、
 何を許そうとも。/思い出して欲しいのです、私たちの愛の始まりがどんな
 だったかを。/私たちが別れるのはこの私の落度によることを、/主なる
 神様が望み給いませぬように!
(...)

2.妖精・魔法の愛

 『ギジュマール』 (マリ・ド・フランス, 12世紀後半)
 レオン領主の息子ギジュマールは並びなく美しい子であった。騎士に叙任され武勲をたてるが、ただ一つの欠点があった。彼は恋に心を動かされない。多くの女性が求愛したが無駄であった。
 ある狩りの最中、白い牝鹿を射た矢が跳ね返りギジュマールは負傷する。牝鹿が彼に呪いをかける。「ある女がいつか現れ、お前の傷を治すだろうが、彼女はお前を愛するゆえに苦しみ、お前も同様に苦しむのだ。」

3.宮廷風恋愛

  伝統的なモラルと折り合いをつけて、社会的規範やキリスト教が課す要求を遵守する。(クレティアン・ド・トロワの作品)

『荷車の騎士』
(クレチアン・ド・トロワ, 12世紀後半)
 中心思想 「愛する者は従順である。」「愛する女性のために男がなしうることはすべて,愛であり雅なもの。」
 キリスト昇天祭の日に、アーサー王はカマロットに廷臣たちを召集する。そこへ騎士が現れ、騎士や奥方や娘たちを捕虜にしたと告げる。近くの森で自分と戦って勝てば、囚人たちは解放すると言う。王妃の救出に二人の騎士、ランスロとゴーヴァンが向かう。荷車の挿話。ランスロは感情の人であり、ゴーヴァンは理性の人。
 王妃とランスロ 冷たくする王妃。ランスロ殺害の誤報に王妃は自殺を企て、王妃自殺の誤報にランスロも死のうとする。そして九日目の夜・・・

4.宿命的愛

社会的な規範や宗教の間の解決不能な葛藤(トリスタンとイズー)
 トリスタンはついに国を出て、フランスのブルターニュで友人の妹、白い手のイズーと結婚する。しかし戦闘で再び毒の剣に傷ついたトリスタンは、友人のカエルダンに真の恋人、金髪のイズーを呼びに行かせる。

(語り)トリスタンは毒の塗られた剣でわき腹に傷を負った。
(歌)助けがなければ死んでしまう、/ただ王妃イズーを除いては/
 誰にも僕を治せないのだから。/あの方にならそれができる。/
 僕の苦しみを話してくれ。/こんなに苦しいのだから。/
(...)
 美しい舟を作ってください。/帆を二種類持って行ってくれ。/
 ひとつは白い帆で、もうひとつは黒い帆だ。/もし君がイズーと話をつけて/
 彼女が僕の傷を治しに来るのなら、/帰りは、白い帆をあげてくれ給え。/
 もしイズーを連れて来られないのなら/そのときは黒い帆をあげてくれ。/
(語り)トリスタンは知らせに身震いして/妻の白い手のイズーに言う。/
 「確かに彼の舟だとわかるのか?/それなら言ってくれ、帆はどうだ。」/
 すると妻が答える。「確かですとも。/いいこと、帆はまっ黒よ。」/
(歌)今まで歌やレーを作ってきたが、/今、最後のレーを作る。/
 このレーの中で、<愛の神>が僕を殺す。/
 さようならイズー、さようならいとしい人/もう貴方のことを嘆くまい/
 <愛の神>が僕を死の館に導いたから/もうなにも恐れはしない。
 さようならイズー、/こうしてトリスタンは見捨てられた、/
 貴方さえ側にいれば/死も喜びとなっていたろうに。
 死すべき者のうちで、僕ほど/愛された者はいない、/
 そろそろ死の門に近づいた気がする。/死のレーを作り終えよう。
 この道を通るすべての者よ/見に来るのだ、/
 死にゆくトリスタンの/苦しみにまさるものがあるかどうか。

参考 レー
(lais)とは楽器演奏とともに語られる短い韻文で書かれた話のこと

引用文献(日本語文献のみ)

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伊東俊太郎,『十二世紀ルネサンス』,岩波セミナ・ブックス42,岩波書店,1993.
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沓掛良彦, 『トルバドゥール恋愛詩選』, 平凡社, 1996.
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グレーヴィチ, 『同時代人の見た中世ヨーロッパ』, 中沢訳, 平凡社, 1989.
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ジムソン, 『ゴシックの大聖堂』, 前川訳, みすず書房, 1985.
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シュミット, 『中世の身ぶり』, 松村訳, みすず書房, 1996.
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デュビー, 『ヨーロッパの中世―芸術と社会』, 池田・杉崎訳, 藤原書店, 1995.
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ノウルズ, 『キリスト教史 3中世キリスト教の成立』, 平凡社ライブラリー, 1996.
『フランス中世文学集 1―3』, 新倉・神沢・天沢訳, 白水社., 1990-1991.
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バデル, 『フランス中世の文学生活』, 原野訳, 白水社, 1993.
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バルトルシャイティス, 『幻想の中世 T・U』, 西野訳, 平凡社ライブラリー, 1998.
ブノワ, 『聖ブランダンの航海』, 松村訳註, 東京大学教養学部フランス語教室論集39, 1991.
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ブムケ,『中世の騎士文化』, 平尾他訳, 白水社, 1995.
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フラピエ, 『アーサー王物語とクレチヤン・ド・トロワ』, 松村訳, 朝日出版社, 1988.
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フランス, 『十二の恋の物語』, 月村訳, 岩波文庫, 1988.
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ルゴフ, 『中世の夢』, 池上訳, 名古屋大学出版会, 1992.
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ロリス, 『薔薇物語』, 篠田訳, 平凡社, 1996.
渡邊昌美, 『巡礼の道 西南ヨーロッパの歴史景観』, 中公新書 566, 1980.
― 『中世の奇蹟と幻想』, 岩波新書, 1989.

Copyright © 東京外国語大学(TUFS) 川口裕司研究室


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