南仏詩人と北仏詩人におけるIntertextuality
参考文献
1. Angelica Rieger, "Relation interculturelles
entre troubadours, trouvères et Minnesänger au temps des croisades", Le Rayonnement des Troubadours, Anton
Touber (ed.), Rodopi, Amsterdam, 1998, pp.201-225.
2. Nathalie Piégay-Gros,
Introduction à l'Intertextualité,
Dunod, 1996.
3. Aurelio Roncaglia,
"Carestia", Cultura neolatina, 18, 1958, pp.121-137.
T.Intertextualityとは何か?
クリステヴァ(J. Kristeva)のSéméiotikè (Le Seuil, 1969) による術語
intertextualityとは、過去の作品の引用、あるテキストへの言及ではなく、書くことに本質的な動きのことであり、それは、以前のあるいは同時代の発話を移しかえること(transposition)によって進められる
ジュネット(G. Genette)は、Palimpseste (Le Seuil, 1982) の中で、これをさらに体系化した
共存関係(relation de coprésence)
引用(citation)、参照(référence)、盗用(plagiat)、暗示(allusion)
派生関係(relation de dérivation)(ジュネットはこれを
hypertextualitéと呼び区別している)
パロディー(parodie)、模倣(pastiche)
U.伝統的な源泉批評(la critique des sources)
第1回十字軍
1095年11月27日 クレルモン司教区会議(教皇ウルバヌス2世(Urbain II))
1098年 アンティオキア(Antioche)占領、1099年 エルサレム(Jérusalem)占領
南仏文学 最初のトゥルバドゥール、ギヨーム9世(Guilhem IX de Peitieus)(1071-1127)
南仏文学の北仏への移入
1137年 ルイ7世(Louis VII, 在位1081-1151)は、ギヨーム9世の孫娘アリエノール(Aliénor d'Aquitaine)と結婚。彼女は1152年に離婚し、プランタジネット家のアンリ2世と再婚した
第2回十字軍
1145-46年 クレルヴォーのベルナール(Bernard de Clairvaux)の演説
南仏文学の古典期
ジャウフレ・ルデル(Jaufré
Rudel), ベルナルト・デ・ベンタドルン(Bernart
de Ventadorn, 1147-70)
ミンネゼンガー(Minnesänger)登場
フリードリヒ・フォン・ハウゼン(Friedrich
von Hausen, 1190年没)
北仏文学の第1世代
クレティアン・ド・トロワ(Chrétien
de Troyes, 1135-90)
北仏抒情詩
コノン・ド・ベテュヌ(Conon de
Béthune, 1150頃-1219),ガス・ブリュレ(Gace Brulé, 1160頃-1219)
アリエノール・ダキテーヌ宮廷の役割
1155年 おそらく宮廷で、ベルナルト(Bernart de Ventadorn)とクレティアン(Chrétien de Troyes)が出会う(Roncagliaによる出会いは1170年頃と推定される)
第3回十字軍 1189-92年
ミンネゼンガー(Minnesänger)の古典期
ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ(Walther
von der Vogelweide, 1170-1230)
1191年 リシャール獅子心王(Richard Coeur-De-Lion)(アリエノールのとアンリ2世の次男)
彼はラインバウト(Raimbaut de
Vaqueiras)とともに、まれなバイリンガル詩人
モンフェラート侯の役割
とくに、ボニファス1世(ボニファチョ, Boniface Ier)は、ラインバウト・デ・バケイラス(Raimbaut de Vaqueiras)、ガウセルム・ファイディット(Gaucelm Faidit)、ペイレ・ビダル(Peire Vidal) を宮廷に受け入れた
第4回十字軍
1200年2月23日 コノン(Conon de Béthune)がモンフェラートに立ち寄る
ラインバウトのRazo (解題)
En aqest temps vengeron
dos joglars de Franza en la cort del
marqes, qe sabion ben violar. Et un jorn
violaven una stampida qe plazia fort al marqes et als cavaliers et a las
dompnas. Et en Rambautz
no.n s'allegrava nien. [...] Et ma dompna
Biatrix fu tan cortesa et de bona merce qu'ella lo preget e.l confortet
q'el se deges, per lo so amor, rallegrar e q'el feses de nou una chanson.
Dont Rambautz, per aqesta raison qe vos avez ausit, fetz la stampida.
ちょうどこのころ、ヴィオルを上手に弾くフランスの吟遊詩人が2人(Conon de BéthuneとHuon d'Oisy?)、侯の宮廷に来た。ある日、彼らはヴィオルでエスタンピ(舞踏歌 stampida)を弾き、侯や騎士たち、婦人たちを大いに喜ばせた。ラインバウだけが、ひとり憮然として楽しまなかった。[...]そしていとも雅びでいとも優しいベアトリス夫人は、自分を愛しているのなら、楽しんで、また歌をつくってほしいと、ラインバウトにお願いして、力づけた。
かくしてラインバウトは、いま言ったような理由で、舞踏歌を作った。
ラインバウト・デ・バケイラス(Raimbaut de Vaqueiras)の舞踏歌(estampida)
Calenda maia(5月1日)(v.71-84)
[...]
Dòmna grazida, 敬愛する奥方
Quecs lauz' e crida 誰しもが褒め、告げる
Vòstra valor qu'es abelida, 人を惹きつける価値をあなたの中にみつけ、
E qui'us oblida, あなたを忘れる者は、
Pauc li val vida, 生きるに値せぬ者、
Per qu'ie'us azor,
dòmn' eissernida; それゆえ私はあなたを尊敬します、気高き奥方;
Quar per gençor vos ai
chausida 気高さと最高の、抜きんでた価値の方として
E per melhor, de prètz
complida, 私はあなたを選び、
Blandida, あなたに言い寄り
Servida お仕えしました
Gensés qu'Erecs Enida エレックがエニードにする以上に。
Bastida, 作りあげ、
Finida, 終えました
N'Englés, ai l'estampida. エングレス殿、舞踏歌を。
(註 Dòmna grazidaは、モンフェラート侯の娘ベアトリスのこと(ただし異論もある)、Erecs Enidaはクレチアン・ド・トロワの物語、N'Englésとはモンフェラート侯のこと、estampida < germ. stampjan「足を地面をたたいてリズムをとる」)
1201年秋 ボニファス(Boniface de
Montferrat)が、十字軍の指揮官に任命された
1204年 ボニファスによるコンスタンティノープル占領
(フランドルのボードワン9世即位)
まとめ
1.家系的事件(affaire de famille) →アリエノール・ダキテーヌと
マリ・ド・シャンパーニュ
2.大領主と吟遊詩人サークル →モンフェラート侯ボニファス
V.南仏詩人と北仏詩人の Intertextuality
ラインバウト・ダウレンガ(Raimbaut d'Aurenga)
No chant per auzel ni per flor... 私が歌うのは小鳥や花のためではない
IV De midonz fatz dompn'e seignor わが貴婦人をわが主君、わが殿と仰ごう、
cals que sia.il destinada. ゆく末がいかがなろうとも。
Car ieu begui de la amor 恋の泉を飲んだからには、
ja.us dei amar a celada. あなたを密かに愛さねばならぬ。
Tristan, qan la.il det Yseus gen やさしく美しいイズーが愛を与えてくれたとき、
e bela, no.n saup als faire; トリスタンは愛することしか知らなくなった。
et ieu am per aital coven 私もまたわが主君と仰ぐ方を、
midonz, don no.m posc estraire. 逃れ得ぬ絆につながれて愛しているのだ。
クレティアン・ド・トロワ(Chrétien de Troyes)
D'Amors, qui m'a tolu a moi 私自身から私を奪った愛について
IV Onques du
buvrage ne bui トリスタンが毒におかされた
Dont Tristan fu enpoisonnez ; 飲薬を私は決して口にしなかった;
Mes plus me fet amer que lui 誠の心と誠の意志が
Fins cuers et bone volentez. トリスタン以上に私を愛へと向かわせる。
クレティアンはラインバウトの運命的な不可避の愛に対して、誠の心と意志による愛
の姿(雅びの愛)を対立させる。
ベルナルト・デ・ベンタドルン(Bernart de Ventadorn)
Quand vei la lauseta mover 陽の光に、雲雀が
II (...) car eu d'amar
no.m posc tener 愛しても報いられることのないあの方を
celeis don ja pro non aurai. 愛さずにはいられないのだから。
下のクレティアンの詩と表現がよく似ている。おそらくクレティアンは意図的にベンタドルンの詩句を模倣したのであろう。
VI Mercés es perduda per ver, まことに、哀れみは失われていた、
Et eu non o saubi ancmai, 私には分かってもいなかった、
Car cil que plus en degr' aver 哀れみの最もあるはずの人に
Non a ges, et on la querrai ? そのかけらもなく、どこを探したものか?
下のクレティアンの詩と同様に、意中の婦人の慈悲をうけられぬことを嘆いたもので、喪失と捜索のモチーフが共通している。ところが詩の結末は大きく異なる。
VII Pus ab midons no.m pot
valer わが主君と仰ぐ方には、懇願しても慈悲を請うても、
precs ni merces ni.l dreihz qu'eu ai, 恋する者の権利をふりかざそうとも、何の役にも立たぬ。
ni a leis no ven a plazer あの方を愛していることが御心に適わないのなら、
qu'eu l'am, ja mais no.lh o dirai. そのことをもう決して口には出すまい。
Aissi.m part de leis e.m recre ; さればあの方のもとを去って、愛の想いを断ち切ろう、
mort m'a, e per mort li respon, 私に死ねとの仰せなのだから、死をもって応えよう。
e vau m'en, pus ilh no.m rete, 引き留めようとはなさらぬのだから、立ち去ってゆこう、
chaitius, en issilh,
no sai on. いずかたとも知らぬ流浪の旅に出る、あわれな男として。
ベンタドルンの結末は悲劇的であり、愛の想いを棄て、諦め、逃走を試みる。ところがクレティアンの結末は、心を常に相手の支配下におき、服従し、じっと待つことで相手からの甘美な報酬を期待する姿勢である。
クレティアン・ド・トロワ(Chrétien de Troyes)
D'Amors, qui m'a tolu a moi 私自身から私を奪った愛について
II (...) Et je,
qui ne m'en puis partir 私はといえば、自分が寄りかかる
De celi vers qui me souploi, あの方から離れることができない、
VI Merci trouvasse au mien cuidier, 思うに、私は哀れみをみつけられたであろう、
S'ele fust en tout le compas もしも、それがこの世のどこかにあるのなら、
Du monde, la ou je la qier ; この世の中を探して;
Mes bien croi qu'ele n'i est pas, しかし、それはこの世にはないと思う、
V Cuers, se ma dame ne t'a chier, わが心よ、あの女が優しくしないからといって
ja mar por ce t'an partiras: あの方から離れてはならない:
toz jorz soies an son dangier, 従っていこうとするからは
puisqu'anpris et comancié l'as. 常にあの方の支配下にいるように。
Ja, mon los, plant
n'ameras, 誓って、豊かさを好んではならない、
ne por chier
tans ne t'esmaier ! 欠乏に落胆してはならない!
Bien adoucist par
delaier, 待たされたときの報酬はさらに魅力的で
et quant plus desirré
l'avras, 欲すればそれだけ
tant iert plus douz a
l'essaiier. 幸福の味は甘美になるだろう。
Carestia とは誰か?
ラインバウト・ダウレンガ(Raimbaut d'Aurenga)
No chant per auzel ni per flor... 私が歌うのは小鳥や花のためではない
VII Carestia esgauzimen カレスティア(欠乏)よ、喜びをもたらしてくれ
m'aporta d'aicel repaire, 私の奥方がいるあのお宅から、
on es midonz, qe.m ten gauzen それにより私は説明ができないほど
plus q'ieu eis non sai retraire. うれしい状態になるのだ。
Roncagliaの解釈
上のクレティアンの詩では、plant(豊富さ)とchier tans(欠乏)が対比され、心は常に貧しくあれと説かれている。欠乏(carestia)とは、雅びなる愛を説くクレティアンその人自身を象徴しているのではないか。
まとめ
クレティアンは、ベンタドルンのCan vei
la lauzeta moverの作品を模倣しながら、ラインバウトのNon chan per auzel ni per florの中で、抵抗できない運命的な愛に対して、誠の心と意志によって自ら選らぶ愛こそがもっとも雅びな愛であることを示した。愛から身をそむけるベンタドルンの卑怯さに対しては、絶対的な愛に服従する頑固さで答えたのである。
東京外国語大学(TUFS) 川口裕司研究室