カナダの公用二言語主義(オフィシャル・バイリンガリズム)

−連邦機関の「両公用語による国民へのサービス」に関する調査分析を中心に−

 

矢頭 典枝

はじめに

 英語とフランス語をカナダの公用語と規定した1969年の公用語法(The Official Languages Act)の制定により、カナダの公用二言語主義(Official Bilingualism、以下OBとする)が誕生して30年余りが過ぎた。当初、カナダの言語計画の主体であった二言語・二文化調査員会は、フィンランドの言語計画のモデルをカナダに移植しようとしたが、結局、カナダは独自の言語計画を形成するに至った。それは、ケベック問題をはじめとするカナダ国内の政治的・社会的動向、連邦政府および言語計画者たちの意図、そして、二つの公用語が話し手の数と地理的分布のうえで不均衡な様相を呈するカナダ固有の言語状況などを反映した方向性であった。

 言語計画は、以上のような様々な要因によって変容していく。1969年公用語法は、OBの基本要素として、(1)連邦機関の両公用語による国民へのサービス、(2)連邦官庁におけるアングロフォン(英語系)とフランコフォン(仏語系)の対等な参入と(3)仕事言語の選択の自由、を挙げ、公用語少数派が人口の10%以上を占めるカナダ全域の行政区をバイリンガル地区とする構想を打ち出したが、これらの明確な実施法については後の言語計画と政府の決定に委ねられた。この「バイリンガル地区構想」の断念をはじめとする多くの試行錯誤の末、今日のカナダOBの基盤となっているのは、1969公用語法を全面的に改定した「1988年公用語法」である。

 本報告では、多文化社会におけるカナダ国内の複雑な言語使用状況を概観し、カナダのOB運営のメカニズムを解明したうえで、OBが国民と直接関わる上記(1)に焦点を当てることする。カナダ国民は、民族的出自、母語、家庭言語が何であれ、連邦政府とのコミュニケーションは英語かフランス語のいずれかを選択せねばならない。

 

1.カナダの言語状況の概観

(1)言語人口に関する国勢調査の基準

5年に一度行われるカナダの国勢調査は「言語」に関する質問を以下のように三つ設けている。

a. 母語別人口(Mother Tongue)別人口  <グラフ1>

 What is the language that you first learned at home in childhood and still understand?

b.  家庭言語(Home Language)別人口  <グラフ1・表1>

  “What is the language do you speak most often at home?”

c. 「公用語の知識」(Knowledge of Official Languages) <グラフ2・3>

 “Can you speak English enough to conduct a conversation?”

 

<グラフ1>

<グラフ2>

<グラフ3>

<表1>

家庭言語別人口比(1971年と1996年)

単位:%

 

フランス語

 

英語

 

 

1971年

1996年

1971年

1996年

N.W.T.

58.1

68.8

1.7

0.9

Y.T.

95

95.4

0.7

1.8

B.C.

92.8

86.5

0.5

0.4

Alta.

90.8

91.1

1.4

0.6

Sask.

89.9

94.6

1.7

0.6

Man.

82.6

88.3

4

2.1

Ont.

85.1

83.6

4.6

2.9

Que.

14.7

10.8

80.8

82.8

N.B.

67.9

68.9

31.4

30.1

N.S.

95.5

96.3

3.5

2.3

P.E.I.

95.7

97.2

3.9

2.3

Nfld.

99.1

99.2

0.4

0.1

 

 これらの統計から、カナダの言語状況に関する主な特徴を以下に簡潔にまとめてみる。

       全般的な傾向として、母語別、家庭言語別、「公用語の知識」別人口のいずれのデータも示唆するのは、話し手の数という観点から、カナダにおいては圧倒的に英語が優位言語である、という点である。

       カナダ全体では、英語に関していえば、それを家庭言語とする人の方が母語とする人のより多く、逆に、フランス語に関していえば、それを母語とする人の方が多い。これは、英語の吸収力の強さを物語り、特に、英語もフランス語も母語としない移民が、カナダ定住後、圧倒的に英語の方を習得するという事実を裏付けよう。

       フランス語話者が大多数を占めるケベック州はカナダ唯一の仏語圏、その他の州(準州)は英語圏と称することができる。1970年代以降、仏語圏ではフランス語を家庭言語とする人の比率が若干増加し、英語圏でも英語を家庭言語とする人の数が若干増加する、という言語的二極化が進行してきた点が観察される。

       カナダのバイリンガル人口は人口比で約17%、と意外に少ない。しかし、これは「1969年公用語法」制定以降、着実に増えてきた数字である。また、バイリンガルな人はケベック州に最も多く、オンタリオ州、ニューブランズウィック州がこれに続く。

(2)公用語少数派(Official Languages Minorities)

 公用語少数派------つまり、カナダの英語圏におけるフランス語系少数派、及び、仏語圏における英語系少数派は、カナダ全体で177万人(人口の約6.2%)存在し、その約88%がオンタリオ州、ケベック州、ニューブランズウィック州に集中している。カナダのOBについて論じる場合、劣勢言語集団であるフランス語系少数派が重要性をもつ。カナダにOBが導入された背景にはケベック問題があるからである。1960年代に台頭したケベック分離独立運動を封じ込めるいわゆる懐柔策として、カナダ全体を制度上バイリンガル化し、ケベック州以外のフランス語系の言語権を保護することが効果的だと考えられたのである。

 

2.カナダ公用二言語(OB)政策のメカニズム

(1)組織体制

 1969年公用語法で定められたOB運営に関わる組織体制は、これまでに度重なる再編を経て、今日では以下のようになっている。

           公用語局:Office of the Commissioner of Official Languages (OCOL)

          OB運営のオンブズマン、連邦裁判所に対する司法救済の請求

   財務委員会:Treasury Board Secretariat, Official Languages Branch

連邦政府機関予算の予算管理

・連邦公務員制度に関わる政策の決定

    カナダ文化継承省:Canadian Heritage, Official Languages Branch

              ・公用語少数派の活力の向上とその発展の促進

        ・カナダ社会における英語とフランス語の完全の承認と使用の促進

    連邦公務員委員会:Public Service Commission

      連邦公務員に対する公用語能力テストおよび公用語訓練の策定と実施

    公共事業・政府サービス省(翻訳局):Public Works and Government Services, Translation Bureau

       ・公文書の翻訳

              ・両公用語の規範化-------英仏語専門用語銀行(TERMIUM)

(2)1988年公用語法の適用範囲

 1988年公用語法の適用範囲も、組織体制と同様、試行錯誤の末、今日に至っている。

 適用される機関数は、2001年の時点では、180箇所であり、内訳は、省庁:95、国営企業:40、民営企業:45である。民営企業のほとんどが航空会社は鉄道会社などの交通機関である。「両公用語による国民へのサービス」が義務付けられるいわゆるバイリンガル指定オフィスの所在地は、財務委員会が細かく基準を設けて以下のように規定している。

              a. 首都圏(National Capital Region:オタワ市およびハル市)------公用語法第22条(a)

              b. 「かなりの需要(Significant Demand)」がある地域に存在するオフィス------〃第22条(b)

                            ・自治体別に公用語少数派の比率によって細かく基準を設定

                            ・交通機関サービスは、ルート、年間利用者数、公用語少数派利用者数によって基準を設定

           航空(空港・機内)、鉄道(駅・車内)、フェリー(ターミナル・船内)

              c. 「オフィスの性質上(Nature of the Office)」バイリンガルであるべきオフィス――――――〃第24条(b

                            ・国民の安全と健康に関わる部門(レスキュー隊、主要病院など)

                            ・カナダのバイリンガル・イメージを内外に発揮できる部門(国立公園、国境通過地点、国家的・国際的イベントなど)

 なお、上記b.及びc.に関する詳細な基準は、1992年に財務委員会が発行した「国民とのコミュニケーション及び国民へのサービスに関する規定(“Regulations on Communications with and Services to the Public”)のなかで初めて明記された。

(3)公用語局による苦情処理の実態

OBの適用を監視し、その状況を改善させるため、公用語局はカナダ全土から国民の苦情を聴き、それに対処するシステムを編み出している。毎年、苦情は1000数件に上り、その約8割は「両公用語による国民へのサービス」に対するものであることが確認されている。

    (1998年のデータ)

      苦情件数:1310件  

内訳------サービス:79.8%、仕事言語:9.3%、通知:5.5%

 苦情申し立て者の約8割がフランコフォン(フランス語系)であり、地域別に、首都のあるオンタリオ州、バイリンガル人口が多いケベック州、大西洋沿岸州の順に苦情発生件数が多い。

 苦情対象の多い機関は、年によって異なるが、航空会社のエア・カナダ社が毎年トップに入っている。

     (1998年のデータ)

       1.エア・カナダ社  2.人的資源省  3.カナダ郵政事業  4.刑務所サービス

 

3.公用語局による「両公用語による国民へのサービス」調査

(1)1994年調査実施の背景

 1994年に実施された当調査は、以下のように、カナダOB導入以来の大規模なものであった。

                            調査実施期間:1994年4〜8月

                                     検査者:公用語局常勤職員約100名

                                     データ処理:カナダ統計局

                                     調査対象:1200箇所のバイリンガル指定オフィス(郵便局、職安、税務署、税関、入国審査、国立公園、空港・・・等)

                                     調査方法:覆面調査、インタビュー

 当調査実施の背景には、1990年代に入り、苦情件数が予想以上に多かったことが第一にある。また、1980年代以降、憲法問題を巡る連邦政府とケベック州政府の対立から、ケベック分離主義が再燃していた時期でもあり、ケベック州外におけるバイリンガル指定オフィスでのフランス語使用の向上とフランス語系少数派の処遇改善が、連邦政府にとって、ケベック州の分離を問うレファレンダムを1995年に控えたケベック州内での分離主義への支持を低下させる一つの対策として重要となってきたのである。

(2)1994年調査と追跡調査の結果

 以下は、この調査でのチェック・ポイントである。

              ・両公用語によるサービスの”active offer”が得られるか?(バイリンガル挨拶、絵表示、サイン表示)

              ・文書が両言語で入手できるか?(通知、書式用紙など)

              ・バイリンガル職員の存在は十分か?(バイリンガル職員の配置)

              ・バイリンガル・パフォーマンスは”Very Good” “Satisfactory” “Poor”?(バイリンガル応対)

1994年調査の結果をグラフにすると、以下のようになる。

<グラフ4>

 この調査結果から、以下の傾向を観察することができる。

              ・全般的な傾向として、バイリンガル・サイン表示やバイリンガル文書の配布などの物的要素をもつサービスの方が、職員のバイリンガル能力など人的要素を持つサービスより供与率が高いということができる。

              ・州別にみれば、特に人的要素で供与率が高いのは、ケベック州、次いで、首都圏(NCR)、ニューブランズウィック州、オンタリオ州などフランコフォンが多い州であり、他方で、それが特に低いのは、フランコフォンの存在が薄い西部諸州である。

 この結果を受け、公用語局は、英語圏におけるOBの運営状況は好ましくない、と結論付け、バイリンガル・サービス供与率が低かったバイリンガル指定オフィスに対し、状況改善を勧告した。グラフ5は、その後、行われた追跡調査の結果である。

<グラフ5>

これを一瞥しただけでもバイリンガル・サービスの向上はあまりみられない、と結論づけることができる。物的要素には若干向上がみられるものの、人的要素はほとんど改善がみられず、対人のバイリンガル挨拶にいたっては、むしろ悪化している傾向すらみられる。

(3)連邦職員のOBに対する意識

 これらの調査の一環として、調査対象となったオフィスのうち、バイリンガル度の低かった英語圏のオフィスにおいてインタビュー調査を行い、職員のOBに対する意識を明らかにすることが試みられた。多くの職員が、対人でのバイリンガル挨拶は心理的に実行しにくいことを指摘した。その理由として、@フランコフォンがほとんどいない地域では不自然、A第2公用語(フランス語)の能力不足、B多数派(アングロフォン)の反応に対する恐れ、を挙げた。これは、グラフ4・5の結果を裏付ける意見だといえよう。

 

4.まとめ(言語調査法と今後の課題)

 言語政策は、極めて政治的な問題であり、カナダの公用二言語政策(OB)は、これまで政治学、歴史学、法学、統計学の中で語られることが多かった。筆者は、これまでのところ、カナダのOBが専門的に語られることがなかった社会言語学の分野において言語内の状況も含めた研究を試みている。しかし、社会言語学の枠内で研究する場合でも、一国の言語政策を包括的に研究するためには、やはり言語問題を取り巻く政治、歴史、法について整理する必要があり、これには文献的研究を避けて通れない。

 また、本報告で行ったように、一国の言語状況をマクロ的に分析することも必要である。これに使うデータは、当然ながら、一研究者が収集できる範囲のものではなく、既存の国勢調査や公的機関が出した膨大なデータを用いるのが有効である。そして、研究者は、これらのデータを独自に分析し、新しい発見を求めていくのである。

 今後は、連邦機関の仕事言語の実態調査、及び、連邦職員と一般国民のOBに対する意識調査を中心に、博論の中核となるべき部分の研究を進めていく予定である。これには、これまで行ってきた文献的研究ではなく、アンケート調査やインタビュー調査を実際に行うことによってデータを収集し、分析することが不可欠となる。当面の作業としては、川口ゼミで学んだ様々の調査法、殊に、Calvet et Dumont (1999)のなかのいくつかの論文で取り上げている言語調査法を研究して、実施予定のアンケート調査で使う質問票を作成していきたい。

 

<参考文献>

-Louis-Jean Calvet et Pierre Dumont, L’enquete sociolinguistique, (1999) L’Harmattan

-Office of the Commissioner of Official Languages, Service to the Public: A Study of Federal Offices Designated to Respond to the Public in Both English and French, (1995)

-Office of the Commissioner of Official Languages, Annual Report (1998)

-Office of the Commissioner of Official Languages, Follow-up on Special Study of Federal Offices Designated to Respond to the Public in Both English and French in Newfoundland (1997), Alberta (1997), Yukon (1998), Prince Edward Island (1998), Manitoba (1998), Saskatchewan (1998), New Brunswick (1998), Nova Scotia (1999), National Capital Region (1999), North West Territories (2000), Quebec outside NCR (2000, British Columbia (2000), Ontario outside NCR (2000)

-Canadian Heritage, Statistics Canada, Languages in Canada: 1996 Census (1999) Ministry of Public Works and Government Services