言語地図を用いた言語調査―フランス語と日本語における方言の標準語化について―

岡本 恵

 

現在の日本語を見てみると、方言の一部分が衰退し、共通語に置き換えられつつあることが分かる。それはフランス語についても同じようなことが言える。そこで、卒業論文では、言語資料体として『フランス言語地図』と『日本言語地図』を使用し、標準語がいかにして各地に浸透していったか、特に語彙に注目して、その伝播過程と標準語化をもたらした要因をフランス語、日本語において比較検討し、分析、および考察を行うことにした。先にあげた言語資料体のうち前者は、J.GilliéronE.Edmontによって調査、作成され、1902年から1910年にかけて発行された。後者は国立国語研究所が計画し、調査、作成したもので、1966年から1974年にかけて発行された。

両国における方言の地位の変遷には共通の特徴が見られ、どちらも早い時期から方言が侮蔑や蔑視の対象になり、その反動から方言を擁護しようという動きが出てくる。現在ではどちらの言語においても方言は擁護され、消滅の危機はある程度免れたともいえるが、いずれにせよ以前のように方言が盛んに使われ、標準語と同等の地位を得るようになることはないと思われる。

では具体的に標準語はどのように伝播していったのか。フランス語における標準語は今回選択した語においてはほとんどがパリを中心として放射線状に伝播していくという結果が出た。これに対して日本語の標準語の伝播過程は標準語形によって大きく2つに分けることができる。すべての語が必ずしもこの二つの分類に入るわけではないが、一つは東京を中心に放射線状に広がっていくもの、もう一つは大阪など関西を中心にやはり放射線状に伝播していくものである。各地方ごとに見れば言語伝播には川の上流から下流へ伝わるなどのさまざまな特徴があるが国全体という大きな見方をしたときフランスにおいては言語の伝播は首都(国の中心地)を中心に広がっていくという特徴が見られる。しかし日本においては標準語が国の中心地を中心として放射線状に広まったもの以外に国の中心地以外を中心にして広まったものがある。この違いはどこからくるのか。これは一つには日本が歴史の途中で国の中心地、即ち首都とでも言うべきところが移ったことがその原因として考えられる。たとえば、ナスは標準語形はnasuであり、関東を中心に広まっている。関西地方を中心とする、特に西日本にはnasubiという語形が広まっている。これはフランスにおいて見られる、国の中心地を中心にして広まった例である。逆に太陽という語は西日本を中心に広まっており、東日本では、日やお日様という言い方が主である。ここにおいてある仮説にたどり着いたため、それをあげておくことにする。先にあげたナスという語の語源を調べてみると、ナスは『本草和名』に「茄子 和名奈須比」とあり、古くは「ナスビ」という呼び名が主流であったことがうかがえる。さらに、ナスという語は毎日実を生すということを意味するナス(生)に霊または実の感覚を持つ接尾語ビがついたというのがもともとの語源であり、今現在標準語として使用されているナスという語形はナスビの下略の形であるということからもナスという語よりもナスビという語が主であったと考えられる。ここにおいてある一つの仮定が考えられる。関東地方を中心として広まっている語は、もともと標準語であったものではなく、もともと方言として使われていたものが標準語として使われるようになったのではないだろうか。ただし、東日本においてもナスビという言い方は残っているため、すべてこれが当てはまるかというと必ずしもそうとはいえないかもしれない。しかし、ここで選択した語の中で、標準語が関東を中心に広まっているものは先にあげたような仮説が当てはまらないという確証もないため、考察の余地が残っていると思われる。この論文において使用した語彙数は非常に少ないため、先の仮説を立証できないのが残念だが、何かの機会にはこの仮説を検証してみたい。