1.英 語

浦田和幸(東京外国語大学)

 

. 序英語における規範主義

 

事例1:エリザベス女王の英語―代名詞の格(case

 

 “The young can sometimes be wiser than us.”という言い方をめぐって

 

(『朝日新聞』「天声人語」(199968日)より)

「クイーンズ・イングリッシュ」といえば、毛並みの良さを証明する「純正な英語」のこと。ところが、当のエリザベス女王でさえ、クイーンズ・イングリッシュがおぼつかなくなっている、というアメリカ人の分析を英日曜紙「オブザーバー」が紹介した▼この専門家は、恒例の女王のクリスマスメッセージの一節「若者は、ときには私たちより賢いことがある」(The young can sometimes be wiser than us)を例に引き、<もったいぶった言い方を避けようと努めているのは理解するが、than us はやりすぎ>と主張する▼<といって than we もかなり堅苦しい。than we are が正解だ。女王のことば遣いは、よくいえばくだけている。しかし、要するに間違いだ>と手厳しい。英国クイーンズ・イングリッシュ協会の七十一歳の長老も「耳が痛いけれど、その通り。女王はとてつもない間違いをしてくれた」と同調した▼この協会、ブレア首相やBBC放送の英語にはとっくにさじを投げかけている筋金入りの守旧派だそうだ。しかし、一方で「ことばは変化する。アメリカの知識人ふぜいが、我々が一番よく知っていることを口に出すのは失礼千万」という学者もいる。ことばの問題提起は、洋の東西を問わずハチの巣をつついたような結果になる▼than は主格代名詞があとに来る接続詞なのか、それとも目的格代名詞がつく前置詞なのか。つまりは、そういう文法論争らしい。(後略)

 

. 「正しい」言葉遣いを求める声「不満申し立て」の伝統

 

事例2:The top ten complaints about grammar―大衆の文法観の表れ

 

 1986年にBBC放送のラジオ番組English Now に聴取者から寄せられた手紙を調査した結果、文法に関して以下の不満が多く見られた。

 

Cf. Crystal 1988, pp. 27-29; Crystal 1995, p. 194

1)「between you and I は誤り。主格のIを用いるべきではない」

   過剰矯正。Cf. It is me / I.

2)「分離不定詞(split infinitive) は避けるべきである」

   ×to boldly go

3)「副詞のonlyはそれが関係する語の隣に置くべきである」

   ×I only saw FRED.(フレッドだけを見た) → I saw only FRED.

4)「代名詞の none の後に複数動詞を用いるべきではない」

   ×None of the cows are in the field.

5)「different(ly) の後には to than ではなく、from を用いるべきである」

6)「前置詞を文末に置くべきではない」

   ×That was the clerk I gave the money to.

    →That was the clerk to whom I gave the money.

7)「will / shall の使い分け:単純未来では、I will / you shall / he shall ではなく、I shall / you will / he will とするべきである」

8)「副詞の hopefully は、文修飾副詞として用いるべきではない」

   ×Hopefully, John will win his race.(願わくは、うまくいけば)

9)「目的格の関係代名詞は who ではなく、whom にすべきである」

10)「二重否定(double negative)は避けるべきである」

   ×He hasn’t done nothing.

 

 以上の判断は英語母語話者の規範意識を示すものであるが、誤りとされているものの大半は実際はかなりの程度まで容認されていると考えてよいであろう。

 

. 規範の成立

 

18世紀には、英語を固定しようとする動きが出てくる。

 

英語アカデミー設立の提案

 1712 Jonathan Swift, “A Proposal for Correcting, Improving, and Ascertaining the English tongue”. [不成功に終わる]

 

本格的な国語辞書

 1755 Samuel Johnson, A Dictionary of the English Language. [収録語数約4万(標準的な語句を精選)。語義を従来よりも精確に定義し、語義用法を例証する引用文を一流作家から多数とり、出典を明示。慣用としておこなわれた綴字を提示し、その固定化に寄与する。(寺澤・川崎1993, p. 277)]

 

規範文法書(例)

 1762 Robert Lowth, A Short Introduction to English Grammar.

 1795 Lindley Murray, English Grammar.

 

. 規範と実状乖離の例

 

事例3:「分離不定詞」(split infinitive)

(Cf. 浦田 1999, pp. 9-10)

 分離不定詞(例えば ‘to madly love’) は現代英語において普通に用いられているにもかかわらず、未だに根強い抵抗感があるようで、本音と建て前の違いが感じられる。

 ラテン語では不定詞(例えば ‘amare’) を分離することがないゆえ、英語でも不定詞を分離すべきではないというのが非難の根拠である。そもそも英語ではto 付き不定詞の ‘to’ と動詞との分離であり、また、英語史的に見てもいわれのない非難であるにもかかわらず、賛否両論をめぐってこれほど激論がかわされた語法はない。

 しかし、実際の使用状況に関してはかなりの程度に市民権を得ていると言ってよかろう。規範意識が働き過ぎて無理に分離不定詞を避けようとするよりも、むしろ分離不定詞を用いた方が自然な文になることが多いのも事実である。Burchfield (1996, s.v. split infinitive) は次の3つの例k唐ーて判断を示している。

 

  (a) In not combining to forbid flatly hostilities

  (b) In not combining flatly to forbid hostilities

  (c) In not combining to flatly forbid hostilities

 

副詞の ‘flatly’ を動詞の ‘forbid’ の後に置いた (a) は不自然 (unnatural) ‘flatly’ ‘to’ の前に置いた (b) は曖昧 (ambiguous)、分離不定詞を用いた (c) は曖昧さのない (unambiguous) 表現である。

 結論として、Burchfield (1996) は分離不定詞を容認し、表現としての有効性も認め、人々の不安を取り除いているのであるが、同時に、可能ならば避けよ (Avoid splitting infinitives whenever possible) という実際的な助言を与えている点は見逃せない。過度に神経質になるに必要はないけれども、現実には分離不定詞に対する迷信が根強く残っていることは確かなので、無用な非難は避けた方がよいということであろう。

 

 

事例4:副詞 ‘hopefully’ の用法

(Cf. 浦田 1999, pp. 13-14)

 語修飾副詞としての (a) は全く問題ないが、文修飾副詞としての (b) が語法上問題になる。

 

hopefully’

 (a) in a hopeful manner: he rode on hopefully. 「希望をもって」 (OED 初出年 a1639

 (b) [sentence adverb] it is to be hoped that: hopefully it should be finished by next year. 「願わくば、できれば」 (OED初出年 1932

 

 NODE (s.v. hopefully) によると、‘hopefully’ は語修飾副詞としてよりも文副詞として用いられる方がはるかに多く、British National Corpus(1億語の現代英語コーパス)では文副詞としての用法が90%以上を占めていると報告している。

 

. 母語話者の規範意識ことばの権威を求める声

 

ことばの権威

 Webster :アメリカでは辞書の代名詞

 Fowler :イギリスの語法書の鑑

 

事例5:『ウェブスター第3版』(1961) に対する失望の声

(Cf. 浦田 2000, p. 45

 所詮、辞書は人間が人間のために生み出した、ある意味では俗っぽい産物なのだが、往々にして民衆は辞書に「神」としての役割を求める。あるいは、「神」とまではいわなくとも、少なくとも「司祭」としての役割を期待するのである。そして、その期待が裏切られたと感じたときに民衆は騒ぎだす。アメリカではウェブスターという名は辞書の代名詞にもなっているが、それだけに期待も大きいのであろう。『ウェブスター新国際英語辞典第三版』の出版(一九六一年)をめぐって、国を挙げての大論争が起きた。これは第二の「辞書戦争」と称されたが、先の辞書戦争とは異なり、今回は辞書編纂家と民衆との対立であった。『第三版』はアメリカの伝統だった規範的な辞書から脱皮して、イギリスの辞書のような記述的方向を目指したのであるが、ウェブスターを権威と見なしてきた民衆にはそれが「司祭」としての役割の放棄に思えたのであろう。グリーンはその辺の事情を「苦悶に満ちた非難の声は、ときに恋人に裏切られたものの悲痛な叫びのような響きを帯びていた」と表現している。良きにつけ悪しきにつけ、少なくとも当時のアメリカでは、辞書がいかに民衆の生活に影響力を持っていたかを示す例である。

 

事例6:『ファウラー第3版』(1996) の特徴と評判

Cf. 浦田 1999, p. 7

(1)    特徴―記述的、客観的

 Henry Watson Fowler (1858-1933) A Dictionary of Modern English Usage (1926) は、Sir Ernest Arthur Gowers (1880-1966) による小改訂 (1965) を経て、長らくイギリスの権威ある語法指南書として親しまれてきた。 Robert William Burchfield (1923-  ) による今回の版 The New Fowler's Modern English Usage (1996) は従来の「ファウラー色」を一掃した大改訂であり、初版当時からの語法の変遷や言語観の移り変わりに関わる記述が随所に見られる。 OED Supplement の編集主幹を務め、かつ中世英語研究者でもある Burchfield の経歴から予想されるように、豊富なデータと史的パースペクティブが今回の版の大きな特徴であり、語法の現状と歴史が客観的に描かれている。

(2) 評判―寛大すぎるという批判

 データ重視と史的パースペクティブの導入により、語法記述に客観性や説得力が増し、より信頼度の高い語法辞典になったことは疑いない。しかし、母語話者で、ことばの権威を求める一般教養人からは、今回の改訂は余り歓迎されていないようである。例えば Guardian 紙(1996112日付け)では、改訂者 Burchfield が語法に関して寛容すぎるとして非難している。語法書は黒白をつけるべきであるという意識の表れと言えよう。

 

. 結び外国人学習者の立場から見た英語の規範

 

外国人学習者用

 英英辞典 (例)Oxford Advanced Learner’s Dictionary of Current English (20006)

         Longman Dictionary of Contemporary English (19953)

 語法辞典 (例)Michael Swan, Practical English Usage (19952)

 文法書  (例)江川泰一郎『英文法解説』(19913)

 

参考文献

Crystal, David.  1988.  The English Language.  London: Penguin Books.

              . 1995. The Cambridge Encyclopedia of the English Language.  Cambridge: Cambridge University Press.

Fowler, Henry Watson.  1926, 19652, 19963  A Dictionary of Modern English Usage.  1st ed. (1926); 2nd ed., rev. by Ernest Gowers (1965); 3rd ed., rev. by Robert William Burchfield.  Oxford: Clarendon Press.

Milroy, James and Lesley Milroy.  1999.  Authority in Language: Investigating Standard English.  Third edition.  London: Routledge. [青木克憲(訳)『ことばの権力―規範主義と標準語についての研究』南雲堂.(初版の翻訳)]

浦田和幸. 1999. 「語法の変遷―The New Fowler’s Modern English Usage をめぐって」The Kyushu Review. 第4, pp. 7-23.

        .  2000.  「書評:ジョナサン・グリーン著 / 三川基好訳 『辞書の世界史』」『學鐙』第97巻第6, pp. 42-45.

寺澤芳雄・川崎潔. 1993. 『英語史総合年表』 研究社.