日時 : 2001年7月28日
場所 : 東京外国語大学(109教室)
共催 : 東京外国語大学語学研究所
無事、第4回研究会を終了することができました。報告者の皆さんお疲れさまでした。出席者の皆さん、お忙しい中ありがとうございました。
出席者は27名と小規模ではありましたが、日本語、フランス語、スペイン語、イタリア語、ドイツ語、中国語、ベトナム語、インドネシア語、アラビア語、タガログ語と多様な言語の専門家が集う研究会になりました。また自由討論でも活発な意見交換がなされ、全体として有意義な研究会であったと思います。
以下に、第4回研究会の概要をお知らせします。
内容 |
|
時間 |
開会の辞 |
富盛 伸夫 (外国語教育学会会長 東京外国語大学) |
14:00〜14:10 |
はじめに |
川口 裕司 (東京外国語大学教授 言語情報講座) |
14:10〜14:30 |
報告 |
|
|
アラビア語 |
ラトクリフ ロバート (東京外国語大学助教授 言語情報講座) |
14:30〜15:00 |
中国語 |
平井 和之 (東京外国語大学助教授 言語情報講座) |
15:00〜15:30 |
休憩 |
|
15:30〜15:40 |
インドネシア語 |
降幡 正志 (東京外国語大学講師 言語情報講座) |
15:40〜16:10 |
フィリピン英語 |
森口 恒一 (静岡大学人文学部教授) |
16:10〜16:40 |
休憩 |
|
16:40〜16:50 |
自由討論 |
言語規範をめぐって 言語規範と外国語教育 |
16:50〜17:50 |
閉会の辞 |
黒澤 直俊 (外国語教育学会理事 東京外国語大学助教授) |
17:50〜18:00 |
研究会概要
開会の辞 (富盛伸夫 言語学)
外国語教育学会の大会が去年本学で開催され、その研究紀要『外国語教育研究 第4号』がもうすぐ出版されようとしています。今年の2月には「カタカナ外国語(英語)と外国語(英語)教育」という興味深いテーマで第3回研究会が行なわれました。外国語教育学会の事務局はこの4月から本学に移転しました。本学が外国語を研究する大学ということもあり、本学会の研究会は本学付置の語学研究所と共催で行なうことにしました。
語学研究所について少し触れておきましょう。研究所が設立された1959年当時、本学には14の語学科がありました。研究所の趣意書には、外国語研究の推進、諸言語の比較研究を通じて言語研究に新生面を切り開くとあります。また諸外国語および外国語としての日本語の教授法の研究を行ない、語学研究所を我が国の理論面および実践面における外国語研究の中心にしたいともあります。今後も本学での研究会は、語学研究所との協力体制を維持していきたいと思います。
さて本日のテーマ、「言語規範と外国語教育」についてですが、日常の言語使用における重要性に反して、言語研究では規範の研究はひたすら隅に追いやられてきたという感があります。ソシュールの『一般言語学講義』でも、言語学を自律した学問にするために、規範文法が周辺化されています。機能主義者マルティネも『一般言語学要理』の中で、言語学の自律のためには、prescriptive(規範的な)研究とは一線を画すべきだということが述べられ、チョムスキーも規範を研究の対象とはしていません。これらは学校文法・規範文法への一つの反発とも考えられますが、言語学は言語を社会内的な存在と認めつつも、これまで自己矛盾的に言語規範を自らの外にえぐり出してきたと言えるでしょう。
しかしながら、思うに、言語学が言語教育と適切な関係を築いてこなかったことを、言語研究者はそろそろ反省すべき時なのではないでしょうか。また言語教育の側でも規範に対するスタンスは曖昧なままでした。最近ではアメリカを中心に学習段階に応じた教育方法の開発という意識が生まれ、Target(目標)言語の学習を確定するためには話者集団の規範意識の研究が重要であることが気づかれるようになりました。
これらの問題は外国語教育の専門家や教材開発者にとっては重要な問題でありましょう。本日は世界各地域の様々な言語状況を縦糸として、それを紡ぐような形で言語教育の理論と実践について考えていければと考えております。啓発される内容でありますから、第三部の自由討論のところでも皆様のご参加をお願いいたします。
|
はじめに |
|
|
1 |
言語規範とはなにか? |
川口 裕司(フランス語学) 1.
制度として言語規範 2.
言語内的規範 |
|
|
報告 |
さまざまな言語における規範について |
|
四つの言語について、規範が形成された歴史的背景、言語政策(言語法、国語審議会、国定教科書など)、規範文法の特徴と規範を逸脱する形態、規範の現状などについて報告がありました。 |
|||
2 |
アラビア語 |
ラトクリフ ロバート(アラビア語学) 1.
アラビア語圏の言語状況 2.
アラブ方言の相異点
(一部画像ファイルがあります) |
|
3 |
中国語 |
平井 和之(中国語学) 1.
規範形成への歴史 2.
規範化への道 3.
中華人民共和国成立以降の言語規範化政策 4.日本の中国語教育との関連 (簡体字・繁体字フォントが使用されています) |
|
4 |
インドネシア語 |
降幡 正志(インドネシア語学) 1.
インドネシア語の概要 2.
インドネシア語の言語状況 3.
「標準」インドネシア語 4.
規範文法をめぐって |
|
5 |
フィリピン英語 |
森口 恒一(言語学) 1.
フィリピン史の中の言語教育と英語 2.
教育システム 3.
フィリピンの言語 4.
マニラ地区の言語状況 5.
Taglish |
|
6.自由討論
司会:まず最初に、先ほどの報告を受けて、それについて何かご質問や疑問点などありましたら、ご発言を願いたいと思います。まず富盛先生から口火を切っていただけると助かるのですが・・・
富盛:では最初に質問させていただきたいと思います。先ほど報告のあったそれぞれの言語の文法を解説した英語あるいは他の言語で書かれた教科書はどのようになっているのか教えてください。
森口:まずフィリピンでは英語は外国語ではありません。英語の教科書は英語のみで書かれているのに対して、フィリピノ語の教科書はフィリピノ語と英語のバイリンガルです。これはもちろんタガログ語(フィリピノ語)が分からない人がいるからです。面白いことに、新聞は原稿は英語で書かれ、それをタガログ語に翻訳して出版されています。
降幡:インドネシアにおける英語は、日本における英語に近いと思います。ごく最近の状況は分かりませんが、日本以上に書き言葉を意識した教科書と言えるでしょう。
平井:中国の英語教育については知りませんが、たとえば多くの学習者がいる日本語について言いますと、使用されている教科書『標準日本語』は、日本で編集された本ですが、日本人の中国語研究者が監修にあたり、中国人を意識して書かれています。
ラトクリフ:モロッコでのフランス語の機能は、フィリピンの英語によく似ていると言えるでしょう。ただ最近では多くの国々でアラビア語政策によって、植民地時代の言語である英語やフランス語の役割は変質してきています。またアラブ世界でもフランス語離れが起きつつあり、英語学校の建設も見られます。
司会:他の地域についてはいかがでしょうか?参加者の中にベトナム語と台湾語の専門家がおられますが・・・
田原:ベトナムでは中学と高校で英語を学びますが、それは読み書きや暗記が中心です。しかしだからと言って、ベトナム人向けの英語教材があるというのは聞いたことがありません。
林(Lin):以前は台湾でも英語は読み書きが中心でした。しかし台湾の場合、アメリカ留学者がたいへん多いということがあります。それが80年代の不況によって大量の台湾人技術者が台湾に戻り、おかげで台湾のハイテク産業が成功をおさめたということもありました。最近では、英語は小学校から始まります。また大学生は英語を話せるようにもなりました。
司会:森口先生、国民の多くが英語を母語のように理解し、一見するとうまくいっているように見えるフィリピンの英語教育についてどう思われますか?
森口:フィリピンでは今、学生は英語が書けなくなった言われます。昔のように格調高い英語が書けなくなった。政府も書ける英語教育の必要性を感じています。英語が外国語ではないという背景には、フィリピンが多言語社会であるため、どこでも通じるのは英語しかないという事情もあります。しかしながら最近ではタガログ語による共通語化が進みつつあり、ことによると十年後には「英語は話せないし書けない」なんてことになっているかもしれません。(笑い)
司会:ラトクリフ先生、母語話者として、日本の英語教育をどう思われますか?
ラトクリフ:日本の教育は素晴らしいと思います。たとえばアラブ世界では、学問や科学のことを話す場合はアラビア語を用いません。しかし日本語ではそれが行われていますね。ただし日本語と英語教育のバランスをどう取っていくのか、それは難しいことですね。
司会:今度は少し言語学的な質問をしたいと思います。冒頭の富盛先生のお話の中にも触れられていましたが、これまで言語学は確かにprescriptive(規範的)を排し、descriptive(記述的)な研究を採用してきたと思われますが、皆さんがご専門とする言語の研究においてもやはり同じような傾向があったのでしょうか?
降幡:インドネシアでも人口が多いジャワ語やスンダ語では規範の研究というのは進んでいますが、文法について言えば、やはり西洋文法の押しつけの域を出ていません。一方、インドネシア語はもともとマレーとスマトラの言語であり、いわばベースを持たない理念的な言語であり、その意味では規範が問題になりそうなのですが、現在も変化しつつあり、規範自体がどれほどdescriptiveなものと並行しているのかは疑問です。
平井:報告の中で中国では規範研究が盛んであると述べましたが、それはむしろ政策なのです。中国語の場合、規範というのは対象がはっきりしません。descriptiveな研究とは方言研究であり、これは盛んです。たとえば日本語では標準語といったものは、たぶん東京を中心とした、ある標準的な言語が考えられますね。ところが中国語ではいったいどこに標準中国語があるのかということになるのです。たとえば中国の研究者、朱徳煕は中国語という研究対象に「いったい明確な範囲があるのか、ないではないか」と言っています。魯迅、毛沢東、老舎等の言語が模範的であると言っても、これらの作家はあまりに多種多様であって共通性がない。つまり、標準中国語の研究というのは無理であり、結局は北京語の研究というようになってしまう。
富盛:川口先生、フランス語について今のと同じ問題について説明するとどうなりますか。
司会:フランス全体の状況については説明が困難ですが、フランス語の場合、おそらく日本語よりも標準語が明確なのではないでしょうか。たとえばフランス人に規範的な語法や文法についての質問をすると、5人に3人くらいが同じような答えをします。ところが彼らのフランス語をdescriptiveに観察すると様々な変異(variation)が見られるのです。つまりdescriptiveなものとprescriptiveなものをうまく使い分けている。実際には多くの変異が存在するのに、イデオロギーの中では変異は存在しないということです。フランスに実際に行ってみると驚くほどの多様性に出くわすのです。また特に80年代以降、政治的な動きとからんで、地域語の復権が行なわれ、バイリンガル幼稚園まで現れています。
司会:ラトクリフ先生にお尋ねしますが、アラビア語のように各地域によってお互いに文法や語彙が異なっているような場合、たとえばレバノンのアラビア語話者はモロッコのアラビア語をどのように捉えているのでしょうか?
ラトクリフ:モロッコのアラビア語は分かりにくいと一般に言われます。ベルベル語の語彙も入っています。ただ、レバノン人とモロッコ人が会ったらおそらくフランス語で話すでしょうけど・・・(笑い)
森口:中国語がご専門の平井先生にお尋ねします。本当のことかどうか確信がないのですが、以前、台湾の北京語の表現で間違いとされていたものが一転してテレビで使われるようになった表現があったと聞いているのですが、たとえば台湾の北京語と大陸の北京語を対照したような研究というのはあるのでしょうか?
平井:森口先生のご質問自体に対するお答えにはなりませんが、たとえば中国でもわざと規範を逸脱した、台湾風の、あるいは香港風の発音が流行的に用いられることがあります。台湾の北京語と大陸の北京語の対照研究としては、語彙的研究はありますが、文法研究はあるかどうか分かりません。
司会:あっと言う間に予定の時間が近づいてきました。あともう一つだけ質問を受けますが、どなたかいらっしゃいますか?
吉田:規範に対するイメージについてお尋ねします。パキスタンにいた頃の経験なのですが、パキスタン英語は独特の発音特徴を持っていますが、パキスタン人はそれを意識的に変えようとしないばかりか、むしろそれでいいと思っているようなことがあり驚いたのですが。他の地域でもそのようなことはあるのでしょうか?
森口:フィリピン人もフィリピン英語の特徴を矯正しようは考えていませんね。
ラトクリフ:モロッコ人はそもそもフランス語を話すのがうまいですね。(笑い)
司会:今日は様々な言語の規範と教育についてお話を聞くことができて、大変有益であったと思います。皆さんどうもありがとうございました。自由討論はこの辺でお開きにしたいと思います。
閉会の辞 (黒澤直俊 ポルトガル語学)
最後に本日の研究会のまとめを行いたいと思います。規範という考え方は、言語学の研究対象を確定するという作業の中で現れた考え方と言えるでしょう。富盛先生のお話や川口先生の報告の中でコセリウの規範について触れられていました。規範という考え方はもちろんそれ以前にもありました。たとえば言語学がその固有の研究対象を議論していた1920年代、デンマークの言語学者イェルムスレウは『一般文法の原理』という書の中で、全ての言語には一定の求心力としての規範が存在することを認めています。またフランスの言語学者メイエは、言語研究のために言語共同体を設定し、その均質性を仮定するわけですが、その中から規範という考え方が出てきています。コセリウの場合は、ラングとパロールの定義が人によって異なることを考察する中で、この言語研究における抽象と具体という両極性の中間を補完するものとしてノルマ(慣用=規範)を考えたわけです。
本日の四つの報告について見てみますと、中国語やアラビア語の規範はその文化圏と関わる問題であり、一方、インドネシアやフィリピンの場合は、比較的近年における国家のアイデンティティーの追求の中から言語が立ち現れ、規範が議論されるわけです。このような言語の事例をさらに増やして横断的に眺めていくことは興味深いことと思われます。今回の研究会を終えて、言語学は単に理論的な研究だけでなく、広く事例研究を行うことも重要であるという感想をもった次第です。本日は出席者の皆さん、報告者の皆さん、ありがとうございました。これをもって第四回研究会の閉会の辞とさせていただきます。また最後になりましたが、次回の第五回研究会は、11月の外語祭期間中を予定しております。たくさんの方のご参加をお待ちしています。
(収録テープ編集および文責 川口裕司)
第4回研究会の収録テープ(VHS 120分テープ2本)は、東京外国語大学視聴覚センターライブラリーに収蔵予定です。また研究会当日に配布されました冊子体のハンドアウトは残部があります。会員の方でご希望の方は、川口にメールにてご連絡ください。ykawa@tufs.ac.jp まで