外国語教育学会 第9回大会
シンポジウム 検定試験と外国語教育

2005年11月6日 於 東京外国語大学

本ページの内容を引用される場合は 『外国語教育研究9』外国語教育学会編、 2005年、pp.100-136 という出典を明らかにしてください。© 2006 外国語教育学会 (JAFLE)。

司会:皆さん、今日は。本日のシンポジウムの司会を務めさせていただきます、東京外国語大学の川口です。どうぞよろしくお願いいたします。
さて、日本では、実用英語技能検定をはじめ,ドイツ語、フランス語、スペイン語、中国語、朝鮮語、日本語など、様々な言語の検定試験が実施されています。いくつかの言語ではすでに長い検定試験の歴史があり、膨大な受験者データの蓄積があり、その信頼性も時とともに高くなり、最近ではこうした技能検定試験を大学における入学試験の外国語や入学後の外国語科目の単位として認定するところもでてきているように聞きます。今後、検定試験と高等機関等における外国語教育は、ますます緊密な関係をもつようになるかもしれません。
ところで現状では、これらの検定試験は日本の高等教育における外国語教育とどのように関連し位置づけられる可能性があるのでしょうか、あるいは位置づけられることが望ましいのでしょうか。大学教育におけるアカウンタビリティが声高に叫ばれるにつれて、英語以外の外国語教育における言語能力のレベル評価はかなり現実味を帯びた議論になりつつあると言えるでしょう。本学会も外国語教育を考える学会である以上、そうした趨勢に無関心ではいられません。そこで本年度は「検定試験と外国語教育」と題して、実際に検定試験に関わられていた先生方をシンポジウムにお招きし、それぞれの言語の検定試験について現状と今後の方向性等を報告をしてもらいます。
まず最初に、本学会名誉会長の伊藤嘉一先生に基調講演をお願いし、英語検定の現状を認識するとともに、外国語検定について幾つかのご提案をいただきます。次に基調講演をうけて、富盛伸夫先生からフランス語検定、荒川洋平先生から日本語検定、野間秀樹先生からハングル検定について、それぞれ現状報告をしていただきます。そして最後に、検定試験と日本の外国語教育について自由に討論する時間をもちたいと思います。
では早速、本日のシンポジウムを始めたいと考えます。伊藤先生よろしくお願いいたします。

(司会 川口 裕司 東京外国語大学)


基調講演

英語検定の現状と外国語検定への新たな提案

伊藤 嘉一

英語の主要な検定は3つあります。1つはTOEFL、Test of English as a Foreign Languageの略です。アメリカにある機関で、世界180カ国、だいたい90万人くらいの人が毎年受験しています。日本人受験者は12万人ほどで、多いほうです。最低点は200点、最高点は677点となっています。ただし、三分の二は文法と読解のテストです。これはおもにアメリカの大学留学用に使われていて、留学希望者には人気が高いというか、必須テストです。もう1つはTOEICで一般的なテストで、Test of English for International Communicationの略です。これは、日本人が毎年25~40万人受けています。テストの内容は、100問がリスニング、100問がリーディングの計200問です。最高点は990点です。点数に基準があって、だいたい860~990点がnon nativeとして十分コミュニケーションが出来る基準、それ以降もずっと基準があります。このテストはどちらかと言うと就職のために受ける人が多いようです。ですから、短期大学の学生等も受験します。おもに日本での企業への就職、それから外国の企業への就職、海外生活、とりわけホームステイといった目的で受けている学生、日本人が多いようです。もう1つ日本での一般的なテストに英検があります。これは日本英語検定、日本だけのもので、英語コミュニケーションの自己能力を知るために受けるものです。分野別に分かれていて、ビジネス英検、ニュース英検、児童英検というものがあり、この児童英検が最近非常に人気が出てきました。これは、昨年の段階で92.1%の小学校に英語が導入されており、その影響で幼稚園でも英語をやるようになり、親が自分の子供の英語能力がどのくらいであるのかを知るために受けさせるケースが多くなってきたためです。
私は外国語検定には1つ不足していると思うことがあります。英語教員検定が日本には皆無です。これをぜひどなたか作っていただきたいのです。できれば、こういった多くの言語の専門家が集まる学会で各言語について作られるとよいと思います。そうすると、検定から収入が得られ、学会も豊かになります。実際、行っている学会もあります。日本の場合は、採用試験でその英語教員の採用、不採用が決まるわけですが、都道府県で非常に地域差が多いのです。試験の内容もまちまちです。的確で確固たるものが存在していないのです。そういう意味で、学会が中心になって、各言語の教員になるための検定試験を開発したらよいと思うのです。
検定と外国語というものを考えるとき、3つの視点があります。1つは外国語分野別です。これから、富盛先生からフランス語の話、野間先生からハングル語の話、荒川先生から日本語についての検定の話があると思うのですが、そういういろいろな言語に関する検定が日本でどの程度なされているのか、私はまだはっきり掴んでいません。もう1つは目的別という観点があると思います。例えば、海外生活をするための検定、いわゆるサバイバル・ランゲージです。それから、難しいですが、ビジネスのための外国語検定、また、通訳、翻訳のための検定といったものです。元来、外国語というのは4技能全部含めてコミュニケーションが成り立っていると思います。ただし、今の例のようなことを考えると、例えば、翻訳家は翻訳するだけで良い、通訳は通訳するだけで良いかもしれません。ですから、スキル別で考える必要もあると思います。それから、レベル別の考え方が必要になってきます。まず、小学校で英語が必修化されれば小学生用の英語検定、中学生用の英語検定というようになります。そして英語、あるいは外国語に関して、どこまで検定に合格したら中学・高校・大学卒業の資格といえるのかが問題です。それから、一般の人のための検定、これは先ほどの目的別に関係します。目的別というとき、英語に関してはESPという考え方があります。English for Specific Purpose、特定目的のための英語ということです。例えば、医者になるための英語、先生になるための英語、看護士になるための英語といった分野別の英語です。これと同様に、もしなければ、LSPという言葉を提案したいと思います。それは、Language for Specific Purpose、特定目的のための外国語です。例えば、中国で漢方医の研修を受けたいとき、当然漢方や生薬の知識が必要です。先日、桜美林大学の言語研究所の所長がESPの派遣のためにNGOを作りたいと言っていました。会社が必要としている専門家を派遣するのです。医者がこういう英語の専門家が欲しいと言うと派遣するのです。このESPやLSPという考え方がこれからは必要になってくると考えています。
今度は検定の基準に関してですが、各検定で基準は作ってあります。どういう問題が適切であるか、例えば、リスニング、リーディング、グラマーといった言語のコミュニケーションに関するものについてです。そして、何点取れればどの程度の基準に達しているのか、という設定はなされています。しかし、それがまだ完璧ではないと時々感じます。まず、現在、中学校、高校で行われている外国語教育の基本は実践的コミュニケーションなのですが、実際に役立たなければいけません。ですから、目的もやり方もそういう方向でなければいけないと言う発想なのです。検定も同じだと思うのです。単語をいくら教えても、文法をいくら教えても使えなければ何もならないと思うのです。そうでないと検定に合格したと言う自己満足に過ぎないのです。しかし、今ではそれは許されません。この間、新たに入閣した女性議員たちが3人ともみな英語で話していましたが、それを見て日本人がますます外国に興味を持って、自分たちも話したいと感じると思うのです。これからは検定というのは1つの資格として非常に人気が出てくると思います。今は、資格がはやっています。資格獲得時代なのです。1人で10以上の資格を持っている人をテレビで紹介していました。とくに、語学検定の人気が出ると思います。ただし、役立たなければ意味がないです。それから、検定の場合、妥当性の問題があります。ある得点を取ったら、その基準に示されたことが実際に達成できなければいけません。例えば、先ほど述べましたが、外国に行ってnon nativeとして十分コミュニケーションが出来るという時、それが実際に可能でなければいけないのです。ぜんぜん通じなかった、ではだめなのです。実は私は釣りが大好きなので、外国に行っても釣りをします。昔、アメリカで戸惑ったのは、「釣れたか」、と聞きたいのに、適切な英語がわかりませんでした。教わったことも辞書にも載っていなかったのです。ですから、そういうコミュニケーションごとの検定が欲しいと思うのです。各コミュニケーションに必要な検定です。いずれにしても役立たなければ意味がありません。一般英語の検定ではさほど意味がないということです。もちろん信頼性という問題もあります。いつ、どこの国で、誰が検定を施しても信頼できる数値が得られることです。
私が一番強調したいことは、その検定の目的、目標に成績が合致していることです。あらかじめ設定した目的や目標、そこでの基準、それを達成したら、必ずそれが出来るということです。ただ、現在のTOEFL、TOEIC、英検といった検定は、おそらく統計的な結果での基準を設定しているのではないかと思うのです。例えば、統計的にこの点を取った人は外国へ行った時に困らないとか、外国の会社に入って困らないとか、ホームステイができるとか、そういう統計論的なデータではないかと感じています。できれば理論的に前もって割り出して、何回かの試行を行って軌道修正するそういう検定が望ましいと思います。検定というのはいつも受けられるものではなく、検定日が決まっています。また、人によっては遠くまで受けに行かなければいけないという難点があります。もう1点は費用がかかるという難点です。したがってe-learningの形で検定が出来ればよいと考えています。判定もパソコン上で自己判断できるようなものが将来できることを期待しています。

(星槎大学教授、外国語教育学会名誉会長)

フランス語能力検定試験と言語能力評価基準

富盛 伸夫

1. はじめに

冒頭で伊藤嘉一先生から、言語能力検定のさまざまな様相について総括的な整理をしていただいた。筆者が現在主たる関心を持っているのはフランス語の能力検定試験という枠内であるが、フランス語教育の現場からの視点で伊藤先生の洞察に富んだご指摘を受けとめた。このシンポジウムでは川口裕司先生が発題したように、大学教育のカリキュラムにどのように取り込み、かつ活用するかというひとつの問題意識が通底しているといえる。これはある意味では緊急の問題で、大学教育そのものがリソース的に制限され、他方で社会のニーズに応えてゆく時代に入り、いわゆる「コアカリキュラム」をどのように概念化するか、そしてその中で言語教育という使命をどのように定義し、どれだけの費用と人材・人力を使えばどれほどの効果を社会に還元してゆけるのか、この予測にもとづいたプログラミングをせねばならなくなっている。この状況にあって、多くの言語の多様な言語能力検定をいかに活用しうるかを模索するべきであろう。もしそれができれば、大学・高校などにとってあらゆる意味で非常に大きな助けとなり、学習者にとってもかなり強い動機付けになるであろう。
この外国語教育学会のような多面的に言語教育の理念と現場をつなげうる場で研究の成果にふれると、言語能力検定という切り口からも言語教育研究の現在に再考を迫られる。つまり、一方では上述の学校教育制度との関係を最大限に機能的に進めること。そして、他方では本大会でも取り上げられたひとつの能力評価基準(つまり「ヨーロッパ共通参照枠組み(Common European Framework of Reference for Languages)」、以下、CEFRと略す。)との正面からの対応、あるいは他の言語類型や文化様式をもつ言語文化圏への適合性の検証、というような仕事をせねばならないのである。

2. 3つのフランス語能力試験

まず以下に、現在日本で実施されている3種類のフランス語能力試験の概要を整理しておこう。
日本で最も普及しているフランス語能力試験は、1981年以来財団法人フランス語教育振興協会が実施している「実用フランス語技能検定試験」(Diplome d'Aptitude Pratique au Francais)で、1986年から文部省(当時)の認定を受けた唯一の「検定」試験といってよい。略称を英語検定(英検)にならって、「仏検」ということもある。(http://apefdapf.org/を参照)
第2番目にあげられるフランス語能力試験としては、1985年より実施されているフランス文部省認定のフランス語資格試験があり、略称で DELF / DALF と読んでいる。DELFとはLe Diplome d'etudes en langue francaise、DALFはLe Diplome approfondi de langue francaiseの略称で、フランスの中央機構全国委員会(Commission Nationale)の管理のもと世界150余ケ国で実施されている。なお、DELF/DALFは2005年秋の試験からCEFRの能力評価基準に対応させた6段階評価へと全面的な改変を行い、DELF (A1,A2,B1,B2)・DALF (C1,C2)という6つのディプロム(証書)が発行され、各々のディプロムは、聞き取り・読解・文書作成・口頭表現の4つの能力が評価される。DALFのC1レベルを取得するとフランスの高等教育機関(大学など)へ留学する際の語学能力資格試験という側面をもち、入学時に義務づけられているフランス語能力評価試験が免除される。この点ではDELF/DALFは英語圏に留学するときの語学能力証明として機能しているTOEFLの役割に近いといえる。(http://ifjkansai.or.jp/delfdalf/delfdalf.htmlを参照)
第3番目のフランス語能力試験は、TCFと略称されるTest de Connaissance du Francais(直訳すると「フランス語の知識テスト」)で、DELF/DALFと同様、世界共通のフランス文部省認定フランス語能力テストである。(http://www.ciep.fr/tcf/を参照)これら3つのフランス語能力試験の実施要項など詳細については上記のURLを参照されたいが、ここでは評価基準を主に対比してゆこう。
これらのうち、後者の2つはフランス政府直轄の試験(DELF/DALFは関西日仏学院、TCFは東京日仏学院が事務的な拠点となっている。)ということもあり、CEFRへの準拠など共通している側面が多いが、これら2つの能力試験は外から見れば差異は縮まりつつあるともみえる。他方、いわゆる「仏検」は、CEFRへの対応を急ぐより、日本人の学習進度に沿った能力評価段階を採用していることなど、TOEFLやTOEICと英検の違いとある意味で平行しているともいえる。
仏検は現場のフランス語教育関係者が枠組みを作り上げた経緯もあり、日本のフランス語教育の実態に即した能力基準、具体的には、語彙を例にとると、5級では基本単語500語、4級では約1200語程度となっており、英検を参考にしたことが伺える。主催機関から公表されている仏検のデータから見た、それぞれのレベルのフランス語能力基準は、EUのCEFRと比較すると若干簡略的にできており、かつ実施の言語能力判断項目がどのように対応されているかまでは公表されていないため、レベルの差と能力判断項目との対応関係の詳細は不明である。しかしおおよそ、大学あるいは高等学校のフランス語学習の進行段階に沿った作り方をしていることは明らかであろう。3級に要求される語彙数は約2000語となっており、これは学習段階では大学ないし高等学校のフランス語授業で200時間以上の学生が受験すると、合格基準点をクリアする程度の得点がとれることを想定して問題が作成されている。しかしながら、文法項目や連語・成句表現の習得段階と仏検のレベルとの明確な対応関係は公表されておらず、また研究例も乏しく、今後は過去の問題データから一定の傾向を把握する努力が必要である。

3. 言語能力基準の問題点

言語能力基準の判定と、その達成に必要とされる学習時間の目安との相関については日本とフランスで大きな相違があることは注目に値しよう。実用フランス語技能検定試験(仏検)の試験内容と評価基準を一覧にして提示した参考資料1によれば、「基本的なフランス語を理解し、簡単なフランス語を聞き、話し、読み、書くことができる」能力を目標とする3級レベルの受験者は、大学などで200時間の学習時間を前提としている。これは、大学の非専攻科目(いわゆる一般言語科目)としてのフランス語科目の2学年分に相当する、としている。他方、フランスの関連サイトや公的資料によると、DELF/DALFの能力試験で、学習時間の目安約200-250時間を前提としているのはB2というレベルで、その能力判断項目としては「フランス語を全般にわたって自主的に運用できる。複雑なテキストの要点を理解すると同時に、一般的あるいは専門的な内容の会話に参加し、筋道の通った意見を明確かつ詳細に述べることができる」能力を評定することであるとしている。(参考資料2を参照)これは、同程度の学習時間の時間数で到達できるとするフランス語能力の測定に日仏での格差があるのか、あるいは同程度の学習時間で到達できる能力は日本人が極めて劣っているのか、そのどちらかである。EU諸国の学習者の言語習得進度を前提にした学習時間の算定と能力評価に日本でのそれと大きな違いがあるとすれば、日本でのフランス語教育方法に大きな欠陥があるというのであろうか。筆者の聞き取りでは、DELF/DALF試験を受けた経験のある者のすべてが、大学などでの200時間の学習量だけではB2の能力試験で合格基準点をとることはほとんど不可能である、との反応を示している。確かに、試験内容を調べると、日本の学校教育制度の中での200時間程度では、B2レベルに到達できることは非常に難しいようである。たとえばB1を受験する学生は、試験官と与えられたテーマをめぐって議論しなければならないし、B2では(特にフランスの)社会問題について相当な知識を前提に、つまりフランスの新聞・雑誌を常に読み自分の見解をフランス語で述べる実力を要求されている。実際にフランスあるいはヨーロッパに留学など、在住経験の有無が大きく左右してくることは当然である。
他方、仏検のレベルでこれほどの総合的能力を要求しているのは、準1級と、1級のみである。仏検3級受験者(学習時間200時間程度)に求められている言語能力は、上述のように「簡単なフランス語」を聞き、話し、読み、書くことができる能力であり、これまでの試験内容をみると「書き取り(ディクテ)」もないし、「作文」やフランス人との面接もない。ちなみに、従来この3級と面接(5分間の日常会話程度)がある2級との間にはかなりのレベル差があったために、2006年春から準2級が新設され能力判定を7段階とした。準2級について財団法人フランス教育振興協会では、「日常生活における平易なフランス語を読み、書き、話すことができる。学習300時間以上。」という目安を公表している。
問題は、日本におけるフランス語教育の伝統的な進度基準を骨格にして形成された仏検の7段階がいったいフランス語実用能力の何に対応しているのかということである。確かに一般的な教育現場での学習進度に対応しているとはいえ、多様なコミュニケーションの状況の中で一定のタスクを与え問題解決的な言語遂行能力を測定するEUの共通参照枠組との相互連関を具体的にどのように明確に指し示すことができるのか。たとえば、仏検の3級は200時間の学習時間を想定して、どのようなコミュニケーション状況でどの程度の言語的問題解決能力を保証しているのか、を説明する必要があるであろう。この点が今後、国内における当面唯一のフランス語検定として変革してゆく余地を見いだせるといえよう。

4.大学教育との連携の可能性

「実用フランス語技能検定」という英検に倣った名称が文部省(当時)の認定を受ける条件であったにせよ、かつては大学の教員の間には、電話での応対や実用文・時事的記事の読解などは大学で教授する内容には不適当であるといった類いの拒否反応があった。言語教育の目標の幅が近年大きく変化してきて、そのような消極的反応は目立たなくなってきたが、他方で、有限な授業時間の中でフランス語とフランス文化・社会のどの部分、またどの程度を教授するべきなのかを、明快な語彙で説明するに至っていない。社会のニーズなどにも答えねばならない現代にあって、高等教育機関におけるフランス語教育の目標が左右に揺れるなかで単位数と時間数の削減の趨勢に抗しきれないという深刻な事態を生んでいる。新たなフランス語教育プログラムを個々の大学等で設計するときに、合わせて言語能力達成の判定基準の拠り所を、仏検の枠組みか、あるいはDELF/DALFやTCFのようなEUの共通参照枠組への準拠か、を論議せねばならない。フランス語教育のにみとどまらぬ、高等教育機関における言語教育全般にかかわる問題であろう。
現在、高等教育機関で仏検を何らかの形で教育プログラムや単位認定制度に導入した実績を持つのは関西以西の大学が多く、島根大学では1級合格者に16単位を与えている。通常のフランス語科目の履修を免除して単位を認定するケースは稀で、外国語科目の言語能力判定に活用している大学は増えつつある。カリキュラムの再編が進み有限なリソースの中で、フランス語をはじめ言語能力検定試験の柔軟な活用を工夫すべきであろう。

5. 生涯教育としての言語能力試験

財団法人フランス語教育振興協会の資料(http://apefdapf.org/)によると、仏検全級合計の受験者のピークは2004年にあり、2005年は少し減少している。その原因は検討中とのことであるが、日本の外国語市場はオリンピックやサッカーをはじめ文化現象の影響を強く受けるために、東アジア諸語学習熱の高まりと相補的に一時的な漸減であるかもしれない。
年間3万人という受検者数はDELF/DALFやTCFの受験者数と比較して少ないとは言えないが、受験者のプロフィール内訳を見れば、仏検独特の顕著な傾向があるようである。特に上級のレベルである、1級、準1級、2級合格者では前提とされる学習時間が多いこともあり、仕事を持つ社会人、主婦層などが学生の合格者より多く、非・学生のいわば生涯学習としてのフランス語習得熱が高いのである。高校から大学へと数年間の学生生活におけるフランス語学習が上級へとスムースに進んでいるとは限らず、大学3年生の秋季受験をピークとして就職活動を控えた大きなインセンティブを付与されている。卒業前後に一度中断した後、社会人になって学習を再開する人も多い。外国語能力検定というのは、伊藤先生が指摘されたように、自己確認、ある意味での能力開発、あるいは自己啓発・ブラッシュアップという重要な側面があることを改めて認識したい。

6. 欧州共通参照枠組適用の可能性と問題点

CEFRは、多言語・多文化そして多民族の共同体を統合する上で、基本的かつ不可避的な言語的コミュニケーションの円滑な実現のために考案され実施されているもので、これまで世界の中で他の言語文化圏では実現されなかった壮大な歴史的実験である。ただし、25ヶ国にまで増えた拡大EUはその多様性を一層強め、あるいは各国内で現場の教師がどこまで充分に咀嚼して教材や教授法を対応しつつあるかは、これからも注視せねばならない。
さらには、本大会の研究発表でも指摘されたように、日本でのCEFR適用には一定のフィルターを施すことの必要性は、今後の研究動向として重要である。問題解決のタスクを設定する場面で、郵便の出し方やタクシー料金支払いの際のやりとりなどは、実際、日本の社会行動とヨーロッパのものとはかなり違う以上、充分な配慮をせねばならないし、葉書を書かせるタスクはCEFRでは能力的に低いレベルにおかれているが、日本人にとっては葉書には相応の形式や対人関係的な要素が強く関与するために、容易な言語行為ではない。
もちろんCEFRに準拠したフランス語能力試験のDELF/DALFやTCFのほうに能力評価基準の一般性を認める立場をとるならば、そちらの試験を活用するような工夫ができるであろう。しかし、中核的参加国に代表されるヨーロッパの社会文化的背景・与件に多くの点で依存した能力評価の判定項目を採用する「ヨーロッパ標準」という基準をそっくり導入することになりかねない。そして上に述べたように、CEFRの構想はEU共同体の統合のための言語的戦略なのであって、いわば、言語能力の評価基準は、それ自体、ヨーロッパ「ローカル」な問題をうちに持っているといえなくもない。CEFRは言語能力評価への参照項目として、とりわけコミュニケーション能力の評価に大変良くできており、説得力がある「ヨーロッパ標準」システムであるが、この言語的コミュニケーションの質そのものがEUという複合社会の要請にそったもので、この限りではその機能をよく果たすであろう。この「ヨーロッパ標準」の日本の外国語教育への適用という問題を考えることを契機として、我々日本人が外国語を使用することで何を実現しようとしているのか、大学など高等教育機関ではどのようなコミュニケーション能力を習得させるべきなのか、さらには初等教育への外国語(英語)学習の導入に際しては、とりわけ何を教育の根幹に据えるのかを、今こそ緊急な課題として問い直す必要があろう。

(東京外国語大学教授)

参照資料
Commission of the European Communities, European Year of Languages 2001
Commission of the European Communities, Higher Education in the European Community, 1999
Council of Europe, Common European Framework of Reference for Languages: Learning, Teaching, Assessment. Cambridge University Press. 2001
Council of Europe, LINGUA Programme, 2000
Council of Europe, Modern Languages: Learning, Teaching, Assessment, 1999
DAPF=財団法人フランス語教育振興協会 (http://apefdapf.org/)
DELF/DALF=関西日仏学院 (http://ifjkansai.or.jp/delfdalf/)
TCF=東京日仏学院 (http://www.ifjtokyo.or.jp/), http://www.ciep.fr/tcf/






日本語能力試験について

荒川 洋平

はじめに

本稿では、日本語能力試験の概要および問題点を述べる。その目的は、日本語教育自体の認知度に比して英語教育を含む他言語の教育関係者には本試験が十分に認知されていないことに鑑み、シンポジウム参加者に対して、より多彩な知見を提供することにある。また筆者が本稿を担当する資格は、1998年から2000年にかけて本試験の聴解問題作成を担当したこと、ならびに2000年度に本試験の出題基準の改定作業を担当したことにある。

1 日本語能力試験の概要

1.1 級の別と基準
日本語能力試験(英訳は JLPT, Japanese Language Proficiency Test,以下、本試験)は日本語を母語としない学習者の一般的な運用能力を測定するため、1984年に初めて実施された。爾来、2005年に至るまで、試験は運用力の低い順に4級(初級前半)・3級(初級後半)・2級(中級)・1級(上級)の4レベルで実施されている。
各級の程度は以下の通りである。



1.2 試験の実施状況
本試験は年1回、国内においては文部科学省管轄の財団法人である日本国際教育試験協会、海外においては外務省所管の独立行政法人である国際交流基金の主催で行われている 。1) 受験地は国内で8地区の39機関、国外では45ヶ国に及び、2005年度の受験者数は35万人以上になる。1984年の開始時から比べて本試験の実施国数は約3倍に、受験者数は約45倍になっており、「外国語としての日本語学習者」の数的な膨張を明示している。

1.3 試験科目と認定基準
本試験は各級とも「文字・語彙」「聴解」「語彙・文法」の3科目から成り、全問が4択のマークシート方式を採用している。
合格の基準は4・3・2級が65パーセントの正答率、1級のみ70パーセントの正答率を求められている。これは2級以下については、本試験の合格が学習の奨励に資すると考えられているためである。
級別の認定基準は以下の通りである。



2 日本語能力試験の課題

次いで、本試験が直面する課題について概括する。
2.1 一般的日本語能力の定義と作問
日本留学を目指す学習者の日本語運用力を測定する「日本留学試験」の実施以前には、日本語能力試験の1級合格が学習者の日本語運用力を測定する目安として、試験実施開始から20年近く用いられてきた。その結果、日本への留学を希望する学習者の多くは国内の日本語学校で本試験の1級を目して学習することになり、試験問題作成者のために編集された「日本語能力試験出題基準」があたかも大学受験の必修単語集のように用いられ 、2) 結果として多くの日本語学校が進学予備校の様相を呈した 。3)
日本留学試験の実施後、日本語能力試験は「留学の要件」という足枷から解き放たれたが、それは同時に、改めて本試験が標榜する「一般的な日本語能力」とは何か、が問われる結果となった。これについては前述した2機関の諮問委員会である試験小委員会が、主としてcan-do statements の手法を取り入れたガイドライン作成に取りかかっており、近い将来、試験の作問に反映される予定である。

2.2 口頭運用力の測定
本試験は、受験者の口頭運用力を測定していない。よって、言語の4技能のうち「話す」面での運用力、ならびにPSI (Processing Spoken Information) 4) に代表されるような、他の運用力と「話す」面での運用力を複合させた運用力を測定することは出来ない。
この事実は日本語運用力を有する中国人ビジネスマンのニーズが高い中国の東北地方などで、本試験の合否では企業実務に必要な運用力が測定できない、と日系企業の同地方支社から不満が少なからず出ているという実態に、端的に示されている 。5)
この現状に対する試験実施者がわがとりうる施策は2点考えうる。
1点は同じく言語運用力を測定するTOEFL等の試験でも口頭運用力の測定を行っていない事実や機器、マンパワーの不足を理由にこれを行わないこと、もう1点は何らかの口頭運用力を測定する措置を講ずることである。2.1で述べた試験小委員会ではこの点についても議論を重ねている。
2.3 試験問題の公開
本試験は毎年、試験実施後に試験問題を公開し、あわせて分析結果を公表している。しかし、この施策によって、たとえ妥当性・信頼性の高い問題であっても1年きりしか使えないという問題を生じせしめ、安定した妥当性・信頼性の確保を危うくし、同時に作成者には毎年、作問の負担をかけている。
この問題に関する対応は、試験問題を非公開にする以外にはない。これは同時にプレテストが実施可能になり、精度の高い問題をある程度確保できることをも意味する。実際に作問に携わった立場からは、新たな「一般的な日本語能力」の答申がなされ、それに基づいた問題作成が開始される年度から、試験問題を非公開にし、例題のみを公開する施策を求めたい。

おわりに

 前章で述べた課題をいくつか抱えながらも、日本語能力試験は関係者の多大な努力により、いわゆる大言語の運用力測定試験に近づきつつある規模になり、受験者・認定者ともに減少することなく今日に至っている。
これらの課題は本質的には実施機関が解決すべき性質のものではあるが、「一般的な言語能力」の定義づけや信頼性の確保、あるいは本稿では述べなかったが学習者への動機付けの媒体として試験を活用させる方策などは、外国語教育全体の課題として考えるべきものであろう。本稿がそれを考えるきっかけとして供すれば幸いである。

(東京外国語大学留学生日本語教育センター助教授)

1) 国内の日本語教育は文部科学省、海外は外務省という管轄官庁の相違が反映されている。
2) 国際交流基金・財団法人日本国際教育試験協会(2002)の「まえがき」には「出題基準は(中略)日本語学習者や日本語教育者に対する指針となることを意図して作られたものではない」とある。
3) かなりの日本語学校が著名大学への合格者数を誇っていた事実から鑑みて、これは単なるメタファーとは言い難い。
4) PSIに関してはScarino A., Vale D., McKay P., Clark J.(1988) に詳述がある。
5) 高見澤孟氏(元昭和女子大学大学院)の聞き取り調査による。

参考文献
McNamara, T. (2000) Language Testing. Oxford: OUP
Scarino A., Vale D., McKay P., Clark J. (1988) Australian Language Level Guidelines. Canberra: Curriculun Development Centre
荒川洋平. (2000) もしも…あなたが外国人に「日本語を教える」としたら. 東京:スリーエーネットワーク.
国際交流基金・財団法人日本国際教育支援協会(編). (2002) 日本語能力試験出題基準【改訂版】. 東京:凡人社.

〈ハングル〉能力検定試験――その背景と展望

野間 秀樹

はじめに

私は東京外国語大学院地域文化研究科対照言文情報講座に所属し、朝鮮言語学、日韓対照言語学、韓国語教育という3本の柱を建てて活動しています。

ハングル検定試験の背景:大学の韓国語教育

最初に、ハングル検定試験の背景についてお話します。まず、日本の大学の韓国語教育を見てみます。大学での韓国語教育は4つほどのカテゴリーで行われております。これはどの言語でも大体同じではないかと思います。まず、韓国語教育そのものを実施している大学についてですが、大村益夫先生が1984年に調査なさったところ、日本の47大学で韓国語教育が行われていました。国際文化フォーラムの調査によりますと、それが、95年度には143大学となり、そして、1998年度には215大学となります。それにもかかわらず、韓国語学ないしは韓国語教育を専門とする教員は27名しかいませんでした。これは私どもが東京外国語大学の大学院に現在の対照言文情報講座という講座を作るために、文部省と交渉する必要から調査したものです。非常に厳しい数字になっています。専任教員は現在もそれほど増えているわけではありません。2000年度、2001年度を経て2002年度の統計では322大学、686大学のうち26。9%、ほとんど半数の大学で、韓国語教育が実施されています。現在は50%を超えると思われます。
開設している大学数のみならず、学習者数そのものも増加しています。ちなみに東京外国語大学の昨年度の数値、いわゆる第二外国語のカテゴリーでとっているものは、一番多いのは英語、次は普通は中国語が多いわけですが、外語大の場合はフランス語が次点で、朝鮮語がそれに次いでいます。

ハングル検定試験の背景:NHKテレビハングル講座から

このことを違う観点から、たまたま今、私はNHKのテレビのハングル語講座で監修をやっているのですが、そこから探ってみたいと思います。こう言うとハングル講座の宣伝のようで恐縮ですが、かなりCGなども駆使して作っております。一度ぜひ専門家のかたがたにご覧いただければと思います。講座では3分半から4分程のミニドラマというものを位置づけて、シラバスに合わせて講師の金珍娥(キム・ジナ)先生がストーリーを書いています。これは2005年度のハングル講座の1つの特徴なのですが、日本語との対照言語学的な観点から講座全体を作っております。たとえばハングルで日本語を表記し、動詞の活用を見るとどうなるのかという、面白い本邦初の映像もございます。毎月、110ページほどのテキストを、かなり精密な言語学的なものを出しています。このようなものがいったいどのくらい売れるのかということですが、さきほどの学習者数と対比させると面白いのです。94年度には8万部ほど出ていたテレビ講座のテキストが、昨年は20万部出ています。それではいったい2005年はどうなったのかというと、22万部とさらに増えています。我々が自分で言うのもなんですが、そうとうごりごりの言語学的なテキストであるわけですね。文化の紹介といった面に重点を置くのではなく、どこまでも言語教育そのもの、言語そのものが中心となっている講座である、2005年度はそのように総路線を転換したわけです。そういったものでさえこれだけ出るということから、韓国語学習についての非常に大きな社会的な要求があるということがわかります。ハングル講座からも窺えるように、韓国語の学習の拡大というのは巨視的に見たとき、基本的な趨勢であって、一時のブームといったようなものではないわけです。そうした基本的な趨勢の上にワールド・カップだの韓流だのがあるということです。
ちなみに今、言語の名称を朝鮮語だの韓国語だの、混ぜて使っています。私の著書でも両方使っておりまして、はなはだ節操のないことになっていますが、日本の大学でも韓国語、朝鮮語、両方使われています。最近は韓国語が一番多くなっています。「ハングル」はもちろん文字の名で、言語名ではありませんが、言語名として用いているところもあります。
専攻を置く大学は非常に少ないですね。

日本語母語話者の韓国語学習の意義

1つ背景として非常に重要なことなのですが、最初の授業のとき私はいつも受講生に、なぜ韓国語かとういことを3点にまとめて言っています。1つは民族の文化や歴史により深く分け入ることができる、まあ、これはどの言語にもいえることです。2つめに、日本語と最も似ている言語であることから、知的な喜びを日々味わうことができる。これは今の大学教育で行われている言語の中ではなかなか簡単に味わえないものです。3番目としては、こちらから「こんにちは」と呼びかけると「こんにちは」とかえってくる言語であるということ。これはどういうことかというと、「こんにちは」とことばが返ってきた瞬間に実際に学習者がことばで心と心が通じ合う喜びを味わうことができる言語であるということです。
ごらんいただいているのは15世紀の朝鮮の絵ですが、こういうものに関心を持つ人は昔から知識人の中にたくさんいたわけです。ところが今、同時代の感性、このマーガリンのパッケージは文字が違うだけで、日本のものと全く同じですね。さらに、韓国の経済的な発展、そして食べ物のみならず、様々なものが、文化が、日本の深いところまで入ってきている。そして映画、爆発的なヒット、『シュリ』の弾丸は日本の言語教育にも強烈な一撃を与えたのではないかと思います。そして、ドラマです。韓国のドラマが日常となった。ブームとなったことより、日常となったことの方が重要なのです。韓国語が日常の中へと深く分け入ってきた。

明治以来の外国語学習のありかたを覆す韓国語学習

韓国語が日常の中へ分け入ってきたことの意味、これは重要です。これは明治以来のいわゆる外国語学習のありかたを振り返ってみるとわかります。漱石、鴎外、芥川、皆、英語、ドイツ語、オランダ語などを学んで西欧のものを我が物としようとした。基本的には皆、書物から学ぶわけですね。そしてそれでも足りずに、ヨーロッパへと留学するわけです。漱石はイギリスに、鴎外はドイツに、そして留学できなかった芥川はどうするかというと、丸善に通った。加藤周一は『日本文学史序説』のなかで「丸善が芥川を作った」とまで言っています。これが明治以来の日本の基本的、伝統的な外国語学習のスタイルだったわけです。
しかし、韓国語教育はこうしたありかたを覆す。例えば、東京外国語大学では全体で4000名ほどしかいないのに、留学生が500名ほどいて、8人に1人は留学生です。朝鮮語を専攻する学生120人しかいないわけですが、それよりもはるかに多い、韓国からの留学生がおり、なおかつ中国からの朝鮮族の留学生がいます。キャンパスで一番たくさん聞こえてくる言語は、日本語の次は朝鮮語なのです。そういうわけで、大学ではもちろん、東京を走る山手線や中央線の電車の中でも、朝鮮語で内緒話なんてできないのです。ということは「こんにちは」を覚えると、それを日常の中ですぐに使えるということなのです。これは決定的なことだ。日本語母語話者にとって韓国語は実際に生きた生身の人と人とが話す言語だということです。英語教育においては、60年代、70年代と経るにしたがってようやく話すことの重要性に気づき、様々な試みを行ってきたわけですね。ところがドイツ語、フランス語は一所懸命学んでも、なかなか母語話者に出会えないわけです。これが例えばグルジア語ともなると、グルジア語で一生懸命「こんにちは」を覚えても、グルジアの方が日本にいない、と上智大学で話したら、講義の後に留学生が近づいてきて、アゼルバイジャンからの留学生の方だという。そこで、アゼルバイジャンの方が日本に何人いるのかたずねると、その人を入れて3人だと教えてくれました。こういう状態なのです。そうした言語は、いつかまみえるであろう友を夢見ながら、「こんにちは」「こんにちは」と発音練習を続ける、そういう悲しみを背負った言語なのです。韓国語というのは、そういう意味で、実際に話す言語としての条件が決定的に備わっているわけです。これは既存の言語教育のあり方を根本から揺るがすものである。と同時に、教育さえよければ、ことばを見つめることによって、知と表現の根本を問うものとなりうるのです。
韓国語をめぐるこういった条件は、言語教育の内容や方法をも規定します。一般に文字を持つ言語にあっては、言語は〈話されたことば〉と〈書かれたことば〉という2つのありかたを有するわけですね。この2つは様々な点においてことばの存在様式が著しく異なっているわけです。そして言語教育では、もちろん検定試験においても、存在様式の異なるそうしたことばのありかたのどこに焦点を定めるかということが、非常に重要になってきます。

ハングル検定の誕生

ハングル検定について、歴史を見てみます。1992年に設立された協会が93年から実施しています。最初は梅田博之先生、梅田先生は東京外国語大学のAA研の所長を勤められた先生です。梅田先生や菅野裕臣先生が参画、指導され、日本で6番目の外国語検定試験として始まっています。それ以来、年2回の試験があって、第23回まで9万人以上、10万人近い人が、受験しています。現在では、1回の試験で1万人以上は受けています。これはたいへんな数字です。事業を中心で支えているのは、協会の現理事長の鄭元海(チョン・ウォネ)さんという方で、在日朝鮮人の実業家の方です。この方のお父さんが私財を投じて検定試験を始められたもので、息子さんが遺志を引き継いでやっておられるわけです。なかなかできることではないと思います。
ハングル検定の特徴

問題作成と評価は第一線で活躍する学者、教育者の方々が担当なさっています。私も最初の時から参画していますが、それからしばらく離れていて2001年、2002年にまた参画し、今は完全に離れています。
検定の1つの特徴は、南北いずれの正書法も認めるということです。これはどういうことかというと、朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国の正書法は異なる部分があるわけです。いわゆる在日の民族学校の多くの部分が共和国式で学んでいます。検定はこうして両方の正書法とも認めるということを90年代の初めからやっていました。南北統一ということを、いわば検定試験ではやっていたわけですね。韓国主導の検定試験がいくつか後からできますが、ハングル検定では南北両方の正書法を認めるという点が、それら後発の試験との決定的な違いとなっています。
それから、日本語と韓国語はどこが違うのか、日本語との異同に基づくという点から1つの難易度を定めています。ハングル文字を習い始めた初歩の段階から大変高度な段階まで、7つの段階に分けています。そして4技能に対する評価で注目すべき事は、〈話すこと〉を重視している点です。1級と準1級の2次試験で15分間の面接試験を行っています。それから翻訳問題もあります。実際に書く試験があるわけです。それらが特徴となっています。こうした点も他の後発の韓国語検定試験と決定的に異なっています。
各段階がどの程度の水準にあたるのかを見ていくと、2005年のNHKテレビ講座では4級を基本的には半年でクリアするものと宣言しています。一方大学入試センター試験で見ると、もちろんこれは非公式ですが、3級から準2級を取れるくらいのレベルです。準1級の学習時間は400時間、2級は200-300時間とされています。5級が20時間というのはさきほど紹介された、学習奨励のためという日本語の検定の意図とまったく同じです。小学生でもがんばれば5級が取れるわけです。

ハングル検定の評価と環境

ハングル検定の評価と、検定をめぐる環境ということを見ます。ハングル検定を単位として認定している大学が、慶応義塾大学、神田外国語大学など、多数あります。それから、交換留学生の運用能力の目安としているところもあります。面白いところでは、東京都では外国語ボランティア採用の基準として使っています。
ハングル検定を支える環境ですが、まず学習者のための教材がいろいろ出ております。韓国語学習書一般については、90年までにすでに第二次大戦後、500種は出ています。それ以後、Amazon.co.jpで検索してみても、1995年以降だけでも400種、500種あるわけです。検定試験の問題の解説書もあります。そういう中で『ハングル学習の手引き』というものを我々が作っております。この『ハングル学習の手引き』では出題基準や語彙リストを載せています。ちなみに韓国語の語彙数が一番多い辞書は韓国の国立国語研究院の『標準国語大辞典』という辞書で、48万語ほどを収録しています。『手引き』ではこれこれの単語が3級では必須単語であるとか、「店」という単語は4級で必須単語であるというようにリストを作り、準2級までの学習の目安として公開しています。単語リストの公開は韓国が行っている検定試験類ではやっておりません。それから、「連語リスト」というものを作っています。ここで連語と呼んでいるものの多くは、旧ソビエト言語学や共和国、日本の朝鮮語学で単語結合slovosochetanieと呼ばれているもので、日本の言語学研究会で連語といっているものです。目的語+動詞の組合せなどは、日本語と韓国語を対照すると対応しないもの、例えば、「電話に出る」という組み合わせを逐語訳すると韓国語になりません。「電話を受ける」と言わなければならないので、このようなものをリスト化して公開しているわけです。もう1つ特徴的なこととして、漢字表というものが挙げられます。これは漢字の読みごとの一覧です。日本漢字音と朝鮮漢字音との対応を学べるようになっています。日本語母語話者に対する韓国語教育においては、漢字と漢字音、漢字語についての教育は不可欠のものです。これもハングル検定に通底する考え方です。
なお、語彙リストの公開はハングル検定の相対的な公平性と先進性を示すもので、この点は韓国の検定試験よりは良いではないかと思っています。

おわりに:ハングル検定の課題

最後にハングル検定の課題です。問題を誰かが作らなければならないわけですが、さきほど触れたように、大学の数少ない専任教員に、今でも30人ちょっとですが、センター試験やハングル検定などのあらゆる仕事が全部降りかかってくるのです。非常勤の先生方も非常勤の仕事で精一杯で、日本中の朝鮮語教育の半分以上は非常勤講師の先生方に支えられているというのが実態です。このように人材の不足が続く理由は、韓国語学や韓国語教育を専門とする専任教員のポストを拡充しなくてならないにもかかわらず、それがなかなか難しいということにあるわけです。いま1つは、人材を養成するところが極めて限られている。ちなみに学部から博士後期課程まで一貫してあるのは、東京外国語大学と大阪外国語大学だけです。事実上、我々が何でも背負うことになってしまうわけですね。
それから、もう1つの課題は、問題に対する評価です。現行の問題はまさに問題なしとしない。そして学問的な評価の実践、他の試験との比較も含めてですが、こういうことも少しずつ行われるようになってきています。韓国では、非母語話者に対する韓国語教育は非常に盛んになっていて、国際韓国語教育学会などですと、1000人を越すような学会、毎回700人から800人が世界中から集まってきます。こうした学会でも少しずつ評価がなされています。
ほかにもありましょうが、この2点が大きな課題だと思われます。今お話したようなことについては、東京外国語大学の趙義成(チョ・ウイソン)先生の研究室のHP、これは43万人にヒットしているすごいサイトで、私のサイトともども、参考にしていただければと思います。ありがとうございました。

(東京外国語大学大学院教授)

付記:〈ハングル〉能力検定試験は2006年6月実施の第26回試験から、級の構成や出題基準が大幅に変更された。これにより、油谷幸利他(2002)により定められた出題基準を捨て、ハングル能力検定協会(2006)による新しい出題基準に拠ることとなった。詳細は스가이[須賀井義教](2006)を参照のこと。

参考文献

<韓国語>
노마[野間秀樹]・金珍娥(2006) 「NHK(일본방송협회)텔레비전 교육 방송을 통한 한국어 교육」 (NHK(日本放送協会)テレビジョン教育放送による韓国語教育) "한국어교육" 17-2. pp.95-134.서울: 국제한국어교육학회
노마[野間秀樹]・나카지마[中島仁](2005 a) 「일본에서의 한국어 교재」 (日本の韓国語教材). "한국어교육론1 "(韓国語教育論1). 국제한국어교육학회編.pp.263-298. 서울: 한국문화사
노마[野間秀樹]・나카지마[中島仁](2005 b) 「일본에서의 한국어 교육」 (日本の韓国語教育). "한국어교육론3 "(韓国語教育論3). 국제한국어교육학회編.pp.195-221. 서울: 한국문화사
스가이[須賀井義教](2006) 「"한국어능력시험"과 일본 "<한글>능력검정시험" 초급 문제에 대한 비교 연구」 (「韓国語能力試験」と日本の「〈ハングル〉能力検定試験初級問題についての比較研究」. 국제한국어교육학회 제16차 국제학술대회 발표요지집 "한국어 교수-학습 방법론의 재정립". pp.261-294. 서울: 국제한국어교육학회.

<日本語>
大村益夫(1984)「大學における朝鮮語敎育の現状」.『季刊三千里』 38号.東京: 三千里社.
野間秀樹(2005)「韓国と日本の韓国語研究--現代韓国語の文法研究を中心に--」『日本語学』2005年7月号.vol.24. no.8. pp.16-31. 東京:明治書院.
野間秀樹・村田寛・金珍娥(2005)『ぷち韓国語』東京:朝日出版社.
ハングル能力検定協会(2006)『「ハングル」検定公式ガイド 合格도우미(トウミ)』 東京:ハングル能力検定協会.
油谷幸利,朴宰秀,野間秀樹,曺喜澈,呉文淑,金珍娥(2002)『ハングル学習の手引き』 ハングル能力検定試験出題基準検討委員会.東京:ハングル能力検定協会.

韓国語能力試験(TOPIK): http://topic.or.kr/
国際文化フォーラム: http://www.tjf.or.jp/
趙義成(チョ・ウイソン)研究室: http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/choes/
朝鮮語教育研究会: http://homepage1.nifty.com/KoreanEducationSoc/
朝鮮語研究会: http://www.l.u-tokyo.ac.jp/tyosengo/
独立行政法人 大学入試センター: http://www.dnc.ac.jp/
野間秀樹研究室: http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/nomahideki/index.shtml
ハングル能力検定協会: http://hangul.or.jp/

自由討論

司会:今日は、フランス語、日本語、朝鮮語の各検定のお話をしていただきました。それぞれかなり方法や性質が異なっていました。英語とフランス語は若干重なるとことがあるように思いましたが、ハングル検定と日本語検定をどのような観点から関連づけて考えればよいのか、なかなか妙案が浮かびません。そこで取っ掛かりとして、本日の三名の報告者の方から補足等ありましたらお願いいたします。

荒川:今日の話をうかがっていて、伊藤先生がお話になった「教師のための試験」にとくに興味をもちました。日本語について言いますと、いわゆる文部科学省の規定では日本語の教職というのは国語以外では存在しません。そのため独自に「日本語教育能力試験」という名前の教師としての資質を問う試験があります。これはかなり広い分野に及ぶものです。将来的に教師教育というものをテストで測っていくことが社会的要請になるとするならば、ひとつのたたき台として日本語能力試験と同様、「日本語教育能力検定」というのも面白いと思います。本学では、80人から100人くらいの生徒が受験しているのではないかと思います。

野間:韓国でも「韓国語教師検定」というものを昨年から作り始めていて、今後、大々的に実行しようとしているところです。

司会:野間先生に質問したいのですが、フランス語の場合、日本におけるフランス語検定のほかに、フランス本国が中心になって行っているDELF/DALF 6) という試験があります。この試験について、日本人の学生から非常によく聞かれる意見なのですが、DELF/DALFの方は、富盛先生のお話にもあったように出題の傾向が日本のフランス語検定とまったく違っていて、答えにくい問題が多いということです。そのための練習をやらないといけないのです。DELF/DALFは、富盛先生のお話に出てきました「ヨーロッパ参照枠組み Common European Framework」を利用しているため、タスクを利用した問題が多く、タスク形式の言語教育に慣れていない学生には非常に難しく感じられるのです。ハングル検定の場合も本国と日本でそうした問題はありますか。

野間:まったく似たような問題があります。韓国ではTOEIC 7) にあたるような試験が現在二種類行われています。その選考をしている「韓国語能力試験KPT = Korean Proficiency Test 8) 」と「ハングル能力検定試験」ですが、その一番下の級が一級で、その最初の問題を見て我々は驚いたのです。そこには大学院生、あるいは韓国語の先生方でもちょっとできないような問題があるではないですか。例えば、日本語の「~して」という動詞の「して」という形に相当するものが韓国語にはいくつもあって、その使い方が非常に難しく、韓国語研究の中でも問題が出るほどなのです。そのようなものが一番下の級の問題として出てきているのです。何が非母語話者にとって難しいかということ、もちろん母語ごと異なりますが、このことを本国で作っている方々にはなかなか判らないという問題がありますね。

司会:フランス語検定にもやはり同じような問題があります。動詞の条件法といったものが非常に早い段階でタスクの中に取り入れられてしまうわけですが、それは条件法の内容がわかっているわけではなくて、その場で条件法が使えるようになるということで、本当にフランス語の時制や叙法の理解につながるかどうかは別にして、その場限りの実践的な問題解決能力が、低いレベルのときから問われるということがフランス本国で作られている試験には見られます。

富盛:ご指摘の通りです。やはり検定試験のコンセプトが違うのではないかと思います。何かものを依頼する対人関係的な部分でモーダルな(叙法的な)ものが出てくるような場合は、我々語学教師は学習段階の何ヶ月目にそれを出して、それ以前には排除していく、これは単語でも同じです。例えば、コンピュータという用語は90年代に出ている辞書では基本単語になっていません。フランス語検定が準拠しているところのフランスで出ている基本単語の辞書、これは日本でも売っているのですが、たとえばラルース系の辞書ではコンピュータという単語が基本単語ではないのです。そうすると、目の前にあってそれを使いながら勉強しているにもかかわらず、試験の中では使えないというようなちぐはぐなことが起きます。この点から言えば、DELF/DALFのような場面主義で実際の運用能力という問題解決的なところで中間的な歩み寄りをしないと、フランス語検定は前世紀の遺物になってしまうのではないかと危機感を持っています。これは試験のやり方にも問題があると言えるでしょう。
ところで別の話題になりますが、他の検定の関係者にもお聞きしたいことがあります。公表しているところとしていないところのご指摘が野間先生と荒川先生からありましたが、例えば、毎年やる試験は受験者が違うわけですから、ふたを開けてみないとわかりません。何点で足切をするのかは定員が決まっているわけではないので絶対的評価で、例えば60点取った受験者はこれだけの能力があるのだという積極的な認定をしなければなりません。これは年によって違い、かつ受験者によっても違うので、ふたを開けてみたら、ある年は難易度が高かった、あるいは低かったというとクレームがつく可能性があります。出している文法項目とか語彙は一定なわけです。ところがこれは毎回同じ組合せではないので、若干のずれが生じた場合、特に上の級だと問題の内容の出題にも依存します。今年は社会問題だが、去年はスポーツが出たということだとこれは違ってくるわけです。そういう場合、伊藤先生のお話にあったように、検定試験の妥当性、信頼性という意味で、ある能力測定の検定として、どのようにして信頼性を確保しているのかをうかがいたいのです。

荒川:日本語能力試験の場合は評価委員会というものがあります。各試験の合格の、先ほど触れましたが、二・三・四級は65%、一級は70%というのは、この評価委員会が信頼性、妥当性を確認した後で、この難易度なら適切であるという結果が出ます。実際にはある程度の誤差が出ているのですが、年毎に%単位であってもやはり難易度に差が出てくるのは好ましくないので、幾分こじつけ的に適切であろうというかたちになっています。しかし後追いになっていることは否めません。やはり、これに対する最良の処方は、非公開制にして、非常に信頼できる問題をいくつかコアとしてやっていくしかないと考えます。

野間:ハングル検定の場合、我々は問題検討委員会というものを設置していました。作られた問題そのものを事前に検討しチェックして、誤字や難易度を調整したり、場合によっては作り直すこともやっていました。現在の検定試験では、大学関係者の先生が全面的に手を引いてしまっています。問題についてのクレームも一部聞いています。要するにそこにある問題というのは、韓国語の場合は先ほども触れましたが、一にも二にも人材が決定的に不足しているということです。そういうことに携われる人が少ないのです。それから試験問題というのはご承知のように非常に作るのが難しいわけです。そういうことを含めて、言語教育の専門家をやはりこれからどんどん育てていかなければならないと痛感します。

伊藤:最初に野間先生にお尋ねしたいのですが、さきほどから先生は朝鮮語という言葉を使われてきたのですが、私がいた東京学芸大学ではたしか韓国・朝鮮語という呼び方を使っていました。非常に複雑な表現なのでできれば朝鮮語として北朝鮮も韓国も含めて使いたいのですが、それは可能でしょうか。

野間:原理的には可能ですが、実際上は難しいのではないかと思います。だんだん韓国語のほうが趨勢としては増えており、名前を統一するというのは20年、30年前から問題となっていて、NHKのハングル講座が始められなかったのもそこに原因があったわけです。しかもそれは80年代のことです。この問題は本国が統一されるまで日本でも無理かと思います。

伊藤:朝鮮民族の言葉としての朝鮮語というのは無理ですか。

野間:原理的にも、学問的にも、我々は朝鮮語と呼んでいるので、それはまったく問題ありません。韓国の学者たちも我々が朝鮮語学者で、朝鮮語と呼んでいることについて若手の人もみな理解していますが、一部の民族主義的な方はそういうことにも直接反論されます。

伊藤:次に日本語教育についてうかがいたいのですが、びっくりしたのは口頭試験がないということです。口頭試験がなくて実際に聞いたり読んだりする試験だけで外国人が日本に来られて支障はないのでしょうか。

荒川:支障は明らかにあると思います。いま現在、その支障が表面化しないのは、日本にくる留学生の多くが、ご存知の通り、韓国、中国、台湾といった漢字圏の学習者であり、それぞれの国にいるときから日本語に触れたり、話したりする機会があるということ、また留学生として日本語学校にいるうちに日本人とのインタラクション(言語による相互行為)を行っているためでしょう。私は短期留学のプログラムも担当していますが、それぞれの国で一級まで取ったはずなのに、来てみると二級レベル以下の能力しかなくショックを受けるという例が、二年か三年に一人か二人必ずいます。ご指摘のとおりだと思います。

伊藤:スピーキングを入れられないのは、テストの煩雑さからですか、あるいは作問によるのですか。

荒川:やはり人材が足りないことと作問の難しさからきていると思います。

富盛:伊藤先生、荒川先生、野間先生の皆さんにお聞きしたいのですが、検定試験が大学のカリキュラムとか、あるいは枠組みで一定の単位互換というか、認定されることを阻んでいるものは何かについてお尋ねしたいです。日本語は四つの大学で単位認定があり、韓国語も進んでいる。フランス語は表にあるように相当数の大学があって、検討している大学に東京外国語大学も挙がっています。但し、これはアンケート調査の結果です。さきほどから話題になっている信頼性というのが一番大きいと思うのですが、何が能力測定の基準となりえるのかということ以外に、何か現場についてご存知でしたら教えてください。

司会:富盛先生から今のような問題提起がありました。皆さんいかがでしょうか。東京外国語大学について言いますと、実用フランス語技能検定の「実用」という言葉に確かに抵抗を感じる方がいるのですが、私の二年生の授業では70%がフランス語検定二級が受かるように、授業の中にフランス語検定の問題を取り入れています。二級の問題はリーディングやコロケーションや文法の問題はよく出来ていると思いますが、リスニングとスピーキングについてはまだまだで、個人的にはスピーキングなどは現在の問題ではほとんどなにも測れていないという気がします。もっとも一次試験の合格者は五分程度の面接を受けますから、ここでスピーキングの能力が測られているのかもしれません。このようにフランス語検定を実際に授業に導入してはいますが、もちろん単位認定となると制度的な別の問題がありますね。

富盛:東京学芸大学では導入されていますか。野田先生いかがでしょうか。

野田:英語では、英語専攻と非専攻ついて、おもに専攻生について、検定とかTOEICとか外部試験をあまり受けていませんでした。他の言語については調べていませんのでわかりません。制度的に導入するかどうかは、例えばカリキュラム会議で意見の一致しない面がありました。そういう検定試験を導入してよいものかどうか、さらに外国語教育を外部に委託してよいものかどうかという議論がありました。馬場先生からも、さらに現状報告についてご報告をお願いできますか。

馬場:東京学芸大学の馬場です。検定試験の単位認定については、実は来年から実施することになっています。これは英語に関してです。対象は英検とTOEICとTOEFL 9) で、今そのスコアについて検討中です。導入に関して英語科内ではとくに大きな反論はありませんでした、再来年のカリキュラム改訂に向けて、語学関係でない先生方から出た意見としては、大学の語学教育はランゲージスクールとは違うという昔からよくあるものでした。

司会:野間先生、ご意見をどうぞ。

野間:今の問題ですが、ひとことでいえば、信頼性ということに尽きると思います。信頼性というのはコンスタントでなければいけないと思います。今年はうまく行ったが、ということがありえます。人が少ないからです。それから、もっと一般化して言語全体について考えると、これはとんでもない問題で認められないと感情的に反発される先生がたくさんいます。もう一つは、先ほど出た事と似て非なることですが、大学の教育というのは、既にある力量に何かを付け加えることではないか、検定資格を持っているのなら、その上に何か付け加えるべきで、なぜ終わりにするのかという意見もあるのです。これは一理あると思います。能力を評価して単位をあげるのか、それともその上のことを教育することもありえます。

司会:他の方はいかがでしょうか。

山崎:質問とちょっと補足をしたいと思います。フランス語検定のところで出ましたが、いくつかの大学では検定試験を資格として、高校生が大学を受ける際の外国語入試の資格にしようとする動きがあります。英検の何級とかTOEICとかTOEFL何点以上の者は英語入試の対象とするという大学が増えているので、高校生に対して、ある程度の資格を持っていれば、外国語入試を受けられるというのは、今後、検定試験の活用の場としてよいのではないかと思います。もう一点、センター試験について韓国語の野間先生にお尋ねしたいのですが、センター試験の韓国語は、ドイツ語、英語、フランス語と違って、在日の方や、むしろネイティブに近いような人たちが受けるのが多いのでしょうか。

野間:これはちょっと微妙な問題ですので、私見としてお聞きください。確かに在日のいわゆる朝鮮高校、朝鮮中学、そういうところで学んだ人たち、もしくはそう思われる人たちが相当数受けていることは把握しています。また、そういう人たちが間違えやすい問題というものもあるようです。

山崎:いわゆる高校あたりで韓国語や中国語を学んだ人たちではちょっとできないような問題で、かなり難しいという話を聞いたことがあります。やはりある程度難しい問題になっているのですか。

野間:全体としては、三級や二級程度ですから難しいといえば難しいのですが、そんなに難解な問題になっているわけではありません。平均点はドイツ語、フランス語、英語よりも実際に高くなっています。

山崎:韓国語、中国語が入るまでは、センター試験のフランス語、ドイツ語というのは英語に比べて平均点が高いということがよく話題になっていましたが、受けている学生の人数が違うので、それは当然だと考えていますが、中国語と韓国語はもっと高いので、受験者数がぜんぜん違うものの平均点が一律であるということはありえないと思うのです。センター試験のほうからも中国語と韓国語が入ってから、あまりフランス語やドイツ語はたたかれなくなりました。平均点を同じにするように言われなくなってありがたいですね。

野間:おっしゃるとおりです。

司会:さて、本日の討論の全体をまとめることは容易ではありません。ただ最後に、今日出てこなかった話題を提供しておきます。たとえば富盛先生が指摘された問題解決能力に関わるような問いについてですが、もしかするとこの問いには文化的な背景がありはしないかということです。とりわけ欧米社会のような問題解決型の社会では、そのための言語能力は非常に重要視されますが、果たして日本でも同じように問題解決能力というものを検定試験において第一義的にというか、かなり主要なものとして考えるべきなのか、あるいは日本独自の言語能力に関する評価が考えられないかというような、かなり根本的な問題があるかもしれないと本日の討論を聞いていて感じました。これはまったく個人的な見解なので、言語教育の専門の方は、また別の考え方をされるかもしれません。そういったことまで議論したかったのですが、予定の時間も尽きましたので、本日のシンポジウムを終わらせていただきます。報告者の皆様、聴衆者の皆さん、どうもありがとうございました。

6) DELF = Diplôme d’études en langue française, DALF = Diplôme approfondi de langue française
7) TOEIC = Test of English for International Communication 「国際コミュニケーション英語能力テスト」
8) 2005年実施の第9回から「韓国語能力試験」はTOPIK(Test of Proficiency In Korean)と改称されている。
9) TOEFL = Test of English as a Foreign Language.

(原稿作成 松澤 水戸、編集・校正 川口 裕司)