外国語教育学会 第8回大会
本ページの内容を引用される場合は 『外国語教育研究8』外国語教育学会編、 2005年、pp.92-123
という出典を明らかにしてください。© 2005 外国語教育学会 (JAFLE)。 (司会 根岸 雅史 東京外国語大学) |
基調講演 伊藤 嘉一 現在小学校での英語の実践率は88.3%です。親たち、そして子供たちの80〜90%以上が小学校で英語をやってほしいと望んでいます。しかしできないのは、「やらなくてもいい」というきまりがあるからです。日本では子供たちの英語を学習したいという権利の不平等が生じています。外国だったら親たちが教育委員会にクレームをつけるところでしょう。 (東京学芸大学名誉教授、外国語教育学会名誉会長) 司会: 伊藤先生、具体的な御提言をありがとうございました。それでは、次に、東京外国語大学COEプログラム「言語運用を基盤とする言語情報学拠点」において作成された英語教材の内容の紹介とそれを用いた指導実践報告を行ってもらいます。 |
事例報告 TUFS言語モジュール・英語教材会話(D)モジュール 「えいご for KIDS」附属指導者用資料TM作成:その内容と実践報告 鵜澤 菜摘子 はじめに 本教材の内容、そのダイアログと附属機能 英語モジュール教材は他16言語が大学等高等教育機関において使われることを念頭においているのに対し、初等英語教育と大人のフォールスビギナーのために作られている。17言語モジュールを同じ40機能で統一して作成することになっているため、ダイアログには全く初めて英語を習う子供には難しいものも含まれる。しかしながらこの点は4つのモジュール、すなわち音声を学ぶPモジュール、語彙のVモジュール、会話のDモジュール、そして文法のGモジュールが完成すれば、各々を必要に応じて選択的、かつ総合的に利用して学習することが可能になり、解消されるようになっている。 附属指導者用教材(TM)について 附属指導者用教材(TM)は、英語教育になじみのない小学校教員がこの教材を少しでも効果的に使える手助けとなるよう作成されたものである。TMは5つの内容から構成されている。TMの構成、内容、およびその理論的枠組みについて、詳しくは向井・鵜澤・加藤(本会報)を参照されたい。
本学では、大学院の学生主催で毎年、一般から生徒を募り、院生たちが教師を務めて言語を教えるサマースクールが行われている。その中の英語サマースクールにて本英語教材を使った講座を開講した。中学生を対象としていたが、集まった生徒の年齢は多様で、主婦の方から大学生、中学生、小学生までがTUFS言語モジュールを使った学習に参加した。 おわりに 本教材並びに附属TMはインターネット上http://www.coelang.tufs.ac.jpで、無料公開されている。 (東京外国語大学大学院博士前期課程) 参考文献 <欧文> <和文> |
公立小学校での英語のリテラシー教育について
アレン玉井 光江 はじめに 公立小学校で初めて英語活動が導入されたのは平成4年度であり、大阪の二つの市立小学校と中学校で実験が始まった。それ以来徐々に研究指定校の数が増え、少なくとも各都道府県で1校は研究校に指定され研究が続けられた。その間文部省の指導とは別に都道府県、市町村レベルでも独自に研究が続けられ、概ね全ての研究において児童、教師、保護者ともに英語活動に肯定的であったと報告された。文部科学省は平成14年度より小学校から高校までの課程において「総合的な学習の時間」を新設し、小学校ではその時間を使い「国際理解教育」に取り組むことを決めた。目的は異なる文化をもつ人たちと積極的に関わろうとする態度を育成することにあるが、その枠内で英語活動を導入することが可能になり、公立小学校の教育課程の中に正式に英語活動が導入されのである。 公立小学校での英語活動の実態と展望 小学生に対する英語教育に関しては賛否両論、甲論乙駁である(大津&鳥飼、2002など)。現在はさらに議論が深まり、英語を小学校でも教科にするかどうかも討議されている。反対派は不十分なカリキュラム、また教員の資質(教員養成も含め)、他教科の時数への影響、中学校との連携などを理由に慎重にするべきだと述べる。また、元来「総合的な学習の時間」の「国際理解教育」における「外国語会話」と規定されているのにもかかわらず、英語の技術的な教育のみが行われている現状に警鐘をならす教育者もいる。しかし、賛成派は国際社会の一員として日本人が自らのアイデンティティーを保ちながら、異なる文化の人々とともに暮らしていくためには英語が欠かせないとと考える。アジア諸国でも小学校から英語教育に取り組む国が多くある中、英語を教科化すべきであると主張する。 初期段階における英語のリテラシー教育 文部科学省は公立小学校の英語活動において「読み」「書き」の指導を導入することに関し当初よりあまり積極的ではない。それは(1)中学校英語の前倒しになり英語の授業が楽しくなくなる、(2)小学校段階においては音声教育を中心に授業を行うべきである、(3)リテラシー指導をする学校とそうでない学校の差が著しくでてくる、などの理由によるものであろう。しかしながら現場では、子どもたちが自然に文字に対して興味を示すことを無視できず、英語活動を導入している学校のうち1,2年生で14%程度、3,4年生で20〜25%、5,6年生で31〜34%の学校がすでに「文字にふれる活動」を導入している。 Phonological AwarenessとReading能力の関係 英語圏においては幼児,児童のphonological awarenessとreading developmentには強い関係があると報告されている(Wagner
&Torgesen, 1987参照)。日本人を対象とした研究においても同様にこれら二つの因子には強い相関関係があることが報告されている(天野,
1986)。移民の子ども達に対する英語教育が大きな課題となっているアメリカでは効果的なリーディング指導を探るため調査が行なわれた。その内容は音素認識指導がリーディングとスペリング学習に及ぼす影響を査定するものであり、大量のメタ分析がリーディングの国家委員会によって行なわれた。エフェクトサイズの分析により音素認識指導はリーディング、スペリングに対して適度、かつ統計的に有意なインパクトを与えていることがわかり、音素認識指導は、単語を読むだけでなく文脈の理解にも役立つことが報告された(Ehriその他,2001)。これからも読み・書きに入る前の音に対する教育の重要さが窺える。 まとめ 学力低下問題が国民的な大きな関心事にもなり、中山文部科学大臣はついに「総合的な学習の見直し案」を出した。これからも英語の教科化については激しく論議されることであろう。公立の小学校で英語教育が行なわれるというのは今に始まった話ではなく古くは明治初期、一部の学校で実施されていた。1886年(明治19年)に高等小学校校制度が発足すると都市部を中心にその気運は広がった。しかし明治の終わりごろには中学の英語教師を中心に中途半端に英語を学習してきた者への再教育の難しさを嘆く声などが多く出され、結果小学校の英語科は1912年(明治45年)に廃止された。 (文京学院大学) 参考文献 |
公立小学校での英語教育への疑義: 西澤 弘行 今回のシンポジウムのテーマは「早期外国語教育:可能性と展望」であった。広い意味での「早期外国語教育」であるなら、(所謂、諸外国語をはじめとして、例えば、琉球語や本土諸方言やアイヌ語や日本手話といった日本という地理的範囲内で話されている共通日本語以外の言語をも含めた)対象言語の選択、継承語、バイリンガル、少数言語の復興、教育=学習の目的と目標の選択・設定、学習の時期、学習者の諸条件、教育機関、教育の内容、教育の方法など様々なトピックが考えられる。しかし、基調講演からも明らかなように、今回は事実上「公立小学校での英語教育」に焦点が当てられていた。確かに公立について論じることは重要である。なぜなら、公立であればこそ、言語政策、教育政策、義務教育の目的などの本質的な問題を論じる必要が生ずるからである。 1. 社会文化的アプローチ 紙数の関係から詳細には触れないが、現在、公立小学校で既に行なわれている英語に関する教育は、時間的にも内容的にも非常に限定されたものである。また現在文部科学省などによって示されているものを見ても、将来、仮に「教科」となった場合でも基本的な状況は変わらないと考えられる。 1.1. Vygotskyの内言 1.2. Bakhtinの「声」 1.3. Wertschの社会文化的アプローチ 1.4. 断片でも良い? 2. 社会言語学などからの問い 筆者は公立小学校での英語教育には、現在様々な名称や形態ですでに行なわれているものに対しても、教科化に対しても反対である。以下にその理由を列挙する: 2.1. 教育効果 2.2. 義務教育の目的 2.2.1. 何故「公立」か 2.3. 英語は「必要悪」であるという認識 2.4. 国際理解教育と英語教育 2.5. 「言語とは何か」を教えること 2.6. EUとアジア諸国 2.7. 反英語帝国主義:イデオロギーの問題 2.8. 言語的人権:アイデンティティの問題 結語 公立小学校での英語教育の問題は、外国語教育学会に於いても、単なる教育効果の視点を超えてより広い視点から考えられるべきである。現在の、そして、文部科学省などにより進められようとしている英語教育によって、小学校・中学校・高等学校・大学それぞれの教育が、則ち、児童・生徒・学生が失うもの、現に失っているものは何かを考えてみる必要がある。それは、小学校では、英語よりも優先されるべき、他の教科でしっかりと教えられるべきものであり、「グローバル化」の無批判な受け入れではない真の意味での国際理解であり、言語への深い理解=人間の深い理解であり、多言語・多文化社会(或いは、複言語・複文化社会)への理解と実現等々である。 (常磐大学) 参考文献 文部科学省関連の資料は同省HPより。 |
EU諸国における早期外国語教育 富盛 伸夫 6. さて、スイス、とくにグラウビュンデン州を例に挙げて早期外国語教育の特色をみると、州の言語としても17%にすぎないロマンシュ語によるイマージョン教育がすべての子供になされている、ということである。保母には州都クールの研修センターでロマンシュ語を習熟させており、ロマンシュ語が(部分的にしても)話される地域、58町村80カ所の幼稚園でロマンシュ語が教育されている。小学校では(日本式にいうと)3年生まで教育媒介言語としてロマンシュ語で全ての教科を教える。しかし4年生からはドイツ語で授業が行われ、この移行が多くの小学生に問題を生じさせている。逆にロマンシュ語は週2時間になり、言語科目としての位置づけが与えられる。中学校からはロマンシュ語がコミュニケーション・ツールとしてではなく、伝統文化教育の一環としてのみとりあげられ、他方で英語の授業がが増えていく。言語政策としては外来の言語による借用を増やすよりロマンシュ語の語彙や表現を充実させるべく努力を怠らないが、ラジオやテレビなどは主にドイツ語やイタリア語によって構成され、週に数回のロマンシュ語による番組しか存在しない現在、ロマンシュ語の言語教育に重点をおくより、外に向けたコミュニケーション言語を習得させるメリットを重視していることが顕著にあらわれている。 文化庁(2003)『EU拡大 と言語政策に関する調査研究報告書』. (東京外国語大学、外国語教育学会会長) |
自由討論 司会:多言語の教育ということですが、一つはメジャーな言語を、もう一つはマイノリティの言語を選択するようにとの提案がEUではされていました。ドイツの場合、英語とフランス語ではなく、英語の他に非常に小さな言語を選ばなければいけないという感じです。さて、政策的な面の話と言語習得や発達に関わる話に分かれるかと思いますが、どなたかそのようなお話はありますでしょうか。先程臨界期の質問がありましたが、それについてお願い致します。 西澤:臨界期という概念が現在ほとんど使われていないことは説明の必要もないかと思います。動物に関するもので、人間には当てはまらないといわれています。それでも敏感期というものはあるのではないかと思います。音声については非常に早い時期に習得されますが、それを過ぎるとどうなるかははっきりしていません。文法に関しても相反する報告がされています。問題は、敏感期とは大脳の問題なのかということです。ヨーロッパ人とそうでない人を対象に実験してみると、敏感期の有無が分かれています。ヨーロッパでは多言語社会なのでそこに要因があるのかも知れません。つまり、環境が問題だと示しているわけです。教育の時期が遅れるほど能力が段々に落ちていくということは、早期の方がいいのではないかと思われますが、それもわからないのです。段々に落ちていくのが脳の問題なのかとなると、わからない部分が多いのです。私は多分そうではないと思います。どんなことでも時間をかければスキルが身に付くと思います。結局、基本的には早くやるということはそれにかける時間が長いということにつながるに過ぎないと考えています。その時に、何が犠牲にされているのかという視点が落ちる傾向があります。臨界期については以上です。 富盛:早期教育についてお話しいただきましたが、早く覚えれば早く忘れてしまうということがあります。しかし例えば帰国子女において、その言語を忘れてしまったとしても、言語能力が何らかの形で開発され、他の言語が覚えやすくなるのか、それについて何かご意見があればお話しいただきたいと思います。 峰:明治大学の峰と申します。今先生がご指摘されたことについてですが、私自身が帰国子女で、9歳から5年間中南米でスペイン語を学びました。帰国後はいきなり中学2年生でひらがなしか書けませんでした。スペイン語の方が得意だったんですが、1年するとスペイン語は忘れてしまって、失語症と同じで言っていることはわかるのに言えない、そういう大変な時期がありました。英語は全く習ったことはありませんでしたが、中学の時に英語を読めと先生に言われ、I am a boy.を「イー・アム・ア・ボーイ」とスペイン語読みで読んだんです。すると、「君は外国に行っていたのに英語が読めないのか?」と言われた覚えがあります。しかしスペイン語をやっていたせいか、英語は非常にすんなりと頭に入ってきました。スペイン語を何とか元に戻そうと神戸外大に入りましたが、入って1年もしないうちに元に戻りました。ですから、脳のどこかに外国語を学ぶというスイッチが入っているのかも知れません。そのような体験をしています。 司会:ありがとうございました。アレン先生、もしこれに関係して何かあれば宜しくお願い致します。 アレン玉井:子供たちを見ていると、4年生くらいから言語を対象化して形式的に考えることができるようになった時に、日本語で言葉を把握している子、もしくは学習ストラテジーが入っている子はものすごく早いんですね。そうでない子はこちらが教えたものが残らないんです。どうやってセンテンスを構成してlanguageを積み上げてあげられるのだろうと苦労するんです。日本語の言語技術を知っている子供の能力を転移させて、教育方法を変えていく方が子供たちにとってはいいと思います。母語でも言語と意識して使いこなし始めた子供は飛躍的に伸びていきます。音声を与えても日本にいる限りは無理なので、視覚から、音声で与えきれないものを与えていくことが重要だと感じます。 司会:ありがとうございました。このテーマは色々考えることが多く、一回限りではカバーしきれないということが予定時間の超過により明らかになってしまい、申し訳ありませんでした。また別の機会を設けて、もう少しトピックをしぼって議論できればよいと思います。本日は3人の先生々、そして大学院生の方々、ご協力ありがとうございました。これにてシンポジウムを終わります。 |