中世の貨幣

 そもそも11世紀まで、西欧では貨幣が日常的に用いられることはなかった。南フランス各地では中世初期に至るまで貴族や商人たちがソリドゥスという金貨を使用していたようだが、しだいにそれらは金だけでなく銀を含むようになり、11世紀にはそれも消失して、カロンリング朝以来の基本通貨であったデナリウス銀貨(ドゥニエ貨)だけが残った。こうして西欧中世経済は銀本位制へと移行した。

          カール大帝 (Charlemagne) のデナリウス銀貨



           ↑ 表                       裏↑
権力の象徴である KAROLVS REX      トゥール (TVRONIS)で鋳造されたことがわかる
 (カール王) の文字が見える

13世紀になると、貨幣経済は農村部にまで浸透し、現金による租税の支払いと買い戻しが増大する。ところが商人たちは、領主たちにより造幣された貨幣の価値が不安定で、広く認められていないことに不満であり、やがてその要求は領主自身をも動かす声となった。こうして価値の安定した銀貨、グロ貨が急速に流通しはじめ、ドゥニエ貨を駆逐する。最初のグロ貨は、12世紀の末にヴェネチアで鋳造されたが、後に、イギリスのエステルリング貨や、聖王ルイのグロ貨がつづいた。

      聖ルイ王のグロ貨(Gros tournois)



        ↑表                        ↑裏

当時 ドゥニエ貨よりも大きい (gros) と言われたらしい。聖ルイの時代に国際取引が活発化し、それに応えるために、ルイ王は 12 ドゥニエに相当するこのグロ貨と、10スーに相当するエキュ金貨を鋳造させた  (貨幣単位のドゥニエとスーについては下の説明を参照)。このように聖ルイ王の治世にエキュ金貨が鋳造され、ふたたび金貨の造幣が再開されたが、西欧で金貨の鋳造が一般化するのは14世紀を待たねばならない。

         ルイ11世のエキュ金貨



              ↑表                     裏↑

表に刻まれた太陽の図柄は王権の威光を表したという。
 中世の貨幣は地域によってその価値が異なり、統一されていなかった。貨幣を計算する単位としては、1リーブル (livre)20スー(sous) にあたり、1スー(sou)12ドゥニエ (deniers) と計算され、半ドゥニエはオボル (obole) と呼ばれた。ところが、実際に流通していたのはドゥニエ貨であり、他の単位は計算するためのものであったようだ。これとは別に、約240グラムの金を表す1マルクという単位も用いられていた

写真 http://www.monnaiedeparis.fr/ より
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