エティエンヌ・ドレの生涯   倉嶋 典子、治山 純子

 

社会

人生

作品

1509

(12歳*)

(16歳)

 

 

-オルレアンで生まれる。

-パリで学業を始める*。

-キケロー学者、ニコラ・ベロー Nicolas Béraultの門下生として、キケローの修辞、思想、ラテン作家と哲学を学ぶ。**

(17歳*)

1526-28**

 

-イタリアに渡り、パドヴァ大学、ヴェニスにて学ぶ*。

パドヴァ学派の哲学、古代の自然観、合理主義、唯物主義などを学ぶ**。

 

1529**

-帰国。トゥールーズ大学で法律を学ぶ**。

 

1533

1534**

パリで檄文事件(Affaire des Placards)を機に新教徒への弾圧強まる。ドレ、目撃**。

-トゥルーズの宗教裁判所にて、二つの演説を行い、投獄される*。

 

-Carmina (~1538)

-Orationes

 

1535

 

 

 

-キケロを模範にすることについての対話Dialogus de imitatione Cicearo- niana

1536

 

-リヨンにて、画家コンパンCompaing(=アンリ・ギュイヨHenri Guillot**)を殺害した容疑で逮捕され、投獄されるが、正当防衛という理由で釈放される。

-ラテン語考(註解)Comentarii linguae latinae

1537**

 

 

-告訴され、パリに逃れ、赦免状発行される。パリでドレ慰安会**。

-de re navali**

 

1538

1539**

-リヨンで印刷所開く。古典語、フランス語の文炎出版**。

 

- id.

-Carmina**

-クロード・ドレの宿命Genethliacum Claudi Dolet**

-Formulae latinarum

locutionum**

1540

 

-思想上の無神論的孤立、激しい性格から、以後逮捕と投獄を繰り返される**。

-Manière de bien traduire d’une

langue en aultre

 

1542

 

 

-Cato christianusを出版したことによって、異端者および無神論者として咎められ、投獄される。

 

1544

 

-ジュネーヴの本をフランスに持ち込み、さらにプラトン作とされ、その中において魂の不朽が否定されている対話Axiochusの一節を翻訳したことから再び投獄される。

- Second Enfer

1546

-パリ、モベール広場にて焚刑。

- Cantique sur la désolation

 

エティエンヌ・ドレの年表を作成したが、彼の生涯には不明な点が多いことを記しておく。また参照文献による異同については、その出典を明記した。

* M.-M. Fontaine, “Dolet Etienne”, J.-P. de Beaumarchais, D. Couty, A. Rey, Dictionnaire des Littératures de langue française, Bordas, pp. 659-661.

** 渡辺一夫 「フランス・ルネサンスの人々」 白水社

参考文献

Grand Dictionnaire Encyclopédique, Larousse.

http://www.mairie-toulouse.fr/Culture/monument/SaintSernin.htm

http://perso.wanadoo.fr/jdtr/Maub47t3.htm