エティエンヌ・ドレと修辞学   櫻井美紀

 

1.文体と文彩の翻訳

 

ルネサンス期の著述家たちは、文彩ならびに比喩が、日常言語と対立する文学言語の源泉であることを認識していた。またそうした修辞的言語の使用は、16世紀において俗語が文学言語として発展する上で大きな貢献をした。

雄弁な著述家たらんとする者は修辞的価値を持った表現をそれにふさわしい著述形式やジャンルにしたがって選び、活用することができなければならなかった。ドレの掲げるOrateur parfaitとは「完璧な演説家」のことを意味するが、彼自身、主題設定inventio、主題配置dispositio、叙述elocutioといった古典修辞学の概念を尊重しつつ実践していた。ドレにとって、翻訳において「文体の伝達」を行うことは、「実質の伝達」から分離され得ない事実だったのである。ドレの残した理論的著作や翻訳文の序文において、文体および修辞の問題こそが彼の中心的な関心事であったことが示唆されている。修辞的言語を翻訳するにあたってドレは以下の二点に留意した。それは、1.ジャンルを認定することと、2.個々の言語における文化的、文学的伝統の多様性を意識することであった。キケローの『トゥスクルム荘談論 Tusculanae disputationes』の翻訳は、フランス語における古典的文彩の使用法を説明するために最適な仕事であったが、その翻訳作業においてドレは、キケローが自らの哲学的思考を敷衍させるために選んだ修辞的表現だけでなく、ギリシャ語やラテン語の引用文まで訳出したのである。

   Ronsard (1524-1585)

 

2.『トゥスクルム荘談論』における比較表現

 

『トゥスクルム荘談論』の中では、キケローが引用した韻文の一節の中にいくつかの比較表現(直喩)が出てくる。ドレはこの比較表現をキケローの技芸と讃え、その翻訳において可能な限り忠実に再現することを目指したが、時に彼自身の考案による細部をつけ加えている。たとえば、エウリピデースから引用された比較表現、「受難に慣れない者とくびきに繋がれた仔馬の比較」では、ドレは一行半のラテン語の韻文を、仔馬にまたがる領主、または騎士見習いの着想を加えつつ、4行のフランス語文に翻訳した。特筆すべきもう一つの点として、ドレはフランス語の比較表現においてラテン語のそれよりも早く比較の主題となる要素を導入している。また翻訳文がラテン語の原文にできる限り近い意味になるように試みている。意味上の明快さ、明晰さはドレの主な関心事であった。彼は比較表現を訳すにあたって原文の表現とできる限り近い統語構造を保とうとするが、フランス語話者にとって慣習的でない言い回しに限っては、不明瞭さをなくすために言い換えるか、もしくは彼自身が注釈を付け加えている。

いずれにしてもキケローの韻文に現れる比較表現は、ドレの翻訳では古典様式において普遍的な価値をもちうる文彩として尊重されているという事実は明確であり、そしてもし翻訳においてもその本質的な構造が保たれているとすれば、目標言語であるフランス語における文彩の役割は原文のラテン語におけるそれと同じといえる。なぜなら、比較表現は修辞的言語としてのその存在意義と価値を読者に十二分に示しているからである。

 

参考文献

Valerie Worth, Practising translation in Renaissance France : the example of Étienne Dolet, Oxford : Clarendon Press, 1988, pp.184-213. 図書館分類番号 [K/817/13]