ヴィム・ヴェンダース「ベルリン・天使の詩」から


赤ちゃんを連れた男の心の声:

いま外でこのように光に向かって頭をもちあげる心の安らぎ
太陽に照らされた、人々の目の色という心の安らぎ


自転車に乗った女の心の声:

ついに頭がおかしくなった
ついにもう一人ではなくなった
ついに頭がおかしくなった
ついに救われた
ついに頭がおかしくなった
ついに心静か
ついに馬鹿者
ついに心の中の光


死にゆく男の心の声:

そんなに馬鹿面してこっちを見るなよ!
人がくたばるのをまだ見たことがないのかよ?
くそ、こんなに簡単に死んじまうのか?
こんなふうに水たまりの中に倒れて、タンカーみたいな臭いをさせて。
いまここでこんなにふうにくたばるわけにはいかないんだ…
あいつらボケッとすっ立ちやがって! あいつらじろじろみやがって!
ああ油のシミが…

カーリン、あああいつにきのう言っとくんだった…
あれは簡単に手を離れてったな。
…残念だけど。ああカーリン!
いまはここに倒れちゃって。
そんなに簡単には…
だってまだやらなきゃいけないことが…
カーリン、だってまだたくさんやることが。
カーリン、赤ちゃん、おれはもうだめだ。

(彼の声は次第に意味不明になっていき、男に語りかけるダミエルがあとを引き継ぐ)

ダミエル:(「世界への呼びかけ」DIE ANRUFUNG DER WELT)

上に登って行き、谷をおおう霧の中から太陽の中へと足を踏み入れた…
家畜を飼っている野原の縁で燃える火…
灰の中のじゃがいも…
湖の畔にある遠くのボート小屋

ダミエルと死にゆく男 一緒に:

極東、
極北の地、
ワイルド・ウェスト
ベイト・レイク!

死にゆく男 一人で:

トリスタン・ダ・クーニャ島。
ミシシッピのデルタ。
ストロンボリ。
シャルロッテンブルクの古い家々。
アルベルト・カミュ。
朝の光。
子供の両目。
滝で泳ぐこと。

若い男: 

おい、あんたたち何ボッと立ってんだ。どうなってるかわかってるんだろ。誰か救急医くらい呼んだのかよ!

若い男の心の声:

ああ、くそ! こいつ耳から血を流してやがる。まちがいなく頭蓋骨骨折だな、こりゃ…

死にゆく男の声(オフ):

雨の最初の数滴がつくる染み。
太陽。
パンと葡萄酒。
ぴょんぴょん跳び。
イースター。
葉っぱの葉脈。
風にそよぐ草。
いろんな石の色。
小川の川底にある小石。
屋外で広げた白いテーブルクロス。
家で見る、家の夢。
隣の部屋に寝ている隣人。
日曜日の憩い。
地平線。
部屋から漏れる光の輝き…
庭で。
夜間の飛行機。
手放し自転車乗り。
知らない美人。
私の父。
私の母。
私の妻。
私の子供。


マリオン:

いままで孤独だったことは全然ないわ。一人で孤独だったことも、誰かと孤独だったことも。だけどやっと孤独になったというのもよかったわね。だって孤独ということは、私がついに完全になってるということだから。いまならそういえるわ。今日はやっと孤独になってるから。
偶然はもうこれでおしまい! 決断の新月よ。定めというものがあるかどうか知らないけれど、決断はあるのよ! 決断して! 私たちがいまや時代となっているの。
街全体だけでなく、全世界が… いまちょうど私たちの決断に加わっている。私たち二人はいまやただの二人じゃない。
私たちは何かを体現している。
私たちは国民の広場に座って、そしてその広場全部が人々でいっぱいになっている。その人たちは私たちと同じことを願っている。
私たちがその人たちに代わってゲームを決めるのよ。
準備はできてる。
こんどはあなたの番よ。
あなたがゲームを手にしてる。
いまか――そうでなければもうそのときはない。
あなたは私を必要としている。あなたは私を必要とすることになるわ。私たち二人の歴史/物語、つまり男と女の物語より大きな物語はない。それは巨人たちの物語になるでしょう。目に見えない、別のものに置き換えることのできる巨人たちの。新しい始祖の物語よ。私の目を見て! それは必然性を映し出しているイメージ、広場にいるすべての人たちの未来のイメージよ。きのうの夜、ある知らない男の人の夢を見たわ。私の夫の夢よ。ただその人とだけ、私は孤独になることができた。その人に心を許すことができた。その人だけに、すべてを打ち明けて。完全な存在としてその人を私の中に迎え入れて、二人一緒の至福の迷宮とともにその人を抱きしめることができた。
わかってるの、あなたがその人よ。