雑感 (その1)
自分自身の研究の歩みについて

(1998年7月頃)

大阪市立大学文学部がこのたび学科改組を行い、私は1998年4月から「比較言語文化講座・表現文化コース」に所属することになりました。1992年4月にここに赴任して以来、6年間「ドイツ語・ドイツ文学教室」にいたことになりますが、こういった所属の移動は私にとっては、単にどこに身を置いているかとか、それにともなって研究対象がどうなるか、という以上のものを意味しています。

学生の時の身の置き所は、学部の時は東大の駒場にある「地域文化」の中の「ドイツの文化と社会」(通称「ドイツ科」)、大学院の時は「総合文化研究科」の「地域文化研究」でした。ドイツのことを総合的な視野からとりあげたいという姿勢は、最初の時点から今に至るまでずっと持ち続けているものですが、同時に、自分がどういった立場から対象に取り組んでいるのか、自分自身の身の置き場所である「地域文化研究」は確かに制度的に成立しているように見えるけれども、いったいそれは何なのか、といった問いを常に自分に対して投げかけ続けてきました。

「独文教室」に所属するということは、私にとって、もしその気になればそういった問いにほとんど関わらなくてもよい場所に身を置くということを結果的に意味していました。私の関心の重心は多くの独文研究者とはもしかすると少し異なるものだったかもしれませんが、私が中心的に取り上げてきたカール・クラウスやヴァルター・ベンヤミンという研究対象やそこに向けられた視点は、文句なくGermanistikというとりあえず安定したディシプリンとして了解されているものの中に収まるものであり、その意味で、自分自身をGermanistと呼ぶことに何のためらいも感じる必要はありませんでした。

そして、このたび1998年4月に「比較言語文化講座・表現文化コース」に所属することになったとき、私は自分のことをなんと呼ぶのでしょうか。たぶん今まで通りGermanistでもあることは間違いないでしょう。今まで通り、クラウス研究者であり、ベンヤミン研究者であるでしょう。そしてそれとともに、「表現文化コース」という一つの制度的な存在が自己了解を模索しているのと同じように、そして私がかつてときには苛立ちながらも自分はどこに立っているのかと問うていたのと同じように、自分自身と、そして自分がおかれたこの新たな場を問い続けることになるでしょう。この新コースの成立の過程にも関わってきた人間として、このコースが、例えば「地域文化研究」「比較文学・比較文化研究」「表象文化研究」などと呼ばれている比較的新しい研究上の領域・立場に重なってくるものである、ととりあえず理解しています。しかし、上にあげた三つについてさえ、それぞれが自己規定に苦しみながら展開しているというのが実際の状況です。私にとっては、自分自身を問い直す必要に避けがたく直面するこの新しい不安定な足場は、決して厭わしいものではありません。おそらく、それこそが 自分の関心の根幹に関わっているものだと考えています。自己了解を試みたとたんに新たな規定が迫られ、それが手の内からすり抜けていくという状態こそが自己了解であるとさえいえるようなディシプリンに関わることを、出発にあたって、醒めた目で喜びたいと思います。それに関わることは、おそらく私にとっては、昔からそうであり続けていたであろうような自分自身に関わることでしょうから。