プログラムノート

ベートーヴェン:交響曲第5番

 ベートーヴェンの交響曲第5番は、おそらくあらゆる交響曲の中でも最もよく知られた曲の一つである。この交響曲がこれほどまでに有名であるのは、なんといっても第1楽章冒頭のモティーフによってこの曲が「運命」交響曲として広く受けとめられてきたからであろう。第1楽章の冒頭について「このようにして運命は扉をたたく」と語ったという、同時代の伝記作者が伝えているベートーヴェンの言葉の真偽はともかくとして、この広く流布したエピソードのために、われわれは、ベートーヴェンの音楽の中でもひときわ優れた集中度と構成力をもったこの傑作を、音楽そのものとしてではなく、「運命」という標題のもつイメージにどうしてもとらわれて聞いてしまう、という不運に見舞われているのかもしれない。確かに、ベートーヴェンという一人の人間が仕上げた作品には、彼の私的な格闘の痕跡もきっと残されていることだろう。しかし、もしも格闘ということを問題にするのであれば、ベートーヴェンが彼の時代環境の中でどのような音楽的な(あるいは音楽家としての)戦いを挑んでいたかということのほうが、この交響曲の音楽そのものにはるかに密接に関わっているように思われる。

 ベートーヴェンが交響曲第5番に取り組んでいた1805年から1808年はまさにナポレオンの全盛期であり、ベートーヴェンが1792年以来住んでいたウィーンも、フランス革命の進展、そしてそれに続くナポレオンの遠征に戦々恐々としていた。革命やナポレオンに対するベートーヴェンの態度は、その時々の政治的出来事などに応じて両面的なものであったようだが、例えば交響曲第3番(1803-04)、歌劇『フィデリオ』(1804-05)、ゲーテの悲劇『エグモント』のための劇音楽(1809-10)にも見られるように、抑圧的な体制に対して自由な精神の飛翔を求めるというテーマは、おそらくベートーヴェンの音楽の根幹を成すものの一つに数えることができるだろう。

 市民革命による封建的な支配の打倒、革命に脅威を感じてこれを鎮圧しようとする隣国封建君主の軍隊への国民的抵抗、逆にフランス軍の侵攻によって鼓舞されることになる隣接諸国の国民意識といった時代の流れは、世界史の中のできごととしてとらえられることになるが、こういった時代のうねりは、ベートーヴェンが音楽家として生きていた小さな世界の中でも別のかたちをとって現れていた。ベートーヴェンがドイツ(といっても、小邦に分かれた「神聖ローマ帝国」内のケルン選帝侯国)の小都市ボンから、ハプスブルク帝国の首都ウィーンに出てきたのは、もちろん、芸術と富の都、グルック、ハイドン、モーツァルトの街で音楽家として名を成し、世界に認められるためである。しかし、そのことは同時に、ボンで宮廷音楽家であるのとは比較にならないほど、貴族の文化的機構のうちにいやおうなく組み込まれてしまうことを意味していた。もちろんウィーンで音楽家として生活し、認められていくために、ベートーヴェンは数多くの貴族とつきあい、パトロンとして支援してもらっている。(交響曲第5番は、そういったパトロンたちのうち、ロプコヴィッツ侯爵とラズモフスキー伯爵に献呈されている。)しかし、ベートーヴェンがときとしていかに宮廷的な儀礼を嘲笑し、あえて野卑で無作法な振る舞いをしたか、さらにはパトロンに対しても場合によってはいかに反抗的で無礼な態度をとったかという記述は、伝記の中でおなじみのものでもある。そういった振る舞いは、貴族の使用人として仕え、見世物のように演奏させられることを「卑しい」ものとして拒絶する一人の音楽家の矜持に根ざすとともに、ちょうどモーツァルトが教会と宮廷という封建社会の二つの権力に仕えながらも、それらから次第に離れていくことになったと同じように、音楽の社会的位置づけがまさに変わろうとする過渡的現象の一つでもあった。

 もちろん、そのような転換点として、音楽そのものの革新性を抜きに語ることはできない。第1楽章だけでなく交響曲全体の構成を支える冒頭のモティーフ、第3楽章から第4楽章への緊張に満ちたattaccaでの移行、第4楽章でのスケルツォのテーマの再現、同じく第4楽章でのピッコロ、コントラファゴット、トロンボーンの使用といった外面的な特徴だけでなく、あの特別な集中をともなったエネルギーの凝縮そのものによって、ベートーヴェンの音楽は、ハプスブルクの宮廷文化の中で展開してきたウィーン古典派の伝統を継承しつつも、そこから大きく足を踏み出すことになるのである。

 だが、この交響曲第5番がこのようにさまざまな意味において、変革の時代におけるそれ自体革新的な交響曲であるにせよ、現代のわれわれにとってこの交響曲はどのような力を持つのだろうか。われわれ日本人がなぜ、ほぼ200年も経たこの日本で、ナポレオン時代のウィーンに生きたベートーヴェンの交響曲を演奏するのだろうか。これほどの傑出した作品に対して、このような問いを向けることはあまり意味がないように思われるかもしれない。しかし、この交響曲がベートーヴェンの時代とわれわれの時代ではどれほど異なるコンテクストのうちに置かれているかを改めて考えてみると、われわれがこういった現代的なコンサートホールで演奏するという行為はかなりショッキングな対比として見えてくる。ベートーヴェンの時代の歴史的環境、社会的・文化的環境のなかで成立した作品が、もはや最先端の奇抜で野心的な音楽としてではなく、いまや完全に評価の定まった「古典的」傑作として、かなり異なった楽器・演奏スタイルによって演奏される。(ちなみに、この演奏会ではもちろん現代楽器を用い、弦楽器も大編成であるだけでなく、木管楽器とホルンは人数を倍に重ねている。)そして、バロック作品、イタリアのオペラ様式、ウィーン古典派といった音楽的環境のなかで音楽を享受する貴族中心の演奏会に対して、ここでは、作品が成立した時代の社会・文化からはまったく切り離された「コンサートホール」といういわば無機的な空間のなかで、現代にまでいたる西洋音楽の素養を身につけた聴衆を前にして演奏が行われる。

 これほど異なったコンテクストのうちに置かれたとしても、もちろん、ベートーヴェンが彼の時代の中で格闘していたものは、作品という布地のうちに織り込まれている。その布地を当時あったように再現しようとするのではなく、その織物そのものがなす構成を新たなコンテクストの中で浮かび上がらせ、われわれにとってそれがどのような力を持つものであるかという問いに対して、そのたびごとに答えようとすることが、ここで演奏するということなのかもしれない。


新交響楽団第185回演奏会
2004年4月17日(土)東京芸術劇場大ホール
曲目 R.シュトラウス/歌劇「ばらの騎士」組曲
   石井眞木/交響詩「幻影と死」(遺作・完全版初演)
   ベートーヴェン/交響曲第5番(クライヴ・ブラウンによる新校訂版)
指揮 高関 健