文学/出版:図書を通じた日・タイ文化交流の実績と可能性」宇戸清治
1.外国図書の歴史的な読まれ方
まず最初にタイにおける外国図書との歴史的な関わりについて、その傾向と問題点を中心に概観しておきたい。
1-1.教育
タイにおける近代的教育システムの導入はラーマ五世時代(1868-1910年)で、1872年に最初の英語学校が王宮内に設立された。生徒は王族、貴族または民間の富裕層の師弟に限られていた。一般
人向けの学校も1880年代から各地の寺院内に開かれていったが、その歩みは遅く、教育法に基づく義務教育の開始はようやく1920年代以降のことである。1960年代までは、国民の多くが小学校4年の義務教育が最終学歴であった。この義務教育には英語のカリキュラムもあったが、教師や教材や不足しがちで、初歩レベルの教育にとどまった。ちなみに立憲革命やタイ近代文学の成立期にあたる1930年代の識字率は5〜6%台であったといわれる。
高等教育機関についてはチュラロンコーン大学が1887年に創設されて以降、官僚養成を主目的に国立大学が順次設立されていった。しかし、進学率は長い間低い水準にとどまり社会的エリート以外には閉ざされた世界であった。
初期の王立学校、民間学校のカリキュラムでは英語、仏語、ドイツ語をはじめとする西洋語の比重がひじょうに高かった。我が国の明治時代と同様に外国人教師も多数を雇用したが、その分野は外国語教育に特化していた傾向が強い。国内での外国語教育と並行してラーマ五世時代以降、欧米への留学が盛んとなり、留学体験は社会的ステータスを得るためのパスポートとなった。帰国留学生の多くは国内行政改革の旗手となって活躍した。一部は教育、言論活動、文芸創造の分野で世論をリードした。
1-2.外国図書の歴史的な読まれ方
社会的エリートの師弟が受けた初期の外国語教育では、一般にテキストは原語のものが用いられ、タイ語への翻訳テキストは皆無に近かった。元々、タイ最初の辞書や文法書を表したのは19世紀中期のパレゴワ神父などの在タイ欧米人であった。洋行帰りの人々は英語その他の欧米語から直接、様々な知識を得た。その能力のあることがエリートの条件になっていたこともあり、外国図書の翻訳機運は盛り上がらなかった。
ラーマ五世時代以降、英語やタイ語新聞の発行が盛んになるのに伴って、欧米小説の翻訳や翻案が新聞に掲載されるようになった。欧米のマガジンを真似た月刊誌「ラック・ウィッタヤー」などはメーワンがイギリス大衆小説を初めて翻訳紹介したことで有名である。それでも欧米語からの翻訳は文学作品(それも中欧の大衆小説や推理小説)が主で、他の人文科学や社会科学、人文科学の著作が翻訳されることは稀であった。このように、タイにおいては高等教育の普及がつい最近に至るまで遅れたこと、外国語運用能力がエリート層の特権意識と結びついたため翻訳による一般
への知識の普及が軽視されたこと、高等教育機関では比較的最近まで外国語図書がそのまま教材として用いられる傾向が強かったこと、翻訳のジャンルは圧倒的に文学作品が多かったこと、翻訳された外国図書の質が一般
に低く、またその受益者の層が薄かったことが明治維新以降の日本における外国図書の翻訳事情との大きな差違である。
1-3.欧米図書の翻訳現況
詩人・作家として著名なウィッタヤコーン・チェンクーンが責任編集した「タイ人が読むべき20世紀の世界の良書100冊」(1999年、ミンミット出版。実際には172冊が紹介されている)の中からタイ語に翻訳されたものをピックアップすると全部で44冊になる。ジャンル別
では文学が最も多く、チェーホフ「三姉妹」、スタインベック「怒りのブドウ」、カミユ「異邦人」、デュラス「愛人」など15点、哲学思想ではサルトル「存在と無」など4点、大衆娯楽ではストーカー「ドラキュラ」、ミッチェル「風と共に去りぬ
」など5点、経済・技術ではシューマッハ「スモールイズビューティフル」など2点、S・Fではウェルズ「タイムマシン」、オーウェル「1984」など5点、社会ではヒットラー「我が闘争」、アンネ・フランク「アンネの日記」など10点、その他3点である。残りの128点については著者名とタイトルが英語表記で紹介され、簡単な解題が付してある。つまり、タイ語訳のないこれらの作品については原語で読むようにと勧めているのである。
タイ語訳された44作品はすべて欧米のものばかりで日本や中国その他のアジア地域の作品は1点もない。その理由については次の項目で検討することになる。ちなみにこれらの作品はそのほとんどが軍事政権が倒れて表現の自由が大幅に改善された1970年代中期以降の翻訳である。
2.タイにおける日本関係図書への関心:過去の日本関係図書の傾向と将来の可能性
ここでは日本関係図書に絞ってタイ側の関心の傾向、問題点、将来の可能性といった点を考察する。
2-1.過去および現在の関心の傾向
一言でいえば、過去においては日本関係図書への関心は欧米図書への関心に比べると相当に低かった。現在もその傾向に大幅な改善が見られるわけではないが、日本関係図書だけに絞れば過去におけるよりも関心を持つ層は若い世代を中心に増加傾向にあるといえる。高等教育や留学、研修によって欧米語および欧米社会に関する豊富な知識と体験を有し、どちらかといえば戦前の日本や戦争被害の記憶から文化的に日本にやや距離を置いてきたタイの旧世代エリートに較べると、新世代のタイ人には日本に対するアプリオリな拒否反応はほとんど見られない。むしろ、若い世代になるほど文化的に欧米よりは自分たちに近い日本の現代文化に大きな関心と興味を抱いているといってよいだろう。これはタイにおける日本語学習者数の増加という現象からもうかがい知ることができる。
こうした変化に沿う形で、関心を持つ日本関係図書の分野にも変化が生じてきているように見受けられる。つまり、従来関心の高い本といえば、日本語入門書、実践的な日本語運用能力の向上に資するもの、旅行案内を含む概説的な日本事情紹介、企業経営や工場管理指南書、最新のテクノロジー紹介、児童文学などの比重が高かった。一方、日本文学や歴史、思想といった図書への関心は高等教育機関や研究所スタッフ、それらの分野を専攻する学生といったアカデミズム世界の外には広がっていかない傾向があった。大学の教材としての側面
が強すぎたのである。
しかし1990年代になって日本の若い世代の生活スタイルやいわゆるサブカルチャーとよばれる大衆文化が東アジアや東南アジアの広い地域で支持されるようになってくるのと並行する形で、従来にはなかった新しい視点からの日本文化への関心が掘り起こされ始めた。日本の映画、アニメ、漫画、服飾、音楽などへの関心がそうであり、最近ではそれらの情報を満載した商業ベースのタイ語隔月誌「ジャパンワールド」も刊行されている。こうした新しい傾向はタイにおける日本関係図書刊行の将来に一つの方向を与える力になりそうである。
2-2.従来の日本関係翻訳図書と課題(資料添付)
過去にタイ語に翻訳された図書の量は欧米のものに較べると決して多くはない。その中でも圧倒的に多いジャンルは文学であり、歴史、政治、哲学、思想、経済、社会といったジャンルの翻訳は別
添資料からも分かるように驚くほど少なかった。両方の分野とも翻訳図書の場合は日本の助成機関やタイの大学出版部その他の支援を得て刊行されたものであることが多い。以下では日本文学を中心とする翻訳図書とその他の日本関係図書とに分けてそれぞれの傾向と問題点、将来の展望を見ていきたい。
2-2-1.翻訳図書(文学を中心に)
タイ語に翻訳され出版された日本図書の大部分は文学と日本語学関係であり、とくに文学の比重は極めて高かった。文学の翻訳には川端康成「雪国」のように英語からの重訳のケースと、元日本留学生らによる日本語からの翻訳の二つのケースが存在する。資料の中の「不明」の多くは英語からの重訳であろうと推定すると、両者の翻訳点数はほぼ同数ということになる。「将軍」など英語からの重訳は職業翻訳家の仕事であるが、日本語からの翻訳を担った人々の職業は大学や日本語教育機関の教官、それにフリーの元留学生が多い。
作品のジャンルは数点の児童文学を除くとみな純文学であり、しかも圧倒的に日本近代文学によって占められている。このことは翻訳者の職業や翻訳の動機と深い関係があるように思われる。つまり、教育研究機関のスタッフである翻訳者は日本文学や日本語教育の専門家であり、近代文学の翻訳と研究や現場での教育的実践とが容易に結びつきやすかったからだと考えられる。
しかし、同じ日本近代作家でも二葉亭四迷、幸田露伴、正岡子規、国木田独歩、樋口一葉、泉鏡花、佐藤春夫、有島武郎、梶井基次郎、島崎藤村、志賀直哉、永井荷風、幸田露伴、野上弥生子、太宰治、大岡昇平などの作品はまったく翻訳紹介された形跡がない。堀辰雄、林芙美子、舟橋聖一、石川達三、高見順、伊藤整、坂口安吾、小林秀雄、野間宏、埴谷雄高、小田切秀雄、安部公房、遠藤周作、大江健三郎などの戦後作家についても同様である。まして1980年以降に活躍し始めた若手作家である村上春樹、吉本ばなな、村上龍、山田詠美、島田雅彦、松浦理英子、池澤夏樹、椎名誠、林真理子、荻野アンナ、高橋源一郎、辻仁成、笙野頼子、原田宗典、久間十義、長野まゆみ、内田春菊、小川洋子、山本昌代、奥泉光、高樹のぶ子、中上健次、椎名誠、村松友視、盛田隆二、藤野千野、川上弘美あたりになると日本文学を専門とするタイ人研究者でもほとんど手をつけていないというのが現状であろう。
欧米における最新日本文学の翻訳、紹介の実状と比較すると、タイでは戦後〜現代日本文学へのアプローチに大きな課題が横たわっていることが分かる。また「源氏物語」や「古今集」、江戸文学など古典文学の翻訳がほとんど見あたらないことも特徴の一つである。
ところで日本語から翻訳された文学作品の内、判明しているだけでもほぼ半数の図書が出版にあたってチュラロンコーン大学出版部、タマサート大学出版部、国際交流基金、日本大使館広報センター(旧)、トヨタ財団からの出版助成を受けている。翻訳を含む日本関係図書の出版部数の多くが1000部から2000部程度であり、到底商業的にペイする状況ではない以上、こうした出版形態をとらざるを得ないことはよく理解できる。しかし、これは同時に供給者側の論理ばかりが前面
に出て、需要者側の欲求が反映されなかったり、文学需要の市場を開拓していくイノベーションが起きにくくなるという弊害もあることは銘記すべきだろう。「売れる」作品を翻訳する→それがメディアを通
じて話題になり読者を増やす→世界で話題になっている同世代の作家の作品に対する欲求が強まる→ペイするので翻訳者間の競争が生まれる→必然的に質が向上する→翻訳がよく売れてメディアの話題になる→民間出版社からの翻訳以来が相次ぐ→助成がなくても自立できるようになる。夢物語を承知での話だが、そういった方向への模索も考えられていいように思う。
これまでの日本文学の翻訳には話題性が乏しかったことが大きな欠点であった。助成する側から考えた場合、その改善の一つの方法として、対マスメディアへの適切な情報提供による話題性の創出にもっと知恵を絞る必要があるのではないかと思う。タイにおいても多くの文学者はメディアと密接な関係にある。その中には自ら新聞、雑誌、文芸誌の編集スタッフを兼ねている人物も少なくない。スチャート・サワッシーや若手作家のカノック・ソンソムパンなどもその例である。日本関係図書の翻訳出版助成にあたっては翻訳者と密接な関係を保って事業を進めることはもちろん大事なことだが、翻訳者の個人的力量
ではカバーできないメディアへの対応をも支援する体制があれば、翻訳者は翻訳して終わり、助成側は印刷経費を援助して終わりという構図から一歩進んだ翻訳助成事業全体にとってのプラス効果
を生み出せるのではないか思われる。
最後に、文学作品以外の分野の図書翻訳では福沢諭吉「学問のすすめ」の他に中根千枝、陸奥宗光の著作がある程度で、これでは常々日本の近代化プロセスのエートスに深い関心を寄せているタイ側の要求に十分応えているとはいいがたいように思う。少なくとも、吉田松陰、坂本龍馬、森有礼、中江兆民、徳富蘇峰、岡倉天心、内村鑑三、木下尚江、西田幾太郎、河上肇、柳田国男、和辻哲郎、吉野作造、三木栄、柳宗悦、鈴木大拙など近代日本の精神形成に欠くことのできなかった思想家の著書の翻訳や紹介が強く望まれる。日本人は経済や物ばかりが前面
に出て素顔が見えないと揶揄されることの多い中で、こうした近代日本が世界に誇る先哲の思想を地道に紹介していくことは、タイと同様に欧米諸国との葛藤に苦しんだ日本の歴史に対するより正しい理解と共感を生み出す契機になると信じる。また、この分野の翻訳出版こそは当分の間助成なくしては困難だと思われる。
2−2−2.翻訳文学以外の日本関係図書
ここでは2−2−1と重なる論点は省いて記述する。また、書き下ろしの日本関係図書の分野は幅広いので、以下では経営書、技術関係、日本語学、スポーツなどは含めない。
タイでは日本の文学作品の翻訳紹介が1960年代に始まったのに対し、それ以外の分野の翻訳や研究図書の出版はようやく1970年代に入ってからのことであった。しかも初期の日本関係図書は欧米人による日本研究(英語)の翻訳や紹介という性格が強かった。日本語文献を直接に研究、翻訳するのが盛んになるのは1980年代半ば以降で、分野としては日本歴史研究が先行した。カセサート大学のペンシー教授にその関連の図書が多い。その後、社会、文化、文学、思想、教育などの分野の翻訳や研究図書が続々と刊行され出した。資料を見ると政治、経済の分野の図書がほとんどないことに気づくが、それらは単行本という形ではなく参考資料にあげたような学術誌に掲載される論文の形をとっていることが多い。決して日本の政治、経済の研究がおろそかになっているわけではない。
これらの日本関係図書の問題点を挙げるとすれば、それは、図書刊行が一般
読者を意識したものであるというよりは、むしろ学生、教師、研究者、知識人向けであるという側面
が強いことである。そのことは大学出版部や政府・民間系の基金による出版助成を得た図書の数が非常に多いということからも分かる。概説書的な内容のものもないわけではないが、必ずしも専門外の人間や一般
読者にアピールしてはいないようだ。執筆者の多くは日本や欧米で歴史学、文学、政治学、経済学、宗教学等の学位
を取り、大学等教育研究機関で学生を指導したり研究に従事するスタッフがほとんどである。従って、これらの図書は教材の性格を持つことが多く、500部〜2000部程度が通
常の発行部数なので、一般書店で入手するにはかなり困難を伴う。
日本語学や文学の専門家に較べると日本語を自由に操れる歴史、政治、経済等日本事情の研究者の数はまだまだ多いとはいえない。日本事情関係の図書の中には、参考文献のほとんどが欧米語のものである例もまま見うけられる。そうした状況もあって、日本語の一次資料を縦横に駆使した専門図書の数は依然として少ないのが現状である。
また、概説書の中には、現代日本人の生活についてのいくつかの基本的な知識や情報を欠落して書かれたために、現代日本の実状が必ずしも正確に伝わらないか、一部誤解を招きそうな箇所を含む図書もある。とくによく見られるのは、これらの図書や雑誌に掲載される写
真等図版の題材である。最新の日本語副読本を除くとそれらのほとんどが今でも富士山、神社仏閣、芸伎、相撲、入れ墨、生け花、茶道、伝統的意匠、和服、御輿など伝統日本を強調するのものばかりで埋め尽くされ、現代日本人の普通
の生活や芸術などの文化活動を紹介した図版はきわめて少ない。これらは、メディアや教育を通
じて日本の実情を知るしか方法のない学生や一般のタイ人が現代日本を正しく理解する上での障害になりかねない可能性をはらんでいると思われる。
2−3.将来の可能性あるいは展望
タイ側にも日本側にも共通していえる日本関係図書に関する今後の大きな展望としては二つある。ひとつは従来のどちらかといえばアカデミズム内に偏った図書からより一般
受けのする内容を持った図書の普及を計ることである。一例を挙げれば、かつての日本のような受験戦争時代に突入したタイでは日本の児童保育や高等教育への関心がとても高いが、既存の図書は教育システムの紹介や分析に重点を置いた学術的な内容のものが多く、一般
タイ人の知的好奇心に応えるような平易で応用可能な内容の図書はまだまだ少ない。かつて日本でベストセラーになった教育関係図書などの翻訳や紹介はその一助となるように思う。もう一つは、文学等のジャンルに限らずあらゆる分野で近代から戦後にかけての図書中心の姿勢から、現代日本そのものの紹介に大きく比重を移すことである。例えばここ1、2年のベストセラーで欧米でも盛んに翻訳紹介されるような図書を時期を外さずにタイにも紹介することである。その場合も単なる記事程度の紹介やダイジェストであっては意味がない。しかし、そうなると翻訳等にかかわる人材の不足がすぐに現実的な問題として浮上してくる。その解決策の一つは、これまでのようなどちらかといえば個人任せのプログラムではなく、グループを編成して効率よく仕事を進めるプログラムへと転換することである。
最後に、正攻法としては意見を述べにくいのだが、現代日本のサブカルチャー(映画、アニメ、漫画、音楽、服飾等)に関する一般
タイ人、特に若い世代の関心にはひじょうに高いものがある。たとえば出版点数と部数だけからいえば日本の漫画は上述した日本関係図書の総発行点数、部数をけた違いに凌駕している。見逃してならないのは、それらがタイの若い世代の価値観に与える影響が従来の日本関係図書の比ではないほど強いことである。従って、今後はタイの有識者の間からこうした現象に対する危惧が表明されるケースが増えてくることが予想される。しかし、サブカルチャーを単に否定的に捕らえる姿勢からは前向きの対応は生まれにくい。図書ではない映画はひとまず置くとして、たとえば漫画も現代世界で市民権を得た一つの確乎たる文化形態であることに間違いはなく、その扱い方次第では従来の日本関連図書以上に大きな成果
を生み出す可能性が秘められている。人類共通のヒューマニズムに根ざした手塚治虫の漫画が国境や民族を超えて世界の人々に愛されているのはその良い例である。サブカルチャー関連の図書にどう対応していくかは、今後ますます大きな課題になっていくように思われる。
更にいえば、図書を媒介にしないインターネット社会の出現は従来の日本関係情報へのアプローチを一変させる可能性をはらんでいる。インターネットを通
じて直接に日本にアクセスしてくることが常態になれば、企画、翻訳、入稿、校正、出版、謝礼等経理といった図書出版にまつわる作業の多くが不要となるなど従来の翻訳出版にまつわる様々な限界が突破できる可能性は高い。しかし、この問題は今回の課題である日本関係「図書」からは外れるのでこれ以上の論究は避けたい。
3.日本語→タイ語翻訳者の育成状況
英語を中心とする欧米語学習の歴史と較べるとタイ人による日本語学習歴は短いものでしかなかったが、1980年代以降だけを見れば、タイにおいては日本語学習者の総数は英語の次に位
置するまでに増加した。 基本的にこの傾向は今後も変わらないと思われる。
現在、タイにおける日本語教育の中心はチュラロンコーン大学、タマサート大学、カセサート大学、チェンマイ大学など1960年代から日本語教育を行ってきた全国の総合系、単科系大学である。大学以外では職業学校や高校でも日本語を教えるところが増えてきた。また民間には国費留学生会日本語学校などのように長い日本語教育の歴史を有する機関がある。タイ所在の日本の政府機関や援助団体で日本語教育を行っているのは国際交流基金バンコク事務所、タイ日経済技術振興協会(TPA)の2機関である。
これらの機関で日本語の教育・研究に従事する指導的な教師はほとんど全てが日本留学経験者で占められている。その多くの専門は言語学、日本語学、日本文学である。かつては歴史などそれ以外の専門分野を持つ留学経験者が日本語授業を担当することもままみられたが、今日では博士課程を終えた優秀な人材が確保されやすく、むしろポスト獲得競争の時代になったので、そういったやりくりはほぼ姿を消した。
大学の日本語学科のカリキュラムの中心はもちろん日本語であり、配置された教師の数も最も多い。日本の歴史や文化、社会に関する高度な知識を持った教師の数も1960年代、1970年代に比較すれば相当増えた。ほとんど全ての大学に日本語教育担当の日本人教師(常勤と非常勤)がいる。そして、どちらかといえば理論よりも実践的な日本語運用能力の獲得と向上に重点が置かれている。これは政府文部省の方針や日系企業への就職や日本留学を念頭において学習している学生の要望とも一致する。
日本語からタイ語への翻訳者の育成状況については大学等教育機関の教師や学部生・大学院生、民間の元留学生の2つに分けて論じる必要がある。
まず教師では、別紙資料からも分かる通り、日本文学を中心に翻訳経験を持つ人材が各大学や民間語学校に点在する。しかし、日本語教師全体から見ると翻訳者の数はまだまだ少ないというのが実状である。翻訳を行う教師にはベテランもいれば帰国後数年の新人もいる。ベテラン組の翻訳図書のジャンルが文学、思想、歴史、伝記などと幅広いのに対し、新人は日本語学関係の図書にほぼ限定されるきらいがある。しかも、その新人ですら着実に数が増加しているわけではない。その理由は、先輩翻訳者への遠慮、実績やコネがないので出版助成の話がこない、日本語教師としての仕事に忙殺され時間がない、翻訳に投入した時間やエネルギーに見合う収入の保証がない、翻訳は研究業績としての評価が低くキャリアアップとしての魅力に欠ける、などが考えられる。
実はこの最後の点についての認識は大学に籍を置くベテラン教師の場合もまったく同じである。組織の上の階梯に進むには翻訳よりも論文や専門分野の図書刊行の方が圧倒的に有利だからで、この事情は日本や他の世界とも共通
する。従って、一般的にはこれらの人々は翻訳にあまり強い関心を示さない。日本語学や文学以外の専門である教師たちになると日本関係図書の翻訳点数はぐっと少なくなり、むしろ専門家や一般
向けの概説書の執筆に向かうケースが多い。
学生の場合はどうか?学部生では簡単な翻訳を除く本格的な翻訳については知識と経験が浅すぎて、当面
役に立ちそうにはない。大学院修士課程は1998年のタマサートに続き1999年にはチュラロンコーン大学にも設置された。前者では15人前後の院生が日本文学を専攻し、後者では3人が日本語学、6人が日本文学専攻である。これらの院生の多くは課程終了後に日本留学を目指すと思われる。院生は毎年増加するわけで、近い将来に彼らの中から師を超える人物が出るのは間違いないだろう。彼らには大いに期待できそうである。なお、大学の公開講座や民間語学校で日本語を学ぶ生徒の場合、その動機はほとんどが日系企業の事務所や工場、観光産業などで用いる初歩的かつ実践的な運用能力の獲得にあり、将来翻訳者になる可能性はきわめて低い。
いずれにせよ、適切で継続的な働きかけや労力に見合う経済的、身分的なメリットが一定程度保証されない限り、翻訳未経験者を翻訳者に養成するのはかなりの困難があるように思われる。翻訳経験者にもこれまで以上に翻訳に時間を割いてもらうには無理があろう。そうなると期待できるのは、現在の院生や意欲のある新人と在野の留学経験者ということになる。在野の通
訳・翻訳者で有名なのはプッサディー氏で黒柳徹子の著書を中心にこれまで何らの出版助成も得ずに売れる翻訳を出している。一般
のタイ人に最もよく知られた日本図書の翻訳者である。彼女の他にも民間の日本語教育機関で教師を務める留学経験者が数人いて、「野口英世」などを翻訳出版した。いずれにせよ、日本語からタイ語への翻訳者の数が英語のそれと比較して圧倒的に少ないのは紛れもない事実である。翻訳者のすそ野は以前より着実に広がっているとはいえその動きは緩慢で、当面
の人手不足問題が短期間に解決する有効な手だてはなく、辛抱強く次世代の成長を待つしかないところがある。
4.日本におけるタイ文学紹介の実績と今後の課題
このテーマについてはアウトラインだけをごく簡単に記述したい。
日本におけるタイ文学紹介の嚆矢は1970年代初の季刊「朝日アジアレビュー」である。この雑誌は時に東南アジア文学特集を組み、タイその他の地域の短編が初めて日本人にもたらされた。雑誌の廃刊後、タイ文学の翻訳出版が盛んになる大きな転換点となったのはトヨタ財団による出版助成が始まった1980年代であった。
現在では、トヨタ財団の他に大同生命基金もタイをはじめとするアジア各国の文学作品の翻訳出版を支援し、出版社めこん他数社が採算を度外視してタイ文学作品を刊行するようになった。また、「すばる」等の文芸雑誌も東南アジア文学特集を組むことがある。タイでは日本人が経営する出版社が主として在タイ日本人向けに文学作品の邦訳を刊行しているし、東京外国語大学東南アジア文学会は季刊「東南アジア」で、アジア文化社は「アジア文学」でそれぞれ作品・作家紹介を続けている。さらに、国際交流基金アジアセンターはアジア講座を通
して研究者や翻訳者が一般の日本人にタイ文学を紹介する機会を設けている。こうして今日まで日本に紹介された作品の数は長編、短編を合わせて200点以上にのぼる。日本におけるタイ文学の翻訳紹介は他の東南アジア諸国の文学作品と較べて着実に発展を遂げつつあるといえる。ただし、タイ文学の認知度は以前より高まったとはいえ、発行部数は欧米文学の翻訳とは依然として雲泥の開きがあり、商業ベースに乗ることは当分考えられない。
タイ文学紹介の今後の課題としては、両手で数えられるくらい少ない翻訳者の数を増やすこと、本格的なタイ文学研究専門書の刊行、タイ作家要覧の作成、作家論・作品論の深化と充実、作家全集または選集などより系統的な翻訳の刊行、タイ文学翻訳者と研究者の交流の拡大、タイの作家、詩人、研究者、日本文学翻訳者との交流の拡大などが挙げられよう。
(国際交流基金『国別文化事情-タイ』「第5章 文学/出版:図書を通じた日・タイ文化交流の実績と可能性」宇戸清治、191-205頁より)