東と西のはざまで
東京外国語大学教授
ききて(アナウンサー) 武 内 陶 子
ナレーター: 広く他人の宗教にも心を開くことの大切さを留学生に説くさん、五十二 歳。アメリカのプリンストン大学、国立シンガポール大学を経て、ちょうど二年 前、東京外国語大学教授に迎えられました。町田さんは、京都の生まれ、十四歳 中学生の時、突然家出して、禅宗の寺・大徳寺に小僧として住み込みました。そ の後、青春時代のすべてを禅の修行に打ち込むことになります。しかし、時には 激しく落ち込み、二十一歳の頃、数ヶ月寺を出て放浪したこともあります。そう した苦労や挫折を乗り越え、三十歳過ぎには雲水の筆頭格にまで昇ります。
武内: 町田さんは、十四歳で家出して、お寺に入られて、 その後いろんなことがあって、今は東京外国語大学 の教授をしていらっしゃるんですけれども、今はど ういうことを大学で教えていらっしゃるんですか。
町田: 主に留学生対象に、英語で日本の文化紹介の講座を いくつか教えています。
武内: 学生さんはたくさんいらっしゃるんですか。 町田: ええ。それぞれのクラスに二十人前後ですが、ただ、週に一度東京大学の方にも出向いて、その時に自分の専門の宗教学を日本語で語っていますが、私にとっては日本語で講義するのは生まれての体験なんですよ。 武内: 実はそうなんですね。 町田: ええ。
武内: いろいろ経験していらっしゃって。さあ、十四歳で家出して、「いろいろ」とい うところをちょっと伺っていきたいんですけども。十四歳というと、中学三年?
町田: いや、二年生の秋でしたよ。
武内: どうして家出なさったんですか。
町田: いや、それは自分にも謎なんですけどね(笑い)。
武内: 謎なんですか?
町田: 親はもう猛反対しましたからね。それを振り切って家を飛び出してお坊さんにな っちゃったんですけどね。小学校の頃から、キリスト教の教会に出入りをして聖 書の勉強していたんですよ。たまたま宗教には関心があったように思います、小 さい頃からね。そういう状況になった時に、中学校のクラスメートにお寺の小僧 さんがいまして、時々日曜日なんかに遊びに行くと、非常に禅寺の生活がシンプ ルライフで、身体を使って、私に美しく見えたんですよ。「ああ、これじゃないか なあ」というふうな印象を受けた思いはありますけどね。中学校二年生の秋、ク リスマスの時に、クリスマス・キャロルで聖歌隊に入って、京都の街をグルグル 讃美歌を歌って、キャンドルを点けて回った覚えがあるんですよ。その同じ十二 月の暮れ、「除夜の鐘を撞きに行く」と親に言って、風呂敷包み一つで出たんです よ(笑い)。それから二十年やったわけです。
武内: 家には帰らず?
町田: いや、数年してから、時々家に出入りするようになりましたけど、 初めのうちは帰らなかったですね。
武内: そうですか。十二月の寒い時に、お寺に。どういうふうに行かれ たんですか。だって、中学校二年生の子をお寺に入れてくれない んじゃないですか。
町田: いや、それは前もってお寺の方には、「私、来たいんで、お願い します」と言ってありました。親には内緒だったんです。
武内: 計画的犯行じゃないけど─。
町田: 「除夜の鐘を撞きに行く」と言ったものですから、元旦には帰って来る、と思っ ておったでしょうね。帰らなかったんです(笑い)。
武内: ご両親は心配なさったでしょうね。
町田: それは心配という・・・まあ行ったお寺がどこかということは分かっておりまし たから、そういう心配はなかったと思いますけれども、帰って来て欲しい、とい う思いは随分強かったと思いますよ。
武内: そのままお寺にずーっと二十年間居着いてしまわれて、そこでいらっしゃったけ ども、小僧さんの時代というのはどういう生活だったんですか。
町田: そうですね。禅の修行も二つの段階があって、一つは小僧の段階、 もう一つは雲水の段階というのがありまして、私は小僧を七年位 やったことになるんですけれども。小僧さんというのは、お寺か ら学校に通って、普通に教育を受けるわけです。しかし、朝早く 起きて、本堂でお経をあげて、お掃除をする。大きな境内の庭を 竹箒で掃いたり、長い廊下を雑巾掛けしたり、そういうことをし てから、学校に行くわけですよ。三時まで学校があると、走って 帰って、今度はお寺の畑を耕したり、薪を割ったり、お風呂を沸 かしたり、そういう生活なんですよ。ですから、小僧というのは、半分普通の子 どものように学校に行っているんだけど、生活の基盤はお寺にあるわけですから、 ある意味では辛かったですよ、私も。自分で思い立ってお寺に入ったけれども、 クラスメートを見ると、みんな休みの日には映画に行ったり、デートに行ったり、 勉強も思い存分しているわけですよ。こちらは時間がない。全然、そういう行動 の自由もない。そういう生活でしたからね。雲水は確かにもっと厳しい修行なん ですけれども。
武内: 雲水の修行というのはどういうふうになるんですか、こんどは。
町田: そうですね。朝の三時半に起きて、まず一時間位勤行(ごんぎょう)─お勤めをするわけです よ。そして師匠に参禅(さんぜん)と言って、自分の坐禅の内容を報告に行く。それから粥座(しゅくざ) と言ってお粥の朝食を頂いて、午前中は托鉢に出ていくわけですよ。草鞋を履い て、網代笠を被って、京都の街に托鉢に出て行く。で、帰って来てから早い昼食 を頂いて、多少の休息は致しますが、午後は作務(さむ)と言いまして、肉体労働をする わけですよ。菜園で働いたり、或いは、大工仕事したり、あらゆることを自分た ちでしますから、作務がお昼過ぎから夕刻まで続いて、またごく簡単な薬石(やくせき)と言 うんですけれども、夕食を頂いて、その後、坐禅が始まるわけです。この坐禅が 九時か九時半頃までは禅堂の中でみんなで綺麗に並んで坐禅をするんですが、九 時半頃から夜坐(やざ)と申しまして、屋外で坐禅を独り真っ暗闇の中で続けるわけです よ。
武内: へえー。夜?
町田: ええ。寒くても、暑くても年中(笑い)。月夜の日なんかの坐禅は非常に気持がい いですが、夏だと蝦がブンブン飛んでくるし、冬だと凍るように寒い。そういう ところで坐禅をするのが夜坐なんですけどね。それは私は大好きでした、実は。 禅堂で坐っておると、警策(けいさく)と言って、叩く棒を持って来て、ビシビシ叩きますか らね。臨済宗は特にそういうものをよく使いますので、むしろ集中三昧(ざんまい)の妨げに なるようなことがありましたけど、夜坐というのも暗闇の中で独りで坐るもので すから、それは私にとっては非常にいい体験でした。
町田: そういうことを続けられて、禅寺にいらっしゃった二十年というのは、禅から学 んだことというのは、町田さん、どういうことがありますか。
町田: そうですね。なんか一言でいうのは難しいんですけれども、「何事も体当たりしっ てやっていけば、道が開ける」ということだけです(笑い)。どんなことでも体当 たりしていけば、いつか道が開ける。そういう確信は得ましたね。
武内: よく「無になる」というふうに、私たち一般人は思っているんですけど、「無にな る」ということとはまた違うんですか。
町田: いや、「無になる」というふうに表現していいと思うんですけれどもね。本当の自 分を見付ける、そういう修行ですよ。だけど、そんなに簡単に本当の自分は見付 からないですよ。で、またお寺の世界でも人間関係がありますから、それは一般 世間と変わらない面があります。ある意味では一般世間よりも俗な面もあります からね。ただ托鉢したり、坐禅したり、作務をしたりしていたら、これは極楽で すよ。坐禅そのものは非常に気持がいいです。自分と天地が一つとなった、とい うか、そういう心境になることは確かにあるんですよ。
武内: よく禅の世界では、「悟りの境地に達する」。仏教の世界ではそう 言いますが、「悟り」というのには、町田さんは達したんですか。
町田: いや、達していません。全然達していません(笑い)。
武内: 「悟り」というのは、どういう意味合いがあるんでしょうか。
町田: 「自分が消えていく世界」というか、「ものがあるがままの世界」 が見えてくる。そこに木が生えている。石がある。此処に人がいる。それがその まま仏の世界というか、悟りの世界。それを自覚するだけですよ。別になんか特 別なことがあるわけじゃないと思いますね。
武内: 自分が無くなる?
町田: そう。私たちはいろんな飾り物を付けているわけですよ。そういうものを全部取 っ払って、色眼鏡も外して、物をそのまま見ていく。そこにいのちを感得する、 というか、だからそこには自分と他人とか、人間と動物、人間と植物とか、そう いう差別も全部無くなってしまう世界があるんですよ。例えば、ここにいる自分 と夜空に輝いているお星さまとの間に距離が無くなってしまうような、そういう 瞬間があります。
武内: 「悟りには達していません」とおっしゃいましたけれども、そういう何か境目が 無くなるような体験は、町田さんはおありなんですか。
町田: もう坐禅を一生懸命すれば誰だってそれくらいの体験はありますよ。ただ、そう いう体験を持っても、現実に戻ってきた場合、それを如何に活かしていくか、と いうことが一番難しい。僧侶に与えられた課題だと思いますよ。
ナレーター: 町田さんは、お寺から中学、高校へ通い、大学まで進学しますが、折からの学園 紛争もあり、挫折して中退します。町田さんは、禅寺生活二十年の後、今度は寺 を飛び出し、アメリカ留学を決意します。幸運にもハーバード大学に縁を得て、研究生から一年後には正規の学生となり、やがて修 士号を取り、続いてペンシルバニア大学で博士号も 取得します。そして、ついに名門プリンストン大学 の助教授の職を得て、学者として一人立ちしました。 禅寺の雲水から転身して、アメリカの大学の教壇に 立つ町田さんの人生の大きな転機でした。
武内: さあ、そして、町田さんは何故か禅寺を飛び出して、アメリカへ 留学なさるんですね。この禅寺を飛び出されたのはおいくつの時 ですか。
町田: 三十四でした。
武内: 三十四─。
町田: はい。
武内: どうしてお寺を飛び出そうというふうに決心なさったんですか。
町田: 話せば長い話でね(笑い)。まあ二十年お寺におって、まあ自分がやるべきことは もうやったんじゃないか、と。そういう気はしていたんですね。そして、もう一 つはその時たまたま私が師事していたお師匠さんが急に亡くなってしまわれたん ですよ。その時に、お寺に残るかどうかということを考えまして、まあこれを機 会に出てしまおうと決意したんです。その原因が遠い昔にあったと思うんですね。 一つは子どもの頃に教会に通っていたということもありますし、或いは若い時に 鈴木大拙(だいせつ)さんの本をがむしゃらに読んだ時期がありまして、禅をもっと客観的に みて、国際的に広めていかなければいかんというような、そういう何か使命感み たいなのはずーっと感じていたんですよ。
武内: 京都のお寺にいらっしゃりながら、心はもっと広いところに広がっていった。
町田: そうですね。禅寺では本を読んでいけないんですよ。
武内: え! そうなんですか。
町田: そうなんですよ。
武内: 私、初めて聞きました。
町田: 禅寺では。
武内: 本を読んでいけない。
町田: ええ。カトリックの修道院では読書というのを非常に重視するんですが、禅の修 行は「不立文字(ふりゅうもんじ)」文字を立てないという実践の宗教ですからね。理屈を覚えては いけないということで、お寺には本も置いていないし、読書の時間もないし、そ こで私は随分本に飢えたんですよ。勉強したいと思って。こっそり読んでいたこ とはあるんですよ(笑い)。こっそりと。よく見付かってピンタを張られたりしま したけれども。
武内: じゃ、そういう禅─割りと仏教のことだけを考える。生活のことだけを考えるこ とに対しても、反発みたいなのはおありだったんでしょうか。
町田: 勿論、それはありましたよ。やはり宗教家というのは社会との関わりを常にもっ ていかないかんし、私はもう禅の世界にドップリ浸っていたわけだけども、仏教 も禅だけではないんですよね。いろんな伝統が仏教の中にある。それも知ってみ たい、と。また仏教だけじゃなしに、ユダヤ教もあれば、キリスト教、イスラム 教もあるんだ、と。そういうことも多少とも知ってみたいと気持が非常に強くあ りましたね。
武内: で、アメリカのハーバード大学に留学をなさるということになる んですが─。
町田: いや、私がハーバードを希望したわけじゃなしに。
武内: あ、そうなんですか。
町田: ええ。それは犬も歩けば棒に当たっただけで、偶然に行くことに なっただけですよ。
武内: それは何かご縁があって?
町田: 機会あるごとに、私は、「外国に留学したいんだ」と、ご縁のある方に話していた んですが、たまたまその時、京都大学の理学部に客員教授として来ておられたア メリカの非常に有名な数学者が、私と親しくして下さっておったものですから、 その人が奔走して下さって、アメリカ中の大学に、「日本に非常に変わった若いお 坊さんがいる。彼は留学を希望しているんで受け入れて貰えないか」という手紙 を全米の主要な大学に出して下さったんですよ。非常に高名な数学者なんですけ れども。たまたまその一通がハーバード大学の神学部の学部長の目に留まって、 「そういう人がいるなら一度来てみてはどうか」ということになったんですよ(笑 い)。
武内: 英語はお出来になったんですか。
町田: 多少はね。当時六十年代、七十年代というのは、一種の禅ブームで、京都に非常 に多くの外国人が禅の修行に来ていたんですよ。ですから、そういう関係で私も 多少の英会話は出来たんですけれども、実際にアメリカの大学に行って、大学院 の講義を受けて、物事がスラスラ理解出来るような英語力じゃなかったんですよ。 これはもうほんとうに泣きました。言葉のバリアだけではないですよね。今まで は実践実践、沈黙の世界にいたわけですね。何か師匠に訊いても、「理屈を言う な、黙ってろ」という世界でしょう。「生意気な」というようなことを言われます よね。今度は反対に、英語でキリスト教の神学とかを、非常に緻密に論理的に勉 強して、しかもゼミで、教授に、「お前は何を考えているんだ」というようなこと を言われて、何か言わないとダメなわけですよ。まったく反対の世界に入ったわ けです。だから、その頃の私の狼狽(うろた)えというのは凄かったと思いますよ(笑い)。
武内: いま私は笑ってお話を伺っておりますけれども、それはかなり厳しい。 町田: ええ。ここに円形脱毛症が出来ましたですよ。それまで頭剃ってツルツルしてい たんですが、アメリカに渡ると多少髪の毛を伸ばしたもので、その禿げがえらい 目立ったんですけど(笑い)。
武内: よく話には、「夜も寝ずに図書館にアメリカの大学生は行くのだ」とか聞きますけ れども、ほんとにそういう世界?
町田: そうですね。図書館は朝四時まで開いていますしね。
武内: じゃ、禅の世界から今度は主にキリスト教の世界へと移っていかれた。 町田: ええ。私が入ったのはたまたま神学部─神の学部ですから、周りの学生さんは全 部欧米人で、クリスチャンなわけです。全員じゃないですが、殆どがクリスチャ ンで、子どもの頃から聖書を読んで、一言一句覚えているわけですよ。聖書の解 釈学という講義をとっても、教授が何を聞いても、パッと、「それは何章の何節に あります」というようなことを言って、それの分析を始めるわけですよ。こっち にとっては昔聖書を読んだことはあるけれども、そこまでものをよく理解出来て いないものですから、随分何か大学院生の中に幼稚園の子どもが一人ちょこんと 坐って勉強しているような、そういうコンプレックスを長い間持っていましたよ。 もう一つ困ったのは、日本から元禅僧の学生が来ているということで、随分あち こちに引っぱり出されたんですよ。珍しがられて、ラジオに出たり、教会でお説 教したりね(笑い)。いろんな体験をさせて貰ったんですが。
武内: お坊さんが教会へ行く?
町田: それはよくありましたですね。困ったのは、東洋の仏教僧だと、「仏教に関して、 何でも知っている」と思われたわけですよ。ところが私がいたのは、日本の臨済 宗という宗派だけですよ。他の仏教の勉強もしていない。唯識とか、いろいろあ るわけですよ。いろんな質問が飛んできて、如何に自分が仏教に関しても無知で あるかということを痛切に感じましたね。
武内: でも、学問的なことだけでなくて、いろいろな発見がやっぱり町田さんの中では おありだったでしょうね。そういう体験の繰り返しだ、と。
町田: 勿論、それまで衣を着て、衣の下は着物だったし、下駄とか、草履とか、そうい う生活しか知らなかったものが、いきなり洋服を着て、髪の毛を伸ばし始めた。 そして、私はアメリカに渡る直前に結婚もしていますから、いろんな意味で個人 的な面でも劇的な変化があったわけですね。そして、非常に幸運なことに、ハー バード大学から全額の奨学金を頂くことになったんですよね。ですから、私はア メリカで学生を六年していますけれども、ずーっと奨学金を頂いているんですよ。 非常にこれは恵まれていたと思うんです。ただ、学費をカバーしてくれるんであ って、生活費は出ないんですね。そこで苦労しました。だから、今から思っても ゾッとするほどなんですけれども、先程申したように勉強に追われて追われて、 ノイローゼになるぐらい追われているんだけれども、アルバイトをしなければい けない(笑い)。
武内: どんなことをなさったんですか。
町田: だから初め英語があんまり出来なかったので、身体を張って出来るアルバイト、 例えば、お金持ちの方のお家に行って、掃除をしたり、洗濯をしたり、運転手も しましたしね(笑い)。いろいろしましたよ。
武内: しかし、自分のプライドとの闘いみたいなものも?
町田: もうプライドなんか持っておりませんよ。そういうものをかなぐり捨てて生きて いくために必死でしたよ。何でもいいからお金のなることはやるという。やがて もう少し英語が流暢になってきたら通訳をしたり、或いはテレビのCMの吹き替 えとか、ああいうことをよくやりましたよ(笑い)。
武内: 禅寺のお坊さんからは考えられない、転身と言いますか、何でもなさったんです ね。
町田: そういう柔軟性が、ある意味では禅の修行からきたんじゃないかなあという気が していますけれども。
武内: それは何か通ずるところがあるんですか。
町田: そうですね。やっぱり禅というのは物事に拘りを持たずに、自由滑脱(かつだつ)に生きてい くのがその精神ですからね。まさにその実践だったわけですね。
武内: そうやってアメリカでいろんな体験をまたなさって、自分との闘いもあり、アメ リカに行ったからこそ、アメリカを知ったからこそ分かった東洋の長所とか短所 とかというのは、町田さんの中では?
町田: アジアの国々には、何か古代社会からずーっと流れてきているものですけれども、 アニミズム的な発想があるんですよ。「すべての生命が繋がっている」というよう な、そういう見方が我々の世界観の根幹にあるように思います。ところが西洋の 世界では、「神と人とか、信者と異教徒とか、或いは持てる者と持たざる者とか、 そういう対象化の意識が強い」ように思いますね。何か一方では、アジアの方で は、すべてが曖昧に繋がっているような、その曖昧性の故にまた表見力が弱いん ですけれどもね。西洋の方は、物事を善と悪とかハッキリ、倫理観もハッキリし ていますから、何が正しくて、何が間違っているとか、そういうふうに対象化し て、思考構造が動いておると思うんですよ。ですから、論理的な思考法、論理的 な表現法、そういうものを身に付けた人は確かに西洋の方に多い。そういう気付 きは自分の中に生まれてきました。私の頭の中で、完全な二つの異なった価値観 がぶつかり合いましたからね。そこで非常に苦しんだわけだけれども、反対に何 か新しいものの見方というものを、確かに自分の中に生まれてきたような気がし ています。
ナレーター: 町田さんは、プリンストン大学から国立シンガポール大学へ移り、その二年後東 京外国語大学教授となりました。二人のお子さんの学校の関係もあり、目下家族 をシンガポールに残して単身赴任中です。玄米食と坐禅を励行してのシンプルラ イフ。公務員宿舎での単身生活にも、禅寺での体験が活かされます。今、町田さ んは、機会を見付けては新たな発見を求めて、日本や東南アジア各地に研究の旅 を重ねています。
武内: 綺麗な暮らしをしていらっしゃいますね。
町田: あれは禅寺の継続ですよ。私は変な癖がありまして、 自分の周りが散らかっていたら、あまりものが考え られないですよ。特に私は二六時中(にろくじちゅう)原稿を書いてい る人間ですからね。周りがゴチャゴチャとしていっ たら、頭の方までゴチャゴチャとしてくるんです。 生活が非常に忙しくなってくると、周りが散らかっ ていると余計にストレスが溜まるんですよ(笑)
武内: 私はそういう性格になりたい(笑)。
町田: 毎日ね、少しずつやれば、そんなに散らからないし、毎日少しず つ埃を拭いていればそんなに埃も溜まらないし。
武内: そうですね。反省致します、という感じなんですけど(笑い)。お 宅の中にいろいろな東南アジアの家具とか、綺麗なディスプレーがしてあります ね。アメリカのプリンストン大学からシンガポール大学へ転任なさるんですね。 この時はどういうお気持ちだったんでしょう。
町田: 前からアジアのことに関心をもっていたんで、自分は日本しか知らないんで、ア ジアに何かきっかけが出来たらいいなあと思っていた時に、ちょうど国立シンガ ポール大学からお話を頂いて行ったわけです。それまでは十数年アメリカの東海 岸だけにいたわけですから、それからいきなり赤道直下のシンガポールに場所を 移して、私も私の家族もそれは大きなショックを受けましたよ(笑い)。シンガポ ール自身は近代都市国家ですから、生活レベルからいうと、そんなに日本やアメ リカと異なるとは思いませんけれども、その周囲の国々、此処には本当に賑やか な民族文化が華咲いていますよね。特に私は都市よりも田園地帯というか、或い は山岳地帯、そういうところが好きなんで、独りでリック背負って、バック・パ ッカーですけれども、あちこち歩きまして、ほんとに庶民の生活になるべく近付 きたいという気持で、それまで宗教に関して、理論的なアプローチ、思想的なア プローチをしてきたけれども、もっと現実に生きている人たちが、どのような信 仰をもって、どのような宗教観をもって生きているのかというのを、自分の目で 見てみたかったんですよ。それまでは仏教とか、キリスト教とか、イスラム教と か、大きな世界宗教に関心があって、それを研究して、本を書いたりしてきたわ けですけれども、その辺からどうも何かシフトされたような気がして、民族宗教 と言いますか、山の上で焼き畑をして生活をしている山岳民族とか、或いは湖の 上で生活しいている水上民族とか、そういう人たちがどういう世界観をもって生 きているのか、名もない宗教ですよ。それは何々教という名前が付かない宗教で すよ。でもみなさん、なんらかのコスモロジーを持って生きているわけですから、 それを知りたいという気持で、ボルネオのジャングルでもタイやラオスの山岳地 帯でも大いに歩きましたよ。
武内: その方のコスモロジーということですと、世界観というか、そういうのはやはり 山岳の人たちは山岳、その自分たちの世界の世界観みたいなものが、違う世界観 ですか。
町田: ええ。勿論、海に生活をしている人は海の宗教をもっているし、山に生活してい る人は山の宗教をもっている。だけども、根源は一つじゃないかなあと思ってい ます。アニミズムですよね。「すべてが生きている」と。「すべてが一つのいのち を生きている」という、そういう宗教的な情緒をお持ちだと思いますよ。
武内: 何か最近またミャンマーの方に「旅をなさった」というふうに伺 っているんですが。
町田: そうですね。
武内: どうでしたか、ミャンマーは?
町田: 私は年中あちこち旅をしていますけれども、一番最近の旅はミャ ンマーでして、それはある仕事があって行ったんですけれども、 講演が済んでから自由時間を与えて頂いて、首都のヤンゴンから 郊外の街に飛行機で行って、旅をしたんです。一日は馬車を借り 切りまして、小さな馬車ですけれども、馬車に乗せて貰って、パ ガン(Pagan)という街、たくさん三千近くの仏塔がある街ですけ れども、そこを一日放浪したり、或いは別な日にはインレー湖(Inle Lake)という大きな湖があるんですけれども、そこにカヌ ーを借り切りまして、やはり一日水上の民を訪ねて歩いたりして、私にとっては 非常に新鮮な体験でしたね。
武内: インレー湖というのは、水上の、湖の上に小さな島がたくさんあって、そこに住 んでいる人たちがいるんですね。
町田: そうそう。私は特に食の文化で思ったんですけれども、日本の食文化のルーツは あの辺にあるんじゃないかなあと思いましたね。
武内: え!そうですか。
町田: みなさん、お米大好きですし、お米が主食ですよ。おかずは少ししか食べなくっ て、お米をたくさん食べる。で、納豆もあれば、コンニャクもあるし、豆腐もあ るし、
武内: コンニャクもあるんですか。
町田: コンニャクもございますよ。で、麺類がありますでしょう。胡麻を非常によく使 うとかね、ああいう面も日本の食文化のルーツがあの辺にあるんじゃないかなあ、
と思いましたよ。
武内: 何か精神的な面でも似通っているところとか、違うといころとか、あるんでしょ うか。
町田: 勿論、日本の神道(しんとう)のルーツの一つは確かにあの辺に確かにあると思いますよ。一 つ分かり易いのは、ミャンマーに行きますと、大木(たいぼく)に神さまが祀ってあります。 大木の幹のところに簡単な神棚を作って、向こうの人はナッツと呼んでいるんで す。神さまを祀っていますね。あれは日本の御神木と同じような考え方ですよ。 私は、日本の宗教は神道と仏教があるわけですけれども、実はその二つの宗教じ ゃなしに、やはり日本の宗教の一番根源には、先程使った言葉ですけども、「いの ちへの礼讃(らいさん)」というものがあると思っておるんですよ。神道にも仏教にも。同じ 仏教でもインドの仏教、中国の仏教、チベットの仏教、そして、韓国の仏教、日 本仏教、全部違うんですが、日本の仏教には特に「いのちへの礼讃」ということ は強く出ているように感じているんですけども。これはやはり縄文時代から弥生 時代を経て、日本人の宗教的感情の根幹には、「いのちへの礼讃」というものがあ ると思っているんですよ。「いのち礼讃教」という言葉を使ったりするんですけれ ども、「いのち礼讃教」は確かに東南アジア辺りにもありますから、あの辺から歴 史のある時に、人々が渡って来て、私たちの文化の一つの原型を作ったことは、 まず間違いないと思っていますね。そういう辺境の地に行ってみると、少数民族 の人たち、先住民たちが住んでいるようなところにいくと、人間の生の姿が見え てくるんですよ。私は宗教学者としていろいろ観察にも行っていますけれども、 それと同時に、人間として学び取ることが随分たくさんあるんですね。
武内: ということは、私たちは、生じゃない、ということなんでしょうか。
町田: ええ。服を着たり、いい家に住んだり、高級車を運転してみたり、いろんなもの を私たちは身に付けちゃっていますよ。学問をする。いい学校にいく、と。就職 をしていい給料を貰うとか、いろんなものを積み重ねて、「上にいこう、いこう」 としているわけですよ。一種の上昇志向ですね。ところが先住民の人たちが、「レ イン・フォレスト」─熱帯雨林の中で生活しているとか、山岳民族が焼け畑をし ながら、海抜千メートル以上のところに小さな集落で生活しているということに なれば、電気もなければ、ガスもない。トイレもない。水道もないわけでしょう。 そういうところで、その生活を、「貧しい」と言い切っていいものかどうか。全然 私は貧しいとは思いませんよ。私たちの貨幣価値からみたら、「貧しい」というよ うな表現が出てくるかも知れませんけれども、そこに一つの生活が完結している。 充足している。で、家族が支え合って生きている。そういうものを見たら、ハッ とするものがありますよ。如何に私たちが、要らないものを身の周りに重たくぶ ら下げているか、ということを気付かせてくれるのが私の旅ですよ。
(授業の場面)
ナレーター: 町田さんは、大学で外国人留学生を対象に、日本の 文化や宗教についての講義を英語で行っています。 アジア、アフリカ、アメリカ、仏教、キリスト教、 イスラム教、さまざまな国と宗教が入り交じる教室 です。仏教、キリスト教を長く経験してきた町田さ んは、いま八百万(やおよろず)の神をもつ日本人の宗教観の根底にあるものを、外国人学生と ともに考え合い見つめ直しています。
武内: どうも外国の方にとっては、仏教と神道と両方を信じている日本 人というのが理解し難い、ということらしいですけれども、これ 日本人というのは特殊ですか?
町田: 一神教の人にとっては特に一つの神以外に信仰をおいてはいけな いわけですよ。だけど私たちは神社に行ってたくさんの神々に手 を合わすし、そのままお寺に行って仏さんにも手を合わす。場合 によっては、教会のチャペルに行って、お祈りをしてもそれほど不自然なものを 感じないという。
武内: そうですね。抵抗感はない。
町田: 私はもう少し日本人の深層心理を読んでいけば、それほど矛盾がないと思ってい るんですよ。
武内: ということは、どういうことですか。
町田: やはり「大いなるいのちを礼讃する」という感情が一番根源にあるものですから、 いのちへの礼讃の形態が、神道であろうが、仏教であろうが、キリスト教であろ うが、よいというようなそういう感覚をもっているんじゃないかなあと思ってい るんですよ。
武内: 一神教、キリスト教とか、イスラム教、ユダヤ教も、そういう神さま一つ、一人 しかいないという宗教と、たくさんの八百万の神をもっている日本人というのは、 これは明らかに違うんでしょうか。
町田: 明らかに違う。やはり現象的には違うんですけれどもね。結局、ユダヤ教の神も イスラム教の神もキリスト教の神も一つの神さまなんです。同じ神さまなんです。 名前が違うだけで、あれはまったく同一の神を信仰しているわけですよね。その 人たちが宗教戦争を起こしているところにちょっと大きな矛盾があるんですけれ ども。
武内: 同じ神さまなんですか。
町田: そうなんですよ。ユダヤ教が一番古くて、その次ぎにキリスト教が来て、その次 ぎにイスラム教がきたんですけれども、エホバと神とアラーは全部一つの神です からね。
武内: 一神教の宗教と私たちのような仏教、神道両方を信じたりする日本人の考え方と いうのは、考え方の違いというのはあるんですか。
町田: 一神教と?
武内: それからそうでない人たち、八百万の神の、
町田: 私は、これは現代世界の政治・経済システムを分析する上でも有 効なことだと思っているんですよ。一神教的社会と多神教的社会 というのがあります。これは長い歴史を通じてそれぞれの文化圏 で特異な人間の思想構造というものを作ってきました。一神教的な伝統をもって いる文化圏では、一神教的な思考構造をもっているわけです。ですから例えば、 政治家が非常に強いリーダシップを持つ。大統領なり首相なり、或いは一企業の 社長が強いリーダーシップを発揮して会社を引っ張っていくとか、これはまさに 一神教的なパターンですよね。
武内: つまり神と人、絶対的なものとそうでないものという構図ですよね。
町田: そうそう。非常にクリアなリーダーシップがあるわけです。その人の意志の力と 判断力と行動力が高く評価されるわけです、一神教的な社会では。ところが反対 に多神教的なシステムの世界では、リーダーシップが一極に集中することはない ですね。古事記を読んでも、神々が集まって合議をするわけですよ。天照(あまてらす)と雖も 一人で物事を決めるわけにはいかないのですね。神々が集まって相談して物事を 動かしていく。こういうのが神話の時代からあるわけですから。我々の現実世界 も、今そうでしょう。日本の政党政治を見ても、リーダーシップというのは非常 に曖昧である。日本のビジネスのやり方を見ても、一企業の社長さんがそんなに 権力を発揮出来るわけではない。やはり宗教と人間の現実の営みというものは切 っても切れないものがあるんですよ。ですから、日本が下手に表面的に欧米の真 似をしてもダメです。これを縄文、弥生時代からずーっと流れている文化の流れ がありますからね。それに沿って日本の社会を改革していかないとダメだ、と。
武内: なるほど。でも表面的には、その根底のところでは、昔から続くそういうものが 影響されているにしても、表面的にはいろいろな現象が残って、かなり行き詰ま った感じが今の日本、今の世界にもありますけれども、そんな時に町田さんは、 「自然へ回帰する」。「野生に戻れ」というか、「野生回帰」という言葉を使って いらっしゃるんですけれども、「野生に回帰する。自然に回帰する」ことは、どう いう町田さんのお考えなんですか。
町田: 簡単に言えば、「元々持っているいのちの姿を回復しましょう」ということなんで すよ。「もう一度本来自分の中にある元気さを取り戻しましょう」と。外から何か 持ってくるんじゃないんですよね。誰かによって癒して貰うんじゃないんですよ。 自分の中に既に癒されたものがあるんですよ。それを埋め込んでしまっているよ うなところがある。
武内: それは、「何事も前向きに考えようとか、ポジティブに考えようとか、明るく生き ていこう」と言ったりするものとはまた違うんですか。
町田: そうですね。そのポジティブ・シンキングというのは一つのセラピー(therapy) として有効だと思いますけれども。
武内: 今盛んに、「ポジティブを考えよう。こういう世の中だから前向きに考えよう」と いうようなことをいろんな人が言っているし。
町田: いや、私はむしろ落ち込むことも大事だと思いますよ(笑い)。落ち込んだり鬱(うつ)に なったり、そういうこともひっくりめて、「いのち」というものはそういうものな んですよ。ある時は消極的に考えたりもするでしょう。それも受け入れる自分を 見出していかなければいかんですよね。
武内: 野生を回復するため、自分の本当のある力を見付けるためにはどういうことを自 分でしていったらいいというふうに?
町田: いくつかありますけれども、一番手取り早いのは旅に出ることです。
武内: 旅に出る?
町田: これは、みなさん会社勤めておられる方は、長期休暇が非常に取りにくいとは聞 いておりますけれども、五日でもいいから、一週間でもいいから無理をして取っ て頂いて、上司に怒られてもいいから、是非取って頂いて、独り旅に出て欲しい ですね。出来ればアメリカやヨーロッパのように先進国でなくて、途上国と言い ますか、アジアのまだまだ民族文化が残っているような土地に行って頂くと、「あ あ、人間って、こういうふうに生きていけるんだなあ」という気付きがきっとあ ると思うんですよ。そんなにあれやこれや要らない、と。いのちそのものになっ ても、十分に充足感のある生活が成り立つんだ、という、そういう気付きがある 旅を是非して欲しいんですよ。
武内: 独り旅じゃないといけませんか?
町田: いや、それは安全のことも考えなければいかんですから、いつも一人旅とはいか ないかも知れないけれども。私は山を歩くのも好きなんですが、山を本当に味わ いたい時はやはり一人の方がいいですね。やはり山に入って、樹木とか小鳥とか、 そういうものとコミュニケーションしたければ一人の方がいいですよ。旅に出て も、現地の雰囲気というか、大地の息吹を感じるには、どちらかというと一人が いいんですよ。
武内: 例えば、旅に出て、その時には削ぎ落とせたかも知れない。戻って来ると、やっ ぱり成功したいとか、偉くなりたいとか、いい学校行きたいとか、いろんなこと をまた思い始めると思うんですけども、こういう社会に戻って来た時には? で も、そういう旅は有効なんですか?
町田: 魂が変わるような旅をしなければいかんですよ、魂が。そうすると、今まであく せくと、ちょっとでも稼ぎたい、ちょっとでも偉くなりたい、ちょっとでも有名 になりたいという、そういう価値観がそれほど意味をなさなくなってくるんです よ。一挙にガラガラと崩れるとは思わないけれども、魂が変質してくると、自分 が求めるものも変わってきますから。ですから旅というのは魂の充電になるんで すよ。それは三日であろうが、五日であろうが、一週間であろうが、出来れば長 い方がいいんですけれども、その間に魂の変容というものが起きるんですよ。そ うすると、同じ職場に帰って来ても、今までと違ったものの見方というものがふ と思われてきたりしますから。
ナレーター: 町田さんは暇を見付けては自然に触れることを心掛けています。 休みの日などは近くの病院へ出掛け、難病の患者さんたちを見舞 うボランティアを続けています。ボランティアの活動はアメリカ、 シンガポール時代から生活の大事な一部となっています。
武内: 町田さんはボランティアも随分続けてやっていらっしゃるんです ね。 町田: それはもう当然でしょう。
武内: 当然ですか?
町田: ええ。人間として。みなさん、大いにやって欲しいですね。老い も若きも。この地球上に生きている人間が支え合って生きていかなくてどうする んか、と思いますよね。別にそれにお金を出すとか、そういうのがボランティア ではないですから。[共に生きる]というのがボランティアですからね。いろんな 形でやって欲しいですよね。ついつい我々学者というのは遊離してしまうんです よ。頭でっかちになって、何かものをたくさん知って、自分たちの方が偉いよう な気になってしまうことがよくあるんですよ。そうじゃないと。世の中にはいろ んな立場で、いろんな苦しみを背負っておられる方がおられるということを、自 分自身に気付かせる機会として、ボランティアをさせて頂いているという気持。
武内: 魂の進化というか変容にも大いに関係あることですか。
町田: そうですよね。例えば、重い病気に罹ればもう出世も何もないんですよ。今日、 少しでも身体が軽く痛まなく生きれたらいいわけでしょう。お金を稼ぎたいとか、 昇進したいとか、そういう気持があっても何も出来ないわけでしょう。ただ、今 日一日呼吸が出来て、足が動いて、ご飯が食べられるだけで素晴らしい体験なわ けですよ。そういうことを私たちすぐ忘れてしまうんですよね。そういう人たち に触れることによって、私がどれだけ教えて貰うことが大きいか、量り知れない ものがあります。
武内: 何か町田さんのおっしゃる「野生の回復」。「野生」というと、生なものというか、 雄々しい感じもするんですけども、もう少し優しい気付きと言うか、そういう部 分というのもあるような感じですね。
町田: そうなんですよ。野生というと、とかく一面的に捉えてしまうことがあるんです けど、実は私が言おうとしている野生の中には、「自分の中の弱さ、哀しみ、或い は暗さ、そういうものも受け止めていく。後ろから支えられている野生」なんで すね。ただ、強い強い、逞しいだけでは、それはかえって脆い野生だと思います よ。自分の弱さとか、悲しさとか、暗さとか、そういうものをしっかり抱きしめ た時に、逞しく生きるとはどういうことか、ということを、身体が教えてくれま すよ。それに目を背けてはいけないですね。ポジティブ・シンキングで、「ネガテ ィブなことは考えてはいけない」と言われますけれどもね。確かになるべく気持 は明るく持っていた方がいいんですけれども、誰だって自分中に、他人に語れな いような悲しいものを持っていたり、痛いものを持っていたりするんです。それ を否定してはいかんと思いますね。それをしっかり抱きしめないと、他人への共 感も生まれないですよ。
武内: 逆にそういう辛いことを体験している、今みんなそうだと思うんですけれども、 ほんとに隠したいこととか、もう目を背けたい自分のこととか、たくさんあると 思うんですけども、それはそうすると逆に大切なことという?
町田: そうなんですよ。自分が真っ暗な闇と思っているものを思い切って抱きしめてみ たら。我々はとかくそれから目を背けて後ろに走り逃げようとするわけですね。
武内: 逃げたいですよね。
町田: 誰だって。じゃなしに、一遍勇気をもって、自分が逃げよう逃げようとしている 暗い闇、それは自分の心の中にいるお化けですよ。それを思い存分抱きしめてみ たら、その瞬間に光りに変わるかも知れない。
武内: それはかなり強いことでもあると思うんですけど。
町田: また禅の話に戻りますと、「百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)一歩を進む」という表現があるんです。
武内: 難しい言葉ですね。
町田: 「百尺」といのは、例えば、まあ百メートルとしましょう。百メートルの竿の頭 に上るのが禅の修行なんですよ。苦労して、坐禅をして、いろんなことを辛抱し て竿の天辺まで百メートル上りました。さあ、此処からどうするか。悟りを開き ました。さあ、ここからどうするか、と。そこで禅は、「百尺竿頭一歩を進む」と 言うんです。
武内: 百メートルの上から一歩進むと落ちちゃう。
町田: 落ちて死ぬわけですよね。それと同じ勇気がいるんです。私たちは自分の心の闇 を抱きしめるには。そうすれば今の自分は失敗の連続であった、と。何をやって も上手くいかない、と。私は何をやっても人より遅れてしまう。そういう劣等感 を持っている人が大いなる自信を回復する可能性があるんですよ。今、日本国民 みんなが全部それをやらなければいかん。
武内: ほんとに闇のように思っていらっしゃる方はほんとにいっぱいいらっっしゃる、 私も含めて。この先どう行こうかしら、という。
町田: それは大きな気付きのチャンスが目の前に来ているということでしょう。
武内: 町田さんは日本から始まって、家出から始まって、いろんな旅をして来られて、 アメリカにも行きましたし、東南アジアにも行きました。鈴木大拙さんの本を読 んで大きい夢を持たれていた。これからどういうことをしていきたい、と思って いらっしゃるでしょうか。
町田: 少しでも世界の人たちに具体的な形で何かお役に立つことをしたい。というのは、 旅をするために、自分の眼に飛び込んでくるのは非常な貧困ですよ。日本という のはこれだけ不況でも、みんながそれなりの服を着て、美味しいものを食べて生 活が出来ていますけども、世界の半数以上の人は、今日の食事にも困っておりま すよね。そういう人たちに何らかの形で具体的に援助の手を差し伸べられるよう な、そういう仕事をいつかはやってみたいと思っているけれども。
武内: はい。今日は私、なんか自分の魂の旅をしてみたくなりました。
町田: 有り難うございます。
武内: 先生もこれからずーっと旅を続けて下さい。
町田: はい。宜しくお願いします。
武内: 次の家出はいつですか?
町田: 次の家出の予告はございません(笑い)。
武内: どうも有り難うございました。
町田: 失礼致します。
これは、平成十四年十二月一日に、NHK教育テレビの「こころの時代」で放映されたものである
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