私と翻訳 -「文化の翻訳」に参加して-
青沼洋子
青沼洋子さん青沼洋子さんは、1993年以来、クラクフでポーランド語・ポーランド文学、そしてラテン語を勉強し、2000年秋にはヤギェロン大学ポーランド文学部を卒業、magister号を取得しました。その時の論文は、Echa Epikura w twórczości Jana Kochanowskiego 「ヤン・コハノフスキの作品におけるエピキュロスの残響」というものでした。
その後一時帰国して、2001年春のポーランド政府給費留学試験に合格、その秋ふたたびポーランドへ行くまでの間、このエッセイにもあるように、2001年年度「文化の翻訳」ゼミ(1学期)に参加したのでした。
青沼さんは現在ヤギェロン大学の博士課程に在学中で、Palingenius (Pier Angelo Manzoli de la Stellata, c. 1500 - c. 1543) というイタリアの詩人が書いたラテン語文学とポーランド・ルネッサンス文学のかかわりについて、学部時代と同じ指導教官 Andrzej Borowski 教授について研究を続けています。2000年秋、大学を終えると、私は、ポーランド政府の奨学金を申請するために帰国し、決定通知を受け取るまでのほぼ九ヶ月間を日本で過ごすことになった。こんなに長く日本にいたのは七年ぶりのことで、科目等履修生として関口先生の「文化の翻訳」に参加させていただいたのも、ちょうどこの時期のことである。当時のメンバーは、院生四人、学生が二人、そして私という内訳だったと思う。
「文化の翻訳」は「ポーランド語のテキストを日本語に訳すこと」(前期)と「日本特有の現象をポーランド語で説明すること」(後期)という二つのテーマから成っていて、私が参加したのは前期(2001年度)である。日本の大学は初めてということもあって、全てが新鮮で面白く、わからない事を日本語で聞けて、その答えが即座に日本語で返ってくるという日本では当たり前の事にすら感動した。クラクフでは聞きたい事をまとめる以前にそれをどう説明しようか悩まなければならなかったから、こんなに簡単でいいの?と最初は戸惑ったほどだ。結局、このゼミに通ったのは、たった四ヶ月間だったけれど、期間の短さとは裏腹に、本当にたくさんの事を教わった。院生が多かったせいもあって、授業はかなり密度の濃いものだったし、当然、その内容も、文意の確認などという初歩的なことに留まらず、原文のニュアンスがどれだけ訳されているか、訳文の質はどうか、など翻訳の本質に迫る問題が取り上げられた。
実を言えば、このゼミに出るまで、文法や発音はともかく、読解はまあまあじゃないかなんて自惚れていたのだけど、その自信は見事に打ち砕かれた。誤訳、早とちり、それどころか日本語すらまともに使いこなせない。無意識のうちに造語を作り、「辞書にこんな言葉がありますか!」と先生に苦い顔をされるのもしばしば。
そんな中で、中身が伴わないまま背負うことになった「ヤギェウォ大学卒業」という肩書きを重荷に感じていた時、「間違えられる時にどんどん間違えればいいんです。ぼろが出たら出たでいいじゃないですか。」と先生に言われて肩の荷がすっと降りたことがあった。このことは今でも感謝している。もし、あの言葉がなかったら、きっと、あれほどリラックスして授業に参加することはできなかったと思う。
クラクフでの五年間に渡る大学生活の中で、ポーランド語の本はいやというほど読んだ(読まされた?)けれど、短いフラグメントを一語一語吟味しながら味読するという機会はなかった。国文科(Polonistyka)のポーランド人は、母国語で書かれているのだから理解できて当たり前という考えの様で、一つ一つの言葉を分析する必要性を、古文に関してさえ、それほど感じてない様に見えた。ヤギェウォ大のポーランド科で一番重要視されていたのは課題図書で、文学関係だけでもゆうに百冊はあったから、試験が間近になると学生は本の山に埋もれ、ひたすら読書に励むことになる。といっても、一学年二百人前後の学生を抱えるマンモス学部だから、本もそう簡単には手に入らない。まずは図書館でお目当ての本を手に入れる争奪戦が繰り広げられ、それでも手に入らなかった場合は友情でカバー。仲のよい学生同士ノートを持ち寄り、レジュメ交換と情報交換で難を逃れる。その上、時間も限られているから、せっかく手に入れた本も結局は飛ばし読みになり、覚えているのは題名と作家名とカバーの色だけなんていうことも度々。とても味わうどころではない。一つ一つの作品を作者と登場人物をキーワードに「いつ・どこで・誰が・誰と・何をした」のかインプットして準備完了ということになる。試験は口頭のみで、もちろん全てポーランド語。だから、私がある単語を間違って理解していたとしても、同じ単語を使って説明している限り、相手は全く気づかない。そんな状況の中では、言葉を細かく分析する必要もなかったから、学生生活が長くなればなるほど読みは浅くなり、文法と発音は崩れ、上達したのは、せいぜい、ページの早めくりと他人のノートの解読技術くらいのものである。
前置きが長くなったけれど、こういう読み方に慣れてしまっていた私にとって、このゼミはまさに目から鱗だった。
翻訳という作業は恐ろしいとつくづく思う。ある人が本当にテキストを理解しているか見極めたければ、論文など書かせずに、ただ翻訳をさせればいい。字面を追うだけでは、ほんの数行すら、まともに訳すことは出来ないのだから。一つ一つの言葉がわかっても、それがどのようなコンテクストの中でどんな役割を果たし、又、どういうニュアンスをもつのかがつかめなければ、それはおのずから訳文の欠陥として表れてしまう。たとえ解釈そのものに問題がなくても、ふさわしい訳語と文体を選ばなければすべては水の泡となる。
正直言って、訳文を日本語として読めるものにする方が、翻訳そのものよりずっと難しいし時間もかかる。といって美しければいいというわけでもなく、見当はずれの美訳は、逆に原文を損ねてしまう。 「テキストを熟読すれば、訳すべき文体も自ずから決まる。」頭ではわかっているはずなのについつい勢いで読み飛ばし、気もそぞろに訳文をひねくりまわしているうちに、原文とは全く別の作品が出来ている。こんなことはしょっちゅうだった。こういう時は、たいてい、この作品を訳しているうちに無意識に作り上げてしまった世界に酔っていて、これが作品のもつ世界とは別物であることにすら気づいていない 。(1) ゼミで読みの甘さを指摘され、ようやく素面に戻るのである。
外国作品を原文で読む場合は、ただでさえ、読者自身が作り上げた虚構の世界に浸りがちである。それが作品とは無縁な妄想であることも多く、度を越せば、原作者が夢にも思わなかったであろう思想を読み取って(?)感動し、高揚した気分のまま論文の中に吐き出すという事にもなりかねない。そんな時、頭を冷やしてくれるのが母国語への翻訳で、訳しているうちにだんだんと冷静になり、理性的に作品を捉えられる様になる。
メロメロの訳文は、文章を彫琢していく過程で生じるもので、翻訳という行為そのもののせいではない様に思う。言葉をいじっていると、消えかけていた虚構の世界が蘇り、ようやく生まれた理性的な態度をも拭い去ってしまう。もちろん、最後まで冷静な態度を貫ける人もいるのかもしれないけど、最低限、私の場合はそうである。
「文化の翻訳」で得た一番の収穫、それは、翻訳の面白さを知ったことだろう。ポーランド児童文学の翻訳に携わっていらっしゃる田村和子さんが、「翻訳は面白くて病みつきになるわよ。」とよくおっしゃっていたけれど、このゼミに出るまではあまり実感がわかなかった。なのに、たった数ヶ月で、和子さんと同じ病気にとりつかれた様で、クラクフで一番懐かしかったのもこの授業だった。
もちろん、ポーランドの大学でも翻訳の授業はある。今年、友人がやっている日本学科の翻訳ゼミに半年だけ顔を出したが、それは、日本語のテキストをポーランド語に訳すというものだった。以前、東京に留学していて、その時、関口先生の「文化の翻訳」にも出たらしく、今は、それをモデルに授業を進めているということだった。勉強にはなったけれど、正直言って、母国語に訳す時の様なスリルと楽しさは感じられなかった。ある文章を的確に訳せた時の快感は、やっぱり母国語ならではだと思う。
メンバーの一人一人が同じフラグメントを和訳し、それぞれの訳について、日本語で自由に批評し合うような授業は、当然のことながら、日本でしか受けられない。良く出来た翻訳は刺激にもなるし、自分の欠点を知る鏡にもなる。とんでもない珍訳が登場することもあって、こんな時は、自分の誤訳を棚に上げて、ついげらげらと笑ってしまう。こんな風に様々なテキストと訳文とに接しながら、知らず知らずの内に、作品に対するアプローチの仕方を知り、その国の文化を知り、そしてなによりも日本語を知るようになる。
このゼミのお陰で、母国語なら知っているという思い込みがどんなに浅はかなものか、身に沁みてよく分かった。普段、意識していない分、改めて言葉の定義をきかれたりすると思わず口ごもってしまうし、なんとなく使っていた言葉が、思っていたのとは全く違った意味やニュアンスをもっていた事を知って戸惑うこともある。「文化の翻訳」に参加して一番変わったこと、それは、日本語の言葉や言い回しに対し、以前よりも、ずっと敏感になったことかもしれない。
(1) この落とし穴に見事にはまってしまったのはKochanowski の Czego chcesz od nas, Panie ! を訳した時のこと。神への感謝に満ちた祈りの歌ということから、「~給え」を基調にした文語調で訳したところ、もともと付け焼刃の上、語彙は文語訳聖書からそっくり取り出したものだったから、まるで詩編の焼き直しの様になってしまった。その上、さぞかし格調高い文語訳で臨まれるだろうと想像していた先生の方は和語の香り漂うすっきりとした現代語訳。「古語で訳してしまったら、この詩の斬新さは伝わらないんじゃないですか? 付け足しも多いし、余りに原文からかけ離れていて、これでは・・・」というのがそのコメント。返す言葉すらなく、その上、Kochanowski は私の専門でもあったから二重に恥ずかしかった。