ワルシャワ音楽見聞録 Vol.1
「シマノフスキ・イヤー2007」をふり返る
重川真紀
私がポーランドという国と深く関わるようになったのは、自身の研究テーマであるポーランドの作曲家カロル・シマノフスキ(1882~1937)との出会いがきっかけである。大学院で音楽学を専攻している私は、修士、博士課程を通してシマノフスキの作品研究に携わり、とりわけ彼のオペラ《ルッジェーロ王Król Roger》作品46をその中心テーマとしてきた。
作曲家シマノフスキについて考えるとき、彼の母国ポーランドやそれをとりまく状況を切り離して彼の作曲活動の本質を捉えることはできない。シマノフスキが生きた時代は、およそ130年間にわたる分割統治からの復活という、ポーランドが大きな転機を迎えた時期だった。劇的な歴史と深く結びついたポーランド・ナショナリズムとその伝統に対して、シマノフスキは常に一定の距離を保ち続けたが、それでも彼の作曲家としての在り方は当時の社会的、文化的状況に深く規定されていたといえるだろう。また、シマノフスキは、これらの問題を常に「言葉」というメディアを通して捉えようとした作曲家でもあった。そのため、彼の作品におけるテクストの重要性や、それらが彼の美学形成に及ぼした影響は計り知れないものである。したがって、「ポーランド語」はシマノフスキ研究にとって避けて通れないものであり、こうして私はシマノフスキを通して、ポーランドの言語、歴史、文化に触れることとなった。
現在はワルシャワ大学歴史学部音楽学学科に籍をおき、ゾフィア・ヘルマン教授、ズビグニェフ・スコヴロン教授の下で研究生活を送っている。ポーランドへ留学する前に、東京外国語大学ポーランド文化研究室で特別研究生として学んだご縁もあって、関口教授から「ワルシャワでの留学記を書いてみませんか」とお声をかけていただいた。自分の専門と関連して、その内容はおもに音楽に関わるものになるが、留学生活を通して得た情報や体験などを通してワルシャワの現在をお伝えすることができれば幸いである。
さて、2007年9月24日、ワルシャワのフリデリク・ショパン空港に降り立った時から、私の二年間の留学生活が幕を開けたわけだが、奇しくも2007年は、シマノフスキの生誕125周年、没後70年にあたるメモリアル・イヤーだった。ポーランドでは、政府が正式に「シマノフスキ・イヤー2007」を宣言し、シマノフスキ作品をプログラムに乗せたコンサートが連日のようにポーランドの主要都市で催されていた。このところ、わが国でもシマノフスキ作品がコンサートで取り上げられる機会が増えてきてはいるが、やはりピアノやヴァイオリン作品が多く、残念ながらオーケストラ作品等が演奏される機会はまだまだ少ない。したがって、留学と同時に幕を開ける2007/2008シーズン、いわばシマノフスキ・イヤーの後半戦にはいやが上にも期待が高まった。なかでも、私が最も期待を寄せていたのは、シマノフスキの舞台作品の上演である。現在、シマノフスキ作品のほとんどはCDで聴くことができるが、これまで彼の舞台作品はDVDはおろか、ビデオすら出ていない状態だったため、舞台上演を見るためには実際に会場へ足を運ぶ以外に方法がなかったのである。しかも、残念ながらその機会は、ポーランドにおいてすらそう多くはなかった。したがって、シマノフスキのオペラやオペレッタが軒並み上演された「シマノフスキ・イヤー2007」は、私にとって願ってもないチャンスだったといえるだろう。
ポーランド国立歌劇場(以下テアトル・ヴィエルキと表記)ではシマノフスキのオペラ《ルッジェーロ王》が、国立フィルハーモニーでは芸術総監督であるアントニ・ヴィトの指揮の下、《マンドラゴラMandragora》作品43(1925年作曲)がそれぞれに2007/2008シーズンのオープニングを飾った。また10月1日から一週間、ポーランド放送の「第10回ポーランド放送音楽フェスティバルX Festiwal Muzyczny Polskiego Radia」(1997年から毎年開催。ポーランドの作曲家を取り上げる企画)では「シマノフスキの世界 Szymanowskiego światy dalekie i bliskie」と題した一連のコンサートシリーズが開催。シマノフスキの誕生日である10月3日には、テアトル・ヴィエルキのモニューシュコホールにて「シマノフスキと舞踊Szymanowski i taniec」と題されたコンサートが開催され、同日の舞踏会ホールでは「シマノフスキの思い出にSzymanowski in memoriam」と題したミニ・コンサートが同時開催されていた。また、10月2日からはテアトル・ヴィエルキにて「《メトープ》、《仮面劇》、《神話》――カロル・シマノフスキの芸術的遺産Metopy, Maski, Mity…Dziedzictwo artystyczne Karola Szymanowskiego」と題された展覧会が始まるなど、10月初旬のワルシャワ音楽界はほぼシマノフスキ色に染まっていたと言っても過言ではない。そのため、ポーランドへ着いてしばらくは、大学よりもコンサートやオペラ会場へ足を運ぶ方が圧倒的多数を占めていたというのが正直なところである。
こうして、数々のシマノフスキ作品を実際の演奏で聴ける多くの機会に恵まれたわけだが、なんといってもシマノフスキ・イヤーの一番の恩恵は彼の舞台作品にもたらされたといえるだろう。とりわけ注目に値するのが、ヴロツワフ歌劇場におけるオペラ《ルッジェーロ王》の新演出による上演、そしてクラクフのスウォヴァツキ劇場で行われたオペレッタ《夫選びの宝くじ――すなわち婚約者69番Loteria na mężow, czyli Narzeczony nr 69》の世界初演である。オペラ《ルッジェーロ王》は、現在ポーランドで気鋭の演出家と言われるマリウシュ・トレリンスキが手掛けたもので、彼はすでに2000年にもテアトル・ヴィエルキで《ルッジェーロ王》上演を手掛けている。しかし、全く新しい解釈で臨んだ今回の演出に関しては、ポーランドでも賛否両論の議論をまきおこした。これは私自身の研究にとっても非常に興味深い内容だったので、また回を改めてその詳細に触れたいと思う。クラクフで世界初演が行われたオペレッタ《夫選びの宝くじ》は、これまで楽譜すら出版されていなかったこの作品を掘り起こし、台本を大幅に加筆して(なぜならこの作品の台本は失われており、要約の断片しか残っていなかったからである)現代の劇場上演用にアレンジされたものであった。このプロジェクトには、シマノフスキ研究の第一人者であるテレサ・ヒリンスカ女史も監修として加わり、今年中にはPWM(ポーランド音楽出版社)からオーケストラ総譜が出版される予定となっている。これらの上演は舞台化だけでも十分に価値のあるものだったが、さらに喜ばしいことに、今年に入ってからこれらの上演が次々とDVD化されているのである。以上に挙げた上演の他にも、ヴロツワフ歌劇場によって上演されたシマノフスキのもう一つのオペラ《ハギトHagith》もDVDとなってすでに発売が開始されている。このオペラについては、これまでCDはおろかオーケストラ総譜すら出ていなかったのだから、これら一連の上演とそのDVD化がいかに画期的なものであるかは簡単に察していただけるだろう。
このように、長年待たれていた上演や映像資料が、「シマノフスキ・イヤー2007」から続々と上演・制作されている背景には、これをきっかけにこれまで長らく中断されていたプロジェクトの数々が動き出したという事実がある。もちろんシマノフスキに関連するコンサートや学会は、これまでにも節目ごとに行われてきたし、ポーランドではこのようなメモリアル・イヤーは珍しくない。しかし、今回政府が正式に宣言して助成金が下りたことで、これまで資金難のために中断を余儀なくされていたプロジェクトがようやく再開されたことは、先に挙げたプログラムの充実ぶりとそのプロダクツに大きく貢献しているといえる。その意味でも、今回のメモリアル・イヤーはシマノフスキ研究にとっても大きな実りをもたらしたといえるだろう。
今回は「シマノフスキ・イヤー2007」を、コンサートや舞台作品の上演という側面から眺めてみたが、次回は2007年11月にクラクフで行われた国際学会と、シマノフスキの一次資料をめぐる問題をとりあげて、再びシマノフスキ・イヤーを振り返ることにしたい。