―― 本稿は2003年度日本政治学会研究会(分科会K自由論題)での報告原稿です ――

標準偏差を用いた台湾選挙分析

東京外国語大学
小笠原 欣幸

はじめに

 台湾は1990年代前半に権威主義体制から民主主義体制への転換をなし遂げ,民主化の模範的事例と見なされてきた。しかし民主化後の台湾政治は,@国家アイデンティティをめぐる対立,Aエスニシティの政治化,B地方派閥の興隆,の3つの対立軸が複雑に交差し,民主化後の着地点がまだ見えていない。これら3つはいずれも台湾の権威主義体制の特質に起源を有するものだが,当時はその矛盾は上から押さえ込まれていた。民主化後,抑制装置が解除され,政治の焦点となった各種の選挙で問題として表面化してきた。そのため,台湾の選挙では毎回のように,アイデンティティをめぐる争い,エスニック・グループ間の争い,派閥的利益確保をかけた争いが展開され,台湾政治は機能不全に陥るのかどうかの岐路に立っている。
 @アイデンティティの問題とは,台湾とは国家なのか一地方なのか,台湾の将来を独立の方向で考えるか中国との統一の方向で考えるか,台湾住民は中国人なのか台湾人なのかというアイデンティティの分裂を指す。蒋介石・蒋経国統治時代は,国民党一党支配体制の下で中国アイデンティティ中心の統治構造が維持されてきたが,90年代の李登輝政権下で,中国とは別の台湾アイデンティティが台頭してきた。総統選挙ではこのアイデンティティの対立が大きな争点となる。
 A台湾住民のエスニシティは,先住民(アボリジニ),閩南系本省人(ホーローラン),客家系本省人(ハッカ),外省人の4つのグループに分類される[1]。蒋介石・蒋経国統治時代は外省人優位の支配構造であったが,李登輝時代に政治権力の外省人寡占状態が打破され,閩南系本省人が優位に立つようになった。しかし,人口多数派の閩南系にたいし,客家,先住民が外省人と連携してそれを牽制する投票行動が見られる。エスニシティの構成が複雑な台北市の市長選挙ではエスニック・グループ間の対抗意識が隠れた争点となる。
 B地方派閥は,台湾の各県・市において選挙を通じて競争する地方の政治勢力である。地方派閥の最大の目標は県長・市長ポストを掌握し,右図のような権限を行使し自派の拡大を図ることにある。権威主義体制下においては,地方派閥は国民党の統制下に置かれてきた。しかし民主化が進んだことで地方派閥の活動が活発になり,1995年と98年の立法委員選挙では,国民党系の地方派閥の候補が大量に当選しその実力を見せつけた。李登輝は民主化の推進者であるが,同時に地方派閥につきまとう金権腐敗のイメージから逃れられなくなり,都市部において評判を落とすことになった。
 台湾の選挙では投票所ごとに候補者の得票率が大きく異なる傾向がある[2]。農村地帯の選挙区においては,地方派閥の候補者同士が熾烈な集票工作を展開するので得票率のばらつきが大きくなる。台北市では,エスニシティの構成が複雑に入り組んでいて,エスニック・グループ間の対抗意識がかきたてられると投票所ごとに候補者の得票率が大きく異なってくる。本報告は,このような投票所ごとの得票率のばらつきを標準偏差で表すことで,3つの争点が交錯する台湾の選挙を従来とは異なる角度から分析しようとするものである。事例としては,報告者が現地調査を行ってきた雲林県と台北市を取り上げ, (a)地方派閥の集票活動の度合いを標準偏差で表すことができるか,(b)地方型選挙と都市型選挙の違いを標準偏差で表すことができるか,(c)エスニシティに基づく投票行動を標準偏差で表すことができるか,という課題を検討していく。

1. 雲林県の立法委員選挙

 雲林県は人口約75万人の農業県で,長らく国民党系の地方派閥が県政を独占してきた。80年代は林派と許派,90年代はそれらに加えて廖派,福派,張派の5つの勢力が割拠するようになったが,その後県長ポストを掌握した張派の一派優位体制になり,他の派閥は弱体化している。まず,実例として地方派閥が熾烈な争いを展開した1995年立法委員選挙の数字を見てみたい[3]。この選挙では,国民党系地方派閥の許舒博(許派),林明義(林派),廖福本(福派)と民進党の廖大林が当選した。このうち林候補の県内各投票所での得票率を調べると,図のように投票所ごとに数値が大きく異なり,最高値は81.6%,最低値は0.35%という極端な開きが生じている。


(投票率67.35%,選挙区内投票所383個所,得票率平均値19.25%,標準偏差12.82)

 林候補の得票率は,なぜこれほどばらつきがあるのであろうか。雲林県で集票活動に使われる主要組織は,@農会,A水利会,B行政組織の3つである[4]。そのほかに,議員の個人的つながりも大きな影響力を持つ。各派はそれぞれの組織を通じて自派の人間を動員し集票活動を行うが,最終的には末端の行政単位である村および里を単位に票固めが行われる。そこでは,地縁,血縁が総動員され,利益誘導,買収,脅迫などの手段が用いられ,投票所ごとにまとまった数の有権者が集票構造の中に取り込まれていく。そのため,産業構造・社会構造がまったく変わらない近隣地区の投票所で,候補者の得票率が大きく異なるという現象が発生するのである。雲林県では,外省人の比率は3%,先住民は0.03%にすぎず,また,客家は閩南系本省人と同化しているので,エスニシティは争点にはならない。
 以上が雲林県選挙区のマクロの概況である。ミクロの末端の投票所についても検討する。県西部に位置し人口約2万人の東勢郷は,雲林県下の典型的な農業地域(稲作,ピーナッツ生産が主)である。郷内には12の村(日本の集落に相当)がある。郷内すべてが平坦な土地で,村と村を隔てる自然環境(川や丘陵)はない。それぞれの村は,福建省から移民してきた時のまとまりが単位になっていて,村の人は親戚関係にあることが多い。郷民はほとんどが農業に従事しているが,兼業で小規模の土建会社を営む人もいる。郷の中心には,商店街,郷役場,農会などいくらかの公共施設があるが,それ以外は一面農地が広がっている。東勢郷で農会に勤めるということは,安定した職であり一つのステータスでもある。投票所はそれぞれの村に設置されている。各投票所の有効投票数は300から1200の間である。
 この選挙では,東勢郷からは有力候補が出ていないため郷内全域が地方派閥の草刈場になっているが,西隣の台西郷に地盤を持つ許派と県中央部に地盤を有する林派が優勢な選挙戦を進めた。2派の候補が激しく競い合った昌南村と四美村の事例を取り上げる。昌南村と四美村は近隣に位置し,産業構造も社会構造も人口もほとんど同じである。村の面積は昌南村が2.6ku,四美村は5kuである。どちらの村も中心に廟がある以外には公共施設はない。次の《表1》は,昌南村と四美村での各候補の得票率である。

《表1》東勢郷昌南村と四美村での主要候補の得票率(1995年立法委員選挙,雲林県選挙区)
  許舒博(国) 林明義(国) 廖福本(国) 廖大林(民) 林國華(民) 蘇洪月嬌(無) 有効投票数
昌南村 24.51% 48.49% 1.24% 8.17% 9.95% 5.68% 563
四美村 50.69% 20.07% 10.32% 3.10% 7.91% 2.87% 872

 この2つの村の投票行動は,林候補(林派)と許候補(許派)の得票率において顕著な対照をなしている。この得票率の違いは村の有力者をどちらが握っているかによる。もう一つの地方派閥の廖候補(福派)は,昌南村で林派に完全に押さえ込まれている。農会の地区幹事が自派の運動員であることは,狭い地域社会では非常に有利な材料である。しかしそれだけではなく,選挙の公開の原則が地方派閥の締め付けを効果的にするという皮肉な構造もある。どの陣営も詳細な票読みを行い,投票日には村人のだれが投票に来たかを監視する[5]。投票所がそのまま開票所になり,各候補の得票数が発表される。開票過程は完全に公開され,候補者の代理人による立会いと票の点検が可能である。投票の匿名性は保障されてはいるが,投票用紙に印章を押す位置を巧妙に工夫することができるため,投票者は心理的に圧力を受ける状況にある。

《表2》東勢郷での各候補の得票率と標準偏差(1995年立法委員選挙)
  許舒博(国) 林明義(国) 廖福本(国) 廖大林(民) 林國華(民) 蘇洪月嬌(無)
得票率平均値28.27% 23.5% 16.73% 8.06% 12.91% 5.42%
標準偏差 9.36 9.18 7.43 4.28 3.87 1.76

 《表2》は,東勢郷の12の投票所での各候補の得票率の標準偏差を計算したものである。東勢郷で強力な集票活動を展開した林と許の標準偏差が他候補より大きいという結果が得られた。このように最も基層のレベルで,標準偏差が地方派閥の集票活動の度合いを表すことが確認できた。しかし問題点もある。民進党候補は組織力が弱く,国民党系地方派閥の集票工作にたいし基礎票を守れないことが多い。その守れなかった地区の得票率が大きく落ち込むことで,標準偏差の数値が大きくなる。《表3》の雲林県選挙区全体の標準偏差を見てみよう。

《表3》雲林県選挙区での各候補の得票率と標準偏差(1995年立法委員選挙)
  許舒博(国) 林明義(国) 廖福本(国) 廖大林(民) 林國華(民) 蘇洪月嬌(無)
得票率平均値19.9% 19.3% 18.2% 14.6% 13.9% 4.5%
標準偏差 12.3 12.8 9.0 14.4 10.7 4.9

 トップ当選を激しく争った林と許の2人の標準偏差が高いのは想定どおりであるが,強力な集票活動を支える組織力に乏しい民進党の廖の標準偏差が最も高いという結果になった。廖候補は出身地である西螺鎮の唯一の候補として地縁に訴えかける選挙戦を展開した結果,西螺鎮で非常に高い得票率を獲得した。しかし,その他の地域では地方派閥候補の攻勢に直面し民進党の基礎票を守れず,得票率に大きなばらつきができて,標準偏差が大きくなったのである。次の1998年選挙では廖候補は振るわず落選し,標準偏差も大きく低下し8.6になっている。この候補のように特定地域で圧倒的な得票数を獲得するが他地域ではまったく振るわない場合,標準偏差は大きくなり,指標としての意味が弱まる可能性がある。引き続き1998年の立法委員選挙での各候補の標準偏差を《表4》で算出してみる[6]

《表4》雲林県選挙区での各候補の得票率と標準偏差(1998年立法委員選挙)
  林明義(国) 曾蔡美佐(国) 許舒博(国) 侯惠仙(国) 林國華(民) 廖福本(国) 高孟定(無) 廖大林(民) 蘇治洋(無)
得票率平均値 15.3% 13.8% 12.8% 12.5% 11.5% 10.0% 10.1% 8.7% 4.2%
標準偏差 9.5 9.92 9.31 10.15 8.07 7.48 7.54 8.64 5.93

 新たに参選した曾蔡美佐は張派,侯惠仙は廖派の候補である。曾蔡候補は水利会の組織を動員し北港鎮周辺を中心に集票活動を展開した。侯候補は地盤の斗南鎮の農会を掌握し近隣で強力な集票活動を展開した。林,許の両候補も派閥を動員して議席を守った。一方,福派の廖候補は勢いが衰えつつあった(福派はほどなくして消滅)。この1998年選挙では,激しい集票活動により上位を独占した地方派閥候補4名の標準偏差の数値が大きいことが示された。地方派閥の候補に挟まれた民進党候補の標準偏差も高くなる傾向があるので実態調査と併用する必要があるが,標準偏差の数値はある程度その候補者の集票活動の性質を示していると言うことができるであろう。
 それでは,逆に,雲林県の中で地方派閥の集票活動が活発であったのはどの地区かを標準偏差で示すことが可能か検討してみたい。ある候補についての郷鎮市別の得票率は,その候補の支持の高低を表すだけで,その地区の集票活動の程度を示すものではない。強力な対抗勢力がない場所では,強引な集票活動なしに高得票率をあげることが可能だからである。得票率を使う通常の方法ではその地区での競い合いの性質がわからない。そこで,郷鎮市ごとに泡沫候補以外[7]の全候補者の全投票所での得票率を入力し,標準偏差を算出する。例えば東勢郷の場合は,投票所が12個所,候補者8名,データ数96で標準偏差は10.78となる。これを全部で20ある郷鎮市すべてについて計算し標準偏差の高い地区から順に並べたものが次のグラフである。



 最も数値の大きい西螺鎮は,民進党の廖の地盤だが,国民党系地方派閥からの切り崩しを受けていた。その激しい攻防が西螺鎮の標準偏差を押し上げた要因である。2番目に高い古坑郷は,もう一人の民進党候補の林と福派の廖が共に地盤としているので激しい攻防戦が展開された。台西郷は許派,虎尾鎮は林派の地盤であり,強烈な締め付け工作が行われている。四湖郷と麥寮郷は,選挙ごとに札束が乱れ飛ぶと県内で形容されている地区である。98年選挙になると斗南鎮で数値が跳ね上がるが,これは斗南鎮を地盤とする廖派の侯候補が出馬し他派閥候補と激戦を展開したためである。2001年選挙では,北港鎮と水林郷の数値が急上昇するが,それも同種の理由による。北港鎮では知名度の高い民進党候補が出馬し同じ地盤の張派の曾蔡候補と争い,また,隣接する水林郷では親民党から新興派閥の新人が出馬し,この両地区は県内の最激戦地区になった。このように,郷鎮市別に算出した標準偏差の数値は集票活動の激しさを反映していると言える。

2. 台北市の立法委員選挙

 次に1995年立法委員選挙での都市部の事例として,台北市第2選挙区の沈富雄候補(民進党)を取り上げる。図のように沈候補の得票率のばらつきは非常に小さい。


(投票率64.71%,選挙区内全投票所224個所,得票率平均値8.33%,標準偏差2.49)

 この選挙で民進党は,定数9にたいし4名の公認候補を擁立した。党の選挙対策本部は共倒れを防ぐため,支持者にたいし誕生月ごとに指定候補に投票するよう指示した。この指示は必ずしも厳格に守られなかったが,強引な集票活動はしないという申し合わせとしては概ね機能したと考えられる。民進党の4候補は合同選挙対策本部を設置し,4候補連名の宣伝文書を配布し党のイメージアップを図る選挙戦を展開した。その結果,民進党は4名全員当選を果たした。自身が党の選対幹部であった沈候補は,抜け駆け的な集票活動を控えたため,民進党の4候補の中で当選順位が一番低かった。標準偏差を算出してみると2.49で,民進党候補4名の中で沈候補が最も数値が小さかった。沈候補の事例は,間接的手法に訴えかける都市型選挙の典型的事例と見なすことができる。
 台北市の国民党候補は,退役軍人系統,公務員系統などの組織を動員して集票活動をしているので,標準偏差は沈候補よりも数値が大きい。しかし退役軍人系統の支援を受けた潘維剛候補の標準偏差が4.27,個人後援会を動員してドブ板選挙を繰り広げた陳鴻基候補の標準偏差が4.64で,いずれも雲林県の地方派閥候補とは比べものにならないほど低い。台北市で国民党の組織が直接操作できる票の割合は,雲林県で地方派閥が操作できる票の割合よりもかなり低いと言うことができる。林候補と沈候補の得票率の平均値と標準偏差を使って正規分布曲線を作成し比較してみると,図のように両者のパタンはまったく異なっている。他選挙区の主要候補についても同様の方法で標準偏差を求めてみると,台湾全体で立法委員選挙の候補者の標準偏差はほぼこの2つ数値の間に位置していることが判明した。
 このように林候補(雲林県)と沈候補(台北市)の集票活動の違いは標準偏差の数値で示されたが,雲林県と台北市の選挙区全体の違いが明らかになるかどうかを見るため,両選挙区の全投票所における主要候補の得票率の標準偏差を算出してみる。

《表5》雲林県選挙区と台北市第2選挙区の比較
  雲林県 台北市第2
  全主要候補者 当選者のみ 全主要候補 当選者のみ
得票率平均値 12.5% 18.01% 7.47% 9.04%
標準偏差 12.22 12.44 4.5 4.1
変動係数 0.98 0.69 0.60 0.45
投票所の数 383 383 224 224
計算した候補者数 8 4 13 9
データ数 3064 1532 2912 2016

 左の《表5》にあるように,全候補者(ただし得票率1%以下の候補は除く)で算出しても,当選者のみに限定して算出しても,雲林県と台北市の標準偏差は明確な差が現れている。雲林県と台北市を比較する場合,選挙区の規模の違い(雲林県定数4,台北市第2選挙区定数9)も考慮する必要がある。一般的に,議員定数が大きく候補者数も多い選挙区では得票率の変動幅が小さくなる傾向があると考えられる。しかし,雲林県より定数の大きい桃園県(定数8),台中県(定数7),彰化県(定数7)でも地方派閥の締め付けが行われ変動幅はやはり大きいので,標準偏差の数値は直接的な集票活動の程度を表すと考えることができるであろう。

3. 県長選挙と市長選挙

 雲林県の県長選挙は,地方派閥にとって最重要の選挙であるが,国民党の統制が強かった時代は,国民党の公認候補になることが決戦であった。民進党の勢力は弱いため,国民党の公認を得た段階で当選が決まるからである。しかし,民主化後国民党の統制が弱まり,地方派閥間の対立を押さえることが難しくなってきた。雲林県の1997年県長選挙は,国民党が林派の蘇文雄を公認候補と決定したが,もともと林派であった張榮味が不満を抱き,党を離脱して張派を結成し無所属候補として挑戦した。民進党からは,立法委員である廖が出馬した。そのため,この選挙は有力候補3名の争いとなった[8]

《表6》雲林県長選挙の各候補の得票率と標準偏差(1997年)
  蘇文雄(国) 張榮味(無) 廖大林(民)
得票率最高値 66.33% 90.30% 68.85%
得票率最小値 2.97% 11.88% 6.42%
得票率平均値 35.30% 34.43% 28.41%
標準偏差 10.36 11.47 10.49
(雲林県内投票所384個所)

 3候補の標準偏差は《表6》のとおりである。この97年県長選挙は実質的に蘇と張の争いで両者の標準偏差が高い数値となっているが,その影響を受けた民進党の廖候補の数値も高くなっている。これら3候補の数値は,立法委員選挙の数値と近いものになっている。しかし,地元民の眼には県長選挙の方が激しい選挙戦であったと映っていることは間違いない。報告者の聞き取り調査においても,県長選挙の方が組織動員の規模,選挙資金の規模のいずれから見ても立法委員選挙を上回っていることは疑いない。この点は,標準偏差の素の数値をさらに処理する方法が必要なのかもしれない。
 1994年の台北市長選挙は,民主化によってそれまでの任命市長制から民選市長制になって始めての選挙であった。国民党からは現職の黄大洲(閩南系本省人),民進党からは立法委員の陳水扁(閩南系本省人),新党からは立法委員の趙少康(外省人)が出馬した。結果は,民進党の基礎票を上回る票を得た陳水扁が当選した。趙候補は,李登輝に反対して国民党を離党し中国新党を結成した人物で,選挙戦では中国人アイデンティティを打ち出し台湾独立に強硬に反対していた。陳水扁は,台湾人アイデンティティを強調し独立派寄りであった。

《表7》台北市長選挙の各候補の得票率と標準偏差(1994年)
  趙少康(新) 陳水扁(民) 黄大洲(国)
得票率最高値 63.18% 78.01% 53.06%
得票率最小値 5.01% 17.88% 15.23%
得票率平均値 29.71% 43.97% 26.04%
標準偏差 11.3 10.6 3.2
(台北市内投票所435個所)

 台北市長選挙と雲林県長選挙は,どちらも有力候補3名の争いで比較の条件が整っている。立法委員選挙での台北市と雲林県との標準偏差の違いからすると,台北市長選挙では,都市型の集票活動が展開され3候補とも標準偏差の数値が小さいのではないかと想定されたが,現実には,趙候補と陳候補の2人は《表7》のように雲林県の地方派閥候補と同じような数値であった。台北市では,地方派閥的締め付けは不可能であるし,買収や脅迫のような手段が使われたという報告もない。選挙の概況として,エスニック・グループ,特に閩南系本省人と外省人との激しい対抗意識が争点であったので[9],この標準偏差はエスニシティに基づく投票行動の程度を表すと見ることができる。《表8》は市南部の文山区の実例である。ここの試院里には政府機関があり公務員が多く居住し外省人の比率が高い。そこから数キロも離れていない指南里は区の南端に位置し古くからの住民が多く閩南系本省人の比率が高い。趙少康と陳水扁の得票率に,両地区のエスニック・グループの構成が反映されている。こうした投票行動が台北市全体で発生した[10]

《表8》文山区試院里と指南里における各候補の得票率(1994年台北市長選挙)
  趙少康 陳水扁 黄大洲 有効投票数 投票率
試院里 49.35% 26.40% 23.81% 3481 80%
指南里 25.09% 49.97% 24.26% 1451 80%

 図は3候補の得票率平均値と標準偏差から作成した正規分布曲線である。黄候補と,趙・陳両候補の曲線の違いは非常に興味深い。黄候補は曲線の形からすると,個別の集票活動の少なかった沈候補の曲線に近い形をしている。黄候補の標準偏差3.2という数値は,95年立法委員選挙の沈候補の2.49よりは高いが,国民党の組織を動員した潘維剛候補の4.27や陳鴻基候補の4.64よりもかなりかなり低い。黄候補の数字からは,国民党の組織動員が成功しなかったことが読み取れる。しかし,3候補の中で最も組織力を有していたのは国民党の黄候補だったのである。黄大洲は現職市長で,市政全般に対する評価,その印象は,メディアを通じて間接的に形成されていたと考えられる。また黄候補への支持はエスニシティに関係ないと見ることができる。一方,陳水扁候補は確かに民進党の後援組織を持っていたが,国民党の軍,公務員,業界組織には到底及ばない。新党の趙少康候補は,十分な組織力を構築するには至らず,組織戦というより外省人中心の勝手連的選挙戦を行っていたので,この2人の曲線は組織力による集票活動を反映したものとは考えられない。結局,この市長選挙では,政策論争は明確にはならず,外省人は外省人候補に,本省人は本省人候補にというエスニシティの感情に訴えかける選挙戦になり,趙候補と陳候補の標準偏差の数値を押し上げたのである。
 市長選挙ではこれほどエスニシティの要素が表面化するのに,立法委員選挙ではなぜエスニシティの要素が顕在化しないのであろうか。立法委員選挙は台北市第1選挙区,第2選挙区ともに定数9の中選挙区制なので,閩南系本省人候補も外省人候補も客家の候補も複数立候補していて複数当選が可能である。そのような状況では,エスニック・グループ間の競争よりも,同じグループ中での競争の方が重要になる。また,エスニック・グループの勝ち負けがはっきりしないので,それほどの緊張感を生み出さない。しかし,1人が当選する市長選挙では,選挙戦が容易にエスニック・グループ間の力比べという性質を持つことになるのである。

4.総統選挙

 最後に全国規模で争われる総統選挙において標準偏差がどのような意味を持つのか検討したい。2000年総統選挙は陳水扁(民進党),宋楚瑜(無所属),連戰(国民党)の3候補が台湾の選挙史上空前の激戦を繰り広げた。《表9》は雲林県,台北市,および台湾全体(投票所5828個所)での各候補の投票所ごとの得票率の平均値と標準偏差である。雲林県の標準偏差の数値は県長選挙と比較すると数値が小さくなっている。連戰候補の数値から判断すると,雲林県内において国民党の組織(国民党系の地方派閥の組織)は集票活動の程度が低かったことを物語っている。陳水扁については,県内の民進党の組織が弱いため,県内を宣伝車で回ったり選挙集会を開いたり宣伝ビラを配布したりという都市型の間接的な集票活動が主軸であった。宋楚瑜については,県内の地方派閥の一部に水面下で支援する動きがあったがあくまでも部分的なものに過ぎず,宋楚瑜陣営は農会や水利会を掌握してはいなかった。陳水扁も宋楚瑜も組織が弱いのに標準偏差の数値が高いのはなぜであろうか。先にも述べたように雲林県では人口のほとんどが閩南系本省人であるので,宋楚瑜の得票は外省人ではなく本省人からきている。その上で,陳と宋の標準偏差の数値を考えるなら,閩南系本省人の県民の中でアイデンティティの分裂があり,選挙戦を通じて,家族,親戚,近隣での情報交換を重ねることでその分裂が増幅されたと考えられる。

《表9》総統選挙の各候補の得票率と標準偏差(2000年)と標準偏差(1994年)
    宋楚瑜 連戰 陳水扁
雲林県 得票率平均値 26.52% 24.99% 47.94%
標準偏差 7.39 5.69 9.46
台北市 得票率平均値 39.24% 22.14% 37.95%
標準偏差 9.99 2.77 8.21
台湾全体 得票率平均値 34.59% 24.22% 40.42%
標準偏差 15.03 5.64 13.76

 台北市については,3候補の標準偏差は94年台北市長選挙の3候補の数値と非常に似たものとなっている。連戰の標準偏差は94年の黄大洲の数値より低い。これは95年立法委員選挙の沈候補の数値とほぼ同じであり,台北市の国民党組織は実効ある集票活動はほとんどしなかった(できなかった)ことが読み取れる。台湾全体については,宋楚瑜と陳水扁の標準偏差は大きな数値になっている。宋楚瑜の標準偏差が,雲林県,台北市,台湾全体と見ていくにつれ大きくなっていくが,それは,台湾全体では外省人の投票行動だけでなく,客家,先住民の投票行動の地域的な偏りが加わるからである。しかし宋楚瑜の数値は,雲林県のような閩南系本省人が圧倒的多数を占めているところでも数値が大きいので,エスニック・グループの要素とアイデンティティの要素の両方があることを示している。同じように陳水扁の標準偏差も台湾全体でより大きな数値になっている。このこともエスニック・グループ間の対抗だけでなくアイデンティティの深い分裂が根底にあることを示している。(※総統選挙についてはまだ分析が不十分であり,結論を示す段階には至っていない。)

まとめ

 これまでの検討により,(a)地方派閥の集票活動の度合い,(b)地方型選挙と都市型選挙の違い,(c)エスニシティに基づく投票行動について,標準偏差を用いて表す方法がある程度有効であることが示された。しかし,地方派閥の集票活動によって票を蚕食される側の標準偏差も大きくなるので,標準偏差の数値は現地調査と組み合わせて用いなければならないであろう。また,2,3名の候補が当選を争う首長選挙と多数の候補者が複数議席を争う立法委員選挙とで,それぞれの標準偏差の数値を媒介する係数が必要なのかどうかはさらに検討が必要である。
 標準偏差の数値は,候補者の働きかけや集票活動の性質を示すと同時に,有権者の態度の問題をも反映している。狭い地域ごとに投票行動が形成されるということは,直接的な働きかけを受け入れる受動性,付和雷同性,周辺での情報操作に惑わされやすいなど,個人の自立的判断の欠如によるところが大きい。標準偏差の数値の大きさは,それだけ多くの有権者が政治勢力に取り込まれていることや,エスニシティ・ポリティクスに巻き込まれていることを示している。このような状態においては,政策議論が浸透しにくく,投票行動の振幅が大きくなり政治は安定しない。民主化の次は民主政治を強化する段階に入るのだが,個人の自立的判断が高まることは民主政治の強化に不可欠な要素である。台湾政治に関しては,各種選挙の標準偏差の数値が下がってくることが民主政治強化の目安として考えることができるのではないだろうか?

※台湾政治・選挙に関する論考は報告者のHPをご覧ください。 http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/ogasawara/ 



  1. 閩南は福建省南部を指す。本省人は日本統治前に中国大陸から渡ってきた人々,外省人は第二次世界大戦後渡ってきた人々を指す。それぞれの人口比は1992年の時点で,先住民1.7%,ホーローラン73.3%,客家12%,外省人13%(黄宣範『語言,社会與族群意識』1993)とされている。
  2. 台湾の選挙では,日本と異なり各候補の得票数が投票所ごとに発表される。日本では,各投票所の投票箱を一個所に集めて開票し,市町村単位で候補者の得票数を発表している。
  3. 台湾の立法委員選挙は中選挙区制で,各選挙区の定数は人口(有権者数)に対応している。1995年選挙においては,人口約264万人(有権者数182万人)の台北市は18議席(台北市第1選挙区9名,第2選挙区9名),人口75万人(有権者数52万人)の雲林県は4議席が割り当てられていた。一票の格差は,日本と逆に都市部が若干有利になっている。
  4. 農会は日本の農協に相当する。県全体を統括する雲林県農会の下に各郷鎮市農会があり,総幹事が実権を握っている。総幹事は,肥料・農薬の共同購入,農産物の出荷取りまとめ,資金融資などにおいて大きな影響力を有している。水利会は県内の農業用水を管理する組織である。会員数174400人を擁し,灌漑用水の使用権の策定などで強い影響力を有している。ダム,取水口,灌漑用水路の建設を手がけ県内で大きな公共事業を行っている。行政組織は,雲林県内に20の郷鎮市(市町村に相当)がある。その下に,郷の場合は村,鎮と市の場合は里がある。村は集落に相当し,里は町内会の大きさである。郷長,鎮長のほとんどは国民党籍でいずれかの派閥に属している。村長,里長の政治力は地区で異なる。
  5. こうした村では投票所が村の中心の廟に置かれるため,人の出入は監視しやすい。
  6. 1998年選挙から立法委員の定数が増員となり雲林県選挙区では定数が4から6になった。
  7. すべての候補者を対象に計算すると標準偏差が実態より大きい数値になるので,得票率1%以下の候補を計算から除外する。
  8. もう一人歐明憲が立候補したが,得票率1.92%であった。この選挙では蘇が当選したが,その後蘇が病死したため1999年に補欠選挙が行われ,張が当選し,張派の黄金時代が始まった。
  9. 台北市における外省人の比率は1991年の調査で27.24%である。これは台湾の県市で最も比率が高いが,趙候補は中国人意識の強い本省人からも支持を集めた。
  10. 仮にエスニック・グループの居住地域がまったく均衡がとれて混在しているなら,エスニシティに基づく投票行動があっても標準偏差の数値は高くはならないであろう。しかし居住地域が均質化するためには,言語,習慣,職業,所得などが均質化していることが前提であり,それが満たされているならば,エスニシティはもはや争点でなくなるであろう。


当日でた質問

Q:90年代の民主化の過程で,雲林県の選挙に変化は見られるか?

A:今回取り上げていないが,雲林県の95年,98年,2001年の立法委員選挙のデータを見ると標準偏差が小さくなっている。これは地方派閥の集票活動が徐々に低下しつつあるという各種の報告と対応する。

Q:投票所レベルではなく,郷鎮レベル,ないし県市レベルで標準偏差を算出したらどうなるのか?

A:郷鎮レベルだと,本報告で紹介したような標準偏差の特徴はかなり失われる。県市レベルになれば,ただ地域格差があるとしかわからない。

Q:標準偏差の国際比較は可能か?

A:台湾のように投票所ごとの得票数が公表されてなおかつ投票所の規模がある程度均等でなければ難しい。例えばアメリカは公表されているが,3000票のもあれば5票のものもあるなど投票所の規模が違いすぎて統計的に使えない。

Q:台湾の選挙で,農会加入,職業,エスニシティなどを変数とする相関分析はあるのか?

A:アメリカ留学から帰ってきた台湾の政治学者がやっているが,有意な成果がでているかどうかは疑問がある。本報告のような標準偏差に注目した選挙分析は見たことがない。