共通論題U 政治腐敗と政権交代――アジア新時代の指導体制

台湾の黒金問題と陳水扁政権

小笠原 欣幸(東京外国語大学)
ogasawara@tufs.ac.jp

本日は,アジア政経学会東日本大会 共通論題U「政治腐敗と政権交代――アジア新時代の指導体制」に則して,台湾の事例について報告させていただきます。台湾では,「黒金」という用語が政治腐敗や金権政治を指すものとして広く使われています。これと対になって「黒道」という用語も使われますが,こちらは,やくざ・暴力団を意味しますが,日本のような組織暴力団というよりは,ちんぴら・ならず者と言った方が近いかもしれません(組織暴力団は「幇派」という用語を使います)。 台湾の黒金問題は,2000年3月の総統選挙で政権交代をもたらした要因の一つでした。李登輝前総統は確かに平和的な民主化を実現した点で大きな功績を残しましたが,李登輝時代に黒金問題が拡大したことも事実です。この黒金問題の根底には,大きく分けて国民党そのものの体質と地方派閥の構造という二つの問題があります。国民党は,土地,株,預金,会社などを多数所有し,一政党としては異例の巨額の党資産を有しています。その総資産額は 6000億元(1台湾元約3.6円)にも達するといわれ,党営事業をはじめさまざまな利権を握り,選挙の際には膨大な資金を捻出しています。一方,地方派閥は,国民党への服従を前提に各県市の予算や行政権限を掌握しようと競合するローカル・グループで,各県市ごとに独自の発展を見せてきました。国民党の権威主義体制の下で地方派閥はローカルな場に押し込まれていましたが,李登輝政権の民主化・台湾化のプロセスの中で,活動の場がかえって拡大するようになりました。民主化により台湾全島レベルの選挙が導入されましたが,国民党は政権を維持するために地方派閥の集票力に頼らざるをえず,地方の公共建設を急増させました。それが新たな黒金の温床になっています。また,以前利権に絡んでいたのは中央の立法委員よりも台湾省議会の議員でしたが,1998年に李登輝の推進する台湾化の一環として台湾省政府と台湾省議会が廃止されました。その代替措置として立法委員の定数が増やされ,省議員の多くが立法委員に転出し,立法院で利権にからむ法案審議に参与しています。

地方派閥を支えてきた経済構造も変化しています。地方派閥は各地方の信用金庫など地方金融機関からの貸出を重要な資金源としてきましたが,市場自由化,省営銀行の民営化などにより,地方金融機関の財務状態が悪化し,地方派閥の関係企業への貸出が細ってきました。地方選挙で民進党が躍進し県知事・市長に当選することによって,その利権の範囲も狭められています。地方派閥は新たな資金源と活動の場を求め,ビジネス・グループと結託したり,都市銀行から融資を引き出そうとしたり,自分たちに有利な法改正・制度改変を行なおうとするなど,活動が活発化し再編成の動きが出ています。一方,台湾の経済発展に伴い,政治経済構造の改革が必要であるとの認識が広まっています。市場の透明化,規制緩和が求められるようになり,都市部有権者からは,黒金問題は台湾経済の成熟を妨げる元凶とみなされるようになり,黒金と深く結びついている国民党に対する不満が高まっていました。経済成長の原動力となったハイテク産業やサービス産業に従事する中堅若年世代は,従来の利権構造に頼らないで成功した人が多く,国民党の金権体質を批判し,地方派閥を時代遅れと感じるようになっています。そこを民進党がうまく突いて,昨年の総統選挙においては,黒金問題を解決するには政権交代が必要という訴えを強力に浸透させました。中間層に影響力のある李遠哲中央研究院院長も陳水扁候補支持を表明し政権交代を後押ししています(2000年総統選挙に関しては拙稿をご覧ください。http://www-fs.tufs.ac.jp/~ogasawa/index.html)。

このような経過からして,陳水扁政権にとって黒金問題の解決は政権の存在意義がかかった重要な課題であると言えます。それでは陳水扁政権は黒金問題でどれほどの成果をあげたのか見てみましょう。黒金の取り締まりに関して,新政権が登場してからほぼ一年間(2000/6/1−2001/4/30)の実績を陳定南法務大臣が次のように報告しています(2001/5/17)。検察が政治腐敗がらみで捜査した案件は3650件,うち起訴に持ち込んだのは689件,1889名です。起訴された者の中には,立法委員(国会議員)6名,県知事・特別市市長4名,郷長・鎮長・市長(市町村長に相当)29名,村長・里長(町内会長に相当)15名,県議会正副議長6名,台北市高雄市市議会議員2名,県議会議員・特別市議会議員49名,市町村民意代表52名,合計164名の政治家が含まれています。法務部報告では実名はあがっていませんが,立法委員6名は,国民党の廖福本,游淮銀,郭廷才,王令麟,親民党の劉松藩,無所属の林瑞圖。県知事市長4名は,民進党の張燦金(台南県),林光華(新竹県),蔡仁堅(新竹市),無所属の彭百顯(南投県)です。前年との比較では,起訴の件数は約1.5倍,起訴した人数は約2倍に増加しています。これは汚職が増えたというよりは摘発強化が実ったためです。

《表》汚職の容疑と求刑(上段が立法委員,下段が県知事市長)。
廖福本 偽造株券で金を騙し取ろうとした詐欺未遂,有価証券偽造容疑で起訴,懲役7年の求刑。
游淮銀 台東中小企業銀行会長在任中,増資にあたり財務情報を隠匿したとして証券交易法違反に問われ,一審判決で懲役三ヶ月。他の案件でも起訴され,懲役3年8ヶ月の求刑。
郭廷才 屏東県東港信用合作社の資金23億元を流用したとして起訴,一審判決懲役12年。
林瑞圖 台北市議会議員在任中その地位を利用して台北銀行に圧力をかけ超過貸出を幇助した容疑で起訴,懲役5年の求刑。
王令麟 土地の転売に関して背任,文書偽造,商業会計法違反に罪に問われ,懲役4年10ヶ月の求刑。
劉松藩 台中商業銀行会長在任中,関連会社に巨額の不正融資(74億元)を行なわせその資金で株価をつりあげたという背任の容疑で起訴,懲役5年の求刑。
張燦金 台南市運河整備工事の入札で特定業者に便宜を図った収賄の容疑で起訴,懲役12年の求刑。新吉工業區開發事業でも起訴され懲役7年の求刑。
林光華 新竹県湖口郷に分校を開設しようとした専門学校に土地の地目変更で便宜を図った収賄の容疑で起訴,懲役10年の求刑。
蔡仁堅 市の方針に反対する業者に環境汚染調査や摘発の圧力をかけ市が設立した財団法人環保基金会へ資金を供出させようとした容疑で起訴,懲役2年6ヶ月の求刑。
彭百顯 大地震の見舞金のうち1352万元を自分の基金会に流用,震災後の再建工事の入札で特定業者に便宜を図った容疑で起訴,懲役20年の求刑。

※ その他興味深い事例は,台中県議会議長顏清標の逮捕,起訴である。顏清標は暴力団出身(黒道)の地方議員で,黒金黒道の代表的人物の一人である。容疑は,公金使い込み,詐欺,殺人未遂などで懲役20年の求刑がされている。顏は総統選挙の際,宋楚瑜の支持を表明した。

このように黒金問題の取り締まりにおいては,政権交代の効果が現れていると言えるでしょう。政権発足一周年を迎え『中国時報』が行なった民意調査でも,新政権のK金取り締まりの努力を評価する人が69%に上っています。これは陳総統への満足度46%よりも高い数字で,黒金問題が,陳政権が主導権を握れる数少ないアジェンダであることを示しています。しかし,抜本的な法制度改革は少数与党のため実現していません。

今年12月1日投票の立法委員選挙,県知事市長選挙で,どの程度取り締まりをできるかが新政権にとっての試金石となります。しかし,民進党も政治腐敗から無縁ではありません。党の公認候補を決める予備選挙では買収の噂が絶えませんでしたし,民進党の県政・市政においても汚職が発生している事例を見ると,政権についている間に民進党が既得権益化していく危険もあります。少数与党の苦境にあるため,一部地方派閥を抱きこむ動きも現れています。嘉義県知事選挙では,国民党を離党した地方派閥の実力者を陳総統が背後で支援するのではないかという憶測が流れています。 陳政権は台湾初の政権交代を実現させ高い期待を集めてスタートしましたが,少数与党のため政権運営でつまずき,原発建設停止の公約も覆され,中台関係でも打開の糸口を見いだせていません。過去一年間,景気の減速で失業率が急上昇し(4月は3.96%),日本と同じように不良債権も増加しています(3月末で総額約1兆3000億元)。同じ民意調査では,新政権の財政経済問題の処理については満足17%,不満64%という数字です。国民の期待は失望に変わっています。

台湾の政権交代は,国家アイデンティティとエスニシティをめぐる台湾社会内部の深い対立と,利権をめぐる激しい権力争いとが複雑に絡み合った結果であり,新しい政治の枠組みはまだ登場していません。12月の立法委員選挙,県知事市長選挙を経てもおそらく混迷状態は続くであろうと考えられます。