日韓対照研究(日韓対照研究)を志す諸君へ
12 October 2002

●なぜ日韓対照研究か?
日韓対照の言語研究に手を染めようとするならば,真に<対照研究>でなければならないかどうかを何よりもまず問うてみるべきである.日本語研究そのものや朝鮮語研究そのものではなく,日韓対照研究でなければならない根拠を問うべきである.多くの人はこの点でまず脱落するだろう.母語が日本語だからとか,母語が韓国語だからというような素朴な理由では対照研究である必然性は希薄だと言うしかない.自分のテーマが真に対照研究に足るものなのかを自問してみよう.

●日本語と朝鮮語の双方を深く!
日韓対照研究に乗り出すなら,そのいずれの言語にも深く肉薄せねばならない.これまで世に出されている対照研究を標榜する多くのものは,極めて皮相的な比較に留まっている.とりわけ,韓国語母語話者,つまり韓国からの留学生の場合は,韓国語に対する知識と理解がほとんどないことが多く,とうてい対照研究足り得ていないことがしばしば見られる.日本中の大学,大学院で執筆されている日韓対照研究の論文のかなりの部分が,こうした皮相的な韓国語理解のゆえに研究足りえていない.日本語についてはそれなりに対象化して学んでいるのだが,韓国語は母語であるという理由だけで表面だけを撫でて終わることが多いのである. もっとも,これは日本の大学の多くは,韓国語を専攻する教官がいないことにも原因がある.日本の必要な大学では,韓国語や日韓対照研究の専門化を置かねばならないのである.
日本語と朝鮮語のメカニズムを皮相的に比べただけでは対照研究などと呼べない.このことをはっきりと認識しておこう.現在流布している日韓対照研究で推薦するに足るものは,日本,韓国,欧米を問わず,ほとんどない.それほど難しいということを意味するのである.

●日本語で書かれた朝鮮語研究を見よ
対照研究を標榜していない,日本語で書かれた朝鮮語研究の近年のモノグラフの方が,かえって対照研究的な深さを持っていることが多い.浜之上幸のアスペクト関係の諸論文,伊藤英人のテンスに関する諸論文,権在淑,鄭玄淑,五十嵐孔一の接続形に関する諸論文,趙義成,陳満理子の格と単語結合に関する諸論文,内山政春の複合動詞に関する論文,村田寛のテンスとムードに関する諸論文,野間秀樹のムードや統辞論,語彙論関連の諸論文は,それぞれ一度目を通してみることを進める.概論的なことがらに関しては河野六郎,菅野裕臣,梅田博之の諸論文を見よ.中期朝鮮語については志部昭平の論考が不可欠.文法論や語彙論に関する具体的な論文の評価と例については,野間秀樹(1996)「1980年代以降の日本における現代朝鮮語文法論・語彙論研究――言語事実主義の展開」(『韓国文化』18号,ソウル大学校韓国文化研究所)を必ず参照されたい.論文のリストについては,このサイトにある「朝鮮語文法論・語彙論研究の日本語で読める基礎的参考文献」を参照. また,東京外国語大学の趙義成研究室のサイトにある「朝鮮語学関係文献検索」は,日本で出版された研究論文の主要なものを網羅しており,極めて有用である.