ゼミ紹介
朝鮮語学ゼミ
野間秀樹
言語・情報講座教授,東アジア課程朝鮮語専攻 

  この朝鮮語学ゼミは,(1)日本語母語話者と朝鮮語母語話者が文字通り共に学んでいること,(2)複数の教官が同時に参加する集団指導体制であること,この2つの点で,今後の東京外国語大学の授業のありかたにささやかながら貴重な経験を提供するものだと考えている.

  1999年度現在,野間教官の学部の後期科目には,火曜日の2時限の演習,金曜日の4時限の講義,水曜1時限の講読,そして卒論演習という4つの授業がある.いわゆる講義,演習,卒論演習の組み合わせに,更にもう1コマを行っているわけである.これらとは別に設けているリレー式の東アジア言語論も後期科目である.ちなみにこの年度は,副専攻語も含めて学部だけで担当科目は9コマに及ぶ.

  このうち,火曜日の2時限(2000年度は火曜日の5時限)は,卒論執筆者への個別の指導を行う卒論演習とは別に,指導学生たちからは「卒論ゼミ」と呼ばれているもので,朝鮮語・日本語専攻の3,4年の卒論執筆者,朝鮮語・日本語専攻の大学院生と研究生,ISEPや大学推薦によるソウル大学・延世大学からの学部・留学生,博士課程を含む大学院留学生,大学院修了者,科目等履修生など毎年,10-15名ほどが参加している.毎年3分の2以上が朝鮮語母語話者であり,日本語母語話者は3分の1か,4分の1ほどである.つまり,学生の所属も多様であり,日本人,韓国人,在日韓国人,中国など在外の朝鮮人といった,多様な人々が共に学ぶ空間となっているのである.日本語母語話者にとっては,居ながらにして留学しているような時空間,いわば擬似留学空間で学ぶこととなる.留学生と非留学生が共に学ぶ,こうした空間こそ,東京外国語大学の将来のあり方の1つの方向を示すものだと言えるのではないだろうか.教官は,伊藤英人教官,高東昊(コ・ドンホ)教官といった専任・客員教官のほか,非常勤講師の宋美玲(ソン・ミリョン)教官にも参席を願っている.教官相互の協力によるこうした集団指導というありかたもまた,今後本学で大いに考えられてよいであろう.

  演習では,毎回,学生が各自の研究テーマに従って40-60分ほど発表し,これに全員が必ずコメントを加える.テーマは,朝鮮言語学プロパーだけでなく,近年は日本語専攻学生による日朝対照言語学も扱われている.授業時間は90分を超え,120分に及ぶこともままある.発表要旨は日本語と朝鮮語の両方が認められているが,発表言語と質疑応答の言語は朝鮮語である.3年生になったばかりの日本語話者にとって,朝鮮語で発表をするのは大変な準備と訓練がいる.手持ちの原稿を読むような形で発表をなんとか乗り切っても,質疑応答となると非常に難しいので,必要に応じて教官が日本語を交えて説明を加える.こうした発表を,3年次,4年次と都合3,4回繰り返すと,4年生の終わりごろには日本語母語話者が朝鮮語母語話者と朝鮮語でわたりあう場面も出てきて,こんな時は嬉しい限りである.
  参加者もいいかげんなコメントをすると,教官からの叱咤が飛ぶので,畢竟,集中して聞くこととなる.学生間のコメントも場合によっては微に入り,細をうがち,互いにしばしば熾烈を極める.教官からのそれぞれのコメントも多様な指摘が厳しくなされる.各自の今後の研究の方向をここで獲得することも多い.この点では教官相互に学ぶものも多い.努力の結果,学生の力量の至らないことについては,教官は相対的に寛大だが,学問的な姿勢について誠実さが欠けることあらば,これについては皆一様に極めて厳しく,教官が激怒し一同が震え上がることも一度や二度ではない.参考文献表の作り方や先行研究の扱い,言語事実の扱いなどの杜撰さは怒りの対象の最たるものである.発表の現場で泣かずとも,自宅で泣く学生も多いという.もっとも過去に,激怒した教官の叱咤と罵声が朝鮮語だったため,当の学生はほとんど聞き取れず平然としていたというような笑い話もあって,近年は日本語母語話者を叱るときには日本語を相当交えるようにしている.また,日本語化した妙な朝鮮語を使うと,朝鮮語母語話者でさえ,教官たちから注意されることとなる.いずれにせよ,金曜4時限の講義の明るく楽しい緊張感の時間とは違って,一触即発ともいうべき緊張感のみなぎる時間である.
  もちろん研究の進展,力量の成長は,個々人の資質や努力によって異なるので,一概には言えないが,ゼミの内容がこのような具合であるから,学生の発表内容,論文の完成度は,発表を経るにつれ,いやがおうでも高まるのが普通である.卒論や修論を完成するまでに,少なくとも2度,3度と発表すること,このことが持つ意義は強調されねばならない.提出間際になって発表し,根底的な批判を受けても,もはや直しようがないのである.これが大学院生かと思えるほど救いようのない朝鮮語母語話者の論文が,2度ほどの発表の後,1年も経たずに見違えるほどの完成度を見せることもあったし,学部の2年生の時には,どうして研究者など志望するのかと思えた学生が,今では頼もしい大学院生になっていたりもする.また,優れた発表は,月に1度開催される朝鮮語研究会という学会で発表をする機会も与えられる.昨年,学部4年生の日本人女子学生が,本学で開催された朝鮮語研究会150回記念大会で,居並ぶ研究者たちを向こうに回して堂々と発表し,全国からの参加者の激賞を浴びたことは記憶に新しい.

  上述のように,このゼミは怒りの時間になることも多いが,発表のテーマへの取り組みが面白かったり,発表そのものが充実していて討論が実りあるものになると,――そう,年に2,3度あるだろうか――ある瞬間には,ああ,このテーマでは世界で最先端の議論を今ここで,東京外国語大学のこのゼミでしているのだという,至福の時間を過ごすことになる.こうした幸せな時間を過ごしたあと,散会する皆の表情は自ずから得も言われぬにこやかなものとなり,各教官の次の授業もいたって穏やかなものとなるのである.