テレビの時代に、ドキュメンタリー番組は人びとの記憶を掘起こし、歴史を問い直して公共化する重要な手立てとなってきた。本書はこの半世紀の日本のドキュメンタリー番組を、制作者の立場から振返り、体系的に検証したものである。

 テーマが「戦争の記憶」になるのは、それが日本社会の変容を映し出すもっとも重要な指標だからだ。最初は、多くの国民がアジア・太平洋戦争の全容や実相を知らされていなかった。そのため敗戦の悲惨にしか目が向かなかった。その後は、被爆国の日本が米国の核の傘に入るという冷戦下の状況で、戦争の多くの面が不都合なこととして隠蔽されてきた。

 だが新しい資料や証言が現れるたび、あるいはアジア諸国が視野に入るにつれ、過去を問い直す番組が作られてきた。今年もNHKでは「戦後六十年」企画でいくつもの力作が放映された。それは、日本が過去の戦争をいまだ十分に総括せず、置き去りにされた問題がいつまでもくすぶって、この国の現在を曇らせているからである。

 本書は七十数本の番組をとり上げている。著者はそれぞれの番組を相互の脈絡のなかに置き、解明すべき課題と照らして、何ができて何ができていないのかを厳しく検証してゆく。そこには、戦後の歴史認識をめぐる主要な論点のすべてが出ていると言ってもよい。

 テレビはともかくこれだけのことをしてきた。けれども、この検証の積み重ねがあってなお、国内外の莫大な犠牲がなかったかのように、この国は「過去」を流し去ろうとしている。ドキュメンタリーは無力だったのか。何ができなかったのか。そこに厳しい状況のなかでドキュメンタリーを担ってきた著者の、満身創痍の重い問いがある。

 一連の「NHK問題」で民営化も取り沙汰される。しかし公共テレビの役割を見誤ってはならない。市場の原理に任せたらこのような番組は作られなくなり、公共性も自由も論じる余地はなくなるだろう。そのような風潮に対しても、この本はその質量で立ちふさがろうとしている。

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