8月13日(金)の午後2時過ぎ、米海兵隊所属の大型輸送ヘリが、宜野湾市の沖縄国際大本館ビルに接触して墜落炎上した。幸い夏休み中で、乗組員以外のけが人は奇跡的にいなかった。だが、普天間飛行場は市街地に隣接してあり、すでに7年前に5年後の移転が約束されていた。ただ、そのことはここでは置くとしよう。

 看過できないのは、日本国内で起こったこの米軍ヘリ墜落事故に際して、米軍および日本政府がとった姿勢である。

 事故が起きると、現場周辺は直ちに米軍によって封鎖され、日本の警察も立ち入れない状況になった。米軍による現場封鎖は、事故機の撤去回収がすむ6日後の19日まで続き、その間、当の沖縄国際大の関係者でさえ現場に入れず、被害状況の確認もできなかったという。事故機の残骸は日米地位協定に基づいて「米軍財産」なのだそうだが、その「財産」を改宗するために米軍は現場を封鎖し、警察の検証さえさせなかった。これは明らかに「警察権の侵害」で、これに対して日本政府は何も言わず、まるで沖縄が米軍管理下にあるかのように放置していた。

 米軍は事故後一週間、19日に撤去作業が終るまで現場を封鎖し続け、その間、自分たちだけで現場を調査したようだが、その結果も公表していない(汚染の危険もある)。日本の警察は事故後の現場検証もできないことになり、米軍に共同検証を申し入れたが、「軍事機密」を理由に拒否された。これでは、日本で米軍がどんな事故を起こしても、日本には捜査権もないということになる。

 この間、日本の政府は何をしていたのか。
 外遊中だった稲嶺知事は予定を繰り上げて帰国し、18日に小泉首相に面会を求めたが、何と、「夏休みに入った」とのことで姿を見せなかったという。「危機管理」を重視し、「国民保護法案」等の「有事立法」を、強行採決までして通したこの首相は、米軍ヘリが民有地に墜落し、沖縄の一角が何の断りもなく米軍管理下に置かれても、「休暇」だからといって沖縄県知事に会おうともしなかったというのだ。

 沖縄弁護士会が糾弾したように、「住民地域の交通遮断や大学構内の占拠、県警の合同現場検証の申し入れを拒絶した米軍の事故後の対応」は「米軍による違法な警察権行使であり、明確にわが国の主権を侵害する」ということだ。北朝鮮のミサイルはいつ飛んでくるとも知れないが、米軍ヘリは心配されていたように現実に落ちた。そして警察が務めを果たそうとしてそれを米軍に阻止されても、小泉首相は「休暇に入って」出てこない。

 捜査に当たった沖縄県警の幹部でさえ、「米軍機の墜落は全国どこでも起こり得る。米軍が拒否すれば、多くの死傷者が出た場合でも警察が事故機に一切手を出せないという前例になってしまう」と危機感を募らせていたという(琉球新報8月20日)。小泉にはそんな危機感などまったくないようだ。彼は日本の管理をアメリカに「丸投げ」したとでもいうのだろうか。

 参院選の自民党のポスターには、小泉の写真のわきに「この国を想い、この国を創る」と大書してあった。これにマッド・アマノがパロディーを作り、文言を添削して「あの米国を想い、この属国を創る」と変えた。そしてこのバロディーを中村敦夫がホームページに掲げると、自民党は告訴すると息巻いていたが、今度の事件に対する対応でいったいどう反論できるというのか。

 日本がアメリカの「同盟国」だと言うなら、それも「対等のパートナー」だと言うなら、それ相応の対応が双方にあってしかるべきだろう。たしかに、小泉はブッシュの「盟友」かもしれない。彼が首相であるかぎり、米軍が日本で何をやっても日本政府は文句を言わないどころか、盾になってくれるからだ。

 メディアもメディアである。沖縄では「一九九五年の少女暴行事件以来もっとも重大な局面」と受け止め、県民挙げて怒りをあらわにしているこの事件を、この国のメディアはほとんど取り上げない。わずかに朝日新聞が追跡記事に紙面を割き、社説で数回取り上げているだけだ。オリンピック期間中とはいえ、スポーツ報道とこのような事件とどちらが重要な「ニュース」だというのだろうか。

 この間、テレビも新聞も、日本のほとんどのメディアは、日本の現在と近い将来に重大な意味をもつこの事件−−米軍ヘリが墜落したということだけではなく、米軍が日本で事実上の「治外法権」を行使し、日本政府がそれに対して何の対応もしていないということ−−を、オリンピックの結果以上の「ニュース価値」のないものとして扱ってきたのだ。ちなみに13日の夜のニュース番組でこの事件は、NHKでは三番目、テレビ朝日では四番目にしか取り上げられなかった。そしてそれ以後は、ほんとど「地方ニュース」扱いである。

 フジテレビは、女子バレーをプロモートするために、ジャニーズ事務所の新人グループを「専属サボーター」として起用したが、なんとその名前が「ニュース」である。日本のメディアはもう、国民が知るべきことの「報道」などする気はないかのようだ。「ニュース」とはいまやスポーツ・イヴェントのサポーターなのである。

 その一方で、いまあちこちで「テロ防止対策」強化が進められている。パスポートへの「生体認証」の導入や、空港や鉄道港湾施設などの警戒警備強化、情報収集と取り締まり強化等々。そして東京の電車のなかで「テロ対策にご協力を」といったアナウンスが流れ、ゴミ箱が撤去されるだけでなく、最近では地方の田舎にまで「テロ警戒中」の看板が掲げられて、かえって不信を招いているという。

 この「テロの危険」の過剰な強調は何だろう。「危険」を強調し「不安」を煽れば、管理や統制が容易になり、警察力を強化して、自由や人権を制限することも容易になるからだ。「テロリズム」とはもともと「恐怖」を活用することを言う。だとしたら、この過剰な「危険」の強調こそ「テロリズム」ではないのか。

 東京に何らかの「テロ」が起こる可能性がないわけではない。けれどもそれは小泉政権が「テロ」を呼び寄せるような政策を取ったからだ。結局、いまの政府はみずからその危険を呼び寄せておいて、そのうえ「危険」を活用して管理の強化を進め、さらには憲法を変えて戦争のできる体制を作ろうとしている。その一方で、現実化している「国民の危険」に関しては、「休暇中」を決め込んで何の手も打とうとしないのだ。

 今回の米軍ヘリ(その同型機)はイラクに送られるものだという。劣化ウラン弾を搭載していたという話もある。その米軍ヘリは現実に街中に落ちている。いまさかんに強調されている「テロの危険」と米軍事故の危険と、どちらが確立が高いだろう。それに、そうして強化される警察権力と、とりわけ日米ガイドライン体制で作られる軍隊とは、何のために働くのか。少なくとも「日米同盟」のもとでは、それはまず米軍のために働くことになっている。

 そうしてメディアは、こういうことを伝えず、語らず、知らししめないために、エンターテインメントで「ニュース」を埋めている。
  8月13日(金)の午後2時過ぎ、米海兵隊所属の大型輸送ヘリが、宜野湾市の沖縄国際大本館ビルに接触して墜落炎上した。幸い夏休み中で、乗組員以外のけが人は奇跡的にいなかった。だが、普天間飛行場は市街地に隣接してあり、すでに7年前に5年後の移転が約束されていた。ただ、そのことはここでは置くとしよう。

 看過できないのは、日本国内で起こったこの米軍ヘリ墜落事故に際して、米軍および日本政府がとった姿勢である。

 事故が起きると、現場周辺は直ちに米軍によって封鎖され、日本の警察も立ち入れない状況になった。米軍による現場封鎖は、事故機の撤去回収がすむ6日後の19日まで続き、その間、当の沖縄国際大の関係者でさえ現場に入れず、被害状況の確認もできなかったという。事故機の残骸は日米地位協定に基づいて「米軍財産」なのだそうだが、その「財産」を改宗するために米軍は現場を封鎖し、警察の検証さえさせなかった。これは明らかに「警察権の侵害」で、これに対して日本政府は何も言わず、まるで沖縄が米軍管理下にあるかのように放置していた。

 米軍は事故後一週間、19日に撤去作業が終るまで現場を封鎖し続け、その間、自分たちだけで現場を調査したようだが、その結果も公表していない(汚染の危険もある)。日本の警察は事故後の現場検証もできないことになり、米軍に共同検証を申し入れたが、「軍事機密」を理由に拒否された。これでは、日本で米軍がどんな事故を起こしても、日本には捜査権もないということになる。

 この間、日本の政府は何をしていたのか。
 外遊中だった稲嶺知事は予定を繰り上げて帰国し、18日に小泉首相に面会を求めたが、何と、「夏休みに入った」とのことで姿を見せなかったという。「危機管理」を重視し、「国民保護法案」等の「有事立法」を、強行採決までして通したこの首相は、米軍ヘリが民有地に墜落し、沖縄の一角が何の断りもなく米軍管理下に置かれても、「休暇」だからといって沖縄県知事に会おうともしなかったというのだ。

 沖縄弁護士会が糾弾したように、「住民地域の交通遮断や大学構内の占拠、県警の合同現場検証の申し入れを拒絶した米軍の事故後の対応」は「米軍による違法な警察権行使であり、明確にわが国の主権を侵害する」ということだ。北朝鮮のミサイルはいつ飛んでくるとも知れないが、米軍ヘリは心配されていたように現実に落ちた。そして警察が務めを果たそうとしてそれを米軍に阻止されても、小泉首相は「休暇に入って」出てこない。

 捜査に当たった沖縄県警の幹部でさえ、「米軍機の墜落は全国どこでも起こり得る。米軍が拒否すれば、多くの死傷者が出た場合でも警察が事故機に一切手を出せないという前例になってしまう」と危機感を募らせていたという(琉球新報8月20日)。小泉にはそんな危機感などまったくないようだ。彼は日本の管理をアメリカに「丸投げ」したとでもいうのだろうか。

 参院選の自民党のポスターには、小泉の写真のわきに「この国を想い、この国を創る」と大書してあった。これにマッド・アマノがパロディーを作り、文言を添削して「あの米国を想い、この属国を創る」と変えた。そしてこのバロディーを中村敦夫がホームページに掲げると、自民党は告訴すると息巻いていたが、今度の事件に対する対応でいったいどう反論できるというのか。

 日本がアメリカの「同盟国」だと言うなら、それも「対等のパートナー」だと言うなら、それ相応の対応が双方にあってしかるべきだろう。たしかに、小泉はブッシュの「盟友」かもしれない。彼が首相であるかぎり、米軍が日本で何をやっても日本政府は文句を言わないどころか、盾になってくれるからだ。

 メディアもメディアである。沖縄では「一九九五年の少女暴行事件以来もっとも重大な局面」と受け止め、県民挙げて怒りをあらわにしているこの事件を、この国のメディアはほとんど取り上げない。わずかに朝日新聞が追跡記事に紙面を割き、社説で数回取り上げているだけだ。オリンピック期間中とはいえ、スポーツ報道とこのような事件とどちらが重要な「ニュース」だというのだろうか。

 この間、テレビも新聞も、日本のほとんどのメディアは、日本の現在と近い将来に重大な意味をもつこの事件−−米軍ヘリが墜落したということだけではなく、米軍が日本で事実上の「治外法権」を行使し、日本政府がそれに対して何の対応もしていないということ−−を、オリンピックの結果以上の「ニュース価値」のないものとして扱ってきたのだ。ちなみに13日の夜のニュース番組でこの事件は、NHKでは三番目、テレビ朝日では四番目にしか取り上げられなかった。そしてそれ以後は、ほんとど「地方ニュース」扱いである。

 フジテレビは、女子バレーをプロモートするために、ジャニーズ事務所の新人グループを「専属サボーター」として起用したが、なんとその名前が「ニュース」である。日本のメディアはもう、国民が知るべきことの「報道」などする気はないかのようだ。「ニュース」とはいまやスポーツ・イヴェントのサポーターなのである。

 その一方で、いまあちこちで「テロ防止対策」強化が進められている。パスポートへの「生体認証」の導入や、空港や鉄道港湾施設などの警戒警備強化、情報収集と取り締まり強化等々。そして東京の電車のなかで「テロ対策にご協力を」といったアナウンスが流れ、ゴミ箱が撤去されるだけでなく、最近では地方の田舎にまで「テロ警戒中」の看板が掲げられて、かえって不信を招いているという。

 この「テロの危険」の過剰な強調は何だろう。「危険」を強調し「不安」を煽れば、管理や統制が容易になり、警察力を強化して、自由や人権を制限することも容易になるからだ。「テロリズム」とはもともと「恐怖」を活用することを言う。だとしたら、この過剰な「危険」の強調こそ「テロリズム」ではないのか。

 東京に何らかの「テロ」が起こる可能性がないわけではない。けれどもそれは小泉政権が「テロ」を呼び寄せるような政策を取ったからだ。結局、いまの政府はみずからその危険を呼び寄せておいて、そのうえ「危険」を活用して管理の強化を進め、さらには憲法を変えて戦争のできる体制を作ろうとしている。その一方で、現実化している「国民の危険」に関しては、「休暇中」を決め込んで何の手も打とうとしないのだ。

 今回の米軍ヘリ(その同型機)はイラクに送られるものだという。劣化ウラン弾を搭載していたという話もある。その米軍ヘリは現実に街中に落ちている。いまさかんに強調されている「テロの危険」と米軍事故の危険と、どちらが確立が高いだろう。それに、そうして強化される警察権力と、とりわけ日米ガイドライン体制で作られる軍隊とは、何のために働くのか。少なくとも「日米同盟」のもとでは、それはまず米軍のために働くことになっている。

 そうしてメディアは、こういうことを伝えず、語らず、知らししめないために、エンターテインメントで「ニュース」を埋めている。
 

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