《九・一一後三年、世界はどう変わったのか》

 



 三年目の九月がやってきた。アメリカでは次期大統領選がたけなわで、再選をめざす小ブッシュは「テロとの戦争」の成果を強調、その継続の必要を訴えて、自分が「より安全な世界、より希望に満ちた米国を築くため」の候補と売り込んでいる。対抗馬のケリーは、それに対して訴えるものをもたない。いずれにしても戦争は継続される。
 「テロとの戦争」が始まってから世界はより安全になったのか?
 ブッシュの「テロとの戦争」は、アフガニスタンやイラクの社会を崩壊させただけでなく、ロシアのチェチェン弾圧や、イスラエルの占領政策を正当化した。それ以来、あらゆる非合法の「抵抗運動」は「テロ」として問答無用の殲滅の対象にされる。その結果、あちこちで絶望的な状況には出口がなくなり、命をかたに「暴発」を厭わない者たちは後を絶たない。パレスチナ、イラク、そしてチェチェン。今では、自爆するのはイスラームの「狂信者」たちばかりではない。喪服を着た女性たちが爆弾を体に巻いて飛行機に乗る。
 彼らはみんな狂信者なのか? 何が彼らをここまで追い詰めているのか、政治家たちはそのことを考えさせまいとする。「テロ」という言葉が何より効果的なその道具だ。そしてみずからの大量殺戮兵器による公然たる弾圧の「成果」を自画自賛するのだ(その犠牲者の数はけっして数えられない)。 いったい何が「狂気」なのか、とくと考える必要があるだろう? 

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東京新聞、2004年9月8日

 「あの日」の一週間後、タイム誌はアメリカ社会が受けた心理的ショックについてのレポートを載せた。人びとは出来事を消化できず、何と呼んでよいかも分からないまま、「あれ」とか「あの日」とだけ呼びあっている、と。日本では誰が決めたのか「同時多発テロ」と呼ばれる出来事は、だから「九・一一」と日付だけで呼ばれるようになった。

 実際、今に至るまで、「あの日」に起きたことの全貌は知られていない。世界が知っているのは、ニューヨークの世界貿易センタービルに二機の旅客機が相次いで突っ込み、巨大な双子ビルが3000人の人々を呑みこんで崩れ落ちたということだけだ。

 この事件がオサマ・ビンラディンの私兵組織の犯行だということは、大筋では認められる。けれども、その組織が元はCIAの育てたものだとか、サウジ・アラビアとの関係なども絡んで、ブッシュ政権は事件の解明にまったく不熱心で、背景はほとんど分かっていない。この日に起こったのは何だったのか、実はわれわれは“知らない”のだ。

 米国政府はこれを「文明世界」に対する挑戦として、ただちに「テロとの戦争」を宣言し、見えない敵との「戦争」に突入した。まずビンラディンがいたアフガニスタンが爆撃され、タリバン政権が倒された。その一年ばかり後には、「ならず者国家」と指弾されたイラクが攻撃され、アメリカに敵対してきたフセイン体制が倒された。

 「テロとの戦争」は国家相手の戦争ではない。だからイラクを攻撃しても、敵はフセインであって、イラク国民は「解放」されたことになる。けれどもこれほど“無法”な戦争はない。フセインの「首が挙がる」までに万単位のイラク人が犠牲になっている。そして占領軍はほとんどのイラク人を潜在的な「敵」とみなし、あらゆる反抗を「テロ」として弾圧する。にもかかわらずこの戦争は「正しい」とされる。

 ニューニークの光景が、この無法な論法の後ろ盾にされた。もはや誰も、なぜ「テロ」が起こるのかを問わない。問おうとすれば、お前はテロを容認するのか、テロリストを擁護するのか、と指弾される。そして「テロリスト」とは、いまや“問答無用で殺してもよい存在”の代名詞である。

 「あの日」以後、戦争は“できる”もの、というより“すべき”ものになった。二〇世紀の世界は、全面戦争の惨禍や、植民地戦争の凄惨な経験から、戦争を基本的に「悪」とみなすようになったはずだった。ところが、そんな反省を帳消しにする「悪」が出現したという。二度の世界大戦でもベトナム戦争でも、そのほかどこで戦争があっても、アメリカ本土は無傷だった。そのアメリカの繁栄の中心たるニューヨークが攻撃されたのだ。この未曾有の「悪」に対しては、それにまさる戦争が必要だというわけだ。

 「テロとの戦争」の発動以来、「平和」という観念は追放された。代わって「安全」が戦争の旗印になる。「米国の安全のために、米軍は国外で戦い続ける」、二期目の出馬に際してブッシュはそう強調した。そしてこの戦争は、「文明世界」に属するあらゆる国々が参加すべき戦いだとも言う。

 豊かさのなかで「安全」に生きるためには、終わりのない戦争を続けねばならないというのだろうか。豊かさと繁栄は「平和」とともにあるのではなく、戦争によって確保される「安全」のもとにしかないと。

 米国がこの「戦争」を布告して以来、あらゆる抵抗運動は「テロ」と決めつけられ、バレスチナでもチェチェンでも、強大な軍事国家の非道な殺戮が正当化されるようになった。その結果、国も軍隊ももたずに生きる人びとの惨劇には出口がなくなり、それが絶望的な「狂気」の暴発へと人びとを押しやる。それは「テロ」をなくすことになるどころか、戦争を永続させることにしかならない。そして忘れてはならないのは、「文明諸国」においても、戦争は個人に対する国家の全面的な支配を可能にするということだ。

 ニューヨークの廃墟は、「文明世界」にこのような倒錯を仕掛けるのに利用された。それ以後世界は、富を独占し豊かさを享受する国々と、そんな国々の「安全」のために屈従を甘受しなければならない地域とに、新たに二分されることになった。
 

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