成田 節 (なりた たかし)
   1957年4月2日生まれ,横浜育ち.
   オフィス:研究講義棟6階650番研究室,電話内線5226.
   専門分野:ドイツ語教育(実践),ドイツ語文法研究,日本語とドイツ語の対照研究.
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Schatten
ドイツの冬の長い影

略   歴

1976年3月神奈川県立希望ヶ丘高等学校卒業
1976年4月東京都立大学人文学部入学
1980年3月東京都立大学人文学部文学科独文学専攻卒業
1980年4月東京外国語大学大学院外国語学研究科修士課程ゲルマン系言語専攻入学
1982年3月東京外国語大学大学院外国語学研究科修士課程ゲルマン系言語専攻修了(文学修士)
1982年4月東京外国語大学非常勤講師
1983年4月青山学院大学非常勤講師
1985年5月富山大学教養部講師
1987年10月富山大学教養部助教授
1993年4月富山大学人文学部助教授
1994年4月大阪市立大学文学部助教授
1997年4月東京外国語大学外国語学部助教授
2003年4月東京外国語大学外国語学部教授
2007年1月東京外国語大学大学院地域文化研究科副研究科長(2009年3月まで)
2009年4月東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授(現在に至る)
2009年4月東京外国語大学大学院総合国際学研究科副研究科長(2011年3月まで)

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コ メ ン ト 付 き 略 歴

出身地山形県生まれ,浦和市在住だったらしいが記憶にない.本人の意識は横浜市出身.
1976年4月東京都立大学人文学部入学(入試は数学で落ちたかと思った)
1979年 夏初めてドイツへ行く(Steinberg先生の「ドイツゼミ」という3ヶ月研修プログラム)
1980年3月東京都立大学人文学部独文卒業(気が付いたら独文専攻になっていた)
1980年4月東京外国語大学大学院修士課程入学(入試は英語で落ちたかと思った)
1982年3月東京外国語大学大学院修士課程修了(修論はもっと早く始めるべきだった)
1982年4月東京外国語大学非常勤講師(一般語学のドイツ語を担当,1983年3月まで)
1983年4月青山学院大学非常勤講師(一般教養のドイツ語を担当,1985年4月まで)
1984年 夏ドレスデン(DDR)のドイツ語教員夏季セミナーに参加(西と東の違い少しだけ体験)
1985年5月富山大学教養部に就職(初めての専任の職.ボーナスがもらえる身分になった)
1986年8月立山近辺の山歩きにのめり込む(この頃はほぼ毎週末山へ,やっぱり剱岳が最高)
1991年〜大学設置基準大綱化の関係で教養部将来計画委員会の会議が激増しストレス溜まる
1993年4月3月に教養部廃止で人文学部移籍(富大のドイツ語は元々連携していたので問題なし)
1993年4月大学入試センター出題委員(1年目は富山から2年目は大阪から出張)
1994年4月大阪市立大学文学部へ(富山大学の皆様,お世話になりました)
1995年1月阪神淡路大震災を堺市で体験(自宅被害なし.すぐ近くの惨状をテレビで見て愕然とする)
1997年4月東京外国語大学へ(大阪市立大学の皆様,お世話になりました)
1997年5月三修社の月刊「基礎ドイツ語」の執筆メンバーになる(色々と勉強になりました)
2001年7月ドイツ語専攻と個人のウェブサイトを作る(かつて愛用したTeXみたいでおもしろい)
2001年 夏ゲッティンゲンでのドイツ語教員夏期セミナーに参加(17年ぶりのドイツ)
2003年4月ドイツ語検定試験の出題委員(2005年3月まで,色々と勉強になりました)
2005年3月在外研究でマンハイムのドイツ語研究所へ(研究の他に,料理で国際交流も)
2006年3月ドイツから帰国(職場復帰していきなり学内の色々な仕事をさせていただく)
2006年7月ドイツ語専攻と個人のウェブサイトをリニューアル.(無理なく続けられるものを目指す)
2009年8月映画「剱岳」に刺激され,15年ぶりに早月尾根を歩く.下りで滑って膝を痛める.
2011年4月4年3ヶ月に及んだ副研究科長の任期を終え,研究リハビリを誓う.

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