このページは、学生のみなさんから提出されたアサインメントの成果を公表するページです。

1.地域基礎 I (フィリピン研究入門)2002年度
  後期授業ディベート『9・11以降の世界』成果

 今回は、まず受講者を2つのグループに分け、それぞれのグループで9・11以降の問題点を出し合ってもらい、対立点をめぐってディベートを行った。そして最終的に異なった意見の調整を目標とした。以下は2つのグループのディベートの過程と結果をまとめたものである。

グループA:「アメリカはテロに狙われる理由はあるか?」

 われわれは、アメリカはテロに狙われる理由はあるかという問題に対し、2つの論題を挙げ、それぞれの論点について、ディベートを行った。1つ目は宗教の違い、2つ目は貧富の差である。ディベートの前提として、理由が存在してもテロを容認するわけではないという事を置いた。 
  1つ目の宗教の違いについて、「イスラム教対アメリカ」という観点みた場合、イランイラク戦争の際アメリカは、イラクを支援したが湾岸戦争ではイラクを弾圧したため、イスラム教徒の反感を買ったといえるだろう。「イスラムvsアメリカ」という構造は「文明vs文明」という問題で片付けられるが、それはアメリカ側の考えである。 
  宗教の違いがテロの理由にならない考えの
1つとして、イスラム教は「無実の子供や女を殺してはならない」という掟があることが挙げられる。その掟については928のオサマ・ビン・ラディンの声明のなかでも言われている。イスラム教の教え(コーラン)の中で禁止していることを行ったため、テロと宗教との間には関係がないという事である。しかしテロを起こしたタリバンは、イスラム原理主義であり、独自の掟を持っていた。イスラムの原理主義を別の宗教と考えるのならば、そこで「宗教vs宗教」という構図ができ「イスラム原理主義vsアメリカ」という構図も自然とできる。しかし先に書いた、オサマ・ビン・ラディン、9・28声明でもわかるように、オサマ・ビン・ラディンはイスラム原理主義とイスラム教の区別をつけていない。
  このことから
9・11は宗教間の対立とも言われたが、結局のところ、ブッシュ側、オサマ・ビン・ラディン側双方が、「イスラム教vsキリスト教」もしくは、「イスラムvsユダヤ教」という構図作るために、宗教という枠組みを利用したに過ぎないといえるだろう。つまり、宗教それ自体はアメリカがテロに狙われる理由にはなりえない。 
  2
つめの貧富の差について。アフガニスタンはもともと農耕に向かない土地であるという点、軍事クーデターや内乱により、国土を荒廃させたのはアフガニスタン国民自身であるという点、そしてそれらの事にアメリカは関わっていないという点から貧富の差がアメリカがテロに狙われる理由はないといえる。しかし、貧富の差を作ったのがアメリカではないから、アメリカに理由がないと言えるのか。アメリカが関わらなくてもアフガニスタンには、確実に貧困は存在しており、それはテロを起こす一時的な理由にはなりうる。貧困が一時的でありながらも、理由になるとして、なぜ支援国家であるアメリカが狙われるのだろうか。具体的な数字は出せないがアメリカは今まで生かさず殺さずの支援をしている支援とは、支援されている側が、支援を感じなければそれは、支援とはいえないはず。 
  貧富の差が理由になるとしても、オサマ・ビン・ラディンは大富豪であり、アメリカは大富豪であるため矛盾が生じる。しかし個人の貧富と社会的貧富と比べることはできないため、それは矛盾とはいえない。

  「貧富の差」があったからテロを起こしたというようなことはなく、貧富の差はテロを起こした直接の理由になるものではない。しかしテロを起こす上で、重要な役割を貧困というものは果たしているのは確かである。金や食料がない状況の中、テロを起こそうとしたときに、それを利用することで動かしやすい民衆が存在すること。テロを起こした後にそれについてくる人々がいるという状況テロを起こす以外に、メディアを利用するなどの他の表現手段がなかったという事実。これらの事が、貧富の差は、テロを起こす上でひとつの原因として存在していたことを示している。


グループB: 9.11はテロか

1. ディベートの展開まず、「テロとは何か」に関しては、辞書的意味では視点が偏るため、倫理的な面から話し合うことにした。そこで、テロとは卑劣な暴力行為で社会的同情を得ることによって他の問題にすり替える行為だという意見と、テロという言葉はブッシュ大統領が世界を二項対立の図式で捉えるために意図的に選んだ言葉なのだという意見が出た。次に「9.11は正当防衛か」については、貧困によりテロという正当防衛が起こったという発言と、それに対して、貧困には主観が入るため一概に正当防衛の理由とは言えないという意見が対立した。

2. ディベートを終えてまずディベートを終えて気づいた事は、われわれの中に如何に先進国側の思想が強く根付いているかということである。今回のディベートの論点である「9.11は正当防衛か」「テロは弱者の武器であるか」についてここで使われている正当防衛、弱者の武器という言葉から、すでにわれわれが途上国を危険な存在とみなしていることが伺える。 ではわれわれはそのような思想にとらわれているのであろうか。この問いを考えていくうちに、アメリカを中心に構成されている現在の世界構造の問題点が浮き彫りになった。それは多くの貧しい国の上で、圧倒的な経済力と軍事力を背景にしたアメリカという大国が特権を持っており、日本や欧米などのいわゆる先進国のみがその恩恵を享受している世界である。そのアメリカの一極支配の問題を特に顕著に物語っているのが対テロ政策である。例えば9.11事件後の各国への対応、北朝鮮、イラクなどに対する恣意的なテロ定義、イスラエルへの対応と対テロ法の批准否定、これらはいずれも多様性を認めず、世界を一元化しようとする性質がその根底にある。しかしわれわれ日本をはじめ、欧州、中国、ロシアなどが時刻の国益のためにこのアメリカの対応を積極的に肯定したことも事実である。つまりこれはアメリカだけを改善すればすむ問題ではなく、世界の構造そのものにかかわる問題なのである。

3.反省点および、これからの課題われわれの思想は先進国側の影響を強く受けたものであり、それでは問題に対し客観性にかけてしまうため、結局途上国の貧困の実態や9.11の動機などについて多くは想像せざるを得ないのだが、それでは想像の域を出ないのではないだろうか。もし機会があれば、アフガンの人にインタビューしたり、映画を見たりするとさらに理解が深まり、より実の有るディベートができるのではないだろうか。
 また、テーマを考察する視点として「テロは弱者の武器か」や「貧困が原因」ということを挙げている時点でわれわれの中にテロリストと呼ばれる人たちのイメージや固定観念ができてしまっていることに気づいた。こうした固定観念は、報道する側から捉えたものであり、中途半端に得た知識である。実際に私たちは貧困、テロという言葉をどのような概念なのか定義できず、あいまいなまま認識している。むしろ私たちは報道されることに対して常に批判的にみることが必要なのではないだろうか。

 ディベートの進め方として今回はデータを互いに提示し、相手を批判するのみで終わってしまったが、そこから自分なりに考えていき、一つの意見としてまとめてから議論することが必要であると感じた。例えば今回に当てはめてみると、倫理的な視点からテーマそのものや貧困問題にアプローチをかけていくことなどが考えられる。そこで、データに頼るのではなくその点を心がけることを次回からの課題としたい。