ラロ貝塚群出土有文黒色土器群の型式学的編年研究

Typological Chronology of Decorated Black Pottery

from Lal-lo Shell Middens

 

小川英文 Ogawa, Hidefumi

 

 

目次

はじめに

1.ドンブリケ貝塚の発掘

2.コルテス貝塚の発掘

3.ダビッド貝塚の発掘

4.考察

      41.有文黒色土器群の編年的位置づけ

      42. ラロ貝塚群におけるセトゥルメント・パターンの時代的変化

結論

 

Keywords: Lal-lo Shell Middensラロ貝塚群, Typology型式学, Decorated Black Pottery Cultural Phase有文黒色土器文化層, Dombrique Siteドンブリケ貝塚, Cortez Siteコルテス貝塚, David Siteダビッド貝塚, Settlement Pattern セトゥルメント・パターン

 

はじめに

 フィリピン北東部のカガヤン州ラロ町域には、カガヤン川沿いを中心として巨大な貝塚群が存在する。また河岸から現在の沖積平野を経て、後背地の丘陵地帯には洞穴をはじめとする遺跡が点在する。丘陵地帯には現在、狩猟採集民イタが低地社会との交流をもちながら生活している。ラロ町域50km四方にわたる調査の目的は、これらの遺跡を調査することによって3000年前から現在までにわたる狩猟採集社会と農耕社会との交流の歴史的過程を解明することにある。しかしながらまず眼の前の問題は、各遺跡の年代を確定し、調査域全体の遺跡の変遷を時代ごとに追うことである。そのためにラロ貝塚群の発掘調査によって、出土した土器の特徴を時間の指標とする型式学的編年研究をとうして、当該地域の土器編年体系を確立するが急務である。この意味で土器研究はラロ町域全体の先史社会研究の第一段階に位置づけることができる。

 ラロ(Lal-lo)貝塚群の各遺跡から出土する土器群についてはすでに、マガピット(Magapit)貝塚出土の有文赤色スリップ土器群(R: 青柳他1991)、イリガエン(Irigayen)貝塚出土の無文赤色スリップ土器群(R: Ogawa 2002b)、そしてコンシソ(Conciso)貝塚出土の無文黒色土器群(B: Ogawa 2002c)の存在が知られている。またこれら土器群のC14年代については、赤色スリップ土器群が約3400年前、黒色土器群が約1500年前に出現することが明らかとなっている(三原他2001)。しかし最近の調査により、無文黒色土器群よりも下層に位置する有文黒色土器群(B1)の様相が明らかとなった(Garong 2002)。すでにこれまでの発掘調査(バガック[Bangag]貝塚: Tanaka 1999b、ドンブリケ[Dombrique]貝塚: Tanaka 1998: Fig. 1)によって有文黒色土器群の存在は知られていたが、その様相やその他の土器文化層との層位的な先後関係については不明瞭であった。しかし20012年度に実施されたドンブリケ貝塚、コルテス(Cortez)貝塚、そしてダビッド(David)貝塚の発掘により、無文赤色スリップ土器群と無文黒色土器群の各文化層の間に位置し、沈線によって施文され、少なくともJar Bowlの器種構成がみられることなどが明らかとなった。とくにコルテス貝塚では、最下層のシルト層から無文赤色スリップ土器群、その上のシルト層と貝層から有文黒色土器群が、さらにその上の貝層から無文黒色土器群が出土することが確認され、ラロ貝塚群のなかではじめて、自然堆積層序から3つの土器文化層が連続して検出された。

 以上の調査経緯を踏まえ本稿では、ラロ貝塚群から出土した有文黒色土器群の編年的位置づけを行うことを目的とする。具体的にはまずドンブリケ、コルテス、ダビッド貝塚の発掘調査をふりかえりながら、各貝塚での各土器群の出土状況を層位別に確認する。つぎにこれら貝塚遺跡出土の有文黒色土器群の型式学的特徴を、無文黒色土器群との比較によって明確にする。最後に、ラロ貝塚群の土器文化層が、3000年前から歴史時代に到るまでのあいだに、有文赤色スリップ土器群→無文赤色スリップ土器群→有文黒色土器群→無文黒色土器群という編年的序列で変化してきたことを提示する。

 

1.ドンブリケ貝塚の発掘

 ドンブリケ貝塚は、ラロ貝塚群のなかではカガヤン川の西岸に位置する。カガヤン川の中ノ島ラフ(Lafu)に面した、西


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fig. 1.  Site Location Map of Lal-lo Shell Middens
岸カトゥガン (Catugan) 村の標高7mの河岸段丘上に立地する。すでに80年代の分布調査により、長さ200m、幅50m、貝層深度1.5mの規模をもつカトゥガン貝塚として記録されている(Ogawa and Aguilera 1992)。また96年には田中により段丘端部を1×2mの規模で発掘調査が行われ、貝層中から有文黒色土器群、貝層下のシルト層から無文赤色スリップ土器群が検出された(Tanaka 1998)2001年度調査ではより多くの土器資料を確保するため、段丘端部を避けて2×2mの発掘区を設定して、自然層序にしたがって各土器群を検出した。すでにこの発掘調査は報告されているので(Garong 2002)、ここでは発掘調査の概要を述べ、遺構と土器群の詳細を報告する。

 

1–1. 発掘区と層序(Fig. 2, 3)

 カガヤン川に面した河岸段丘端部から5m内側に、磁北にしたがって2×2mの発掘区を設定した。レベル基準点は任意に発掘区近くの井戸端のコンクリート上に設置した。25000分の1の地図によれば発掘区の標高は約7mである。発掘は表層から順に撹乱層を取り除きながら、層位ごとに掘り進み、遺構と遺物を検出した。貝層下のシルト層では遺物が検出されなくなった時点で調査を終了した。

 層序は以下のとおりである;

                   表土:破砕貝と完形貝をまばらに含む黒色土層。

                   1層:完形貝と暗褐色土の混貝土層。

                   2層:破砕貝と暗褐色土の混貝土層。

                   3層:黄褐色粘土質シルト層。うすい破砕貝層を内部に含む。

                   4層:破砕貝と黄褐色シルト混貝土層。

                   5層:黄褐色粘土質シルト層。

 貝層の深度は表土から約1m、その下に20cmのシルト層の間層、さらにその下に20cmの破砕貝層の間層がみられ、シルト層へとつづく。発掘深度は2mである。1層から4層までは有文黒色土器群が出土し、5層からは無文赤色スリップ土器群が出土した。貝層を形成する主体となる貝種は、ラロ貝塚群の他の貝塚同様、この地域のイバナグ語でカビビ(Cabibi、註1)と呼ばれる淡水産の二枚貝(Batissa childreni)である。

 

1–2. 遺構(Fig. 4, 5)

 1層貝層中から2基の甕棺墓葬が検出された。貝層を20cmほど掘り込んで墓壙とし、そこに洗骨を入れたJarタイプの甕を設置して、Bowlタイプで蓋をした二次葬墓である。

 1号甕棺:発掘区東南コーナーで、径80cm、深さ20cmの墓壙に埋納された胴部径40cmの甕棺を検出した。蓋にはBowlタイプの土器が利用され、甕棺内には頭蓋骨のみが埋納されていた。

 2号甕棺:発掘区北東部で、径60cm、深さ20cmの墓壙に埋納された、胴部径30cmの甕棺である。蓋にはBowlタイプの土器が利用されている。甕棺内に人骨は検出されなかった。

 1号甕棺に用いられた土器は、甕が有文黒色土器Jarタイプで、口縁が失われていた。胴部上半には平行沈線によって縦に区画された内部に、同じく平行沈線の波形文様が縦位に配されている。蓋部は圏足をもつ単口縁の大型Bowlを用いている。2号甕棺の土器は大きく外反する口縁をもつ有文黒色土器のJarタイプである。それに横位の穿孔をもつ瘤状把手が外面口縁下に貼り付けられた、皿上の浅いBowlタイプの蓋が付随する。1号、2号ともに甕棺土器は有文黒色土器群に属するものである。

 

1–3. 文化層出土の土器(Fig. 6-9)

 遺構以外の層から出土した土器を文化層出土遺物として記録した。貝層からは有文黒色土器群が、その下のシルト層からは無文赤色スリップ土器群が出土した。すでに無文黒色土器群の報告で述べたと同様に(Ogawa 2002c: 103-4)、有文黒色土器群の土器すべてが炭素吸着によって黒色に作り出されているわけではない。赤色スリップを塗られているもの、赤色スリップがなく、炭素の吸着もなされていないものも存在する。それでも「黒色」土器群として一括したのは、赤色スリップ土器群との差異、とくに時間的な、編年上の違いを際立たせるためである。有文黒色土器群の焼成、胎土については無文黒色土器群とよく類似している。ともに良好な焼成で、2mm以上の小石を含むやや粗めな胎土で作られ、そして雲母の混入がみられる。しかし以下で述べていくように、両者には文様の有無以外にも、形態的な相違が存在する。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fig. 2.  Site Map of Dombrique Shell Midden, Catugan, Lal-lo

Fig. 3.  Stratigraphic Profile of Walls, Dombrique Shell Midden


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fig. 4.  Jar Burials of Dombrique Shell Midden

Fig. 5.  Burial Jars


器種・口縁形態の分類については、無文赤色スリップ土器群はイリガエン貝塚、黒色土器群についてはコンシソ貝塚で行った分類(Ogawa 2002b, c)を用い、比較しながら分析を行った。以下、下層から上層へと順に報告する。

 

1-3-1. 5層出土土器 (無文赤色スリップ土器群Fig. 6: 1-6)

      貝層下シルト層からは無文赤色スリップ土器群が出土している。1〜4はJarタイプ土器の口縁である。5は小型の圏足足円部,6は高台の付いたBowlタイプ土器の底部である。3のように外面が薄く作り出されている口縁形態はイリガエン貝塚出土無文赤色スリップ土器群の分類の際にも抽出された、特徴的なJarタイプ土器の口縁形態である(Ogawa 2002b: 63, J-4 Type, Fig. 4: 34-37)。また高台状の底部も同じくイリガエン貝塚から出土しているが(Ogawa 2002b: Fig. 7: 45, 46)、本貝塚の高台断面が矩形であるのに対して、イリガエン貝塚のものは三角形である点が異なっている。

 

 

 

 

 

 

 

Fig. 6.  Layer 5(Silt Layer): Non-Decorated Red-Slipped Potteries (R2) of Dombrique Shell Midden

 

1-3-2. 4、3層出土土器 (有文黒色土器群Fig. 71-20)

      4層はシルト層直上の破砕貝層である。その上の3層はシルト層の間層である。ここでは3層出土土器が少ないため(13, 15, 17)、4層とともに報告する。両層ともに有文黒色土器群を出土している。

      Jarタイプ:

      J-1: このタイプの口縁は厚手に作られ、外反するものである。口唇部が尖るものと丸みを帯びるものがある。1〜5は直立気味にやや外反し、口唇部が尖った口縁である。1-4は口縁外面に短い沈線文が矢羽根状に配されている。6〜14もわずかに外反する口縁形態をもつが、口唇端部が尖らず、丸みを帯びている。ただし11は外反せず、直立する広口のJarである。14は口縁外面を肥厚して、3本1単位の櫛上工具で縦位に文様を配している。頚部から肩部へかけての資料が出土していないが、総じて13のように丸くふくらみをもった肩部を経て胴部へつづくと考えられる。しかし14のように頚部から肩部にかけて丸くふくらまず、なだらかに胴部へとふくらむものは、頚部に断面三角形の隆帯が数本平行にめぐる。この手のJarは、おそらく底部近くで胴部最大径をもつと考えられる。

      J-2: 4、3層では1点のみの出土である。口縁部が大きく外反するタイプである(15)。無文黒色土器群では口縁の外反がこれほど急ではない。この大きな外反がこのタイプの特徴である。

      Bowlタイプ:

      B-1: Bowlタイプは口縁部の形態のみでは有文、無文の黒色土器群間での差異を見出すのが困難である。しかし4、3層出土のBowlタイプ土器はいずれも、口唇部が平に作り出され、そこに短い沈線が斜位、あるいは鋸歯状に配されている(16-19)

      その他の土器:

      20は作りが粗雑で器面に磨きがみられない。しかし口唇部と外面に円菅状の押捺と矩形、鋸歯状の沈線文が配されている。口唇部内側は凹状に作り出され、さらに内部にも凹状の表面が残ることから、円筒状の形状をなしていたものと考えられる。類品の出土をまって器種を特定したい。

 

1-3-3. 2層出土土器 (Fig. 8: 1-17)

   Jarタイプ:

   J-1: 4,3層同様、やや外反する、口唇の尖ったものと丸みを帯びた口縁が出土している(1, 2)。1には丸く作り出された口唇部に短い沈線で矢羽根状の文様が配されている。

      J-2: 口縁部が大きく外反するこのタイプが4、3層よりも多く出土している(3-10)。3は頚部内面が幅広に作り出さ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fig. 7.  Layer 4 and Layer 3(Shell and Silt Layer): Decorated Black Potteries (B1) of Dombrique Shell Midden

 

れている。

      Bowlタイプ:

      B-1: 1112は口唇内面がやや平に作り出され、そこに矢羽根状沈線文が二重に配された口縁である。

      B-2: このタイプはゆるやかに内湾しながら立ち上がる口縁の口唇部を大きく外反させたものである(16-18)1718は口縁がS字をなすように曲げられている。

      B-3: このタイプは2号甕棺の蓋に用いられていたものと同様の、浅い皿状のBowlタイプ土器である(19)。浅い平底で、外面口縁下に横位の穿孔がなされた耳状の貼り付けがあることがこのタイプのBowlの特徴である。

      その他のBowl: 1314は口唇部を肥厚させた口縁である。13は口縁内側を肥厚、14は外面を肥厚させている。15B-2タイプの口縁ほど大きくは外反していない。20は厚手に作り出された口縁をもつ。

      圏足: 厚手に作り出された圏足の足縁部が1点出土している(21)

1-3-4. 1層出土土器 (Fig. 9: 1-10)

      Jarタイプ:

   J-1タイプの口縁が2点(1, 2)J-2タイプの口縁が1点(3)出土した。10Jarタイプ土器の施文胴部片である。5本を1単位とする櫛歯状工具で上下に、一定の間隔をあけて施文し、その間に同一工具で波状にうねる文様を施している。

      Bowlタイプ:

      4〜8までは緩やかに内湾しながら立ち上がる口縁である。いずれも口唇部が肥厚されている。この手の口縁部は無文黒色土器群のBowlタイプ土器との区別が明確になっていない。9は外面に瘤状あるいは耳状の貼り付けがないが、B-3タイプの浅い皿状のBowl口縁である。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fig. 8.  Layer 2(Shell Layer): Decorated Black Potteries (B1) of Dombrique Shell Midden

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fig. 9.  Layer 1(Shell Layer): Decorated Black Potteries (B1) of Dombrique Shell Midden


1–3. 小結

 ドンブリケ貝塚の貝層中全体から有文黒色土器群が検出された。器種構成はJarタイプ、Bowlタイプそしてその他に分けることができた。また貝層下のシルト層からは、これまで調査したカガヤン川河岸段丘上の貝塚遺跡いずれからも検出された無文赤色スリップ土器群が出土した。さらに1層中からは2基の甕棺墓葬が検出され、いずれも有文黒色土器群Jarタイプの土器を棺に、Bowlタイプの土器を蓋に利用していた。有文黒色土器群の型式学的分類については、JarタイプとBowlタイプの口縁部をもとに、それぞれ特徴的な口縁形態を抽出することができた。Jarタイプでは2種、Bowlタイプでは3種の口縁形態に分類可能で、これらはいずれもコンシソ貝塚で分析した無文黒色土器群には見られない形態である。

 

 

2.コルテス貝塚の発掘

 コルテス貝塚はラロ貝塚群のなかでも北部に位置する貝塚で、カマラニウガン町ドゥゴ村に所在する。ここはちょうど、カガヤン川河口から5kmの、川に運搬され、堆積した土砂によって形成された低地デルタが始まる地点に位置する。すなわちラロ貝塚群の北部に位置する本貝塚までは後背地に丘陵が広がっているが、ここから下流にはデルタが形成された湿地帯が数キロにわたって分布する。コルテス貝塚が形成されていたと予測される2000年前から1500年前の時期には、カガヤン川河口のデルタ形成はまだ小規模で、かつては海岸線に現在よりも近かったと予想される。そのため本貝塚ではカビビという淡水産二枚貝優勢のなかで、わずかではあるがより上流の貝塚で確認されたよりも多くの海産貝が出土している。

貝塚はかつての河岸上に立地している。現在の河岸からは約200m離れているが、それは川に運ばれた土砂で形成された砂州と河岸の間の川が埋まったことによるものである。貝層分布は現在の国道5号線の道路西端から西へ30mのところで貝塚最頂部となり、かつての河岸へと約3mの比高で下って行く。最頂部からかつての河岸までの斜面には流れ込みの貝層堆積が存在する。

 コルテス貝塚は80年代初頭に一度、国立博物館考古学部門によって発掘調査がなされているが、その様相は明確でなかった。その後80年代後半の分布調査により、貝層堆積はかつての河岸数百メートルにわたってひろがり、有文黒色土器を産することが確認されている(Ogawa and Aguilera 1992)。貝塚の規模は、長さ250m、幅50m、貝層深度1.5mである。

カトゥガン貝塚として記録されている(Ogawa and Aguilera 1992)2001年には再度発掘調査を行い、貝塚最頂部に2×2mの発掘区を設定して、貝層中から無文と有文の黒色土器群、貝層下のシルト層から無文赤色スリップ土器群が検出された(Garong 2002)

 

2–1. 発掘区と層序(Fig. 10, 11)

 貝塚最頂部に磁北にしたがって2×2mの発掘区を設定して調査を開始した。レベル基準点は任意に発掘区近くにコンクリートを打って設定した。発掘区の標高は約7mである。発掘は表層の撹乱を取り除き、層位ごとに掘り進み、遺構と遺物を検出した。同じ層位中では便宜的に約20cmごとに分けて掘るスピット・システムを用いて発掘し、遺物を記録した。貝層下のシルト層で遺物が検出されなくなった時点で調査を終了した。

 層序は以下のとおりである;

                   表土:破砕貝と完形貝を含み、地表面からの撹乱を受けた暗褐色土層。

                   1層:完形貝と褐色土の混土貝層。

                   2層:黄褐色粘土質シルト層。

 貝層の深度は表面から約1.3m、しかし表面から約50cmは撹乱がはげしく、一括して表土として遺物を取り上げた。1層の厚さは約1mで、貝層下のシルト層は約1m深度まで発掘を行った。1層からは有文と無文の黒色土器群が出土し、2層最上部40cm深度からは有文黒色土器群、その下からは無文赤色スリップ土器群が出土した。貝層を形成する主体となる貝種は、ラロ貝塚群の他の貝塚同様カビビである。

 

2–2. 遺構

 1層上部で矩形に掘られた墓壙に二次葬と考えられる人骨が出土した。骨は積み上げられた状態に集められ、副葬品は


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fig. 10. Site Map of Cortez Shell Midden, Dugo, Camalaniugan

Fig. 11. Stratigraphic Profile of Walls, Cortez Shell Midden


なく、その性格は不明である。年代と古食餌分析の測定結果をまちたい。

2–3. 文化層出土の土器(Fig. 12-18)

 本調査では小規模の発掘区と大きな撹乱にもかかわらず、1万点以上の土器片が出土した。コルテス貝塚では、貝層から有文、無文の黒色土器群、シルト層から無文赤色スリップ土器群が出土した。これらを文化層出土の遺物として以下、下の層から上へ順に報告する。

 

2-3-1. 2層スピット2出土土器 (無文赤色スリップ土器群:Fig. 12: 1-12)

      シルト層の2層下部、スピット2からは無文赤色スリップ土器群が出土している。同じくイリガエン貝塚の分類をもとに分析を行う。

      Jarタイプ:1-9

   Jarタイプの口縁部が8点出土している。いずれも類品をイリガエン貝塚に見出すことができる(Ogawa 2002b: Fig. 3, 4)5、6は外面を口唇から薄く作り出された口縁部で、イリガエン、ドンブリケ両貝塚でも出土しており、容易に無文赤色スリップ土器群の特徴的な口縁形態として見出すことができる。同様に8も口唇下外面が薄く作り出されているが、口縁全体が内湾するものである。同じく類品がイリガエン貝塚に存在する。

      Bowlタイプ:10-12

      Bowlタイプは3点で、10, 11は内湾して立ち上がる口縁を口唇近くで外反させたものである。12は口唇部をさらに内湾させている。いずれも類品をイリガエン貝塚に見出すことができる(Ogawa 2002b: Fig.6)

      石器 13は石錘である。重さ54g14は磨石である。重さ80g

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fig. 12. Layer 2, Spit 2(Silt Layer): Non-Decorated Red-Slipped Potteries (R2) of            

Cortez Shell Midden


2-3-2. 2層スピット1出土土器 (有文黒色土器群:Fig. 13: 1-22)

      シルト層上部の2層スピット1からは最下層の有文黒色土器群が出土した。

      Jarタイプ:1-11, 22

      J-1: ドンブリケ貝塚で見たように、口縁部を厚手に作られた口縁である。1は外面に短い沈線が矢羽根状に配されている。2には斜位の列点が間隔を置いて配されている。8は外面が平に作り出されている。10は4本1単位の櫛歯状工具で縦位の沈線が一定間隔に配されている。11は3個1単位の櫛歯の押捺が縦位に配され、沈線と同じ文様効果を出している。

      胴部: 22は有文黒色土器群に特徴的な胴部片である。4本1単位の櫛歯状工具が縦位の直線と波線を交互に描き出している。

      Bowlタイプ:12-21

      B-1: 1316は無文黒色土器群にはないBowlタイプの口縁で、口唇部を肥厚してやや内側に傾斜させた形態の口縁である。類品はむしろマガピット貝塚の有文黒色土器群の精製Bowlタイプに見出すことができる。マガピット貝塚ではこの口唇部に文様帯がみられる。

      B-3: 1921の3点は、いずれもB-3タイプに属するBowl片である。浅い、皿状に作られ、21には耳状で、横位の穿孔をもつ貼り付け把手がみられる。

      B-4: 12はじめて出土するタイプの口縁である。大きく外反する厚手の口縁内側を平に面取りし、その部分に数本1単位の沈線が山形に配置され、鋸歯状に連続するものである。口縁下部に屈曲の痕跡が残るが、これはFig. 171617にみえるように、器部が緩やかに内湾しながら立ち上がり、口縁部に向かうところで段を成す部分を示している。類品は1層スピット2出土のFig. 1622(これは屈曲部欠損)、表土・撹乱層出土のFig. 198にも見出すことができる。

      その他のBowl: 1718は厚手のBowlタイプの口縁である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fig. 13. Layer 2, Spit 1(Silt Layer): Decorated Black Potteries (B1) of Cortez Shell Midden


2-3-3. 1層スピット4出土土器 (有文黒色土器群Fig. 14: 1-37)

      Jarタイプ:1-23

      J-1: 23点のJarタイプ口縁部すべてがJ-1タイプである。1〜9までは口唇部が尖がり、10172223は丸く作り出されている。1〜5および15には、短い沈線、あるいは列点によって、斜位あるいは矢羽根状の文様が構成されている。2223は口縁外面に櫛歯状工具による縦位の沈線が一定間隔に配されている。さらに2021には口唇上部に、沈線によって微細な文様が施されている。21にはさらに外面に円菅押捺文が配されている。これら2点はいずれも文様を施す部位が幅広に作り出されている。

      Bowlタイプ:23-36

      B-1: 2425は口唇内面が平に作り出され口縁である。24には沈線で区画されたなかに、矢羽根状に配された沈線文がみられる。

      B-3: 34〜36は外面口縁下の横位に穿孔がなされた貼り付けはみられないが、浅い皿状のタイプである。いずれも口唇外部が肥厚され、外反されている。3435の肥厚・外反で幅広になった口唇部には、細かい沈線文が配されている。34にはさらに口縁下外面にも文様が施されている。

      その他のBowl: 2633は胴部からゆるやかに内湾しながら立ち上がる口縁である。無文黒色土器群のBowlタイプにも類品を見出すことができるため、時期的な差異を明確にしがたい口縁部である。

      その他の土器: 37

      37は器種不明の土器である。厚手に作られた口縁部の外面に細かい沈線で斜位の文様が施されている。その後器面には磨きがかけられている。

  石器: 38はチャート製のフレークである。単剥離打面に直接打撃を加えて剥離されている。39は磨石である。

 

2-3-4. 1層スピット3出土土器 (有文黒色土器群Fig. 15: 1-19)

Jarタイプ:1-8

      J-1: 1〜8いずれも厚手に作り出されたJ-1タイプの口縁部である。1は外面に矢羽根状の沈線文が施されている。1〜5までは口唇が尖るもの、6〜8は丸みを帯びるものである。

      J-2: 9は大きく外反するJ-2タイプの口縁である。

      Bowlタイプ:10-16

      B-1: 1011は口唇内面が肥厚され平らに作り出された口縁である。10は口唇部に沈線による矢羽根状の文様をもつ。

      B-3: 1516は浅い皿状になるBowlタイプの口縁である。16には横位穿孔の耳状貼り付けをもつ。

      その他のBowl:        1214は口唇部を肥厚された口縁である。

      圏足: 18は透孔のある圏足である。透孔は三角形になるものと考えられる。

      把手: 19Jarタイプの胴部に貼り付けられた把手の一部と考えられる。

      その他の土器: 17

      17は特異な土器である。口縁部をS字にくねらせ、外面には円菅状の押捺が横位に並べられている。Jarタイプの土器と考えられるが、類品の出土をまって検討したい。

 

2-3-5. 1層スピット2出土土器 (有文黒色土器群・無文黒色土器群Fig. 16: 1-28)

      Jarタイプ:1-8

      J-1: 1〜3は外面に文様をもつJ-1タイプの口縁部である。1は矢羽根状沈線文、2と3は外面を平に作り出した面に櫛歯状工具で縦位の施文がみられる。

      J-2: 4、5は大きく外反するJ-2タイプの口縁部である。4は肩部までの形状が分かる個体で、胴部曲線はなだらかに胴最大径まで下り、丸底の底部へとつながるものと考えられる。

      J-3: 6は外反する厚手の口縁外面を平に作り出し、胴部は急な傾斜をなしている。頚部以下には沈線文による文様が配されている。この手のJarタイプをJ-3タイプとして別に設定した。頚部には3条の断面三角形の隆帯がめぐる。隆帯には斜位の刻みが等間隔に入れられている。隆帯の下には2本の沈線を山形に配し、連続鋸歯文にめぐらせている。そのなかに円形貼り付けが1つみられる。この貼り付けには円形工具による刺突が3個ある。その下は3本の沈線を1単位


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fig. 14. Layer 1, Spit 4(Shell Layer): Decorated Black Potteries (B1) of Cortez Shell Midden


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fig. 15. Layer 1, Spit 3(Shell Layer): Decorated Black Potteries (B1) of Cortez Shell Midden

 

として、縦位の平行沈線文と鋸歯文が交互に施文されている。胴部最大径は器部下半、底部近くにあるものと推定される。また7はこのタイプのJarの円形貼り付け部分である。やはり3つの刺突が施されている。このタイプの土器のように急峻な傾斜をみせる胴上半部Jarは無文黒色土器群にもみられる。イリガエン貝塚、アグネタン貝塚などで住民によって採集されている(Fig. 28-2: 8)。頚部隆帯は存在するが、文様はない。またJ-1タイプのどの口縁がこの胴部のように急な傾斜をみせるのか、あるいはJ-2タイプのように肩が張るものになるのかは現時点では不明である。今後の資料の増加を待ちたい。また、このタイプの胴部には、7の突起が付けられている。

      その他のJar: 2528J-2タイプほど口縁の外反が大きくない。類品はむしろ無文黒色土器群に見出すことができる(Ogawa 2002b: Fig. 1)。これらは有文黒色土器群に属するものではなく、無文黒色土器群のJarの口縁が混入したものと考えられる。

      Bowlタイプ:9-24

      B-1: 1012は肥厚された口唇部内側を平に面取りされたB-1タイプのBowlである。

      B-4: 2223大きく外反する厚手の口縁内側を平に面取りしている。22はその部分に、数本1単位の沈線が山形に配置され、鋸歯状に連続するものである。このような形態、文様構成と施文部位は、1層スピット1出土の端ぞりのBowl(Fig. 17: 1617)と類似するものである。

      その他のBowl:        9、1321は現在のところ、有文黒色土器群に特徴的なタイプとして抽出できない口縁部である。類品の増加を待って検討したい。ただ、9と13は同じ形態をもつBowlと推測され、9の下部形態からは、圏足をもっていた可能性が高い。また8と23B-3タイプのBowl外面の瘤状貼り付けである。

 

2-3-6. 1層スピット1出土土器 (有文黒色土器群・無文黒色土器群Fig. 17: 1-33Fig. 18: 34-41)

      Jarタイプ:1-15

      J-2: 1〜8は口縁が大きく外反するJ-2タイプである。1は口縁が厚く、口唇も尖った作りとなっている。均一な厚みで、口唇部が矩形の他の口縁部とはやや異なる。類品が増えれば別のタイプとして抽出できるかもしれない。

      胴部: 9〜15は有文黒色土器群に特徴的な文様をもつ胴部片である。9は3本1単位の沈線によって縦位の直線を均等の間隔で引いて文様帯を区画し、そのなかに縦位の連続山形文と3個1単位の円菅文が描き出されている。また円菅文のうち最下段左に1個と、その左側の山形文内の1個は、器壁を突き抜けている。1011も同様の文様構成をもつが、11には円菅文がみられない。1215は、2〜4本の櫛歯状工具を用い、連続的に引いて直線と波形文を描いている。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fig. 16. Layer 1, Spit 2(Shell Layer): Decorated (B1) and Non-Decorated Black Potteries (B2) of Cortez Shell Midden

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fig. 17. Layer 1, Spit 1(Shell Layer): Decorated Black Potteries (B1) of Cortez Shell Midden

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fig. 18. Layer 1, Spit 1(Shell Layer): Decorated (b1) and Non-Decorated (B2) Black Potteries of

Cortez Shell Midden

 

 

  底部: Fig. 18 36は外目には平底にしか見えないが、短い圏足が付く。器部底面に径8mmの孔が開けられている

ので、甑の可能性をもつ。類品は有文、無文の赤色スリップ土器群にも散見される。

      その他のJar: Fig.  3841は、無文黒色土器群のJar口縁部である。3840は矩形に作り出されている。41は厚い口縁部の外面が平に作り出されている。

      Bowlタイプ:16-33

      B-1: 2223の口唇部は内側に傾斜しながら平に、端部外側は尖った作りになっている。いずれも口唇部に文様はない。

      B-2: 25は口唇部がS字をなすように曲げられたものである。あまりS字の屈曲は強くない。このタイプの口縁はコルテス貝塚でこの1点のみである。上述のドンブリケ貝塚で3点出土しているが、類品の増加を待って型式の設定には再検討を要するかもしれない。

      B-3: 33は浅い平底の、このタイプの底部である。

      B-4: 1617がこのタイプにあたる。口唇部平に作り出された部分に17は沈線で山形文が構成されている。胴部との境目に段をもつ。この口縁タイプがすべて有段かどうかは今後の資料増加を待ちたい。2832もこのタイプの口縁に近い形状を示すが、これも今後の課題である。

      その他のBowl:      182124は口縁部が矩形をなす。21は口唇内面が肥厚され、2627は外反する口縁である。

      圏足: 3435Bowlタイプ土器に付帯する圏足部である。円形の穿孔がみられる。

      その他の土器:Fig. 18: 37

      37は不明土器の破片である。大きな円形の孔が作り出されているのが分かる。

 

2-3-7. 表土・撹乱出土土器 (Fig. 19: 1-8)

      Jarタイプ:1-4

      J-1: 1〜4はこのタイプの口縁である。1は短い沈線を矢羽根状に配している。2は口縁形態が他と異なり、器面に磨きもない、やや趣を異にする口縁である。大きく外反する口縁内側には3本1単位の櫛歯状工具による沈線波形文が施されている。口唇部は平に作り出され、そこに円菅文が配されている。

      Bowlタイプ:5-8

      B-1: 5〜7は平らな面を口唇に作り出し、そこに文様を配する、このタイプの口縁である。5は7本1単位の沈線で連続山形文を構成する。6は沈線で連続山形文を4列配している。7は櫛歯状工具で波形文を構成する。5のような文様構成はB-4タイプに特徴的な文様であるため、一種の変形かもしれない。

      B-4: 8は端ぞりのBowlである。類品はFig. 13: 12(2層スピット1)Fig. 16: 22(1層スピット2)Fig. 17: 1617(1層スピット1)にみられる。

     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fig. 19. Surface Layer (Shell Layer): Decorated Black Potteries (B1) of Cortez Shell Midden

 

2–4. 小結

 コルテス貝塚からはドンブリケ貝塚と共通する有文黒色土器群の口縁形態が抽出された。これによって有文黒色土器群のJarBowlの形態分類が一定の普遍性をもつ可能性が増した。さらにコルテス貝塚では新たにJarタイプ1種、Bowlタイプ1種の型式を加えることができた。これらJarタイプ3種、Bowlタイプ4種の普遍性は、つぎのダビッド貝塚で検証することにする。またコルテス貝塚では1層スピット2から無文黒色土器群のJarタイプ口縁が出土しはじめ、最上層の1層スピット1まで続く。これは無文黒色土器群の文化層からの混入と考えられるが、コルテス貝塚では表層の撹乱が激しく、容易に両文化層を区別できなかった。以上の土器の分析結果から、コルテス貝塚では、無文赤色スリップ土器群→有文黒色土器群→無文黒色土器群への移行が確認された。

 

 

3.ダビッド貝塚の発掘

ダビッド貝塚はラロ町の中心、ラロ・セントロ(Lal-lo Centro)のなかに位置する。ラロ・セントロはかつてレガスピ(Legaspi)がセブからマニラにフィリピン経営の中心を置いた1572年、すぐに北部ルソン島へ探検隊を送り、その際に開かれた町である。当時はヌエバ・セゴビア(Nueva Segovia)と呼ばれていた。その後も19前半世紀まで北部ルソン島経営の中心として栄えたが、18世紀中頃に大司教座が西海岸のイロコス・スール(Ilocos Sur)州都ビガン(Vigan)に移り、また19世紀末にトウゲガラオ(Tuguegarao)にカガヤン州の州都が移ってからは、徐々に衰退していった。往時を偲ばせるのは、カガヤン渓谷のタバコを一手に集荷し、葉巻生産を行っていたタバカレラ(Tabacalera)の工場跡やスペイン人の血を色濃く残す人々の顔立ちである。また現在でもイバナグ(Ibanag)の人びとによってラロ・セントロの町では、貝層堆積の主体であるカビビ、量的には少ないが貝層形成時にも採集されていた小型の淡水産二枚貝ギノオカン(Ginookan),そして最近の採集圧により採れなくなったカビビによる収入を補うために採られはじめたシジミに似たアシシ(Asisi)などの採集が続けられている(小川1997)。ダビッド貝塚は現在のカガヤン川河口から17km地点に位置する。

発掘調査はまず貝層深度をオーガーで確認する作業からはじめた。現在では住居がところ狭しと立ち並ぶなかを、家々の中庭を移動しながらオーガーを入れていった。その結果、2.4mの貝層深度を示した本貝塚を発掘地点と定めた。ダビッド貝塚はカガヤン川河岸段丘上に立地し、標高は8m、タバカレラに接した地点に位置する。測量図に示したように(Fig.


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fig. 20. Site Map of David Shell Midden, Lal-lo Centro, Lal-lo

Fig. 21. Stratigraphic Profile of Walls, David Shell Midden

 


20)ダビッド貝塚地点から段丘はカガヤン川に向かって傾斜しはじめ、5mの比高で現在の川辺へと達する。貝層はまず表土から1.4mまで続き、その下に60cmのシルト層が間層として入る。さらにその下に20cmの貝層が存在し、その下はシルト層となっていた。

最下層のシルト層からは遺物は検出できなかった。その上の貝層からは有文黒色土器群が出土した。その上のシルト層の間層からは遺物はわずかであるが、無文黒色土器群の可能性がある。その上の貝層からは無文黒色土器群となっていた。コルテス貝塚では明確に確認できなかった有文黒色土器群から無文黒色土器群への移行が、ダビッド貝塚で確認することができた。

 

3–1. 発掘区と層序(Fig. 21)

 オーガーの結果に従い、貝層の厚い地点に、磁北にしたがって2×2mの発掘区を設定して発掘を開始した。発掘区の標高は約8mである。発掘は自然堆積層の撹乱を取り除きながら、層位ごとに掘り進み、遺構と遺物を記録した。同じ層位中では他の貝塚同様にスピット・システムを用いて発掘し遺物を記録した。貝層下のシルト層で遺物が検出されなくなった時点で調査を終了した。

 層序は以下のとおりである;

                   表土:破砕貝と完形貝を含み、地表面からの撹乱を受けた暗褐色土層。

                   1層:完形貝と暗褐色土の混土貝層。

                   2層:完形貝と破砕貝に黄褐色のシルトが混入した混土貝層。

                   3層:黄褐色粘土質シルト層。

                   4層:破砕貝と黄褐色シルトの混土貝層。

                   5層:黄褐色粘土質シルト層。

 貝層の深度は表面から約1.4m、撹乱表土から貝層深く達していたが、発掘区壁面近くに限定されていたため、全体へのダメージは少なかった。1層の厚さは約60cm、2層は4060cm、3層のシルト層の間層は約60cm、4層は20cm、最下層のシルト層は遺物の確認のため、50cm掘り下げたが、遺物の出土がなかったため発掘を終了した。遺構は5層からピットが1つ検出できた。文化層出土遺物は、1〜3層で無文黒色土器群が、4層からは有文黒色土器群である。最下層5層からは無文赤色スリップ土器群の出土が期待されたが、本貝塚では検出されなかった。

 

3–2. 遺構

 5層中からピットが1基検出された。ピットには中心がシルト、まわりに貝が堆積していた。このピットは4層中から掘り込まれ、柱穴として使用され、柱を残したまま放置されたものと考えられる。遺物は共伴していない。

 

3–3. 文化層出土の土器(Fig. 22-27)

 ダビッド貝塚出土土器を下層から上層へと変化を追いながら以下、報告する。この貝塚では4層の有文黒色土器群から3〜1層の無文黒色土器群へと、土器群の変化が最大の特徴である。タイプ分類の混乱を避けるため、以下では、有文無文黒色土器群のみを型式番号を与え、無文黒色土器群は記述するに留める。

 

      3-2-1. 4層出土土器(有文黒色土器群Fig. 22: 1- 15)

      Jarタイプ:1-13

      J-1: 1〜8がこのタイプの口縁部である。1は外面に矢羽根状の沈線文。7は口唇部が列点状の短い沈線で施文されている。

      J-2: 9、10はこのタイプの口縁部である。これらも7同様、短い沈線で列点状の文様が配されている。

      その他のJar: 11は厚手矩形に作り出された口縁である。

      胴部: 1213はコルテス貝塚で抽出したJ-3タイプの胴部片である。12は胴部の貼り付け、13は櫛歯状工具による

直線と波形の沈線文である。

      Bowlタイプ:14, 15

      1415Bowlタイプ口縁であるが、有文、無文の黒色土器群間の差異を見出すことはできないタイプである。

     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fig. 22. Layer 4(Shell Layer): Decorated Black Potteries (B1) of David Shell Midden

 

3-2-2.        3層出土土器(無文黒色土器群Fig. 23: 1, 2)

      Jarタイプ:1, 2

      2点のみの出土である。1は無文黒色土器群のJarタイプ口縁である。コンシソ貝塚出土土器群に類品を見出すことができる(Ogawa 2002c: Fig. 1: 6, 7)。3層(シルト層)の厚さは60cmあるが、遺物の出土は限られている。すでにこの時期、無文黒色土器群へ変化したものと考えられる。

 

 

 

 

 

Fig. 23. Layer 3(Silt Layer): Non-Decorated Black Potteries (B2) of David Shell Midden

 

      3-2-3. 2層スピット2出土土器(無文黒色土器群Fig. 24: 1-4)

      Jarタイプ:1-4

      4点すべて無文黒色土器群のJarタイプ口縁である。1は肥厚して矩形に作り出した口縁部で、コンシソ貝塚出土無文黒色土器群にも類品を見出せる。4の口縁は内反して口径を狭めている。

 

 

 

 

 

 

Fig. 24. Layer 2, Spit 2(Shell Layer): Non-Decorated Black Potteries (B2) of David Shell Midden

 

      3-2-4. 2層スピット1出土土器(無文黒色土器群Fig. 25: 1-20)

      Jarタイプ:1-19

      1〜19はすべて無文黒色土器群のJarタイプ口縁部である。コンシソ貝塚の無文黒色土器群と比較すると、8をのぞいてすべて類品を見出すことができる。

      1〜7は頚部内面を幅広に、口縁内面をやや凹面に作り出す、厚みのある口縁部である。8は現時点ではJarBowlかの判断を保留する。9〜14はいずれも口唇部を肥厚して幅広に作り出すのが特徴である。1618も同じく口唇部を肥厚しているが、丸みを帯びた作りとなっている。19は頚部の屈曲が緩やかにつくられている。

      Bowlタイプ:20

      20Bowlと考えられるが、コンシソ貝塚には類品がない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fig. 25. Layer 2, Spit 1(Shell Layer): Non-Decorated Black Potteries (B2) of David Shell Midden

 

      3-2-5. 1層出土土器(無文黒色土器群Fig. 26: 1-10)

      Jarタイプ:1-9

      1〜9は無文黒色土器群のJarタイプ口縁である。1〜7は口唇部を肥厚して幅広に作り出した口縁部である。

      Bowlタイプ:10

      10Bowlタイプの口縁部である。類品はコンシソ貝塚にも見出せる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fig. 26. Layer 1(Shell Layer): Non-Decorated Black Potteries (B2) of David Shell Midden

 

3-2-6.    表土出土土器(Fig. 27: 1-7)

      Jarタイプ:1-7

      いずれも無文黒色土器群Jarタイプの口縁部で、コンシソ貝塚に類品を見出すことができる。1〜6は口唇を肥厚した口縁である。7は頚部の長いJarタイプ口縁である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fig. 27. Surface Layer (Shell Layer): Non-Decorated Black Potteries (B2) of David Shell Midden

 

3–3. 小結

 ダビッド貝塚では最下層の貝層からのみ有文黒色土器群が出土したが、その上層のシルト層、貝層いずれも無文黒色土器群であった。またラロ貝塚群の他の河岸段丘上貝塚で出土する、最下層シルト層の無文赤色スリップ土器群は検出されなかった。コルテス貝塚では上層の撹乱のため、有文黒色土器群から無文黒色土器群への変化が不明瞭であったが、ダビッド貝塚で層位的にこの変化を追うことが可能となった。

 

 

4.考察

41. 有文黒色土器群の編年的位置づけ

 ラロ貝塚群中、カガヤン川の河岸段丘上に立地する貝塚3ヶ所の発掘調査の結果、出土土器が層序ごとに変化していく様相を捉えることができた。とくにこれまでの調査では明らかにされてこなかった有文黒色土器群の編年的位置づけが明らかとなった。ドンブリケ貝塚では最下層の貝層下シルト層から無文赤色スリップ土器群が出土し、その上の貝層から有文黒色土器群へと変化しているが、無文黒色土器群は出土していない。コルテス貝塚でも最下層の貝層下シルト層から無文赤色スリップ土器群が出土したが、シルト層の上部では有文黒色土器群が出土する。そしてシルト層の上に堆積する貝層では有文黒色土器群が優勢であるが、貝層上部では無文黒色土器群をわずかに包含していた。いっぽうダビッド貝塚では最下層シルト層からは無文赤色スリップ土器は出土していない。その上の貝層下部からは有文黒色土器群が出土し、シルト層の間層を挟んでその上の貝層は無文黒色土器群で占められていた。以上の発掘結果から、無文赤色スリップ土器群→有文黒色土器群→無文黒色土器群への変化を層位的に確認することができた。各土器群のC14年代は、無文赤色スリップ土器が34003000BP、有文黒色土器群が19001500BP、無文黒色土器群が15001000BPである(Table 1)。マガピット貝塚から大量に出土した有文赤色スリップ土器群の年代については、これまで得られているC14年代が38002800BPとひらきがあり、また測定方法も加速器によるものではない(青柳他1991Thiel 1989)。今後、同一の測定方法で年代測定を行うためには、マガピット貝塚の再調査が必要である。しかし現時点では有文赤色スリップ土器群の位置づけに関しては、有文から無文へという土器の一般的な変化をもとに、無文赤色スリップ土器群に先立つものと設定する。絶対年代では無文赤色スリップ土器群のC14年代である3400BPに先立つ紀元前二千年期と想定したい。

 また有文黒色土器群の分析によって、他の3つの土器群、とりわけ無文黒色土器群には存在しない特徴的な口縁形態を抽出することが可能であった。今回、有文黒色土器群に特徴的な口縁形態として、Jarタイプ土器で3タイプ、Bowlタイ


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fig. 28-1. Comparison of Specific Pottery Forms of Four Different Pottery Phases


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fig. 28-2. Comparison of Specific Pottery Forms of Four Different Pottery Phases


プ土器で4タイプを抽出することができた。

J-1タイプの口縁は図28-2の1と2のように口唇部が尖るものと丸みを帯びるものがあるが、厚手に肥厚された外反口縁である。例外的に図7の11のように外反せず、直立するものもみうけられる。J-1タイプの口縁のうち幅広に作られた口縁外面には、図7の1〜4のように外面に沈線で横位矢羽根状の文様を配したや、図28-2の1のように列点を鋸歯状に配した文様を施している。また図8の1、図142021のように、幅広に作り出された口唇部に沈線による文様を配したものもバリエーションとして存在する。J-2タイプは図28-2の4のように、頚部から鋭角をなして大きく外反する口縁である。無文黒色土器群では口縁の外反がこれほど急ではない。そのバリエーションは図8の3〜10のように単口縁から肥厚されたものまでみられ、細分が可能である。J-3タイプの口縁は、図28-2の3のように、厚手の外反するもので、口唇部が尖り、口縁外面が平に作り出されている。頚部以下は急な傾斜をなし、肩部には斜位の刻文をもつ3本の隆帯を横位に貼り付け、胴部には沈線文による文様が配されている。このタイプは今回J-1タイプに分類した図7の14と、肩部に横位の隆帯が廻らされている点で類似する。しかし後者は、図131011、図142223、そして図16の2、3のように口縁外面に縦位の沈線あるいは列点文がされる点でJ-3タイプの口縁部とは異なっている。

いっぽう有文黒色土器群のBowlタイプ土器では、4タイプの口縁部が抽出できた。B-1タイプの口縁は、緩やかに内湾しながら外反する器形をもつBowlタイプ土器で、口唇部が平に作り出されている。口唇部が無文のものも多く存在するが、斜位、あるいは鋸歯状の細かい沈線文が配されたものもみられる(図7の1619)B-2タイプの口縁は、図8の1618のように、緩やかに内湾しながら立ち上がる口縁の口唇部を大きく外反させたものである。1718のように口縁がS字をなすように曲げられているものもある。B-3タイプは2号甕棺の蓋のように(図5の4)、浅い皿状のBowlタイプ土器である。浅い平底で、外面口縁下に横位の穿孔がなされた耳状、あるいは瘤状の貼り付けがある特徴的な器形をもっている。B-4タイプの口縁部は、大きく外反する口縁内面を平に面取りし、その部分に3、4本で1単位の沈線が山形に配置され、鋸歯状に連続するものである。図1717にみられるように、口縁部と器部との境で段差を作り出していることが特徴的である。

有文黒色土器群では無文黒色土器群と比べて完形土器がほとんど検出されていない。無文黒色土器群文化層では、完形品がイリガエン(サンタマリア村)、コンシソ(カタヤワン村)、シリバン(サンロレンソ村)貝塚の伸展墓の副葬品として多く検出されている。しかし有文黒色土器群では、埋葬址の検出がドンブリケ貝塚の2基の甕棺墓のみである。今後の埋葬址の検出で完形土器のサンプルが増加すれば、より細分された器種や形態分類が可能であろう。

有文黒色土器群の様相が明らかとなり、ラロ貝塚群を特徴づける4つの土器群の相違を議論することが可能となった。そこで以下では、これまでの分析(青柳他1991Ogawa 2002b, c)によって抽出された、各土器群に固有で特徴的な口縁部形態を抜き出し、それぞれの土器群のメルクマールとなる型式を比較したい(Fig. 28)

28の1は有文と無文の赤色スリップ土器群を器種ごとに比較したものである。有文赤色スリップ土器群の全体的な様相を知りうる遺物群は、未だマガピット貝塚でしか確認されていない。無文赤色スリップ土器群はカガヤン川沿いの河岸段丘上貝塚の貝層堆積下からのシルト層から出土する。Jarタイプ口縁の1は、有文・無文の両者に一般的な口縁形態であるが、口縁内面が凹状に内湾する点が類似しており、このタイプの口縁だけで有文・無文の赤色スリップ土器の違いを見出すことは難しい。しかし無文赤色スリップ土器群の2の口縁形態は有文赤色スリップ土器群には見出せず、この土器群に特徴的なものといえる。有文赤色スリップ土器群のJarタイプ土器の胴部屈曲部(Carination)(Fig28-1: 2)は、多数出土しているが、無文赤色スリップ土器群には未だ完形品の出土がないため不明である。有文赤色スリップ土器群の2、3はともにその胴部屈曲部に文様をもつものである。しかし両者は施文方法に違いがある。2は有文赤色スリップ土器群のJarBowlタイプのほとんどの文様にみられるように、単体の刺突と櫛歯状工具による連続刺突による施文である。しかし3の文様は非常に繊細な鋭い工具による爪形刺突と短い沈線で構成されている。このような文様をもつ土器は有文赤色スリップ土器群では特異な位置を占め、胎土は粗いが焼成は良好で、赤色スリップの色も暗く、出土数はわずかである。有文赤色スリップ土器群の大半が、明るい赤色スリップ、砂っぽい胎土であるのに対し、これらの一群は特異で、他地域からの搬入の可能性も考慮する必要がある。しかし出土層位に偏りはなく、マガピット貝塚の貝層深度5.5mの上層から下層にかけて、少数ながら満遍なく出土している。有文赤色スリップ土器群の4は、内湾する口縁外面に沈線で菱形に区画され、その内側中心に円形刺突、外側には斜位に連続刺突文を施したものである。このタイプの口縁形態と文様も、無文赤色スリップ土器群では検出されていない。いっぽう無文赤色スリップ土器群のJarタイプ土器の口縁2は、口唇部外面が薄く作り出されたもので、有文赤色スリップ土器群にはみられない、特異なタイプの口縁である。

 Bowlタイプの形態の顕著な違いは、器部の屈曲の位置にある。有文赤色スリップ土器群のBowlタイプの5は屈曲部を器部下半にもつが、無文赤色スリップ土器群の3のBowlは口縁直下に屈曲をもっている。無文赤色スリップ土器群のBowl屈曲部はよく出土するため、赤色スリップ土器群間の違いを判別する明確な基準となる。また無文赤色スリップ土器群の4の小型Bowlは有文赤色スリップ土器群では出土していない。これは肥厚された口縁の口唇部をさらにつまみ上げて、蓋の受け口を作り出したものである。いっぽう有文赤色スリップ土器群のBowlタイプは、6にみられるように、しばしば口唇部を肥厚させ、そこに文様を施している。この肥厚による口縁形態は有文赤色スリップ土器群Bowlタイプの特徴となっており、無文赤色スリップ土器群のBowlタイプ土器とを見分ける基準となる。有文赤色スリップ土器群の丸底のBowlタイプ土器7は、外面に成形の際の叩き目を残したままで、磨きも赤色スリップの塗布もない。この粗製のBowlは、無文赤色スリップ土器群には発見されていない、有文赤色スリップ土器群に特徴的な土器である。

 つぎに図28の2は有文と無文の黒色土器群を比較したものである。両者のJarタイプ土器の口縁形態は顕著に異なる。有文黒色土器群(1, 2, 3)では口縁全体が肥厚され厚手であるのに対して、無文黒色土器群では薄手に作られている。また有文黒色土器群の4のように薄手の口縁が大きく外反するのも大きな特徴である。無文黒色土器群のJarタイプの特徴は1のように口唇部を肥厚し、幅広・逆三角形状に作り出している点である。また2のように口唇部のみがわずかに外反し頚部の屈曲がほとんどないのも同じく無文黒色土器群Jarタイプの特徴である。同様に無文黒色土器群の3〜5のように、口縁が頚部から徐々に薄くなり、口縁内面が凹状になるのも特徴である。無文黒色土器群の文化層ではしばしば貝層中、あるいはその下のシルト層に墓壙を掘り込んで伸展葬墓が営まれているが、このとき墓に副葬品として埋納される無文黒色土器群がある。6〜9のJarタイプ、1011Bowlタイプ土器は、コンシソ貝塚伸展葬墓の出土品とイリガエン貝塚シルト層中の伸展葬墓が台風で崩落した際の表採品である。

 Bowlタイプ土器については、口唇部の施文の有無が基準となる。有文黒色土器群では5〜7のように、口唇部が施文されるため、幅広に作り出される特徴がある。いっぽう無文黒色土器群の場合は、1011のように口唇部がことさら幅広に作られることはない。また有文黒色土器群には8のように、平底で口縁下に横位の穿孔のある瘤状、あるいは耳状の貼り付けがあるBowlが存在する。このタイプも有文黒色土器群の特徴である。

また特異な例として、無文黒色土器群にのみ特徴的な土器が12である。これまでにコンシソ貝塚でまず認識され、コルテス貝塚で表採品があり、さらにコルテス貝塚から100m南のイベ貝塚(Ibe Shell Midden: II-01-P2)でも出土している。この土器は圏足をもち、器部はいっぽうに大きな穿孔をもち、他方にはただ長方形の出っ張りがあるだけである。煮炊きの際にJarタイプ土器を載せる調理用ストーブかとも思われたが、赤色スリップの塗布と磨きがみられることから、煮炊き以外の用途を考慮する必要がある。イベ貝塚の出土品にはこのタイプの土器の器部に鉄のスラッグが付着したものが出土している。製鉄あるいは野鍛冶に関連した土器である可能性も浮上してきた。

 以上、ラロ貝塚群中の各貝塚から出土した4つの土器群の型式的特徴を比較してきたが、以下ではこれらの違いをまとめてみよう。

有文と無文の赤色スリップ土器群間の形態差:

Jarタイプ土器の口縁部だけでは有文と無文間の違いを見分けることは難しい。ともに内湾しながら外反する口縁部をもつ。しかし有文赤色スリップ土器群のJarタイプには内湾気味に外反する甕形土器の口縁だけではなく、図28-1の4のような口縁形態のバリエーションがみられ、口縁外面に文様も施されている。

いっぽうBowlタイプ土器の口縁形態は容易に両者間の違いを判別できる。有文赤色スリップ土器群のBowlタイプ口縁には口唇部が肥厚され、内側に傾いた部分に刺突文が施される。しかし無文赤色スリップ土器群のBowlタイプでは口唇部に肥厚も文様もみられない。また器部屈曲部の位置にも相違がみられる。有文赤色スリップ土器群のBowlタイプは器部下半部に屈曲があるが、無文赤色スリップ土器群の場合は器部上半部あるいは口縁直下に屈曲部がみられる。さらに有文赤色スリップ土器群には磨きの施されていない、叩き目を残した、圏足をもたないBowlタイプ土器が存在する。現在、遺跡分布調査を実施しているラロ貝塚群南部の河岸段丘上では、しばしば叩き目を残すこのBowl片が表採されている。類品はこの土器を出土するマガピット貝塚からさらに南へ60km下ったトゥゲガラオ市内の遺跡でも出土している。いっぽう無文赤色スリップ土器群のBowlタイプには、肥厚された口縁の口唇部をさらにつまみ上げて、蓋の受け口を作り出した小型Bowlが存在するが、これは無文赤色スリップ土器群のみにみられる器形で、有文赤色スリップ土器群では検出されていない。

有文と無文の黒色土器群間の形態差:

 黒色土器群Jarタイプ土器の口縁部の形態は、有文・無文の両者間で大きく異なっている。有文黒色土器群では肉厚で、外面に列点文や櫛歯状沈線がみられるタイプ(Fig. 28-2:1〜3)と、口縁部の外反角度が大きなタイプ()が特徴的である。いっぽう無文黒色土器群のJarタイプ土器では、3つの口縁形態が特徴的である。1)口唇部が肥厚されたもの(Fig. 28-2:)、2)口唇部が外反し、頚部の屈曲が小さいもの(Fig. 28-2:)、3)口縁下部が厚く、口唇部が細く作り出され、口縁内面が凹状のものである(Fig. 28-2:3〜5)

Bowlタイプの土器については、有文黒色土器群では口唇部が幅広に作り出され、そこに文様をもつもの(Fig. 28-2:5〜7)、そして平底で横位穿孔のある瘤状、耳状貼り付けを口縁下にもつものに特徴がある()。いっぽう無文黒色土器群のBowlタイプ土器は、厚手に作られ、圏足をもつ。有文黒色土器群の平底のBowlは無文では出土していない。しかし無文黒色土器群中の、圏足をもち、器部に大きな穿孔をもつ土器(Fig. 28-2: 12)は、機能は不明だが、無文黒色土器群に特徴的な土器である。

 以上で抽出したラロ貝塚群の4つの土器群の特徴はそれぞれに固有の特徴であり、今後、新たに発見された遺跡で表採される土器片を手にした際に、その帰属を判断するメルクマールとして十分機能を果たすものと考えられる。

 

4-2. ラロ貝塚群におけるセトゥルメント・パターンの時代的変化 (Fig. 29)

 これまでの土器群の分析によって、ラロ貝塚群出土の4つの土器文化相の特徴を抽出することが可能となった。この4つの先史文化相に加え、ラロ貝塚群では土器を伴わない剥片石器群文化相、そして1000AD以降、現代にいたる貿易陶磁に伴う土器文化相も貝層の年代の決め手となっている。これら2期を加えて6つの時代の文化相それぞれに属する貝塚をグループごとに地図上にプロットすると図29のようになる。これら各時代の遺跡分布の変化は、セトゥルメント・パターンの時間的変化を示している。

第1期:土器出現以前、剥片石器群を主体とする時期である(Ogawa 1999b)。これまでの調査で河岸段丘上貝塚から単体としての剥片石器は出土しているが、総点数は10点未満で、そのほとんどが製品としての出土であり、石器群としてひとつのまとまったアセンブリッジを形成して出土してはいない。剥片石器群を出土する貝塚は現在までのところ、カガヤン川東岸から直線で10kmの丘陵地帯に位置するマバゴッグ(Mabangog)洞穴と、河口から40km地点の東岸河岸段丘上に立地するガエラン(Gaerlan)貝塚のみである。いっぽう東岸から内陸へ1〜2km地点の低地に位置するバグンバヤン(Bagumbayan)、ダラヤ(Dalaya)、カタヤワン2(Catayauan II)の3貝塚からは、剥片石器や石核がわずかに表採されているのみで、土器の出土はみられない。むしろ焼石の出土が顕著である。土器が採集されていないことから、これら内陸の3貝塚も土器出現以前の貝塚として第1期に属するものと考えられる。実年代をこの時期に与えるとすれば、土器出現以前、すなわち紀元前2千年期以前を想定している。

第2期:有文赤色スリップ土器群の時期である(青柳他1988-91、田中1993, 1996)。この土器群はこれまでマガピット(Magapit)貝塚でのみ確認されている。ガエラン貝塚とマバゴッグ洞穴からも、施文されてはいないが、マガピット貝塚出土のBowlタイプ口縁と形態が類似する赤色スリップ土器片が出土する。マガピット貝塚は河岸に面した標高50mの丘陵上に立地し、丘陵上の鞍部に堆積した貝層の深度は5.5mに達する。この深い貝層の上下いずれのレベルからも満遍なく有文赤色スリップ土器片が出土する。しかし剥片石器の出土はない。いっぽうマバゴッグ洞穴とガエラン貝塚では貝層から有文赤色スリップ土器片とともに剥片石器が出土する。またマバゴッグ洞穴の遺物包含層には、河岸貝塚群を構成するのと同じ貝種の貝が大量に検出されている。さらに磨製石斧の刃部再生剥片や、貝層上部から無文赤色スリップ土器片、黒色土器片も出土する。これらの遺物の出土は、先史時代における低地と丘陵部の人びとの交流を示唆している。この時期の実年代に関しては、マガピット貝塚のC14年代が得られている。貝殻をサンプルとした年代が3800BP、炭化物では2800BPである。これらはいずれも河岸貝塚の測定値のように、AMSによる測定年代ではないので、今後の再調査によって、同一の測定法による年代を得ることが急務である。実年代については今後の問題であるが、ここでは土器の一般的傾向である有文から無文への変化を根拠として、有文赤色スリップ土器群を無文赤色スリップ土器群に先行するものと考え、無文赤色スリップ土器群のC14年代である34003000BPよりも古い、紀元前2000年期前半と想定する。

第3期:無文赤色スリップ土器群の時期である(Ogawa 2002d, 2002e)C14年代では34003000BPの年代が得られている。この時期は貝塚が形成されていない。土器群は貝層下のシルト層中より出土する。マバゴッグ洞穴をのぞいて他の遺跡はいずれも河岸段丘状に立地している。磨製石斧が共伴することは有文赤色スリップ土器群と同じだが、器種のバリエーションが少ない。無文赤色スリップ土器群がシルト層から出土し、貝層が形成されていないことから、第2期にカガヤ


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fig. 29. Changing Settlement Patterns in Lal-lo Area from Second Millennium BC to the Recent


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Table 1: C14 Dating


ン川下流域のマガピット貝塚までは貝が採れていたにもかかわらず、次のこの時期になるとなぜマガピットよりも下流の諸地点で貝を採集していないのかという疑問が生ずる。現時点でこれに対する説明としては、川の流れが緩やかなものへと変化し、下流域が貝の生息に適さない湿地帯であった可能性が考えられる。これについては今後とも引き続き、古地形学、海進によるカガヤン川の水位への影響等の研究が必要である。また有文赤色スリップ土器群と無文赤色スリップ土器群との先後関係は、これまでの調査では層位的に確認されていない。ここでは有文を先行させたが、今後も層位的な違いを明確にする調査が必要である。さらに最近の遺跡分布調査によって、ラロ貝塚群の南、カガヤン川河口から5060km上流、チコ川との合流地点以北の諸地点で、無文赤色スリップ土器片が数ヶ所から採集されている。この文化層の上には貝塚は存在せず、地表までシルト層であるが、土器片が集中するのは地表面下2mと深い。今後の調査で無文赤色スリップ土器群文化相のカガヤン川上流への広がりを捉える必要がある。

第4期:第3期の無文赤色スリップ土器群の時代から千年の間隙を超え、2000年前から1500年前までが有文黒色土器群の時期である。この時期も主に河岸段丘上に貝塚が営まれる(Tanaka 1998, 1999b, Ogawa 2002b)。コルテス、ダビッド(David)貝塚では有文黒色土器群の文化層の上には無文黒色土器群の文化層が堆積しているが、ドンブリケ(Dombrique)、バガッグ(Bangag)1貝塚では、無文黒色土器群文化層へと連続して貝塚が形成されていない。サンロレンソ(San Lorenzo)貝塚ではこれまで無文黒色土器群しか出土していなかったが、近年の分布調査によって有文黒色土器片も採集されている。この時期の貝塚はいずれも規模が200500m長と巨大化し、この傾向はつぎの無文黒色土器群の時期にも引き継がれる。またこの時期には遺跡数が減少するが、無文黒色土器群の厚い貝層の下に包含されているため、今後の調査で有文黒色土器群文化相に属する貝塚が増加する可能性はある。貝塚の大規模化、そして有文・無文の両黒色土器群文化相500年間にわたる河岸段丘上居住は、カガヤン川下流域に生息する淡水産二枚貝を中心とする河川資源の集中的利用を加速させたことを示している。

第5期:無文黒色土器群のこの時期は、第4期に引き続き、河岸段丘上に巨大な貝塚を営む時期である(Ogawa 2002c)C14年代では1500年前から1000年前にあたる。この時期の貝塚の規模は、500m長、100m幅、2m以上の深度に及ぶ。これらほとんどは河岸段丘上に立地し、4期からさらにいっそうの河川資源の利用が活発化した時期である。貝塚の分布は、現在でも貝採集や漁労が営まれる集落の範囲に一致している。今日では村落内に位置しないバガッグ2貝塚は、バガッグ1貝塚の背後、標高50mの丘陵上に位置する。貝層は薄く、大規模な貝塚ではない。さらに南に位置するアグネタン(Aggunetan)貝塚は河岸段丘上に位置するが、ここでも貝層は20cmほどと薄い。貝層は薄いがこの遺跡にはシルト層中に造営された伸展葬墓群が広がっており、その副葬品として無文黒色土器群の完形品が出土する。この時期の伸展葬墓群は、カタヤワン貝塚やサンロレンソ貝塚でも検出されており、有文黒色土器群期にカトゥガン貝塚ドンブリケ遺跡から出土した甕棺墓とは埋葬様式を異にしている。

北部のカマラニウガン(Camalaniugan)貝塚では現在でも貝採集が行われているが、20cm厚の貝層が断続的にみられるのみで、コルテス貝塚やカタヤワン貝塚のような2m以上の貝層堆積はみられない。カマラニウガン貝塚の立地するデルタに人間が居住を開始したのは1500年前からである。その頃のデルタはまだ現在のように10kmにおよぶまでには発達しておらず、河口がすぐ近くに位置していた。海とデルタという新たな環境に進出した人間集団は、淡水、汽水、鹹水域にわたる、異なった環境下で幅広い資源を利用することが可能となった。そのため淡水産二枚貝の集中的利用がカマラニウガン貝塚では行われず、貝層堆積が薄い理由と考えられる。またこの貝塚がラロ貝塚群中、海に最も近い位置を占めている点は、異なる環境利用に有利であるという生業上の理由だけではなく、海へ開かれた場の機能からも考慮する必要がある。巨大貝塚を形成した貝の量は日常的消費を大きく上回るものであることをかつて問題視し、余剰分を交換財として利用していた可能性を指摘した(小川1997)。さらにこの時期の貝塚からは鉄生産の残滓であるスラッグが検出されているが、鉄のインゴットの生産・交易が行われていたことが予測される。特に2002年に発掘したコルテス貝塚のイベ遺跡は、対岸の丘が産する鉄鉱石を利用した、鉄生産址である可能性が高い。カマラニウガン貝塚の薄い貝層堆積の理由は、人口密度の低さや居住期間の短さに求めるのではなく、海を通じて他地域との交流を容易にした、貝や鉄の交易の場としての機能を想定する必要がある。

第6期:貝塚から陶磁器が出土する14世紀から18世紀にいたる時期である。いずれの貝塚も河岸段丘上に立地し、現在の集落が営まれている範囲とほぼ一致する。カガヤン川西岸のサンロレンソ村シリバン(Siliban)貝塚ではチャンパ陶磁、ゴサイン窯の青磁皿、タイ製褐釉壺片などが出土している。またアラギア(Alaguia)村からは元代の褐釉壺が表採されている。その他のほとんどの遺跡から清代の陶磁器片が採集されている。サンロレンソ貝塚の南のはずれに位置するミラフエンテ(Milafuente)地点の伸展葬墓からは、人骨に共伴して明代青磁片と鉄製刀子が出土している。この時期の貝層の厚さは、現在に到るまでの居住による貝層自然堆積の撹乱によって明確にはなっていない。しかしラロ貝塚群全体の発掘結果を総合すると、第5期の貝層よりも薄い傾向にある。その理由には、貝採集量や人口密度に大きく左右されるものと考えられるが、同時に現在のように、採集された貝が貝殻ごと交易のために採集地からもち出されていたとすれば、貝塚への貝殻の供給量は少なく、貝層も薄くなる。上で予測したように、すでに黒色土器群の時代から貝の交易が行われていたとしたら、貝を剥き身にし、干すなどの加工を経て交易財とした段階から、貝殻ごと生で貝を商品として集落外にもち出した時期への変化が想定されなくてはならない。その時期については現在のところ明確ではないが、この第6期に起こっている可能性が高い。

カガヤン川河口の町アパリは清代になってはじめて中国文献に登場する。そしてアパリ(Aparri)の街中にはしばしば清代陶磁片が散布している。またアパリの海辺の砂丘に形成されたアパリ貝塚は海産貝で形成されているが、スリップがけのない土器片とともに、1718世紀の清代陶磁を産する。アパリ貝塚はアパリの街から東へ延びる海岸線に面した砂丘に位置する。5m以上の高さをもつ砂丘の基部に貝層が形成されているにもかかわらず、その年代はわずかに数百年前である。河口の遺跡の年代が新しいのは、河口デルタが現在のような形になったのがこの数百年のことで、それ以前は現在ほどには発達していなかったことを裏付けている。中国文献でアパリに比定されている「大港」が文献に出てくるのが17世紀以降であることも、これを裏付けている。

 

 6期の時代区分をとうして遺跡分布の変化を読み取ることが可能である。1期から2期までは河岸から、あるいは河口から遠い地点に遺跡は立地する。その理由として、海進とカガヤン川の発達との関係、そしてその変化に左右される貝の生息域がその後の時代とは異なっていた可能性が考えられる。つぎの3期には遺跡はほとんどが河岸段丘に下りてくる。広い範囲に遺跡が分布し、遺跡数も増加している。その分布はつぎの4期の貝塚分布とほとんど重なっている。しかしこの時期には貝塚は形成されない。無文赤色スリップ土器群はシルト層中から出土する。他の時期とは異なり、この時期だけなぜ貝の採集が行われていなかったのか、その理由を自然条件に探るのが今後の課題である。このあと4期までの間には千年の隔絶がある。この間に先史時代の人びとの生活がどこで、どのように営まれていたのか、現在答えることはできない。4期も河岸段丘上に遺跡が分布する。今後の調査でこの期の貝塚が増加する可能性がある。この時期の貝塚から鉄のスラッグが出土しはじめ、5期までそれは続く。鉄鉱石と砂鉄を産する場所がこの地域には存在し、豊富な貝資源以外にもこの時期から鉄生産とその交易が開始された可能性が高い。5期には河岸の貝塚のほとんどから無文黒色土器群が出土する。また河岸から10km地点の丘陵に位置するマバゴッグ洞穴との関係も続いている。これは低地と丘陵地間の関係の、長い期間にわたる継続を示唆しており、ラロ貝塚群調査の目的である狩猟採集社会と農耕社会との交流史復元に大きな可能性を示唆するものである。6期になると遺跡と現在の集落とが重なり合う。スペイン支配と相前後し、貝、鉄生産、その他の地域内産物を背景として、この時期にはラロ地域は広くアジア世界と関係を広げ、現在に到る。以上の結果から、新たに多くの疑問も提示された。それらに答えるため、今後、環境利用や生業実態の復元、丘陵地域の遺跡の調査が課題であることが明らかとなった。

 

結論

 ラロ貝塚群中、有文黒色土器群を包含する3貝塚を発掘調査し、分析した結果、無文赤色スリップ土器群→有文黒色土器群→無文黒色土器群への変化を層位的に確認することができた。またそれぞれの土器群の形態的特徴を抽出し、ラロ地域の型式編年体系を確立することが可能となった。すなわちラロ貝塚群は6期に編年することが可能で、各期をその代表的な遺物によって編年序列をたどると、剥片石器群(紀元前2千年期以前)→有文赤色スリップ土器群(紀元前2千年期前半)→無文赤色スリップ土器群(34003000BP)→有文黒色土器群(20001500BP)→無文黒色土器群(15001000BP)→貿易陶磁(1418世紀)となる。さらにこの編年にしたがって遺跡群を6つの時代に区分し、その分布の変化の理由を考察した。しかし遺跡分布の変化についての解釈を深めるには、河岸と丘陵地域に分布する遺跡発掘と同時に、海進・海退の情報、古地形復元などの調査が今後の課題である。

 

 

 

謝辞: 本稿はフィリピン国立博物館考古学部門との共同で、文部省科研費補助金(平成1113年度基盤研究A(2)、課題番号: 11691012、『カガヤン河下流域の考古学調査―狩猟採集民と農耕民の相互依存関係の歴史過程の解明―』、研究代表者小川英文Archaeological Research on the Lower Cagayan River- Study on the Historical Process of Hunter-Gatherer/Farmer Interdependent Relationship. Report for the Grant-in-Aid for International Scientific Research (Field Research) The Ministry of Education, Science, Sports and Culture)、および高梨学術奨励基金(平成14年度)の助成によって実施した調査・研究成果である。末尾ながら調査にご協力いただいたみなさんに感謝の意を表したい。

 

: カガヤン川下流域に住む貝採集民の言語であるイバナグ語の標記を採用した。これまでkabibiと標記してきたが、イバナグ語標記ではKではなく、Cであることが最近判明した。

 

文献目録(References)

青柳洋治

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