フィリピン考古学

 フィリピンに遺跡があるのか?と驚かれるかもしれませんが、実はフィリピンにはたくさんの遺跡があるんです。もちろんアンコールワットやボロブドゥールのような石造建築遺跡はありません。しかし縄文や弥生時代の遺跡のような、先史時代のひとびとの生活をかいまみせる遺跡はたくさんあります。フィリピンには他の東南アジア地域のように、国家が建設され、王朝が栄え、仏教・ヒンドゥー・イスラム教の善男善女の祈りを集める石造寺院遺跡はみられません。だからといってフィリピンの島々は外の世界から切り離されていたかというと、そうではなく、フィリピン考古学の成果からは、7000以上のフィリピンの島々に世界のさまざまな地域から海を越えて盛んに交流が行われていたことが明らかにされています。海の外の世界と関係をもちながら、フィリピン諸島では多様な社会が、多様な発展の経路をたどって現在に至っています。山の中に住み狩猟採集生活をするひとびとから、マニラに住み、インターネットで常時世界とつながりをもつひとびとまで、実に多様な生活をおくる社会が存在します。これらフィリピンの諸社会は遠い昔からけっして互いに切り離されていたのではなく、交流をもちながらも、独自に発展してきました。

遺跡は地上にだけではありません。日本ではほとんど顧みられていない海底の沈没船がたくさん残っています。これは日本ではトレーニングされていない水中考古学という分野ですが、フィリピンには大航海時代のヨーロッパの船、それ以前の東南アジア各地や中国、インド、アラブなどからやってきた船が海底に残され、さかんに発掘作業が進んでいます。それらの発見は、ヨーロッパ人の到来以前にフィリピン諸島が世界と盛んに交流していた証拠となっています。

この講演では、フィリピン諸島内外の「交流」をテーマとして、考古学とあまり縁がないと思われがちなフィリピンの過去について、新たなイメージをみなさんにもっていただけるよう話を進めていきたいと思っています。


フィリピン考古学

東京外国語大学フィリピン語

小川英文  624日、2000

                                                                                                                                                    

I. フィリピン諸島内における「民族」の成り立ち

 ◎民族構成:モンゴロイドの移動、ラピタ土器の源郷とオセアニアへの拡散

 ◎ネグリト系、マレー系、中国系、ヨーロッパ系:多様な諸民族が歴史的経緯を経て現在のフィリピン人を構成

 ◎教科書記述:「すべての民族は外から海を渡ってやってきた」→フィリピン国民

 ◎「大伝統(宗教)」の到来:インド、中国、イスラム文化の影響:開かれた海洋社会

 

2.交流の考古資料

1.耳飾交易圏:ベトナム中部サフィン文化(2000年前):サフィン文化墓葬に特徴的な副葬品、軟玉・ガラス製耳飾

 2.メコンデルタ金属器文化との交流:パラワン島タボン洞穴群出土の金製品、青銅斧

3.貝斧文化圏:先島諸島とフィリピン諸島との交易:シャコ貝製の斧、蝶番部分を素材とする特異な貝斧

先島では2500BP、フィリピンでは6000BP、台湾では未発見

 4.ラグナ銅版銘文:マニラ近郊バイ湖発見の銅版銘文、サカ暦822年銘、カウィ文字による判決文記録(ポストマ1994)

   マニラ北部アンガット川沿いの町の名、裁判、軍事組織の存在

 5.陶磁交易:

   晩唐・五代(910世紀) ラウレル遺跡  バタンガス州

   北宋(1012世紀)   バランガイ遺跡 ミンダナオ、ブトゥアン市

   南宋(1213世紀)   アビオグ洞穴  パラワン島

   元〜明初(1314世紀) サンタアナ遺跡 マニラ

   明(1516世紀)    カラタガン遺跡 バタンガス州

    諸番志(13世紀)、島夷志略(14世紀)のフィリピン諸島に関する記述:麻逸、明代には呂宋の記述

        14世紀以降、ベトナム、チャンパ、タイの陶磁器も出土

 

文献目録

青柳洋治

   1992    「交易の時代(9-16世紀)のフィリピン−貿易陶磁に基づく編年的枠組−」『上智アジア学』10:144-176

ポストマ、アントン

      1994    「ラグナ銅版銘文の発見」、宮本勝他編『アジア読本フィリピン』河出書房新社

小川英文

1996a   『狩猟採集民ネグリトの考古学ー共生関係が提起する諸問題ー』、スチュアート ヘンリ()『採集狩猟民の現在』:183-222, 言叢社        

1996b   「東南アジア考古学への招待」、吉村作治編『世界考古学』:65108、有斐閣

1997    「貝塚洪水伝説フィリピン、ルソン島北部カガヤン河下流域における貝採集民の民族考古学」 『東南アジア考古学』17:119-166

1998    Problems and Hypotheses on the Prehistoric Lal-lo, Northern Luzon, Philippines - Archaeological Study on the Prehistoric Interdependence between Hunter-Gatherers and Farmers in the Tropical Rain Forest -『東南アジア考古学』18: 123-166

1999a   「東南アジアと日本の貝塚の比較」『季刊 考古学』66: 29-34

1999b   「考古学者が提示する狩猟採集社会イメージ」『民族学研究』63-2:192-

1999c   Excavation of the Mabangog Cave, San Mariano, Lal-lo, Cagayan, Philippines.『東南アジア考古学』19: 93-114

1999d   「自然と生業」上智大学アジア文化研究所編『新版 入門東南アジア研究』:23-35、めこん

1999e 「東南アジア 発掘の歴史と考古学ー古代への「あこがれ」が取り結ぶイデオロギーの磁場」、吉村作治編『東南アジアの華 アンコール・ボロブドゥール』: 75-89、平凡社

2000a   「狩猟採集民と農耕民の交流−相互関係の視角−」、小川英文編『交流の考古学』:266-295、岩崎卓也監修『シリーズ 現代の考古学』第5巻、

2000b   「総論 交流考古学の可能性-考古学の表象責任をめぐって」、小川英文編『交流の考古学』:1-20,岩崎卓也監修『シリーズ 現代の考古学』第5巻、朝倉書店

坂井隆

      1998    『「伊万里」からアジアが見える』講談社、