早大エクステンション『外国考古学入門』東南アジアの考古学 小川英文担当(東京外国語大学・フィリピン語

 

講義の概要:これまでわたしが調査してきた東南アジアの遺跡とその歴史的位置づけについてお話します。具体的には以下の内容です。

 

第1回:外国考古学調査隊経営学入門

 考古学はフィールドの学問です。書斎のなかの文献研究や調査結果の分析と、フィールドでの調査を繰り返しおこなう学問です。外国考古学はわざわざ他人の国へ出かけていっておこなわれる考古学のことを指します。外国の異文化のなかで考古学の調査・研究をおこなうにあたっては、その国のひとびとの文化遺産であることを十分に考慮する必要があります。この回は、多様な民族の文化が、長い歴史と熱帯の自然のなかで互いに影響しあって形成された東南アジア世界に対して、わたしの考古学調査の経験を中心に、考古学と考古学者との問題を考えてみたいと思います。

第2回:フィリピン考古学-狩猟採集民アグタの人々と農耕社会との、交換の考古学

 わたしはフィリピン、ルソン島北東部、カガヤン州の山中で15年間発掘と狩猟採集社会の調査を行っています。わたしの関心はこれら狩猟採集社会と低地の農耕社会との関係がどのような歴史的過程を経てきたか?そしてそのような関係の歴史は考古学的にはどのように検証可能なのか、というものです。

1時間でどれだけお話できるか分かりませんが、フィリピンの考古学とはどのような問題を抱えているか理解していただければと考えています。

第3回:ベトナム考古学-チャンパ王国と大越国の興亡と陶磁器の海上交易の考古学

 フィリピン考古学をどのように継続していけばいいのかという悩みを抱えていた頃、陶磁交易の問題をチャンパ王国、ベトナム、カンボジアの歴史とからめて考えるという課題と調査の機会が与えられました。90年代に入って5年間にわたって、現在のベトナムの北から南まで陶磁器の窯の遺跡や陶磁交易の痕跡を残す港市遺跡や墳墓などの遺跡を踏査、発掘しました。陶磁交易はヨーロッパ勢力が東南アジアに接触してきた大航海時代よりも前に、東南アジアのひとびとは、海を舞台とした活発な交易活動をおこなっていたことの証です。現在の国境は海だけでなく、陸におけるひとびとの交流を困難なものにしています。ここでは、かつての東南アジアのひとびとの活発な交流・交易をふりかえり、現在の国境がごく最近にできたものであることを示したいと思います。

第4回:カンボジア考古学-アンコール遺跡群の発掘と遺跡修復の考古学

 ベトナムの調査が終わりかける頃、理工学部建築史の中川先生からアンコール修復のための発掘に参加しないかという話があり、その後、4年間、フィリピンとカンボジアの遺跡を行き来していました。日本チームの課題は3つの建造物の修復です。この回は、アンコールの発掘を中心に、カンボジアの歴史について考えます。

 

予備知識:東南アジアの歴史の予備知識のために、いくつか本をご紹介いたしましょう。

東南アジアの過去と現在全般の入門書は、上智大学アジア文化研究所編『新版 入門東南アジア研究』1999がおすすめです。

河出書房新社の『アジア読本』シリーズ、弘文堂の『もっと知りたい』シリーズのフィリピン、ベトナム、カンボジアの各巻で基本的な予備知識を獲得してください。

歴史については、最近刊行された、中央公論社の『世界の歴史』13巻『東南アジアの伝統と発展』1998がおすすめです。

 

第1回 外国考古調査隊経営学入門

東南アジア考古学実践

 考古学はフィールドの学問である。書斎のなかの文献研究や調査結果の分析とフィールドでの調査を繰り返しおこなう学問である。外国考古学はわざわざ他人の国へ出かけていっておこなわれる考古学である。外国の異文化のなかで考古学の調査・研究をおこなうにあたっては、その国のひとびとの文化遺産であることを十分に考慮する必要がある。多様な民族の文化が、長い歴史と熱帯の自然のなかで互いに影響しあって形成された東南アジア世界に対して、筆者の考古学調査の経験を中心に、考古学と考古学者との問題を考えたい。

 

I.東南アジア考古学をはじめるにあたっての心構え

考古学と東南アジア

 わたしは東南アジアの中でもフィリピンの考古学の研究を専門としている。フィリピンの考古学をやっているというと、多くのひとが、フィリピンに遺跡があるのか、という素朴な疑問を投げかけられることがしばしばある。ふつう東南アジアで「遺跡」というと、インドネシアのボロブドゥールやカンボジアのアンコールワットを想い描くひとが大半であろう。しかし日本にもボロブドゥールのような石造建築物の遺跡はないが、縄文や弥生時代の竪穴式住居で構成されている集落遺跡のような「遺跡」がたくさんあることも多くのひとが知っている。過去のひとびとが狩猟や漁撈、水田や畑での農耕、山での山菜や海での貝・海草の採集で日々の生計を営んだ痕跡、日々の暮らしをおびやかし、人間の手には負えない自然に対する祈りの痕跡なども、日本では「遺跡」として認識されている。人間の行動の痕跡として現代に残されたものが遺跡なのである。日本国内ではこのような遺跡に対する認識が一般的であるにもかかわらず、外国の遺跡となると、すぐに世界の古代文明を代表する大遺跡を想像してしまう。フィリピンにもかつて長い間にわたって人間の生活の痕跡が残されているはずだから、日本と同様に縄文や弥生的な「遺跡」があっても当然なのである。

 このように説明しても、ほとんどのひとはとまどったようすをみせ、本当にフィリピンに遺跡はあるのだろうかという怪訝そうな顔でまだ疑っている。日本では理解できていることを、外国でも同じ状況であるとはなかなか想像できないのも無理はないだろう。その理由として、考古学の分野にかぎらず、われわれ日本人の多くが東南アジアについての情報をわずかしか持っていないことがあげられる。われわれが東南アジアについて持っている、あるいは供給される情報は、欧米の情報に比べて非常に限られたものであり、われわれが受け取る前に、メディアの側であらかじめ選択されたものであることを十分認識する必要がある。そうでないと東南アジアに対するいわれなきイメージが先行して、とんでもない誤解を抱くことになる。こうした点でフィリピンはとても損をしていると思う。ニュースから伝わってくるフィリピンの出来事は、殺人や銃の氾濫など犯罪の横行そして経済的混迷である。フィリピンの、それも首都マニラから600kmも離れた田舎の農村や山中がわたしの調査地(フィールド)である。これを聞いたほとんどのひとが「危なくないですか」と聞き返す。日本人にはフィリピンは「危ない」ところとしてのイメージが定着しているようだ。これはフィリピンに対してとても不当な偏見である。そしてわれわれはその国のひとたちにとって不当な偏見を、フィリピンのみならず東南アジアの国々全体に抱いていないだろうか。この点で日本と東南アジアのひとびとの関係はあまり幸福なものであるとは言えないのが現状である。

 読者は不思議に思われるかもしれない。考古学の話なのになぜ現代の話をしているのかと。たしかに考古学は過去のことについての学問である。しかし考古学者が現代に生きる人間であり、その考古学者の眼をとおして過去は復原され、語られる以上、考古学者をとりまく現代の状況を抜きにしては、彼が再構成する「過去」も存在しないのである。このように考古学は現代人である考古学者が置かれている状況に左右されていると言えるかもしれない。考古学者のAさんは今、大学での会議や委員会の仕事に追われていて、なかなか研究に時間が割けない。現代人の忙しさにはほとほと嫌気が差している。やすらぎを見いだせるのは、なんとかひねり出した時間に行なう研究である。そこで彼が描く過去のひとびとは、おおらかで時間に縛られることがなく、自然と調和のとれた世界に生きる古代人像である。考古学者はこのように現代をとおして過去を見ているのである。東南アジアの考古学を研究している私は、東南アジアの現状と日本での私をとりまく現状という2つの状況に影響されながら東南アジアの過去をみていることになる。私が現状に影響を受けることは、東南アジアの過去を研究するうえで良しにつけ悪しきにつけ、一種の制約と考えることができる。  

 東南アジアの考古学自体にもさまざまな制約がある。考古学的には調査例が少ないという問題がある。しかしそれ以前に日本では東南アジアについての情報があまり入ってこないという制約がある。東南アジアについての「普通」の情報も入りにくい状況では、読者が東南アジア考古学について知りたいと熱望しても、たやすく必要な情報を入手できるわけではない。さらに日本人の多くが東南アジアは「危ない」に代表される偏見をもっている。東南アジアからの限られた情報と日本からの偏見で、日本人の東南アジア観はますますゆがんだ形になっている。そのうえ、忘れてはならないのが、東南アジアと日本の関係には、戦争という不幸な傷跡がなまなまと残っており、フィリピン人の心の奥底でいまなお記憶されつづけていることである。考古学の話をする前にこのような現代の日本と東南アジアの関係ついて述べておかなくてはならないのは、わたしたちをとりまいている状況が過去を考える考古学にも大きな影響を及ぼすからである。これを「制約」という言葉で表現すると足枷のようにきこえてしまう。しかし過去について考え、過去のひとびとの生活から生き方の知恵を学び、われわれの未来への指針とするという意味において、考古学は現代の問題を解決する糸口を過去のひとびとの生き方に求める学問であると考えることもできる。その意味において考古学は現代に「制約」されているのである。

 

フィールドとしての外国

 これまで述べたことがらは、東南アジア考古学を学ぶ前段階での確認事項である。ここでは調査地またの名をフィールドにおける「日本人」考古学者としての心構えを確認しておきたい。

 考古学には発掘調査をメインとするフィールド・ワークが必須要件である。外国をフィールドとする以上、その国の考古学者や調査地のひとびととの円満な関係が要求される。その国のひとびとと良い関係を築くことができなければ、わざわざ日本から出かけていって、考古学を研究する意味がない。現在の世界における日本の立場や責任を考えれば、フィールド調査も一種の協力や援助であるという認識をもって行わなければならない。外国で調査・研究を行って、その国に何らかの貢献ができなければ、ただの自己満足か自己利益のための学問であって、その国のひとびとの文化を奪ったことにしかならない。フィールドである外国からの文化的収奪となる調査など、はじめからやらないほうがいい。まして戦争で日本が多大な損害をあたえた東南アジアから、学問といういっけん平和的な仮面をかぶった手段で現代のわれわれがもう一度、東南アジアから文化を奪うことになってしまうとしたら、これはもう学問以前の問題である。しかしこのようなことを意図的に悪意をもっておこなうひとは誰もいない。むしろ文化的収奪は無意識のうちに、善意のなかでおこなわれていることが問題なのである。誰もが善意のうちに行われている共同調査がほんとうにその国のためになっているだろうか?現在、学問の名を借りて行っている調査・研究は、将来その国になにかを残せるのだろうか?これから外国考古学をめざそうとする読者よりもやや長く東南アジアで調査をおこなってきたわたしは、今でもこのようなことをつねに自問している。つまり自分の好奇心ないしは学問的関心と、関心の対象である文化を現実に担っているひとびととの間で右往左往しているのである。

 東南アジアで考古学を研究するということは、文化の価値観が異なるひとびとのなかで、その理解を得ながら仕事をするということである。ではどのような方法をとればいいのか。わたしもすぐには答えが出せないでいる。しかしこの問題の解決への道筋として、学問は自由におこなわれなくてはならないという前提があると思う。個人の自由な学問的意図は尊重されなければならない。つまり研究者はそれぞれ自分の学問を大切にしなくてはならない。自分の学問が大切である以上、他人の学問も大切であるという認識が必要であると考える。外国考古調査においては、東南アジアの研究者の学問への熱意をわれわれが理解し、対等な立場で共同研究が行えるにはどのような調査形態が望ましいか、わたしはいまでも模索中である。私の学問的関心とその国の研究者の学問的関心をどのように融合させればいいのか、のちに述べるように考古学は一人ではできないという制約がある。その国の研究者やひとびとの助けが必要である。この問題の解答は、東南アジアで共同作業を継続する中でしか得られないような気がしている。

 東南アジアでの考古学調査の問題をさらに複雑にしているのは、日本との経済格差である。誇り高き東南アジアのひとびとに対して、にわかに金満国となり調査経費が捻出できるわれわれが、調査を指導するといった態度でのぞめば、反発をうけることはまちがいない。フィールドが異文化であること、そして日本と東南アジアの関係にはこれまでの歴史的経緯や現状に数多くの問題があることを十分認識しながら、「対等」な立場での共同調査・研究を模索する必要がある。

 以上長々と述べた諸点をまず読者が確認し、心の準備をしたうえで東南アジアの考古学について、これからの話を進めたい。話の流れは大まかに、東南アジアでこれまで私が経験した考古学調査である。

 

II. 東南アジア考古学技術編:調査経営論から見た外国考古学

文献研究

 まず外国考古学の調査・研究がどのように企画され、実行に移され、研究されているか、論文には絶対に出てこない、企業秘密の部分を読者に紹介してみよう。そして外国考古学の研究者の研究全般についての実際の仕事の流れを描いてみよう。古代文明の発掘という外国考古の桧舞台を夢見ている読者には苦言を呈するようなものだが、以下で述べる水面下にかくれた部分をこなさなくては外国考古の第一歩も踏み出せないのである。そこであえて外国考古のはじまりから、「仕事」の流れを読者に披露したい。

 考古学者は特定の地域と時代を専門として調査・研究を行っているが、その前にまず考古学的問題の設定が必要である。つまりなぜここからはこんなものがでてくるのだろうとか、数千年前のフィリピンのひとたちはどんなくらしかたをしていたのだろうといった疑問を抱くことそして興味をもつことがまず最初にありきである。

 つぎにこの疑問はどのように解消していけばよいかである。日本国内では図書館でまず調べていく。これを文献調査という。国内にない場合は海外の図書館に問い合わせてコピーを送ってもらう。しかし一口に文献調査と言っても、調べるには自分が知りたいと思うことに対する熱意が必要である。しかも苦労して入手した本や論文も、その多くは外国語で書かれている。英語ならまだいいが東南アジア諸国の言語で書かれた論文も数多く出版されているため、インドネシア語、マレー語、ベトナム語、タイ語、ビルマ語、カンボジア後、ラオス語のうち、読者が興味をもつ国や地域の文献が読めなくてはならない。そのうえ東南アジアの国々が独立を果たす前の、旧植民地宗主国の言語であるフランス語(ベトナム、ラオス、カンボジア)やオランダ語(インドネシア)でも独立前の研究書が書かれている。東南アジア考古学の基礎的研究は19世紀末ごろから、旧宗主国の研究者によってはじめられているからである。

 最近はインターネットなどでどこの図書館にどのような本があるか文献検索ができるようになっている。しかしまだ論文や本の内容自体をネットワーク上で自分のパソコンに取り込めるようにはなっていない。図書館をつきとめてコピーを取りに行かなければならない。言語の問題は疑問を解きあかそうという熱意さえあればそれほど困難な障害とはならない。むしろ障害となるのは簡単な疑問をすぐに解説してくれる一般書や入門書がほとんどないことである。残念ながら現在のところ、日本語で書かれた東南アジア考古学全般についての入門書はない。英語では3冊でている(Bellwood 1978,  1984, Higham 1986)。入門書ではないが、参考となる日本語の出版物に、世界考古学事典(平凡社1979)がある。本編の事典と遺跡地図の2分冊になっている。ベトナムについては便利な本がでている(菊池1986)。またアンコール遺跡やボロブドゥール遺跡については、考古学よりも建築史・美術史についての本が数多く日本語で出版されている。日本の東南アジア考古学会では『東南アジア考古学』を年一回発行しており、専門的な内容の研究論文が掲載されている。しかし現在の出版状況では、東南アジア考古学についての十分な情報が得られないので、幅広く外国語の論文を研究雑誌などからさがしてきて読む必要がある。

 

調査のプロデュース

 文献研究の過程で読者の関心は、徐々に東南アジアの特定の地域と時代の考古学へと移行するだろう。つまり考古学的な問題設定が明確になってくる。しかし特定の地域と時代における自分の関心を満たしてくれるような出版物は、東南アジア考古学の現状ではほとんど見つからないだろう。その理由は調査・研究の絶対数が少ないからである。そこでみずからが調査におもむく必要性が生じることになる。

 学生のころならひとりで調査地を踏査したり、調査機関である現地の大学や博物館で出土遺物を見せてもらうといったことから東南アジアとの関係がはじまる。そしてその資料を使ってはじめて論文を書き、さらに何度か調査地をおとずれ、現地の考古学者と意見交換といったかたちで交流をもつようになる。ついには現地に数年間留学して、言葉を習得しながらさらに資料収集をおこない、小規模の発掘調査をひとりでおこなえるようになる。私は実際このような経過をたどり、フィリピンのルソン島北部で調査三昧の3年間を過ごした。われわれの一世代前よりはずっと現地へ行きやすくなった最近では、このようなパターンで東南アジア考古学を研究するひとがみられるようになった。

 しかし個人レベルでおこなえる考古学調査にはおのずから限界があり、発掘を中心とする考古学調査をおこなうにはさまざまな学問分野の専門家によって構成される調査隊を編成しなければならない。考古学は過去における人間のあらゆる側面についての総合的学問であり、単に現在まで土中の中で腐らずに残った土器や石器などの遺物だけを研究する学問ではない。土器や石器、金属器などの人工遺物のほかに、人間とそれを取り巻く環境の関係を考えるため、現在の人間集団をあつかう民族学・文化人類学、土中から出土する植物の種子や動物の骨、墓地遺跡からは人骨、さらに火山灰や花粉など、生物学から形質人類学や地質学といった自然科学の専門家の助けを借りながら、これらの成果を統合していく役目と責任を考古学者は負っている。このように考古学は学際的で、総合的な性質をもった学問ということができる。関連諸科学の専門家が参加できる考古学調査をおこなうためには、専門家ひとりひとりの学問的関心が、過去におけるひとつの問題に集約されなくてはならない。これが可能になったとき、そして調査対象国の研究者が参加して調査と成果を共有できるとき、ひとつの考古学調査団ができあがる。

 

調査経営

 しかし実際に調査地に出かけていって調査をおこなうには資金的裏付け、調査経費が必要である。さらに調査の目的と意義を相手国に理解してもらって調査許可を得なくてはならない。発掘調査をおこなうには、調査用機材費や調査地までの旅費、滞在費、人件費、そして発掘終了後の出土遺物の整理や科学的分析などに多大の経費がかかる。日本で考古学研究に助成してくれる機関・財団は、文部省科学研究費と限られた数の財団法人である。調査経費の捻出の第一歩は、研究助成の申請をおこなうことから始まる。しかし元来、考古学研究への助成機関・財団が少ないため、調査経費の調達にはかなりの困難ががある。それでもこのような障害は、調査実行へ向けてまず越えなくてはならない関門である。資金調達がなんとか可能になっても、相手国の調査許可が取れなければ実行には移せない。調査許可を出す機関は国によって異なるが、おおむね日本の文部省にあたる機関がおこなっている。調査許可申請については国によって事情が異なっているだろうから、事前に十分調べておく必要がある。相手国の共同研究者の助言に従うことが最善の方法と思われる。調査経費と調査許可を得ることは調査をプロデュースし、実行に移すために最も重要な仕事である。

 日本の考古学界では、海外をフィールドとする研究者を外国考古、国内の場合を日本考古というふうに色分けをしている。現在、日本にはプロフェッショナルとして考古学で生計を立てているひとが、多く見積もって約5000人いると言われている。アメリカでは500人、オーストラリア200人、東南アジア全体では300人くらいである。それに比べると日本人の考古学者がどれほど多いかがわかる。しかしその反面、外国考古を専門にする日本の考古学者はとても少なく、50人くらいしかいない。どうしてこんなにアンバランスになってしまったのか。その理由には、外国の考古学に興味を持っても、わざわざ外国まで行くのは大変だからとか、外国人と仕事しなくてはならないので、まず言葉の問題をかたづけなくては等々、いろいろな理由が考えられるが、最も重要なのは調査をどのようにプロデュースするかである。日本からわざわざ外国へ出かけていって地面を掘るわけなので、お金もかかるし、人手もかかる。また自分の国ではないので、相手国の関係諸機関からさまざまな許可を取らなくてはならない。外国考古学は誰もお膳立てしてくれないので、自らプロデュースしないことには始まらない。すでに述べたように相手国側との共同調査体制ができあがっても、現場で調査する際にはさらに市・町・村の各レベルでに協力や許可を取りつけなくてならない。現場で調査が始まってからも不測の事態が発生する。調査体制づくりから現場での近所づきあいまで、大きなものから小さなものまで、さまざまな問題に対処しなくてはならない。多大な労力と時間を費やしてマネージメントをこなし、なにごともなく調査を終了してはじめて、調査の成果らしきものが日の目を見ることになる。しかもどんなに調査経営で苦労しても、その部分は報告書や論文のどこにも書かれてはいない。研究成果は氷山の一角であって、その下には表面に現れている何倍もの調査経営上の苦労が沈んでいるのである。

 

成果の分析・刊行そしてふたたび調査へ

 考古学の現場でしばしば、あんまり掘るなという言葉が交わされることがある。発掘をすれば必ず遺物が出てくる。遺物が出てこなと困るのだが、あまり出てくても困りものである。異なったタイプの土器が出てくるならいいが、同じタイプのものが多量に出土しても、その整理・分析に多くの時間がさかれることになる。しかしいったん遺物を出してしまえば、整理・分析・作図し、記述してさらに刊行しなくてはならない。さらにその後永久に保管することを考えなくてはならない。単に広く深く発掘して多くの遺物を出しても、それを処理しきれるだけの体制がなくては、遺物を眠らせるだけに終わってしまう。遺跡や遺物をしてその時代を縦横に語らしめるためには、最小努力の最大効果をねらわなくてはならない。

 設定された問題解決のためにはどのような遺物を掘り出す必要があるか、われわれは発掘がはじまる前にあらかじめ、その種類と分析方法について検討する。そしてそれぞれの遺物分析の専門家を調査隊のなかに組み込んでおく。遺物には土器や石器、金属器などの人工遺物の他に、人骨・動物骨や植物の種子、その他遺跡が営まれていた時代の自然環境や、当時のひとびとがどのような活動をしていたかを教えてくれるさまざまな遺物(自然遺物)がたくさんある。過去を語ってくれるこれらの遺物を検出できるよう、事前に発掘する遺跡を選定し、発掘面積を決める。しかしいったん出土した遺物の分析には多大な時間と予算が必要である。

 人工遺物には土器・石器・金属器などがある。種類によって整理・分析のしかたも異なるが、どれにも共通する仕事は、これらを作図(実測)して、トレース(墨入れ)して、印刷用に図版の版下を作る作業が必要である。上に述べたように異なったタイプの土器のかけらがたくさん出土すれば、同時代の土器の形のバリエーション(器種)を知ることができたり、異なった時代の土器の形の変遷をたどることができる。これらの土器を図にするのは時間がかかってたいへんだが、土器の形(器形)に変化があってまだ楽しい。しかし同じ時代の同じ様な器形・器種が大量に出ると、実測するのもうんざりしてくるものである。自然遺物の場合は、考古学者の他に自然科学の専門家の力を借りなければならないので、分析には時間も費用もかかるのを覚悟しなくてはならない。

 遺物の整理・分析はどんなに大変でも、あらかじめ設定された問題の解決には絶対に必要な作業である。この作業なくしては疑問を晴らすことはできない。この作業には通常、発掘期間の2倍から3倍の時間がかかるといわれている。それ故、遺物の整理・分析には十分な時間と体制、そして資金の裏付けが必要である。

 調査後の整理・分析の過程で、遺物と遺構を総合的に解釈しながら、徐々に問題の輪郭が鮮明になってくる。問題は解決することもあるが、明らかとなった部分から同時に新たな問題が浮き彫りにされてくるのが常である。こうして次の調査が企画され、もう一度、遺跡へ立ち返ることになる。このように学問的関心と問題点は、行っては戻る、一つながりのループになっている。あるいは問題解決の方向をめざすらせん状のループと言えるだろう。考古学調査はひとりではできない。

 あと一つ重要なことを申し上げたい。今まで読んできて気づかれたと思うが、考古学の調査はひとりではできない。研究計画に至るまでの文献研究、遺跡を探す時の踏査、調査後の研究総括そして研究論文の執筆などは基本的にひとりで行なうものであるが、発掘調査となると、発掘以前に行なう測量などからして、ひとりではできない。発掘、遺物洗い、遺物の整理・分析まで、調査のメインとなる部分の大半が共同作業である。この原則は外国であろうが、日本であろうが変わりはない。

 共同でひとつの仕事を限られた時間と予算でやり遂げるには、お互いが120%の力を出し合って、調査を進める必要がある。調査隊員がお互いに他を理解し、いたわりながら調査を行わなければ、つらい作業を続けられるものではない。ましてや良い成果が生まれる道理がない。隊員はひとりひとりが調査隊や調査の進行の中でどのような位置にいるのかを見極め、全体の中で有機的に仕事をしていく必要がある。特に外国調査では、発掘という仕事時間だけではなく、一日中、他の隊員と生活を共にしなくてはならないので、常に自分の行動が全体にとってどのような影響を与えるかを考えることができる想像力を必要としている。楽しい調査、良い成果が残せる調査か否かは、実にこのような研究とは異なった次元で決まると言っても過言ではない。このため調査事務局は、隊員の人選に非常に慎重である。読者は驚くかもしれないが、隊員の選考の基準は、研究業績や技術的能力ではなく、性格や資質である。はたして調査隊や現地のひとたちのことを、考えて行動できるひとであるかどうか、全体の中での自分の位置や役割を客観的に判断できる想像力をもっているかどうかである。

 仲間を大切にしろとこれまで諸先輩に言われてきた。特に後輩は一人前となるよう、調査地以外でも報告書や論文の書き方、奨学金の取り方などなど、よく面倒をみるように言われてきた。これもやはり考古学はひとりではできないからで、後輩の面倒をみ、一人前となってくれたら、将来、自分の力となってくれる。調査に参加して力を発揮してくれる。そしてなによりも気の置けない仲間との調査は楽しいものとなるからである。

 限られた時間と予算の中で、調査隊の人間関係で消耗するのは残念なことである。個人の資質や性格を問題にされてもと思うかもしれないが、調査を成功に導く要素として、人間関係は実に重要なのである。

 これから外国考古学を志そうとする読者の出鼻を挫くような、さまざまな試練について先に述べてしまったようだ。一つの試練を乗り切ると次にまた別の試練が用意されているような紹介の仕方になってしまった。こんなことならおいしいところだけ本やテレビで楽しもうと考えているなら、それも外国考古学の楽しみ方の一つである。大いにお勧めしたい。しかしそれでも私は外国考古学をめざすというひとには、さらにその先には外国考古学者としての「職」がないという新たな試練が用意されている。しかしこれは学問に対する姿勢の問題である。自分の疑問を追求していこうとする時、社会的に「考古学者」として認知されている大学教員や博物館員といった肩書きと給料が重要と考えるのか、それとも純粋に学問を志すのか。現実に限れた職しか用意されていないなら、むしろ学問と自分の純粋な関係を築くことが重要になってくる。「考古学では食べれない」という試練も、学問と自分の関係を正しく築くことによって乗り越えが可能であると考える。一度の人生を外国考古学で試そう、楽しもうという読者諸氏の学問的熱意に敬意を表し、仲間として手をさしのべ、そしてその努力に期待するところである。

早大エクステンション『外国考古学入門』小川担当