1985年〜88年までのラロ貝塚群調査経緯と成果概要

I. 経団連石坂記念財団海外派遣助成(19851987年度)

   研究課題:「フィリピン、ルソン島カガヤン河下流域の考古学的総合調査」

   研究者氏名:小川英文

II. 三菱財団在外研究助成(1985年度)          

   研究課題:「フィリピン、ルソン島カガヤン河下流域の考古学的総合調査」

   研究者氏名:小川英文

III. 高梨学術奨励基金研究助成(1985年度)                                          

   研究課題:「フィリピン、ルソン島カガヤン河下流域の考古学的総合調査」

   研究者氏名:小川英文 

 研究経過とその成果:同一の研究課題に対して以上3件の研究助成を受けた。本研究課題の最初の研究段階として、以下の調査・研究を3年間にわたって実施し、以下の成果を得た。

1. カガヤン河下流域50kmにわたる貝塚遺跡の分布調査を行い、河岸段丘上、石灰岩台地上、沖積平野、海岸砂丘という異なった立地条件をもつ貝塚遺跡18カ所を発見した。遺跡規模の測量結果からこれらの貝塚群には立地条件と年を異にする大小の貝塚が形成されておりその中で最大のものは東南アジア有数の規模をもつ貝塚遺跡であることを明かにした。

2. 分布調査によって採集された遺物の整理・分析、遺物の編年研究と報告書の作成を行った。その成果として沖積平野は無土器、石灰岩台地上は赤色土器、河岸段丘上は黒色土器、海岸砂丘は17世紀以降の中国陶磁器を出土する遺跡営まれ、これら遺跡の立地条件の違いは、遺跡形成年代の違いを反映することを明らにした。

3. 調査地域在住の貝採集民の生業技術や活動内容に関する民族考古学的調査・研究を実施し、現在の貝採集活動の実態から先史時代の生業戦略を説明するためのモデル構築を行った。

4. 現生貝種・魚種の標本作製とその生息域、回遊魚の季節性、水質、塩分濃度などの基礎資料を収集し、先史時代の貝塚資料との比較資料を作成した。

5. 河岸石灰岩丘陵上貝塚遺跡の発掘調査を実施し、赤色有文土器群の器種構成、共伴するその他の人工・自然遺物の構成を明らかにした。さらにこの遺跡の年代が紀元前1,000年紀初頭であり、この土器文化が台湾、オセアニア地域の当該機の諸先史文化と関連をもつことを明らかにした。

6. 河岸段丘上貝塚遺跡2地点の発掘調査を行い、これらが赤色土器文化の後、紀元後1,000年前後の黒色土器文化として位置づけられることを明らかにした。さらに貝層形成過程解明のため日本で開発された発掘方法を用い、一時に大量の貝が採集され、消費されたことを明らかにした。

 

1995年〜97年調査の経緯と成果概要

IV. 文部省科学研究費補助金(国際学術研究19951997年度)

  研究課題:「ラロ貝塚群の発掘ー東南アジア島嶼部先史時代の考古学的調査ー」

  研究者氏名:小川英文、青柳洋治、小池裕子、ウイルフレド・ロンキリオ、ユセビオ・ディソン、樋泉岳二

 研究経過とその成果:3年間の研究期間に以下の学際的調査団編成による調査・研究を行い、以下の成果を得た。

1. 関連科学分野の専門家を招いて生物・地質・花粉・先史人類学・形質人類学班を編成し、出土遺物の分析結果を総合

的に解釈し、熱帯雨林形成史・古環境復元、生業活動の戦略変化、古食餌復元が可能となった。

2. 未調査地域について遺跡分布調査を行い、新たに3カ所の伸展葬墓地遺跡、3カ所の沖積平野内貝塚、1カ所の洞穴遺

跡を発見し、それぞれ発掘調査を実施した。また出土遺物による編年体系の精緻化、先史時代貝採集民の生業戦略解明

のため、貝塚遺跡の発掘を継続した。

3. これら発掘調査の結果遺物による相対編年がより精緻なものとなり、赤色土器I類→赤色土器II類→黒色土器I類→黒

色土器II類→14世紀以降中国陶磁器に分類できることを明らかにした。また埋葬人骨には黒色土器II類と中国陶磁器を

副葬品とする2時期にわたることが明らかとなった。

4. 河岸段丘上貝塚下層のシルト層中には赤色土器II類の文化層が確認された。同文化層中からは10km離れた丘陵地帯

洞穴遺跡から出土する剥片石器が少量出土した。同時に洞穴遺跡からは剥片石器群の中から少量の赤色土器II類が出土

した。このことから低地農耕民と山地狩猟採集民との交流をあとづけることが考古学的に可能となった。

5. 貝採集民の民族考古学的調査を継続し、先史時代における貝採集・漁撈の生業戦略のモデル化、貝採集量の推定と産

業的・商業的貝採集活動と食料としての貝の交易の存在を予測することが可能となった。

 

1999年〜2001年調査経緯概要

本研究はすでに上記の研究を立案した当初から着想していた。しかしこの研究課題遂行のためには、考古学とその関連分野による調査と資料の蓄積が必要である。上に述べたように過去10年間にわたるフィリピン、カガヤン河下流域の調査・研究により、3,000年前から現在に至る時・空間軸を考古遺物による相対的編年体系を介して理解することが可能となった。また考古学関連分野の専門家を結集した調査体制も整い、各分野の分析結果を総合的に体系化することが可能となった。このように現在、学際的・総合的研究体制と考古学的編年体系、古環境復元と生業戦略モデルなどの基礎資料が整い、ようやく山地と低地それぞれを生業のベースとしていた狩猟採集民と農耕民との間の相互依存関係を、各時代ごとに解明できる段階に至った。本研究では今後さらに多くの遺跡調査によって各時代の遺跡資料を蓄積し、調査地域内狩猟採集民の民族考古学調査によって、狩猟採集民と農耕民の相互依存関係モデルの構築と考古資料による検証作業を継続していくものである。