不定形剥片石器考

 

1. はじめに

  東南アジア島嶼部のフレーク・インダストリーの最近の調査研究にともない、フィリピンでも国立博物館を中心として各地で調査プロジェクトが進行している。このプロジェクトの一環として調査された、フィリピン・ルソン島北部、カガヤン州のペニアブランカ(Penablanca)の石灰岩台地に散在する洞穴群の中の1つ、ラトゥ・ラトゥ洞穴出土の石器群を、198278月、198389月の計4ヶ月間にわたって、国立博物館の御好意により分析する機会を与えられたので、以下その結果を報告するものである。

     

2. ペニアブランカ・プロジェクト(図12

フォン・ケーニヒスワルトがカガヤン渓谷のカバルワン礫器文化を提唱して以来(Koenigswalt 1985)、フィリピン国立博物館では1970年代の初めから、渓谷の中央及び西側の丘陵地帯で、古生人類の痕跡を求めて調査が行われるようになった。このプロジェクトにより68ヶ所のオープンサイトが発見され、発掘資料と表採資料との比較研究が行われている(Fox and Peralta 1974)

カガヤン川東側のペニアブランカ一帯に広がるカラオ石灰岩大地(Callao Limestone formation)の考古学的調査は1976年から始まった。分布調査によって現在までに78の洞穴、43の岩陰遺跡と20のオープンサイトが発見されている。これらの中で発掘調査が行われたのは9つの洞穴、1ヶ所のオープンサイトである。出土遺跡は礫器、剥片石器、土器、中国・ベトナム・タイの陶磁器、青銅、鉄製の金属器、ガラスビーズ、硬玉製?状耳飾、人骨、動物骨、貝殻等、多岐にわたっている。これらの調査について、すでに概報が出されているが、5つの洞穴についてはより詳細な研究報告が出されている。

     

3. ペニアブランカの自然環境

  カガヤン川は3方を囲む山々から流れ出る水を集めて北流し、アパリで南シナ海にそそぐ。この川が形成する細長い盆地は南北250km、東西50kmに及ぶ。ペニアブランカはカガヤン川とその東側に南北に連なるシエラ・マドレ山脈との間に位置する。マニラから北東500km、カガヤン州の州都トゥゲガラオから東へ10kmのところにある。この地方の気候には明確な雨季と乾季の区別はないが、10月から11月にかけて最も雨が多く、4月から5月にかけて最も乾燥している。年平均気温27.7℃(124.5℃、530.5℃)、年間降雨量2,500mmである。台風シーズンは日本と同じく7月から10月にかけてである。ここを流れるピナカナワン川はシエラ・マドレ山脈に源を発し、西流してカガヤン川に合流する。ペニアブランカ付近でこの川は沖積地を形成している(Wasson and Cochrane 1979)

  ペニアブランカはスペイン語で「白い岩」を意味し、その名のとうり南北に横たわる石灰岩台地はところどころで白い岩肌を見せている。この石灰岩の台地はシエラ・マドレ山脈にそってカガヤン州南部からイザベラ州北部に及んでいる。ピナカナワン川はペニアブランカでこの石灰岩台地を南北を2分するかたちでながれている。

  この石灰岩台地の植生はほとんどが2次林である。洞穴中にはコウモリが多数生息している。またここに棲む鹿・猪は猟師の格好の獲物であるが、数は少なくなってきている。爬虫類も多く、カガヤン特有の大トカゲはしばしば食用にされている。ピナカナワン川にはハゼ・フナのなかまやテラピア・川エビ等が棲み、投網による漁がさかんである。浅瀬ではタニシを集めて食用にしている。

     

4. ラトゥ・ラトゥ洞穴の発掘

  ラトゥ・ラトゥ洞穴はピナカナワン川によって石灰岩が分断された崖面に開口部を持ち、海抜75m、海面比高35mのところに位置する。開口部から外はすぐに急傾斜をなして川へと落ち込んでいる。この斜面には樹木が繁茂し、対岸からは開口部を窺えない。この洞穴までは、切り立つ石灰岩の岩肌をたよりに急斜面を横切ってようやく達することができる。西側の開口部はテラス状になっているが、すぐに高さ4mの壁に遮られている。この壁の上面に別の室があるが、ここへは南側の開口部から入ることができる。そこからさらに奥に3つの室があるが、いずれも暗闇に閉

ざされている。

  本洞穴の発掘調査は、19789月から約1年間にわたり、フィリピン国立博物館とアテネオ・デ・マニラ大学が行った(Barbosa 1979, Dalupan 1981)。発掘は2X2mのグリッドで、6ヶ所行われ、総面積15u、深さは40cmから15mである。発掘方法は10cmごとに掘り下げ、全点ドット方式で遺物を記録している(図3)。出土遺跡は土器片、石器群を中心とし、その他ガラスビーズや金属器片が少量出土している(表1)。動物骨、貝類は破片化しており、個体数の推定は行われていない。動物骨の同定によって、鹿、猪、猿、コウモリ、野ねずみ、魚、爬虫類などが確認されている。貝類では26種陸棲のカタツムリ、淡水産の小型巻貝が2種、海産の2枚貝が2種確認されている。上層部で多く出土している植物種子は比較資料が少ないため、種の同定が困難だが、果樹の種子である可能性が大きい。

  遺構としては炉址がD室(SQ108)で検出されている。小礫と動物骨片、貝片が焼土・灰とともに検出された。土層層序は色調・粒土によって分層されているが、グリッド間の層序の対応は困難であった。そこで、遺物の出土状況から、土器を主体とする層を第2文化層、その下の土器を主体とする層を第1文化層としている。これらの文化層の年代については、第1文化層が10000BP6000BP、第2文化層が後期金属期時代(200BC1000AD)と想定されている。C14年代は現在のところ得られていない。

     

5. 石器群の分析

  ラトゥ・ラトゥ洞穴で石器群が1番多く出土しているのはスクウェアー3デアル(表2)。?器(cobble tool)、石核、石皿、磨石、ハンマーストーン等の石器は未だ十分な分析を行っていないが、出土数は非常に少ない。石器群の主体を構成するのは剥片、剥片石器、チップである。今回はこれら石器群の中で、スクウェアー3の剥片石器について、技術的、機能的分析を行った。(図4

 

  1)分析方法

  ラトゥ・ラトゥ洞穴出土の剥片石器群も、東南アジア島嶼部の剥片石器群に特有の不定形性を持っており、特定の技術によって特定の形態に作り上げていくといった、技術的特徴を持っていない。こうした理由から「石器」を抽出する基準が自ずと異なったものになってくる。

  剥片石器を抽出する基準は、まず刃部と想定される個所にダメージとして、マイクロフレーキングが残されていること、そして手に保持した際に、仮想刃部が使用に適しているかどうかという点について検討を行い、多くの剥片の中から「石器」を抽出した。こうして抽出した剥片石器は、その長さ、幅、厚さ、重さ、打角、刃角等の属性を計測した(図6)。長・幅・厚は最大値を計測した。打角、刃角の計測にはゴニオメーター を使用した。

  刃形については、ダメージの及ぶ範囲をもとにして、直刃(straight)、凸刃(convex)、凹刃(concave)、直/凸刃(straight/convex)、直/凹刃(straight/concave)、尖刃(pointed)の各形態に分類した。

  刃部に見られるダメージ(マイクロフレーキング)をその度合いによって、小、中、大(slight,moderateheavy)3段階に分けて評価した。ダメージの観察には、30倍の顕微鏡を用いた。

  打面の有無、剥離の状態について、また、2次加工の有無とその特徴について、それぞれ観察を行った。

 

  2)分析結果

  総数652点の剥片の中から、チャート製剥片石器116点、安山岩製剥片石器69点が抽出された。チャート製剥片石器の総刃部数は1471点の剥片上に複数の刃部をもつ剥片石器はチャートで31点、安山岩で13点である。

 

  . 技術的分析結果

  剥片石器のサイズについて、図5及び表789に計測地の統計を取ってみた。図5のドット図の上のラインは”ブレード(blade)"の要件の1つである、長さが幅の2倍にあたるラインを示したものである。下のラインは、長さと幅が同じ物を示すラインである。これより上にドットされた剥片石器は縦長であるが、下にドットされたものは横長である。チャート、安山岩両方の剥片石器で、”ブレード(blade)"の要件を満たすものはほとんどない。チャート製剥片石器では、縦長・横長ともにほぼ同数である。安山岩製剥片石器の場合には横長のものがやや多い傾向がある。いわゆる貝殻状剥片(concoidal flake)は安山岩製剥片石器の方に多く見られる。いずれにしてもほとんどの剥片石器のサイズは、タテ・ヨコともに5cm以下におさまる小型のものである。

  打面の観察から、1)打面の無いもの、2)打面が原?面のもの、3)打面が剥離面のものに分けることができた。1)打面の無いものはチャート製剥片石器で29点、安山岩製剥片石器で2点認められた。打面の無い剥片石器の欠損面には、2次加工による意図的なバルブの除去は認められなかった。切断の可能性も考えられるが、現在のところ剥片剥離時の打面のはじけ(blakeage of striking platform)と考えられる。直接打法による剥片剥離時に、こうした打面のはじけが見られることについてはニューカマー(Newcomer 1971)の実験がある。2)打面に原?面を残す剥片石器の数を、石質別に統計をとってみた。安山岩製剥片石器の方が、チャート製剥片石器よりも原?面を多くとどめている(表3)。一方、チャート製剥片石器の多くは、打面に剥離面を持っている。しかし、この剥離面のほとんどは単剥離面打面で構成されている。複剥離面打面をもつものは、僅か8点(チャート製剥片石器7点、安山岩製剥片石器1点)であった。特定の形態をもつ剥片が見られないことからも、剥片剥離の際には、一定の打面調整は行われなかったものと考えられる。

  原礫面の残り方が、チャート製剥片石器と安山岩製剥片石器で異なるのは、ラベル洞穴でも同様であるが(Ronquillo 1981:Table 1.p.12)、これについては、石材供給の問題と関係しているように思われる。安山岩は洞穴下の河原で豊富に入手できる。チャートの石材供給地は、本洞穴から2km程北西にある。チャートの原礫面はすでに、この供給地周辺で大割(primary modification)によって削除され、その後に洞穴内で剥片剥離が行われた可能性が考えられる。

  打角を石質別に図示した(図7)。この図によると石質の違いにかかわらず、90度〜120度の間にほとんどの打角が集中している。この打角が示す剥片剥離は、直接打法によるものと考えられている。そこで、剥片剥離の実験を行ってみた。打面調整なしの打面にハンマーストーンによる直接打撃を加えてみた。石材は、奥多摩採集の白色チャートと常呂山採集の黒曜石である。得られた剥片はチャート38点、そのうち打面のはじけたものが22点、残りの16点の打角は94度〜128度であった。黒曜石の場合は18点中打面のはじけたもの7点で、11点の打角は111度〜129度であった。この実験結果からも、ラトゥ・ラトゥ洞穴の剥片剥離は直接打法によって行われたものと考えられる。

  2次加工を施された剥片石器はチャート製剥片石器に8点あった(図11)。2次加工はほとんどが、片面側から急角度に施されている。2次加工が施された箇所は全て刃部として使用されている。剥片の形態を整えるための2次加工ではなく、刃部作出のための2次加工と考えられる。

  2次加工が多用されていないこと、そしてその2次加工も急角度のもので、浅く、薄い2次加工(invasive retouch)がみられないことは、石器群にポイント類(槍先・矢尻)がないことの理由になると思われる。ポイント類は2次加工によって、形が整えられてはじめて十分に機能を果たすことができると考えられるからである。

  2次加工と使用によるダメージは、その区別が難しいが、筆者は、大きさによって区別した。しかし、2次加工もダメージも、連続性・サイズの規則性をもっている。今回は大きさによって区別したが、今後、2次加工とそれによって形成される剥離の大きさとの関係をさらに検討する必要がある。

  技術的伝統の問題については、出土層位の上下で変化が認められるかどうか検討したが、剥片のサイズ、打面の状態、打角、2次加工のあり方など、出土レベルの違いによって技術的な変化は認められなかった。もしも、このような特徴的な技術を持たない石器群に対して、技術伝統という概念が適用できるとすれば、長い年月の間に堆積したと考えられる石器群の技術伝統には、時間的変化がなかったと考えることができる。

 

  . 機能的分析結果

  石器群の機能を分析するため、3つの属性(刃角、刃形、ダメージ)についての分析を行った。

 

 1) 3属性個別の分析

  (a) 刃角(表4)

  4をみると、チャート製剥片石器では、30度〜69度までの刃角が高い出現頻度を示している。一方、安山岩製剥片石器では、20度〜49度の刃角がピークをなしている。50度以上の刃角を持つ刃部が少ないのが安山岩製剥片石器の特徴である。チャート製剥片石器は刃角の分布にバラツキがあり、鋭角から急角度のものまで、ほぼ均等に配分されたかたちで分布している。筆者の行った簡単な実験では、安山岩製剥片石器は、肉や蔓を切る作業には適していたが、獣皮、脂肪、木、竹等を切り、削る作業には、より密な石質であるチャート製剥片石器の方が適していた。石質の粗・密の違いが、作業可能な領域を規定しているものと考えることができる。セミョーノフ(Semenov 1964)やウイルムセン(Wilmsen 1968)の結果から判断すると、50度以下の刃角は軽い作業(light duty)に、50度以上の刃角は重作業(heavy duty)に適用できるものと考えられる。

 

  (b) 刃形(5)

  刃形として、直刃(straight)、凸刃(convex)、凹刃(concave)、直刃/凸刃(straight/convex)、直/凹刃(straight/concave)、尖刃(pointed)、の5種類に分類した。尖刃のものは、すでに述べたように、槍先や矢尻としての機能を持つものではなく、錐としての可能性があるものが1点検出された。

  5では、直刃、凸刃がいずれの石質でも高い出現頻度を示す。凹刃はチャート製剥片石器に多く、安山岩製剥片石器とは顕著な違いがある。グールド(Gould et al 1969)は、凹刃が木材加工(wood working)に適し、直刃、凸刃が肉処理(butchering)に適しているという指摘をしている。  

 

  (c)ダメージ(6)

  刃部ダメージのあり方も、チャート製剥片石器と安山岩製剥片石器では異なったものとなっている。チャート製剥片石器では中程度のダメージ(moderate)が一番多いのに対して安山岩製剥片石器では小程度のダメージ(slight)が一番多い。大程度のダメージ(heavy)もチャート製剥片石器の方が高い出現頻度を示している。ここでもやはり、ダメージのあり方が石質の違いに反映されている。石質によって作業の内容が異なっていたと考えれば、密な石質を持つチャート製剥片石器は、軽から重作業(light to heavy duty)に、粗い石質の安山岩製剥片石器は軽い作業(light duty)に適用されていたものと思われる。

  以上3つの属性を個別に分析することによって、チャート製剥片石器と安山岩製剥片石器の石質の違いによる作業効率、作業領域の幅の違いが明らかとなった。緻密なチャート製剥片石器は幅広い作業領域で用いられるが、粗い安山岩製剥片石器は作業領域が狭く、主に「切」等の軽い作業に用いられたものと想定される。

  東南アジアのフレーク・インダストリーについて、刃部ダメージの分析が限られた研究者によって行われているが(Gorman 1971a,b, Peterson 1974a,b, Hutterer 1974. Ronqnillo 1981, Thiel 1980)、これらが示唆するところによれば、剥片石器が木材加工(wood working)に関与していたとされている。ラトゥ・ラトゥ洞穴の石器群は、ポイント類がみられず、加工具(2次的道具)としての性格をもつ剥片石器で構成されているようだ。東南アジアの石器群の特徴は、直接、環境に働きかける道具(1次的道具)を製作するための道具=加工具という性格にある。ラトゥ・ラトゥ洞穴の石器群も加工具としての作業カテゴリーの中で、さまざまな用途に使用されたものと考えることができる。これらのことを考慮して、ここでは、ラトゥ・ラトゥ洞穴の石器群の機能について、作業内容の大きなワク組みとして、「切る作業(cutting)」と「削る作業(whittling)」を想定するものとする。

 

  以上の属性分析から、3つの属性の結びつきの傾向を予測することができた。即ち、1)直刃(straight)には50度以下の刃角と小程度のダメージ(slight)2)凸刃(convex)には50度以下の刃角と小程度のダメージあるいは中程度のダメージ(moderate)が、そして、3)凹刃(concave)には50度以上の刃角と大程度のダメージ(heavy)とが結びつく傾向が窺がえる。またこのような特定の属性の結びつきは特定の機能と結びつく可能性がある。「切る作業(cutting)」は1)及び2)と、「削る作業(whittling)」は3)と結びつく可能性がある。これらの結びつきの傾向をある種の規範あるいは期待値として、次に、実際の属性の結びつきを検討して石器群の機能的な組成を明らかにしてゆきたい。

 

  22つの属性間の関係

  (a) 刃角X刃形(図8

  8は刃角を10度ごとに分け、それぞれの刃角が、どの刃形と結びつくかを石質別にグラフに示したものである。チャート製剥片石器の図を見ると、凸刃(convex)3分の250度以下の刃角をもっていることが分かる。一方、直刃(straight)3分の250度以上の刃角をもつ。また凹刃(concave)2分の150度以下にも見られる。安山岩製剥片石器のグラフでは、凹刃が少ない。ほとんどが直刃と凸刃で、50度以下の刃角である。安山岩製剥片石器の場合、2つの属性の結びつきの傾向は「期待値」に合致するものであるがチャートの場合には、直刃の3分の250度以上の刃角をもつこと、そして凹刃の2分の150度以下であることは「期待値」からはずれている。

 

  (b) 刃角Xダメージ

  9のグラフをみると、チャート製剥片石器の場合、小程度のダメージ(slight)と中程度のダメージ(moderate)3分の2は、50度以上の刃角を持つ。また大程度のダメージ(heavy)3分の2は、50度以上の刃角を持つことが分かる。安山岩製剥片石器の場合では小程度のダメージ(slight)と中程度のダメージ(moderate)が大半で、いずれも50度以下の刃角を持つ。ここでも安山岩製剥片石器の場合は、「期待値」どうりであるが、チャート製剥片石器の場合には2つのダメージの度合いのいずれも、3分の1が「期待値」をはずれている。

 

  (c) 刃形Xダメージ(図10

  10では、チャート製剥片石器の場合、直刃(straight)、凸刃(convex)が、小程度のダメージ(slight)及び、中程度のダメージ(moderate)と結びついている。凹刃(concave)は中程度のダメージ、大程度のダメージ(heavy)と結びつく傾向にある。安山岩製剥片石器のグラフを見ると、直刃、凸刃が小程度のダメージと結びつくものが大半で、中程度のダメージ、大程度のダメージとの結びつきが、非常に少ない。やはりここでも安山岩製剥片石器は「期待値」どうりで、チャート製剥片石器の方は大程度のダメージの2分の1が直刃、凸刃と結びついている点が、「期待値」からはずれている。

  2つの属性を対応させたグラフから分かることは、安山岩製剥片石器の場合は、「期待値」を満たしているのに対して、チャート製剥片石器の場合はより複雑な様相を示しているということである。この点を機能的に解釈すると、安山岩製剥片石器は主に「切る作業(cutting)」中心に用いられたのに対して、チャート製剥片石器は「切る作業(cutting)」から「削る作業(whittling)」まで幅広く用いられたものと考えられる。

 

  33つの属性の対応関係(表10

  今度は3つの属性をいっぺんに対応させて、これら属性の結びつきの傾向から石器群全体の機能的組成を考えてみた。

  剥片石器の出土状況図(図4)から2つの石器群(assemblage)を抽出した。マイナス100cmからマイナス119cmのものを石器群Bとする。2つの石器群ごとに刃角、刃形、ダメージの組み合わせを表に示した(表10)。まず石器群Aでは、チャート製剥片石器、安山岩製剥片石器ともに直刃(straight)、凸刃(convex)と小程度のダメージ(slight)、中程度のダメージ(moderate)との結びつきが多い。一方、凹刃(concave)が非常に少ない。この傾向は「期待値」によく一致し、石器群全体の機能として「切る作業(cutting)」が主体的であったものと考えられる。

  石器群Bは、安山岩製剥片石器が特徴的に少ない。チャート製剥片石器は、50度以下の刃角では、凸刃の中程度のダメージと凹刃の中程度のダメージが多く見られる。50度以上の刃角では、直刃の中程度のダメージと凹刃の大程度のダメージ(heavy)が多く見られる。ここで「期待値」からはずれるものは、50度以下の刃角で凹刃の大程度のダメージ、そして50度以上の刃角で、直刃の小程度のダメージである。しかも、直刃の刃部にはシリカグロス(silica gloss)の付着が多く見られる。これを他の刃形と比較しても、シリカグロスは直刃に特徴的であることがわかる。刃部に残るシリカグロスの形成に関しては、カミンガの研究がある(Kamminga 1977)。当該地域でシリカを含む植物としてはイネ科植物、タケ、藤などが考えられる。イネ科植物である可能性は高いが、炭化米・籾痕などが検出されていないので、明確ではない。タケや藤は東南アジアで広く、道具として利用されている。このような植物の細かい加工に石器が古くから利用されてきた可能性も高い。

 「期待値」では、直刃、凸刃は「切る作業(cutting)」に関与しているものと考えられたが、石器群Bでは「期待値」からはずれるこれらの刃形が、「切る作業(cutting)」と「削る作業(whittling)」のいずれに、どれだけ関与していたか明確ではない。そこで、この点を予測するために、1固体で複数の刃部を持つ剥片石器の、刃部の組み合せのあり方を検討してみた。これによると直刃と凹刃の組み合せが多く、また凸刃も凹刃と組み合さると50度以上の刃角をもっていることがわかった。この結果から、もし、同一の剥片石器上にある複数の刃部が、同一の作業に対して同時に用いられたと仮定すれば、直刃、そして凸刃も多少は「削る作業(whittling)」に関与していたものと考えることができる。

  以上の結果から、石器群Bは全体として「削る作業(whittling)」に関与していた比重が大きいものと予測される。

     

. 不定形剥片石器のシステム

  ラトゥ・ラトゥ洞穴の石器群について、技術と機能に関する分析結果を報告した。しかし、技術的には非常に単純で、機能的には加工具であるといったように、大ワクの中でしか石器群の性格をつかむことができなかった。こうした限界から前進するために、以下では不定剥片石器が制作され、使用・廃棄されるまでの過程を考えてみたい。

 

  1)石材確保

  チャートの石材は、現在本洞穴から5kmの範囲内で2ヶ所の採取場が知られている。一方、安山岩の石材は河原で採取されたものと考えられ、容易に入手可能である。もし、こうした条件が当時も、今と同じであったとすれば、チャートの石材は、量的にも、採取場も限られていたことになる。道具として安山岩よりも有効なチャートの石材には、安山岩よりも「管理」の度合が高かったものと考えられる。

 

  2)石核調整

  剥片石器の打面に残された原礫面のあり方は,石質によって違いが認められた。チャート製剥片石器の打面には、原礫面があまり残っていない。これは、チャートの原礫面を意図的に削除して、打面形成を行ったものと考えられる。しかし、石核調整も原礫面削除が行われたのみで、細かい打面調整の痕は窺えない。打面が複剥離面打面をもつ剥片石器は8点のみで、一定の規格性をもつ剥片を取るための細かい打面調整が行われていたとは考えられない。一方、安山岩の石核はチャートほど調整を行わず、河原石をそのまま、原礫面削除することなく、剥片剥離が行われていたものと思われる。

 

  3)剥片剥離

  打角(90度〜120度)の傾向から考えて、剥片剥離は直接打法によるものと思われる。打面の幅が広いこと(1cm+−)も、直接打法を暗示している。ただし、ハンマーの硬軟については明確ではない。直接打法での剥片剥離なら、ハンマーストーンでも、ソフトハンマー(鹿角等)でも、同じ特徴を持つ剥片が得られるからである。 

  チャート製剥片石器の打面の欠損は、打面調整を施していない石核に、直接打撃を加えて剥片剥離を行う際、打面がはじけたものである可能性が高い。私の行った簡単な実験の示唆するところである。現在、185点の石器のみについての分析であるので、これらの諸問題はさらに石器以外の剥片、チップ、石核などの分析と、製作実験によって明確にされなくてはならない。

 

  4)剥片調整(2次加工)

  2次加工による調整を受けたと考えられる剥片石器は、チャート製剥片石器に8点みられた。これら2次加工の目的は刃部を作り出すためで、一定の形態を作り出すためのものとは考えられない。こうして出来上がった刃部は、凹刃(concave)5点、凸刃(convex)2点、直刃(straight)1点である。刃角は46度〜81度と、急角度の傾向を示す。ダメージのあり方も、ほとんど大程度のダメージ(heavy)であるので、「削る作業(whittling)」のための刃部を作出する意図が感じられる。2次加工は非常に限られた剥片石器にしかみられなかった。他の大多数は剥片剥離の形態そのままに使用されている。わずかにみられる2次加工も、刃部作出のためであって、われわれにとって石器として認定しやすい、一定の形態を整えるための2次加工ではない。製作技法にみられるこの石器群の特徴は、われわれが考古学でみてきた石器の性格とはかなり異質なものである。製作技術の単純さ、石器の不定形性は、特異な技術的性格をもつものとして注目される。

 

  5)石器の選択                      

  われわれが考古学で、一般的に学んできた石器というものは、製作時からさまざまな技法を用いて、一定の形態に収束させていくといった、一連の技術の流れの中で作り出されたものであった。われわれは、一定の形態をもつということを、石器の第1義的属性として認識してきた。石器研究の中で議論されている世界中のさまざまな石器製作技法は、石器を一定の形態へと作り上げていく過程である。現在の考古学の世界では、技術とは形態を強く意識した技術と考えることができる。

  一方、本洞穴出土の石器群は、その形態が一定でないことから、石器としての意味付けの仕方も異なったものであるに違いない。製作技法をもう一度振り返ってみると、直接打法によって、打面調整を施さずに剥片剥離が行われている。この時点では、剥離した剥片を石器として使用するというだけの、漠然とした意識を感じさせるだけで、その後に2次加工を加え石器とするための、目的的剥片 (ブランク)を剥離するといった意識は?えない。そして、2次加工が重要な技法として用いられていないことは、剥離した剥片を石器として、一定の形態に収束させていくといった意図がないことを暗示している。こうした製作技術は、今まで検討してきた剥片石器のほとんどの属性(長、幅、厚重、刃角、刃形)を、剥片剥離時に決定してしまう。剥離後、剥片を2次加工によって、石器としての意味付けがなされたものは非常に少ない。それ故、ほとんどの剥片石器は、剥離後の時点で、石器・剥片といった意味の違いはない。剥片は剥離された剥片群の中から製作者あるいは使用者が、特定の作業に適した、特定の属性をもつ剥片を選択してはじめて、石器としての意味付けがなされるものと考えられる。

 

  6)石器の使用・廃棄

  現在のところ、これらについて具体的に述べることのできる資料は少ない。ただ今後の研究のために考えておかなくてはならない点についてふれたい。

  まずこれらの石器群が加工具であるということである。剥片石器は、道具箱の中身として考えれば、道具全体を示しているのではなく、一部をなしているにすぎない。他の石製の道具類(?器、叩き石、磨石、石皿等)との関係を検討しなければならない。また同時に、剥片石器によって加工されて作り出される、石製以外の道具類(植物性、骨性、角製、貝製)も重要である。加工具としての石器の使用を考えると、加工具自体と被加工物の原材確保、道具製作、維持、管理における関係が重要な意味を持ってくる。さらに、一次的道具である被加工具の使用を考える時には、直接、周囲の自然環境に対する働きかけのあり方が問題となってくる。廃棄の問題は使用と表裏一体で、石器の移動、場の利用のしかた、石材供給のあり方、被加工物の原材の分布等、諸要素の関係が重要な点になるものと思われる。

    

7. おわりに

  ラトゥ・ラトゥ洞穴の石器群の技術的・機能的分析をもとにして、以下のことを明らかにした。

. 本石器群は、加工具(二次的道具)としての性格を基調としている。石器群に尖頭器が欠如することは、フィリピン諸島全体に見られる傾向であるが、こうした一次的道具は、石以外の物質(木、竹、骨、その他)によって製作されたと想定できる。

. 出土層位の異なる2つの石器群に、機能的な違いがあることを明らかにした。すなわち石器群Aは「切る作業(cutting)」に、石器群Bは「削る作業(whittling)」に関与していることが予測される。

. 不定形剥片石器の製作から廃棄にいたるプロセスを予測し、今後の研究展望を示した。このプロセスの中で、不定形剥片石器の大きな特徴と考えられるのは、製作者・使用者が剥片群の中から、特定の作業に適した、特定の刃角・刃形・サイズをもつ剥片を選択することによって、剥片から石器への意味の変換が行われるという点である。

 

  今後に残された課題として、まず剥片石器の機能をより厳密に限定することが必要である。このため、使用痕としてマイクロフレーキングを取り上げ、使用実験を行い、その結果と遺物に残るマイクロフレーキングとを比較検討する。また、これら加工具としての性格をもつ剥片石器と、被加工物として想定される有機物との関係も検討を要する。植物性の被加工物は遺存していない。動物骨の解剖学的部位と加工痕の検討から始めたい。

  製作から廃棄のプロセスの中で、「石器の選択」は概念として機能すると考えられるが未だ推定の域を出ない。この概念を十分に機能させるためには、整形技法としての2次加工がなぜ多用されなかったのか、また、石器以外の剥片群が、なぜ石器として選択されなかったのか、について検討の余地が残されている。

  狩猟具(1次的道具)と想定できるポイント類が、石器群の中に欠如していることは、2次加工が多用されていないという事実を反映している。しかし、東南アジア島嶼部の他の地域(ジャワ島、スラウェシ島)では、ポイント類が出土している。今後、島嶼部内で、剥片石器の文化伝統が互いにどのような関係にあるものか、比較検討する予定である。

 

謝辞:この論文は、静的な考古資料から動的な人間行動へと目を開いて下さった西村正衛先生のご指導の下に作成した、修士論文の一部である。上智大学アジア研究所の青柳洋治先生には、この調査・研究全般にわたって、ひとかたならぬ御支援・御指導を賜った。また、遺物の分析、ならびに本論文の発表に対し、特別の許可を快く与えて下さったフィリピン国立博物館のエバンゲリスタ(A.Evangelista)副館長、ペラルタ(J.Peralta)氏、そして石器の分析を御指導して下さったロンキリオ(W.Ronquillo) 氏に感謝したい。また、ラトゥ・ラトゥ洞穴の発掘担当者である、バルボッサ(A.Barbosa)氏ならびにボントック(N.Bondoc)氏には様々なご指摘をいただいた。石器の分析について、東京大学総合資料館の丑野毅氏、東京大学考古学研究室の安斎正人氏には、さまざまな御助言をいただいた。エール大学のクレス氏(J.Kress)には、氏の全論文を送っていただいた。ここに明記して感謝の意を表したい。

 

(1)Rabel Cave(Ronquillo 1981), Laurente Cave(Henson 1978,1980), Aruku Cave and Musang Cave(Thiel 1980),Lattu-Lattuc Cave(Dalupan 1981)を参照。

(2)10000B・P〜6000B・Pは、現在までのところ、フィリピンで一番古い土器の出土が見られる時期で、それ以前までは、上部旧石器時代(Upper Plaeolithic)が続いていたものと考えられている(Peralta 1981:5)

(3)東南アジアでは、礫器は一般に”Pebble Tool”と呼ばれているが、フィリピンでは、地質学上の用語の定義(Pebble264mmCobble64256mm)にしたがい、これを、”Cobble Tool”と呼んでいる(Dictionary of Geological Terms 1976)

(4)型式学(Typology)的な分類が困難な状況を示している。このため島嶼部では、主に剥片石器分析のため、機能の側からのアプローチがなされている(Hutterer 1974Perter-son 1974a,bGorman 1971a,b)。ニューギニアにおいても、ホワイトによる同様な分析がある(White 1969,1972)

(5)使用痕の一種。使用によって形成される刃部縁辺に残る細かい剥離痕。その他線状痕(Striation)や磨痕(Abration)等は確認できなかった。マイクロフレーキングの分析については、Tringham et al 1974Odell and Odell 1980,阿子島1981、御堂島1982を参照した。

(6)柄が装着されていた可能性も考える必要があるが、遺物や民族例にはこのような小型の剥片石器が着柄されていた例が見られないことから、手による石器の保持を基本的な使用形態として想定した。

(7)刃角をProduction edge angleを計測した。(御堂島19822)。刃角は刃部個所に応じて異なるので、刃部の長いものについては、両端と中央の三個所の刃角を計り、平均値を出した。刃部断面が湾曲している場合には、キャリバー・メソッドを用いて計測した(御堂島19823)

(8)ア・プリオリな評価を行った。予め、チャートと安山岩の剥片を用意し、同じ時間、同じ対象物を加工しても、ダメージの残りかたは違ってくる。このことを十分に考慮して評価を行った。マイクロフレーキングの残り方について、レプリカ実験を行い、遺物との比較によって、機能及び加工対象物の推定が今後の課題である。

(9)このように考えると、安山岩の場合、河原石を大割り(primary flaking)することなく、洞穴に持ち込んで剥片剥離が行われたとも考えられるが、「石器」以外の剥片や石核の分析を行っていない現在では、明確に断言することはできない。しかし、もしも安山岩製剥片石器が河原石のまま、洞穴内に持ち込まれて、原礫面を削除することなく、剥片剥離が行われたという可能性があれば、その理由を別に考える必要がある。現在言えることは、安山岩製剥片石器よりも、密な石質を持ち、鋭利で丈夫な刃部が得られるチャート製剥片石器の製作の方が、より「管理」されていた可能性があるということである。

(10)二次加工とダメージの違いは大きさで分離したが、クレス(Kress n.d.)が行ったパラワン島での実験では、区別がつかなかったと述べている。今後とも実験を行う必要がある。

(11)渡辺仁(1977)は、衣・食・住など基本的な必要をみたすための道具を「一次的道具(primary tool)」、道具を作るための道具を「二次的道具(secondary tool)」とに区別している。Binfordの区別では、前者が“extractive tool”後者が“maintenance tool”にあたるものと考えられる(Binford and Binford 1966)

(12)シリカグロスの付着した剥片石器は、チモール島(インドネシア)で、グローバーが調査した石器群に多くみられる。これらは、土器と共伴して出土しており、炭化米や籾殻圧痕はみられなかったが、イネの刈取り用に使用されたものと解釈されている(Glover 1971)

 

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