コンピュータサイエンス誌『bit』1998年10月号

海外事情・アジアから
モンゴル編「インターネット事情」

上村 明


 ここ2・3年モンゴルでおおきく変わったのは通信分野である。中でもインターネットが利用できるようになったことは情報面でモンゴルとの距離を大きく縮めた。今はモンゴルの新聞の最新号がインターネット上でその日のうちに読める。今回は、モンゴルに着実に浸透しつつあるインターネット事情について報告したい。

計画経済計算機センターからインターネットプロバイダーに
 現在モンゴル国においてインターネットへの接続サービス業務をおこなっているのは、DATACOM社一社だけである。この会社の経歴について、すこし詳しく紹介しよう。
 DATACOM社は、インフラ開発省の建物の中にある。この省は社会主義時代ソ連のゴスプランに当たる国家経済計画委員会だった。DATACOM社の前身はその計算機センター部門である。当時は、旧東側諸国でひろく使用されていたソ連製のESというメーンフレームで計算作業を行なっていたという。社会主義中央集中計画経済をささえる重要な組織であったわけだ。
 民主化以後の1991年、この計算機センターは、「(情報)自動管理センター」(英語名は“National Informatic Center”)という名前の国有企業となる。1992年には、計画経済から市場経済の移行と政府財政の逼迫にともなって、本来の存在理由を失ったこの国有企業も民営化の対象となった。
 DATACOMの事業は、当初286PC2・3台で国内のPC-mailのサービスからはじまった。このPC-mailサービスは、現在でもモンゴルの銀行のほとんどが県の中心地にある支店との業務連絡に使っており、DATACOMの事業の大きな柱となっている。
 インターネットとの接続をはじめたのは、1994年カナダのIDRCの援助により、E-mailのやりとりが出来るようになってからである。MAGIC(Mongolian Access to Global Information and Communicationsの略)NETというBBSが作られ、一日一回UUCPポーリング方式によりアメリカのIGCをつうじてインターネットとのメールの交換を行ないはじめた。1995年にはmagicnet.mnというドメイン・ネームを取得している。
 モンゴル科学アカデミーの情報学研究所でも、同じころ同じ方式でインターネットとのメール交換のサービスを研究機関に対して始めている。ここでの中継地はロシアのドゥブナにある原子核合同研究所(JINR)で、メール・アドレスのドメイン名は、icmill.jinr.dubna.suとなっていた。利用者は、自分のPCからMS-DOS用UUCPソフトを用いて、情報学研究所のサーバーにダイアルアップ接続し、メールを流す。ただ、どういうわけか日本に出したメールも日本からのメールも1本も届かなかった。
 DATACOMをつうじてインターネットに全面的に接続が可能となったのは、1996年の1月にPanAmSat‐2衛星経由でアメリカ・カリフォルニアのSprint社と128Kbpsで結ばれるようになってからだ。これに必要な機材はアメリカの「バター基金」とよばれる基金からの借款、衛星回線の使用料はNSF(アメリカ科学基金)が負担した。アメリカの援助を受けるようになった経緯は、http://www.nsrc.org/db/lookup/ISO=MNにある、米国大使ジョンソン氏のレポートに詳しい。ストーリーは、DATACOMの社長のエンヘバト氏がMAGICnetのアカウントを取らないかと、アメリカ大使館に営業に来るところからはじまる。それからとんとん拍子に話は進み、1年後にはモンゴル初のインターネット・プロバイダが誕生することとなった。現在加入者数は、約2,600人、毎月60人程度の新規加入があるという。

大学研究機関におけるインターネット
 NSFが、衛星回線使用料を負担する条件として、DATACOMに提示したのが、大学研究機関等、つまりモンゴル科学アカデミー、モンゴル国立大学、技術大学、自然環境省にたいしては少なくとも2年間は格安の料金でサービスを提供するというものだった。NSFの考えとしては研究者がインターネットを自由に利用できることが第1だったようである。同じ1996年には、科学アカデミー本部、科学アカデミー情報学研究所、モンゴル国立大学、技術大学、CSMI(Computer Science Management Institute)に、DATACOMと高速で接続するためのラジオ・モデムの設備を供与している。また衛星回線の全容量512Kbps(当初は128Kbps)のうち64Kbpsが、これらの組織に割り当てられており、それぞれのLANに接続されている。
 直接大学研究機関にたいして援助をすればよかったという気もするのだが、残念ながら受け皿がなかったというのが実状らしい。人材もまだいなかった。財政難もあり援助を受けた機関が事業を継続できない可能性が大きかった。また、インターネットの一般普及の基盤を用意するという点からも、完全民有化されていたDATACOMを対象としたのだろう。このインターネットの一般へのサービスという事業は、PIC(Public Internet Center)という公共組織が、ソロス基金の援助をうけて、ウランバートル市立図書館内にパソコンをおき、電子メール送受信、WEB接続など安い料金で一般に提供している。ここにもラジオ・モデムが設置されているが、DATACOMはその回線料を免除しているということだ。
 2年間の「御試し期間」の終わった現在、ラジオ・モデム回線がまだつながっているのは、先に名を挙げた5つの機関のうち、技術大学とCSMIの2つだけだという。月千ドル以上という回線料を負担できないからだ。ダイアルアップ接続をしていたほかの研究所も月30ドルの料金が払えず契約を継続したところはないという。

ビジネスと公共性
 DATACOMの独占状態と高いと認識されている料金を嫌って、アカデミーなどでは新しいプロバイダの出現に期待している。プロバイダ事業に新たに参入しようとしているのは、ボディ・インターナショナル社を親会社とする企業グループのボディ・コンピュータ社だ。すでに科学アカデミー本部のある科学文化センターの屋上に衛星回線用のパラボラを置き、回線使用料を払っているという。ただしプロバイダ事業は始めていない。モンゴル電信社とのあいだに光ファイバー・ケーブルが敷かれていないからだ。親会社が毎月千ドル単位の衛星回線料を始めとする経費を補填している。
 モンゴル電信社は、株の60%を国が所有する公社的企業で、通信法によって国際国内両方の基本的通信事業の独占が認められている。現在ウランバートル市内の一般電話網の拡充に精一杯で、一般市民の受益性の低いインターネット・プロバイダの回線増設までには手が回らないのかもしれない。DATACOMも、ダイアルアップ回線は昼間話し中ばかりで1度や2度でつながったためしがない状態だから、モンゴル通信社との間に光ファイバーを敷くことを交渉中だが、一般電話の回線不足(新規電話設置の工事予定は来年の初めまでいっぱいだ)という理由でのびのびになっているのだそうだ。じつは、モンゴル電信社も、近い将来の通信法改正をにらんで、いまは禁じられている付加価値通信事業としてのプロバイダ事業に参入を狙っている。
 それに対してDATACOMでは「バター基金」からの借款も去年すべて償還を終え、衛星回線使用料も自前で払えるだけの安定した経営基盤を確立しているという。しばらくはDATACOMの独占状態は変わらないと思われるが、それだけに同社の公共的責任への期待も大きい。PICへのラジオ・モデム回線の提供、大学研究機関への料金割引は将来も続けられるだろう。
 いっぽうで、DATACOMはアメリカ的企業への脱皮をつよく志向している。採算性を重視する私企業として、大学研究機関への「奉仕」は経営の足をかなりひっぱっていたという。受け皿のないこれらの機関に対して手取り足取りのサービスが必要で、予想をはるかに上回る出費があったと同社の幹部は語る。
 現在DATACOMは、VSATとDirectPCを組み合せた地方でのプロバイダ事業展開を進めている。DirectPCはまだ導入されていないが、エルデネト市ではプロバイダ事業がすでに開始され、ダルハン市でも施設を設置中とのことだ。今秋からは県の中心でも計画が実施される。採算性が確実な、石油輸入公社の各県の中心にあるガソリン貯蓄供給施設と本部を結ぶVSATネットワークは先行して全国に展開されている。
 DATACOMのケースは、モンゴル国経済界の現状の縮図と言える。今後も同社は採算性と公共性とのあいだで微妙なかじとりをすることになるだろう。

上村 明(モンゴル地域文化研究)

(雑誌掲載記事とすこし異なります)

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