牧畜の技術と儀礼

五畜(タバン・ホショー・マル)−群をなし草食する動物−

 絵の中にはさまざまな動物がいる。このなかで、モンゴルで牧畜の対象となっているのは、どのような動物たちだろうか?それは、モンゴル語で「マル」とよばれる、ウマ、ヒツジ、ヤギ、ウシ(ヤクを含む)、ラクダの、5種類の動物である。5種類だから五畜という。これらの動物は群をなし自分で草を食べる。この動物の存在が、モンゴルの遊牧経済の基礎である。
 『馬乳酒祭り』の絵には、仔ウマをのぞいて50頭以上のウマと、そのなかに少なくとも2頭の種牡ウマが描かれている。ウマの群は、ふつう1頭の種牡ウマが率いる2〜40頭の群が単位となっている。一般の牧民家庭では、昔も今も種牡ウマ1頭を中心とする馬群ひとつを持っていることが多い。そうした場合、馬群は搾乳、去勢、焼印押し、乗用のウマを取り替えるときなど、必要のあるとき以外は放任されている。種牡ウマは群を率い、オオカミなど外敵から群を守る。
 ラクダもウマと同様、種牡が群に対する統率力を持っているから、いつもは見張りをつけず、荷を運ぶときなど必要なときにだけ連れてこられる。しかし『モンゴルの一日−秋−』の右下隅に描かれているように、ゴビ地方など水を飲む場所が井戸しかない場所では、毎日人間が水を汲み上げて家畜に水を飲ませなければいけない。ラクダの群は毎日水を飲ませる必要がないが、人間の飲み水の輸送もかねて、何日かおきに井戸に連れていかれる。
 ラクダや馬群が牧民の家から離れたところにいるのに対して、ウシの群、ヒツジとヤギの混成の群は、夜のあいだ持ち主のゲルのすぐ近くで眠る。朝放牧に出されて夕方ゲルの近くに戻ってくるというサイクルをくりかえす。ウシの群には見張りの人間はつかないが、ヒツジの群にはかならず番をする人間がつく。ヒツジの群は数百頭単位の大きなものだし、種牡が群に対する求心力を持たないから、群がばらばらになってしまうからだ。群からはぐれたヒツジはオオカミに食べられてしまう可能性もある。よその家のヒツジと混じってしまえば、仕分けるのが大仕事だ。またヒツジは万事消極的な性質なので、群に2〜30%のヤギを混ぜる。ヤギは好奇心があり、自分で栄養のある草のある場所を見つけたり、危険を避けたりすることができる。『馬乳酒祭り』の絵にもヒツジの群の端にいて、人間のやることに興味ありげなようすのヤギたちが描かれている。
 牧地でヒツジ・ヤギの群の番をするといっても、群にたいしていつも人間が働きかけているというわけではない。むしろ彼らの本能にしたがってゆっくりと草を食べさせることが目的だ。牧地利用計画にしたがい、地形、草の植生、水飲み場の位置、その日の天候とくに風向きを考慮して、一日のヒツジ・ヤギの群のコースを決める。それにしたがって一日のうち何回か群を方向転回させる。ヒツジたちの移動の速度が遅く、まわりにほかの家の群がいなかったら、家に戻ってお茶を飲んだり、ほかの仕事をすることもできる。
 一方、ウマやラクダの群も放任されているからと言って、持ち主がまったく群を把握していないということではない。一人前の牧民なら、地形、天候とくに風向き、草の植生、水飲み場の位置などを頭に入れてシュミレーションすれば、自分のウマやラクダが今どこにいて、どうしているか、ほぼ正確にはじき出すことができる。持ち主は、必要のあるときは別として、日が経つにつれ予想の誤差が大きくなったり、大風など新しいファクターがでてきて、シュミレーションの初期値を更新する必要があると判断したとき、群を見にでかける。
 それでも家畜がいなくなったときには、男たちは、ある時にはいく軒もの家を着の身着のままで泊まり歩き、家畜を探すことがある。男のもっとも重要な仕事のひとつはこういった家畜の探索である。泊まる家では食事や寝具などを用意してやる。男たちは誰それの家の馬群はあそこにいたなどと家畜の群の位置の情報を交換する。もちろん同時にいろいろな種類の情報が交換される。家畜を通じて情報のネットワークが張りめぐらされるのだ。モンゴルの遊牧は、天候などの情報を常にキャッチし分析し、家畜の位置や状態を情報の次元で把握し管理する技術の体系を持つといえるだろう。モンゴル帝国時代の領民支配も、こういった家畜管理のノウハウの応用だったのではないだろうか。

搾乳−母仔関係への介入−

 家畜の乳は肉とともに人間の食料となる貴重な資源だ。とくに夏は乳が豊富なので、「ツァガーン・イデー(白い食べ物)」と呼ばれる乳製品が食べ物の中で大きな位置を占めることになる。
 五畜のなかで、乳供給に一番の役割を果たすのは、ウシである。夏から秋にかけてだけ搾られるほかの家畜とは違い、ウシの乳は一年中搾られる。それでモンゴルの食生活になくてはならない乳茶の乳が確保される。『モンゴルの一日−秋−』の画面上に見える草刈り作業も、このウシたちに冬のあいだ草を供給するためにおこなわれる。
 『馬乳酒祭り』の絵の右ではひとりの娘がしゃがんでヒツジの乳を搾っている。ヒツジ・ヤギの搾乳は、絵のように母畜の頭が交互になるように一本の縄でしばり、後ろから乳頭をにぎって搾る。搾ったあと端をひっぱるとつないだ縄はするりと解ける。仔畜は人間の搾ったあとの残りの乳を吸う。
 乳を搾るときヒツジ・ヤギの場合は母畜をしばるが、ウマ、ウシ、ラクダの大型家畜では仔畜の方をとらえて地面に張ったロープ(ルビ:ゼル)につなぐ。大きな母畜をつかまえるよりずっと簡単だからだ。仔畜をつないでおけば母畜は自分の仔のそばを離れない。仔ウシの場合夕方つないで朝母ウシを搾ったあと放してやる。
 それにたいしてウマの場合は、朝ゲルから離れたところにいる馬群を連れてきて仔ウマをとらえてつなぎ、昼間乳を搾り夕方放す。ウマの乳はすぐにたまって自然に排泄されてしまうので、一日2時間ごとに5回から8回搾る必要がある。また、ウマ、ウシ、ラクダの搾乳では、あらかじめ仔畜に乳を少し吸わせる催乳という行為が必要だ。また、乳を搾るあいだ、仔畜を母畜のよこに立たせておかなければいけない。『馬乳酒祭り』には、このウマの乳搾りのようすが克明に描かれている。気の荒い母ウマには、乳搾りに慣れるまで、絵のように脚をしばったり口綱をつけたりする必要もある。
 『モンゴルの一日−秋−』にはラクダの搾乳が描かれている。仔ラクダがゼルにつながれていないのは、数がすくないからだろう。ラクダの乳は一日に3〜4回搾られる。ラクダの搾乳は、ゴビ地方ではおこなわれているが、ほかの地方では一般的ではない。
 乳をめぐって母畜と仔畜のあいだに人間が介入する方法はほかにもいくつかある。仔ウシに口かせをつけたり、不特定多数の仔畜に乳をやってしまう母ヤギなどに乳覆いをつけたりするのもそのひとつである。大きくなっても乳離れしない仔ウシ、仔ヤギ、仔ヒツジなどには、先の尖った木の棒を鼻につきさす。こうすると母畜は棒の先端で乳房をつかれるので乳を飲ませなくなる。
 もうひとつの方法は、道具を使わず母と仔を空間的に分離する方法、つまり母と仔を別々の群にすることである。この方法は、ウマやラクダでは母と仔の結びつきが強くて用いられない。ウシでは、夏から秋にかけてのみ、朝の搾乳のあと夕方の搾乳まで、仔ウシがほかのウシとは別にゲルの近くの牧地に放牧される。秋、妊娠した母ウシは乳が出なくなるので、それからは仔ウシもほかのウシといっしょに放牧される。夕方は、妊娠しなかった母ウシの仔だけがつながれるようになる。搾る回数も朝1回だけとなる。
 ヒツジ・ヤギのばあいも、搾乳の乳の確保のための手段として、仔と母を分離し別々の群にする方法がとられる。『馬乳酒祭り』の絵にもそのようすが描かれている。画面の右でこども2人が、仔ヒツジを追いたて、母ヒツジを追いもどそうとしている。朝こうして仔ヒツジ・ヤギたちを別の群にして、家からそれほど遠くない草場にだし、母畜たちは絵のように乳を搾るかあるいは搾らないで、子畜たちとは別の牧地にだす。子畜の群の世話は小さなこどもたちの仕事だ。同じ絵の右上にはそのこどもたちが水遊びに夢中になっているようすが描かれている。
 母蓄が自分の仔にしか乳を与えない習性を利用し、仔ヒツジ・ヤギを朝別の家の母ヒツジ・ヤギの群といっしょにして牧地にだす方法もよくおこなわれている。この方法を「サーハルト」と呼ぶ。
 ヒツジ・ヤギの乳搾りのメインは午後おこなわれる。やはり絵のようにして母蓄をしばり乳を搾ったあと、仔畜といっしょにして残り乳を吸わせ、暗くなるまえに仔畜だけ囲いのなかに入れる。
 搾乳は、本来仔畜が飲む乳を母畜から人間が搾取する手段であるとともに、ほかにもいくつか効能がある。ひとつには、仔畜や母蓄がしばられたり搾られたりつながれたりすることによっておとなしくなることだ。いいかえれば、人間にならす役割をはたす。もうひとつ、牧民たちによれば、仔畜が寒さなどにたいして忍耐強くなる、乳離れが早くなるなど、家畜自身にとってもよい効果があるという。もちろん人間にとっても、搾乳にかかわる作業によって、母と仔という対関係を規制し群を均質化することになり、群管理が容易になる。

馬乳酒祭り−再生産のサイクル−

 『馬乳酒祭り』の絵の画面中央上には、大きな青い天幕が描かれ、5人の僧たちが福を呼び寄せる儀礼をとりおこなっている。真ん中に座る、かぶりものからいちだんと位の高いとわかる若い僧は、右の手にヒツジの脂肪尾と五色の布切れのついた矢をにぎり、左の手には鈴をもって振っている。その前には、これも招福の道具である、銀器にはいった大麦と五十両の銀貨がおかれている。お経を読んで、雨が降り、草がよく生えることを祈っているのだろう。
 儀礼と平行して宴会もおこなわれている。天幕の正面にはフェルトの敷物の上にテーブルが置かれ、ヒツジの肉や乳製品が宴の作法どおり並べられている。天幕の右手には楽士たちが、左手には馬乳酒を強要し合う僧たち、けんかする小坊主たちが、その僧たちや男たちとは離れたところでフェルトの上にすわる女たち、甕の馬乳酒を飲む子供たちの姿も見える。そして手前にはウマの群とヒツジの群が、天幕を囲むように描かれている。
 「馬乳酒祭り」は、この絵のように家畜が空間いっぱいに増えることを祈る祭りである。馬乳の搾り初めか、その馬乳から馬乳酒ができた日に行われる。
 馬乳を搾るには、画面左下半分に見えるように、まず仔ウマをつなぐロープ(ルビ:ゼル)をゲルの前に張る。ロープは香できよめられ、それを固定する2本の杭もバターなどで聖別される。ロープの高い方の杭(ロープの両端は地面の傾斜にしたがって、高い方、低い方と呼ばれる。この絵の場合、高い方は天幕に近い側)のわきには、増殖のシンボルであるハヤガネ草が植えられる。それから、馬群を家の前まで連れてきて、仔ウマを捕らえロープにつなぐ。搾った乳は、皮袋(ルビ:フフール)(天幕右手に描かれている)に入れられ攪拌され発酵して、馬乳酒になる。
 「馬乳酒祭り」では、高い方の杭の側からまずその年一番に生まれた仔ウマをつなぎ、次に2番目と3番目に生まれた仔ウマも同じようにつなぐ。そしてほかの仔ウマもロープにつなぐと、最初の3頭の母ウマの乳を男性が搾る。ふつう搾乳は女性の仕事とされているが、この儀礼用の馬乳だけは男が搾る。『馬乳酒祭り』の画面左上には、搾った馬乳の入った桶を馬捕り竿で担いだ2人の男がウマに乗って宙に桶の馬乳をふり撒いている様子が描かれている。乳をふり撒く儀礼も一般に女性の役割だが、この儀礼の時だけは男が撒くことになっている。ウマはもともと男の領分なのだ。
 手に持っているラケットのようなものは、乳を撒くのにつかう儀礼用の道具(ルビ:ツァツァル)である。四角の板の部分にある9つの穴で乳をすくって宙に撒く。「ツェーン・ツォド」と叫びながら、ゲル(この絵の場合は天幕)を右回りにまわり、ロープの周囲も3度まわる。この掛け声は、「白きものに満腹しろ」という意味だと言われている。こうして「ハンガイの主」をまつって、雨をよく降らせてもらい、草がよく生え、ウマが増えることを祈るのだ。
 「馬乳酒祭り」は、モンゴル語で「牝ウマの種を出す儀礼」(ルビ:グーニー・ウルス・ガルガハ・ヨス)と呼ばれている。この「種(ルビ:ウルス)」という言葉を、ひとびとはさまざまに解釈している。牝ウマから搾って撒かれる乳でもあるし、それによって降る草の生長の元となる雨でもあるし、家畜の増殖の元となる草そのものでもある。またこの儀礼と宴に使われるヒツジの肉という解釈もある。
 煮てテーブルに盛りつけられるヒツジは、その年いちばん早く生まれた仔ウマの身代わりといえる。この仔ウマを捕らえた同じ馬取り竿で捕えられるからだ。このヒツジの肉の一部分はゼルの杭の横で骨だけになるまで焼かれる。これを「種を融かす」とか「種を入れる」という。仔ウマの身代わりになったヒツジの肉を焼いて、天空の神に捧げることで、来年また仔ウマが生まれることを祈るのである。
 仏教的な儀礼が行われ、「天空の神」はシャマニズムの概念といったように、この儀礼にはさまざまな信仰が重層的に重なり合っている。しかし、「種子」という観念からすると、穀物の一部が種子としてつぎの増殖の元となるように、自然のめぐみの一部を自然にかえし、めぐみがさらに増殖することをねがう気持ちが、この儀礼の根底にあるといってよいだろう。「種」つまり「生命の種子」は、馬乳として空中に撒かれ、1年後あらたな生命となって誕生するのだ。
 『馬乳酒祭り』では、この「種子」の増殖の過程が、天幕を右回りにまわる構図として描かれている。天に撒かれた「生命の種子」は、やがて春やってくる白鳥などの渡り鳥によって地上に降り、仔ヒツジとして生まれ、ヒツジを増やし、身代わりのヒツジを通じて子ウマに生まれ変わり、ウマを増やす。そのウマの群の牝ウマから出た乳は、さらにこの増殖のサイクルの「種子」となるのである。

去勢−オス・メス関係への介入−

 『馬乳酒祭り』の画面右側には仔ヒツジの、下にはウマの去勢の様子が、また『モンゴルの一日−秋−』の画面下やや左には、ラクダの去勢の様子が描かれている。
 仔ヒツジの去勢は「イルー・ゲル(余分のゲル)」といわれるゲルの入り口から敷かれたフェルトの上で行われている。「イルー・ゲル」は、物置などの役割をする予備のゲルである。炊事場になったり、春まだ寒さの厳しい時季、仔ヒツジや仔ヤギをなかに入れて寒さからまもることもある。去勢のおこなわれるのは、寒さ暑さの激しい時を避けるから、この絵の時季は、やはり初夏ということになるのだろう。手前に背を見せてすわる男が、ナイフで陰嚢を切り開いて、睾丸をひきちぎり、右におかれた桶に入れている。煙は清めのための香である。
 ウマのばあいは、絵のように、2本の棒で陰嚢の根元をはさみ。切開し睾丸を取り出す。棒を持つ男の左に見える火は、術後の傷口を消毒するための鉄棒を熱しているのであろう。そのまた左には仔ウマ(1歳馬)にタムガ(焼き印)を押すようすが描かれている。
 ラクダの去勢は絵ではウマと同様の方法がとられているが、ふつうは陰嚢の根元を縛って、自然に睾丸が落ちるのを待つ。ラクダの睾丸だけは食用しない。
 モンゴルの去勢の特徴は、家畜が成熟するまえに去勢することだといわれている。ヒツジ・ヤギのばあい、生まれた年の初夏に去勢される。ウマは生後3年、ラクダは4年から5年、ウシは2年から2年半、ヒツジ・ヤギは18ヶ月から20ヶ月で、オスメスとも生殖能力を獲得する。モンゴルでは、そのおおむね1年前に、オスに対して去勢が行われる。
 ウマ・ラクダのばあい、種付けの時期の管理は行われないが、ヒツジ・ヤギは2月から4月にかけて出産を集中させるため、6月から10・11月ごろまで交尾させない手段が取られる。ヒツジ・ヤギは6月頃から発情期に入るのと、受胎から出産までが140日から150日あるためだ。その方法は、搾乳の時と同じように、個体の身体に物理的バリヤーをつける方法と、空間的に隔離する方法とがある。前者は、種牡の腹に前掛けのような布(ルビ:フグ)をつけて交尾できなくする方法、後者は、種牡だけべつの群にして放牧する方法である。種牡の数が多いばあいをのぞいて、ふつう前者の方法がとられる。これらの方法と比較すると、去勢は家畜の身体にたいする直接的で不可逆の介入の方法といえる。
 去勢されたオスは維持され、さまざまな用途に使用される。去勢ウマは、おとなしく耐久性もあるので、乗用馬に好んで用いられる。同じ理由で去勢ラクダ・ウシは荷駄用として優れている。去勢ヒツジは身体が大きく、宴会の飾り付け用の肉として、またほかのヒツジがやせ細った春の食糧としてなくてはならない。去勢畜の温存が可能なのは、牧地にそれだけの許容力があることと家畜が群で粗放されているからである。このように去勢畜を活用するモンゴルの牧畜文化を、小長谷(1996)は「去勢畜文化」とよんでいる。
 去勢は、牧畜におけるもっとも基本的な技術であり、人間はこれによって家畜の形質を自分にとって都合のよいものに変えてきた。また、オス・メスの対関係を規制し、群を安定化させる役割も果たす。さらに、うえに述べたように有用な去勢畜もつくりだす。去勢は、搾乳と同じく、多面的な効用を持つ技術なのである。

屠殺

 『モンゴルの一日−秋−』の画面左、青い天幕の横では、ヒツジの屠殺と解体が行われている。男がヒツジの前足をつかみ、みぞおちにナイフで開けた傷口から手を入れ、指で大動脈を断ち切ろうとしている。フェルト作りのあとの宴会のためであろうか、荷車にはさらに2頭のヒツジが屠殺されるのを待っている。その上ではすでに解体されたヒツジが1頭、内臓を2人の女が洗っている。ヒツジ・ヤギを屠殺・解体するときは、血を地面に流さないようにする。腹腔にたまる血は、すくいとってソーセージにして煮て食べる。
 屠殺の方法は、ヒツジとヤギでは同じだが、ウシでは足をしばって地面に倒したあと、延髄をナイフで断ち切る。
 ウマ・ラクダが屠殺の対象となることはまれだ。老いたウマ・ラクダは、『モンゴルの一日−秋−』の画面下やや左に見える白ラクダのように、群から取り残され、結局はオオカミの餌食になることがおおい。
 ヒツジ・ヤギ・ウシの老いた種牡は、去勢されて肉の臭みが抜けたあと、屠殺される。ただ、仔畜のころ母畜をうしなって、ゲルの中で哺乳瓶で乳を吸って飼われた特別な個体は、飼い主の情がうつって屠殺しにくく、よその家への贈り物にされたりして処分される。
 家畜は、野生動物のように気が荒く、人間の姿を見るとすぐに逃げ出すようではいけないが、かといって人間にあまり近く、なれてしまったり、世話に手がかかったりするのもいけない。人間との適度な距離が必要なのだ。人間になつきすぎた家畜は、人間を恐れないから、群にならないし追い立てられない。
 この人間との適当な距離づくりのため、去勢による「種」の選択が行われてきたわけだ。また、生まれたばかりの仔ヒツジの管理、搾乳に付随するさまざまな作業といったものも、この距離づくりに役だっているといえる。これらを、家畜を「野生」から「人間」に近づける方向の努力だとすれば、牧民が家畜の管理を出来るだけ省力化しようとする傾向は、反対に家畜を「人間」に過度に近づけない効果があるといえる。
 それと同時に牧民は、日常の牧畜作業の中でも、コミュニケーショナルな方法で家畜との距離をはかっている。家畜それぞれに、追う(人間から遠ざける)掛け声、立ち止まらせる掛け声、呼び寄せる(人間に近づける)呼び声が決まっている。搾乳など人間との距離が極端に近くなるばあい、搾乳のための掛け声のほか、呼び寄せの掛け声もかけられる。
 シャラブの絵の各部分からも、人間と家畜とのあいだで交わされる、掛け声や鳴き声のそんなやりとりが聞こえてきそうだ。

(掲載されたものと異なる部分があります)

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