2000年度「カルチュラル・スタディーズ入門」 1学期レポート

ポエトリー・リーディング

英語専攻3年 松野泰子


     詩は、あらゆる文化的作品の中でもっとも高度で最も芸術性に富んだものであるというふうに、長い間されてくる風潮があった。古代においてもギリシャ詩人など、偉大な詩人たちは、まるで神そのものであるかのように、社会の思想や生活のあり方にまで、その作品でもって影響を与えてきた。

     日本でも和歌・短歌・俳句・川柳、様々な形の詩が、長い間、貴族の生活の中に、あるいは一般の知識人の中に深く入り込んでいたし、良い詩を詠めることが、自らの価値を決めるともいえるように、重要に考えられていた。言葉を様々に組み替えたり並べ替えて、ある一つのリズムを創る。そしてそのリズムを創る方式は、昔から、時代や場所によって様々に異なれども、それぞれある一定のルールをもっていた。しかし、基本的には、詩というものは誰もが生み出せるもので、人間の心の中にある感情や信念を、言葉でもってこの世の中に印刷していく作業に他ならないのである。詩を愛する人々の気持ちは上に書いたように、昔から人間の中に存在してきたものである。しかし、現代アメリカを中心に爆発的に人気を集めている「ポエトリー・リーディング」は、これまでで最も寛大で自由な形で、人々が、どのようなものであれ、自らの内側から生み出した言葉の集まりを、誰かに聞かせることなく殺してしまうのではなくて、外に発散することができる場所を提供している、新しい詩の形態なのである。

     ポエトリー・リーディングは、もちろんそのまま「詩の朗読」という意味だが、しかしそれは、ただ単に紙の上に記述された詩を、日本語の意味での朗読、読み上げる、というだけにはとどまらない。自らの声と体を使って、内からあふれ出てくる言葉を形にして表現する、言うなればパフォーマンス性が大変につよいものなのである。ポエトリー・リーディングの起源は、1930年代から40年代にアメリカで人種差別などの問題提起・あるいは問題に対する抗議の意味で都市生活者の黒人の街頭演説からはじまり、次第にそれが詩の形をとるようになったものだといわれている。また、「ポエトリー・リーディング」そのものとしてのジャンルを確かにしたのは、ビート派といわれる人々、アレン・ギンズバーグやジャック・ケルアックらの活動であった。最も有名なものには、もちろん、アレン・ギンズバーグの“Howl”(邦題「吠える」)がある。彼らを中心に、サンフランシスコやロサンゼルスではポエトリー・リーディングが流行し始め、多くのポエトリー・カフェが出現した。今では、ニューヨーク・サンフランシスコ・ロンドンといった大都市のカフェで、毎晩のようにリーディングが行われている。アメリカの人々がよむ詩は、日本人のそれにくらべて、より社会に対して訴えかける内容のものが多い。もともとの発祥が先に述べたように人種問題に対する抗議であることや、ビートニクスたちがヒッピーのような存在でアメリカ社会に対する疑問を詩にしたこと、ビートの中でもゲイリー・スナイダーのような人は環境問題や自然と共存するネイティブアメリカンの主張を詩にしていること、など、どれも外に向けての問題提起を、詩というジャンルをつかって表現し投げかけていることからも、それはうかがい知れることであろう。

     1999年末に一本の映画が、全米を騒がせ日本にも到着した。「SLAM」という映画である。この映画の舞台はワシントンDCのスラム街で、主人公の黒人青年は生きていくために麻薬売買の仕事をしているが、彼は詩の朗読や即興詩をつくる才能にたけていて、ポエトリー・リーディング、パフォーマンス・ポエット、スポークン・ワード、ポエトリー・スラム、あるいはスラムと呼ばれる詩の朗読を特技としている、という話である。これも、アメリカ社会の暴力や麻薬問題、刑務所に入る黒人問題、といったアメリカの今の問題点を取り上げた映画になっているし、またそのようなパワフルな訴えかけるリーディングがこの映画では見所なのである。このように、アメリカでは、詩の朗読、あるいは詩そのものが、多大に注目されていて評価されている、ということが分かる。

     日本でも東京を中心に、詩の朗読会は多くの場所で行われてきている。始めはやはり受け入れられにくいイベントであったようだが、最近では、「ふらりとカフェに立ち寄るついでに」といった気軽さでポエトリー・リーディングを聞けるようになってきた。東京にある、主なポエトリー・リーディングを開催しているカフェは、南青山のオージャス、渋谷 Twins Yoshihashi、恵比寿のホワットディケンズ、高田馬場のベンズカフェ、西荻窪のハートランド、などがあげられる。他にも実に様々な場所でポエトリー・リーディングが聞けるし、その内容も多種多様である。詩とは何か、という疑問を抱え込むよりも先に、人々が伝えたい言葉を自由に放射しているようなエネルギーにあふれるパフォーマンスがみられ、感動せざるを得ない。言葉というよりも声による音楽のような、何かの定義の枠にとらわれていないもの。それが、現段階のポエトリー・リーディング・パーティにはみられる。

     出場者と観客をきっぱりとわけて、観客からお金を取る形式のイベントも多くあるが、例えば高田馬場のベンズカフェで毎月第3、第4日曜日に行われるリーディングでは、参加者は自由で、だれでも読む詩、発表する言葉さえ持っていればステージに立つことができる。もちろん初登場の人などは緊張して声も硬く、詩人と自称する人に比べると作品として完成されてはいない。けれど、誰でもが自分を表現しようとしている姿は様々で、緊張感や恥ずかしさの殻から抜け出そうとするところに文化が生まれていくようで、見ていて大変に興味深い。

     先日は青山の美術館 Watari-um にて、ゲイの人々によるポエトリー・リーディングが開催された。奇抜な衣装に身を包んだゲイの人々が次々にステージに上がり、自分の詩や物語、日記の形になったものを朗読したり、一人芝居のようなパフォーマンスを見せてくれる人もいた。会場は時に笑いに包まれたり、彼らが語る愛の言葉にうっとりとする雰囲気をかもしだしながら、イベントという形のパーティのように熱い熱気に包まれていた。きっと、この新しく自由なポエトリー・リーディングの場で、かつて、アメリカの黒人たちが自分たちの境遇に対する思いを打ちつけたように、ゲイの人々がそこで自らの作品を他の人々に聞かせることは何も不思議なことではなく、もっともなことなのであろうと思われた。新しい文化には、寛大な心が含まれているという証明ではないだろうか。

     また、詩人楠かつのり氏が、1997年から開催しているのは、「詩のボクシング」と呼ばれる大会である。これは、もともと1982年にシカゴのとあるバーから始まったというルーツをもっていて、アメリカにはある程度根づいたものであるが、楠氏がコミッショナーとして日本にも持ち込んできたもので、1997年以来毎年大会が開かれているし、2000年度の大会も10月に控えている。これは少し変わったリーディングのやり方で、エンターテイメント性が、かなり高い。まず、会場にボクシングの試合に見られるようなリングを張り、そこで、出場者を二人決め、ボクシングの試合のようにラウンドごとに3分から5分のそれぞれのもち時間をあたえる。ラウンドは10ラウンドまであり、そこで、グローブの代わりに持参の詩を朗読するのだ。最終ラウンドは即興詩で、レフリーから与えられた題目を見てその場で詩を作りよまなくてはならない。第一回目は詩人ねじめ正一対女性詩人阿賀猥の対決で、結果はねじめ正一氏の勝利だったが、彼は一年後に開かれた第二回目で、チャンピオンの座を挑戦者の谷川俊太郎氏に奪われている。また、このときのねじめ氏対谷川氏のユニークな戦いが、この「詩のボクシング」の人気を一気に高めたといっても過言ではない。ちなみに、二人の試合は CD-ROM つきの本『詩のボクシング 声の力』(楠かつのり、東京書籍)で観戦することができる。この「詩のボクシング」では、まさに「その詩は果たして『詩』なのか?」という疑問が沸き起こるような戦いが繰り広げられる。しかし「この大会で重要視されていることは『声』に出すということ」であると、第一人者の楠氏は言う。「詩」というものを難しいもの、印刷されてしか味わえないものと考えるより前に、アメリカで見られるような人間の生の声がもたらす影響力の方を重要視し、その中で、また観客とのコミュニケーションとして、詩の朗読を捉えているといった、新しいゲームなのだ。

     このように、「詩」そのものが、とっつきにくいものであるとされてきていた日本でも、今若者を中心にその面白さが理解されつつあろうとしている。そしてその流行に大きく貢献しているのが「詩を朗読する」「声にだす」という形をとっている、このリーディングではないだろうか。

     ポエトリー・リーディングは、アメリカでも、日本でも、枠がまだ定まっていない分野であるからこそ、これからも自由と可能性を詩人たちに与えてくれるし、また、日常生活にいる誰もを詩人にしてくれるものなのである。これからも開拓がなされていくフィールドであり、また同時により洗練された文化活動に成長していくことは間違いがない。インターネットや、マスメディアのグローバル化にしたがって、様々な規制は減少され、個人個人が自分たちを非表現者として、文化の枠の外にいる傍観者としてではなく、より個人的な日々の活動さえも一個の表現として形にし、それを伝えることのできる現代の波に、乗りかかるようにして、ポエトリー・リーディングはその面白さを増大させていっているように思われる。私はこれからもポエトリー・リーディング状勢に注目しつづけたいと考えている。


<参考文献・資料>
楠かつのり『詩のボクシング・声の力』 東京書籍、1999年
「自作の詩で熱戦バトル」、『常陽リビング』、1999年
「SLAM」 http://kawara-ban.plaza.gaiax.com/99/99111201.htm


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