条件形複合用言形式の認定

花  薗    悟

キーワード  条件形、複合用言、モダリティ、文法化

1.モダリティ形式と文法化
 平叙文(叙述文、述べ立て文)における述語のモダリティ形式はさまざまに提起されているが、それらの構成要素(文法的な手順)には多様なものがある。工藤1989や森田・松木1989などを参考にピックアップしてみても注1
(1)a.名詞+判定詞: 様子だ,見込みだ,所存だ,つもりだ,タイプだ,性格だ
 b.名詞+存在動詞:必要がある,可能性がある,おそれがある
 c.テ形+(評価的)用言:〜して(も)[いい/かまわない/結構だ], 〜しては[ならない/いけない/だめだ]
 d.動詞の条件形+(評価的)用言:〜しなければならない,〜しなければいけない,〜すればいい,〜したらいい,〜するといい
などがある。
 上記の諸形式をモダリティ形式として認めるためには、これらが主観的な形式である注2ことと共にこれらの形式が文法的形式であることを示さなければならないと思われる。たとえば(1.a)の諸形式に関しては新屋1989の研究がある。
 新屋は「名詞+だ」の形のうち、話し手の主観をあらわす文末形式化しているものを「文末名詞」と名付け、その統語的・意味的特徴を観察している。具体的には次のような形式である。
(2)a.梓川は、これまでの春の時とは少し異なった感じだった。
b.平岡はあまりこの返事の冷淡なのに驚いた様子であった。
 新屋はこれらの形式に共通する特徴として次のようなものをあげている。
(3)a.否定形・「〜はない」の形で否定: いくつもり[は/*では]ない。
b.人称制限・文末名詞に対応する主語は1人称。:*彼は夢を見ている気分だ。
c.ガノ可変・文末名詞はガノ不可変:彼[*の/が]いくつもりはない。
 なお、文末名詞にも文末名詞らしさの程度はそれぞれ異なると思われるが、これらのうち寺村1984が「二次的ムードの助動詞」としてあげている「ようだ」「のだ」「わけだ」「はずだ」「ものだ」「ところだ」などはそれが頻繁に用いられることから固定化・慣習化された形式として広く認定されるに至ったものであると考えることが出来る。
 本稿では、(1.d)の条件形と用言が結びついた複合述語形式(条件形複合用言形式、以下「条件用言」とよぶ)の語としての資格を検討したい。取り上げるのは「〜しなければ ならない/いけない」「〜すれば/したら/すると いい」である。注3条件用言に関するこれまでの研究は意味的な側面に力点が置かれ、これらを一つの言語単位として認める――前に来る動詞をも含んで一つの語とする――ことの根拠は示されてこなかったように思える。本稿ではこれらが複合した形である(「文末名詞」について新屋1989が示したような)根拠を示してみたいと思う。

 本稿では上のように条件用言を一語として認める立場をとったが、複合的な文法的形式をどのように認定するかには問題が多い。鈴木1972や高橋他1998では、他の文法書では一語としてとりあげられることの多い助動詞「かもしれない」「にちがいない」を「(かも) しれない」「(に) ちがいない」のように「に」「かも」を前接する語にくっつけた形でとりだしている。つまりこれらの認識的モダリティ(形式)を言語単位として認めてはいるのだが、分割する単位が異なっているといえる。「(〜に)おいて」などのいわゆる後置詞についても鈴木1972などは「おいて」を後置詞として認定するが、「において」全体を後置詞とする立場もある(仁田1997のように語以下のものとする立場もある)。また奥田1977が「〜している」をsite-iruと表記しているが、これは「〜している」は「〜する」と対立するアスペクト形式としてひとつのまとまりを形成していることと、とりたて助辞(助詞)「は」「も」などが入りうる分析的な形式であることから一語と二語の中間的な段階であることを示唆しているとも読める。
 文法形式としてひとつのまとまりをなしていることと、それが語として認定されることとは等価ではないかもしれない。条件用言をひとつの語と認定するしないは単語をどう規定するかに関わってくる問題で、これらをあくまでも二語以上と見る立場もありうるだろう。ただその場合でも「〜すれば」「〜しなければ」、「ならない」「いい」という連続の統語的なふるまいや意味が、基本的な意味で二語をなしている場合とどのように異なるかを調査する価値はあるだろう。仮に条件用言を二語としてとらえるとしても、それがひとつのまとまりをなす統語・意味的な特徴があることが示せればそれでよい。本稿の興味は条件用言が一語か二語かということではなく、それらに関わる具体的な現象を観察することにある。

 以下、条件用言がひとつの文法的形式となっていることを証明していきたい。具体的には前半の「〜すれば/したら/すると」(「条件部」と呼ぶ)、後半の「ならない/いけない/いい」(「帰結部」)それぞれが、文中における共起制限の解除や文法的カテゴリーの喪失など元の形式としての性質を失っていることを示し、さらにそれらが一体化していることを示す。まず「〜しなければならない」で方法を示し、同様のことを「〜しなければいけない」「〜すればいい」「〜したらいい」「〜するといい」に適用する。

2. 条件用言の文法化―「〜しなければならない」を例に―
2.1.条件部
2.1.1.条件形の複数出現

 条件をあらわす形式は原則として一文中に二度以上あらわれない。
  (4) ?明日雨が降ったら、学校が休みだったら、君の家に行くよ。
 次のように異なった形式の条件形は連続するとしても、
  (5) パソコンを買いたかったら、山田さんにいえば、割引券をくれるよ。
 (4)のように同一の形式が複数出現することは不可能に思われる。これは日本語においては並立的なものを除き、同一カテゴリーの文法的要素がひとつの文中には原則として共存し得ないということからも首肯されることであろう。

 以下の議論の前提として(4)のような現象について証明しておく必要があるが、条件文の研究をあたってみても、前田1993などが「〜しても」と条件文との差異として触れているのみである(前田1993:151)。(5)のような現象についても、文の階層構造に関する南1993の研究がB段階要素は連続するとしているが、理由節が条件節を含むという例(ソンナコトシタラ先生ニシカラレルノデ、ヤメテオイタ)しか見当たらない。言語学研究会1985〜6(4)も「〜しても」と「〜すれば」などが同時にあらわれている例はあげているが(「彼がなんと 言っても、条件さえ整えば、僕は行く」)、「すれば」「するなら」「したら」などの連続については特に言及していない。

 (4)のように同一の条件形が一文中に複数回用いられることは基本的にないのであるが、一方、「〜しなければならない」は、この中にふくまれるのと同一の条件形「〜すれば」をもつ条件文をしたがえることが出来る。
(6)a.夜半といわず未明といわず医者は需められれば直ちに応じなければならないが、…… (華岡青洲の妻)
b.庭の草取りもあるし、雪隠に糞がたまれば汲み取りもしなければならない。 (雁の寺・越前竹人形)
c.「向こうでやれば、当然、ホームタウン・デシジョンは覚悟しなければならないし、容易なことじゃ勝てないぜ」(一瞬の夏)
 「〜しなければならない」の「〜しなければ」は条件を与えるという条件形としての基本的な意味をもはや失っている。つまり条件用言になるということはそこに含まれる「〜しなければ」が条件形式としての意味を失って述語の形式に埋没してしまったということができる注4

2.1.2. 仮定副詞の共起不可
 条件部が条件の意味を保っているなら、「もし/もしも/万一」などの仮定をあらわす副詞が共起可能なはずである注5
  (7)「まだ最終決定はしていないが、もし貴君に決まれば近日中に主任からの手紙が届くと思います」(若き数学者のアメリカ)
 「〜しなければならない」と類似した意味をあらわす「〜しなければだめだ」「〜しなければ困る」なども「もし」の共起は不可能ではないと思われる。
  (8)もし、君が行かなければ、だめだ/困る。
 しかし、これらの副詞は「〜しなければならない」とは共起することが出来ない。
  (9) ?{もし/仮に/万一}君が行かなければならない。
 これは2.1.1と同じように「〜しなければならない」の条件部が条件形としての意味を失ったことによるものであろう。

2.1.3. みとめ方の対立の消失
 条件形は文法的なカテゴリーとしてみとめ方(肯定・否定の対立)をもつ。
 (10)もし 雨が 降れば/降らなければ、明日の運動会は中止だ。
 一方、「〜しなければならない」の条件部は否定に限られ、対応する肯定の形をもたない。すなわち肯定・否定の対立を失っている注6
 (11)学校へ ?行けば/行かなければ ならない。
 このことも条件用言の条件部が条件形としての性質を失っていることの証拠となるだろう注7

2.2. 帰結部
2.2.1. 連文における省略

 語形成論の最近の成果とされる影山1993は語を認定するための基準として「形態的な不可分性」「統語的要素の排除」「外部からの修飾の禁止」「語彙照応の制約」をあげており(影山1993:10-11)、語の形態的緊密性を例証するテストとして次のような<等位構造における削除>の例を示している。等位構造において重出する要素は削除できるが、語は形態的緊密性をもち形態的に不可分であるため、削除をすることはできない。たとえば、次のような「(〜し)はじめる」の場合を見てみよう。(12.a)のような本動詞としての「はじめる」は削除可能だが、(12.b)のように派生動詞の一部となっている場合は削除をすることが出来ない注8

(12)a.誠は勉強をはじめ、知子は料理の準備をはじめた。
 a'.誠は勉強をはじめ、知子は料理の準備をはじめた。
 b.誠は経済学の本を読みはじめ、知子は料理を作りはじめた。
 b'.?誠は経済学の本を読みはじめ、知子は料理を作りはじめた。

 影山はこれを語の形態的緊密性を計るテストとして用いているが、ある形式が語であるということはそれを構成する要素は語以下のものであるということであり、複合的形式を構成する要素が語としての資格を失っているかどうかを試すテストフレームとしてこれを用いることも可能であると思われる。
 そこで上のテストフレームを「〜しなければならない」にも適用したいのだが、「〜しなければならない」の場合、((4)で示したように)「〜すれば」が一文中に一回しかあらわれず、(12)のような省略を単文では考えることが出来ないため、連文単位で考えることにする注9。(13.a)の場合なら省略が可能であるが、「〜しなければならない」の帰結部として「ならない」が語の一部となってしまった(13.b)では不可能であろう。

(13)a. 明日雨が降れば  学校は休みになる。 もしくはストがあれば学校は休みになる。
b .?仕事上でミスをした場合、自分で解決策を考えなければならない。 もしくは直ちに上司に報告しなければならない。

 このことも「〜しなければならない」において「ならない」が語としての性質を失っていることの証拠となるだろう注10

2.2.2.形式の取り替え不可
 認識的モダリティ形式として認定されている「にちがいない」「かもしれない」は、後半部を入れ替えて肯定の形にすることは出来ない(にちがいない/*にちがいある、かもしれない/*かもしれる)。これはそれぞれの形式が「にちがいない」「かもしれない」の形で固定化しているためだと思われる。
 「〜しなければならない」の帰結部「ならない」も対応する肯定の形を取ることが出来ないが、このことも「ならない」が固定化していることを示しているといえる注11
(14) 学校へ行かなければ ?なる/ならない。

2.3. 語としての一体性
 以上、「〜しなければ」「ならない」それぞれが基本的にもつ形態論的・構文論的特徴を失っていることを観察した。次は「〜しなければならない」がひとつの語としてのまとまりをなしていることを示さなければならない。
2.3.1. 倒置可能性
 先にあげた影山1993で影山は「語は統語的な分割を許さない」とし、その形態的な不可分性をテストするフレームとして強調構文の例を提出している。
(15)首相が国際会議に出席した。
    *首相が_____会議に出席したのは国際だ。
     cf.首相が出席したのは国際会議だ。
  (15)では「国際会議」がひとつの複合語をなしているため、これを分解することが出来ないというものだが、条件用言は強調構文の形を取り得ないため倒置可能性の違いを考えたい。
 条件形の本来の用法なら、これらの倒置は可能である。
 (16)a. 明日雨が降れば、運動会は中止だね。
     b. 運動会は中止だね、明日雨が降れば。
 一方、「〜しなければならない」では帰結部を条件部の前に持ってくることは不可能であると思われる。
(17)a. 明日までにこの仕事を仕上げなければならない。
     b. ?ならない、明日までにこの仕事を仕上げなければ。
 これは「〜しなければならない」がひとつの単位であって、これを分解出来ないということを示しているように思われる。

2.3.2. 挿入の不可能
 条件用言が表面的な形式どおり、条件形+用言という二語としての分離性を保っているのなら、以下のような挿入が可能なはずであるが、これは不可能である。
(18)?学校へ行かなければ 絶対にならない。
 このことも「〜しなければならない」が一体化していることを示していると言える。

2.3.3. 叙法副詞の共起
 「〜しなければならない」はひとつの述語形式として機能するようになった結果、<義務><必然>などの意味をあらわすのだが、それが条件部と帰結部の組み合わせから予測できない意味をあらわすようになっていることは、構文論的にも叙法副詞「ぜひ」「ぜひとも」「当然」などと共起することで示すことが出来る。
(19)ぜひとも締め切りまでに完成させなければならない。
「ぜひとも」などの形式は命令や意志・願望の意味をあらわす述語と共起するもので、条件をあらわす「〜すれば」自体注12とも「ならない」とも本来共起しないものであろう。
(20) a. ?ぜひとも研究室に行ってみれば、先生に会えるよ。
b. ?ぜひとも ならない。
 条件部と帰結部が条件用言として一つの形式になったからこそ、これらの叙法副詞が共起するようになったといえる。

3. 他の形式への適用
3.1.条件部 
3.1.1.同一の条件形の複数出現

 「〜しなければいけない」「〜したらいい」「〜すればいい」を述語にもつ文は条件部と同じ条件形をもつ従属複文を従えることが出来る。
(21)a. ……もし大宮に万一のことでもあれば、玉鬘も服喪しなければいけない。(新源氏物語)
b.「果して自分の言うことを理解してくれるだろうか。分らなくなって教室が混乱したらどう収拾したらよいのか。……」(若き数学者のアメリカ)
c.見張りがいるのなら我々の姿をみつければいいし、 尾けたければ尾ければいい。(世界の終わりとハードボイルドワンダーランド)
 ただし、「〜するといい」を述語にもつ文は「〜すると」の従属文をしたがえることが出来ない。これは「〜するといい」は<勧め><願望>をあらわすが、従属文の「〜すると」が主文に命令や依頼・願望などの形式をとることができない(「お金が あれば/あったら/?あると 買いなさい」「時間があれば/あったら/?あると、僕も行きたいな」)ことで説明できる注13

3.1.2. 仮定副詞の共起
 2.1.2と同じことがここでも成り立つ。「〜すれば」と同じく、条件をあらわす場合は「〜したら」「〜すると」もそれぞれ仮定副詞が共起する。
 (22もし反論{したら/すると}、騒ぎを大きくして自分たち が民族としてクローズアップされる怖れがあるからだ。
 一方、「〜しなければいけない」「〜すればいい」「〜したらいい」「〜するといい」にはこれらの仮定副詞は共起することができない。
  (23)a. ?{もし/仮に/万一}行かなければいけない。
b. ?{もし/仮に/万一}行くといい。
c. ?{もし/仮に/万一}行ったらいい。
d. ?{もし/仮に/万一}行けばいい。

3.1.3. 文法的カテゴリーの消失
@肯定・否定の対立
 「〜しなければならない」と同様、「〜しなければいけない」は、条件部が肯定の形を取ることが出来ない。
  (24)学校へ ?行けば/行かなければ いけない。
 一方、「〜するといい」「〜したらいい」「〜すればいい」には条件部が否定の形を取る場合がある。それぞれについて見てみよう。
〜するといい:資料中注14に見られた「〜しないといい」の例は1例のみ(全体で56例中)。聞き手が制御不可能な<願望>をあらわしているもののみである。
 (25)<かくれんぼをしている場面>(いつまでもみつからないといいな)                        (塩狩峠)
 しかし、2人称を主語に取り、制御可能な動作で<勧め>をあらわす場合には「〜しないといい」という形は使われないと思われる。
  (26)?そこは危険地帯だから行かないといいよ。
 つまり「〜するといい」は<願望>をあらわす場合にのみ、条件部にみとめ方の対立をもつといえる。
〜したらいい:「〜したらいい」でも資料中には次のようなものが1例見られるのみである(「〜したらいい」の総数169例)。
 (27)「どうせなら、はじめからお情けをかけて頂かなかったらよかったのに」(新源氏物語)
 これは過去の起こりえなかった事態を望む反実仮想的な用法であり、聞き手が制御不可能な<願望>をあらわす場合のみ可能という点で「〜しないといい」と共通すると思われる。(28)のような例はかなり不自然だろう。
 (28)行きたくなかったら、?行かなかったらいいよ。
〜すればいい:「〜すればいい」には条件部が否定の形である例が他の形式に比べて多数見られる(全用例643中35例)。
(29) a.「したくなきゃあ、しなきゃいいさ。でも何故さ」(太郎物語)
b.「……野田動物が買収していなければいいと思っているんです」(パニック・裸の王様)

 (29)のように<願望>だけでなく制御可能な<適切>をあらわしうるという面からも、数量的な面からも「〜すればいい」は他の上の2つの形式にくらべて条件部のみとめかたの対立が顕著だといえる。この点で条件部が語としての性質を失っている程度は他の形式にくらべ相対的に低いといえるだろう。

A丁寧さの対立の消失 「〜したら」「〜すると」はみとめ方に加えて丁寧さという文法的カテゴリーをもつ。

(30)雨が{降ったら/降りましたら}{降ると/降りますと}……

 「〜するといい」「〜したらいい」は条件部においてこれらの対立を失っているという点もこれらを複合述語とする根拠となるだろう。
 (31)a. 先生に聞いてみるといい/?聞いてみますとよろしゅうございます
     b. ここで買っていったらいい/?買っていきましたらよろしゅうございます
 条件用言全体の丁寧さは帰結部における丁寧さの違いであらわされることになる。

3.2. 帰結部の接辞化
3.2.1. 連文における省略

 2.2.1で見たことが「〜しなければいけない」「〜するといい」「〜したらいい」「〜すればいい」でもやはり成り立つ。
(32)a. ?仕事上でミスをした場合、自分で解決策を考えなければいけない。 もしくは直ちに上司に報告しなければいけない
b. ?そのことなら民生委員に頼んでみるといい。 もしくは直接市役所に行ってみるといい
c. ?疑問点は図書館で調べたらいい。 もしくは先生に聞いてみたらいい
d. ?紙コップは丸めて捨てればいい。 もしくはまとめておけばいい

3.2.2. 入れ替え可能性

 2.2.2で述べたように、帰結部においてみとめ方という形態論的カテゴリーは、「〜しなければいけない」「〜するといい」「〜すればいい」でも失われている。みとめ方において対立する形「?〜しなければいける」「?〜すると/したら/すれば よくない」は存在しないか、存在するとしてもそれぞれの形式の対概念をあらわさないだろう。みとめ方の対立する形以外に反意語で考えてみても、「〜しなければいけない」の帰結部を「いい」に取り替えてしまうと、それは否定的な<適切>をあらわす「〜すればいい」に変質してしまい、「〜しなければいけない」の対概念をあらわすものではなくなってしまうのである。「〜するといけない」も否定的な<勧め>をあらわすというよりも<危惧>をあらわすといったほうがいいだろう。また「〜すればいけない」という形は存在しない。

(33)a.学校へ行かなければいけない。(義務・必然)/#行かなければいい(否定的な適切)
b. 学校へ行くといい(勧め・願望)/#行くといけない(危惧)
c. 学校へ 行けばいい/ ?いけない。

 「〜したらいい」は「〜したらいけない」の形が存在し、意味の上からも<否定的な適切>と考えられる例が見られた。

(34)《お父さんみたいに、大口開けて笑ったり、むしゃむし ゃ食べたりしたらいけないんだね》(太郎物語)

3.3. 語としての一体性
3.3.1. 倒置可能性

 「〜するといい」「〜したらいい」はいずれも倒置不可能であるといえるだろう。

(35)a. M先生に聞いてみるといいよ。
a'. ?いいよ、K先生に聞いてみると。
b. だったらお父さんにお礼なさったらいいわ
b'.?だったら、いいわ、お父さんにお礼なさったら。

 「〜しなければいけない」はやや判断にゆれがあり、「〜すればいい」においては、(36.b')のような例は不自然だとしても、(36.c')のような例は存在する。

(36) a.ちゃんと勉強しなきゃいけないよ。
a'.(?)いけないよ、ちゃんと勉強しなきゃ。
b.M先生に聞いてみればいいよ。
b'.?いいよ、M先生に聞いてみれば。
c.「残しておけばいいですよ」
c'. (大きな肉を出されたので半分に切ってもらおうとして)
「大きい? いいですよ、残しておけば」(菊池誠『半導体40年』中公新書:魏1997による)

 ただし、(36.c)はたとえば「〜してもいい」に置き換えが出来る(あるいはしやすい)ことで「〜すればいい」の意味がやや変質しているといえるだろう。また倒置されうるとしても条件部が「ておく」「ている」などの形式に限られるようである。
 なお、「条件形+いい」の形でも条件用言を形成しない「〜ならいい」は倒置が可能である。
 (37)「いいわよ。向うさんがいいっておっしゃるなら」(太郎物語)

3.3.2. 修飾要素の挿入可能性
 「〜しなければならない」ほどではないが、「〜しなければいけない」の内部に次のような修飾をすることはかなり不自然だろう(資料中にはなかった)。
 (38) ?学校へ行かなければ絶対にいけない。
 一方、その他の形式「〜すればいい」「〜したらいい」「〜するといい」に関しては、程度副詞や叙法副詞が割り込んでいると見うる例がある。
(39)a.「酒がありゃもっといい」(女社長に乾杯!)
b.もし天井にファンがついている部屋なら、それをつけっぱなしにするとよりいい。(下川裕治『アジアの誘惑』講談社文庫)
c.「……それを誰かに売って、その何十パーセントかを船橋に渡せば、きっといいね」(一瞬の夏)
 また「〜すればいい」には「それで」などの挿入が可能である注15
(40)a.ただ、昔読んだ本を読み返していればそれでいい……。(沢木耕太郎『深夜特急5』)
b.数学の世界で意思が通じればそれでよいのだ。それだけが初めからの目標ではないか。(若き数学者のアメリカ)
c.味もきちんと調っていれば、それでいい。(雁屋哲・花咲アキラ『美味しんぼ35』)
 これらの多くは程度副詞や「それで」などが挿入されることによって帰結部の「いい」の評価性が表面化し、結果として条件用言の一体性が崩れていると思われ、内部に挿入されないものとは意味的に違いが感じられるのだが、これはたとえば次のように倒置が可能になることからも示されるだろう。前に2.3.1で示したように条件用言は条件部と帰結部とを倒置させることは基本的に不可能なのだが、これら挿入がされた場合、倒置が可能に(あるいはしやすく)なると思われる。
  (39')a.もっといいね、酒がありゃ。
b.きっといいね、それを誰かに売って、その何十パーセン   トかを船橋に渡せば。
  (40') a. それでいい、昔読んだ本を読み返していれば。
b. それでよいのだ、数学の世界で意思が通じれば。
    c. それでいい、味もきちんと調っていれば。
 上の現象から、これらの形式は既に条件用言ではないと見ることも出来るかもしれない。が、おそらく重要なことはこれらの条件用言の内部に他の要素が挿入された形が存在するということであり、条件部と帰結部の結びつきが「〜しなければならない」などにくらべ相対的に低いということであろう。

3.3.3. 叙法副詞の共起
 これらの条件用言の形式は「〜しなければならない」と同様、叙法副詞と共起することが可能となる。
 (41) a.どうしても勝たなければいけないという思いが、内藤 の動きを硬いものにしているようだった。(一瞬の夏)
b.今度の鎮花祭には おまえもぜひ同行するとよい。(山岸涼子『日出処の天子1』)
c.こんなに素晴らしい制度なのですから、今後もぜひ続いたらいいなと思います。(『毎日新聞'95データ集』日外アソシエーツ)
d.「もう少し、せめてこの宮がもっとしっかりなさる年頃までそばにいてあげられればいいのだが――」(新源氏物語)
 これらの叙法副詞も((20)で示したのと同様に)条件部や帰結部自体と共起するものではなく、条件用言として一体化した結果、このような共起関係が成立するようになったといえる。

4. まとめ
 以上、2.、3.において観察したことを表にすると次のようになる。
  
 しなければしなければ すると   したら   すれば
 ならない いけない  いい  いい  いい
同一条件形の出現可能
仮定副詞の共起不可能
みとめ方の消失×
丁寧さの消失
連文における省略の不可能    
入れ替え不可能
倒置の不可能
挿入不可能
叙法副詞の共起可能
   (○は可能、×は不可能、△は意味・用法により可能、− はテストが出来ないことを示す。)

 上記の表から「〜しなければならない/いけない」「〜するといい」「〜したらいい」「〜すればいい」の順で一語化の度合い(文法化の程度)が段階をなしていることが見てとれるだろう。
 以下、気づいた問題を列挙してこの稿を終えることとする。
1. 上の表の△で示したところでは、意味・用法によって条件部に否定があらわれたり、帰結部の修飾が可能になったりすることからわかるように、条件用言の一体性が崩れていることがわかる。
 これは各形式の内部でもそれぞれのあらわす意味・用法によって文法化の程度に差があることを示しているということだろう。よって、文法化の程度を計るには(ただ要素と要素とが結びついているということではなく)どのような意味・用法で使用されているかということをも考慮に入れなければならない。各形式にどのような意味・用法がどの程度固定化しているか(cf.「やきつけられ度」工藤1982)、それにより各形式のもつ文法的な性質にどのような違いが生じてくるかを精密に調査していく必要があるだろう。
 2.本稿では条件用言が条件の意味を失っていることに注目したが、条件用言中の条件部が完全に条件の意味を失っているわけでもないだろう。「〜するといい」「〜したらいい」「〜すればいい」の意味の違いは、「〜すると」「〜したら」「〜すれば」の違いで説明できる部分がある注16。そもそも条件用言においても「〜すると」「〜したら」「〜すれば」という条件部の使い分けがなされているということはこれらがやはり条件づけの用法で示していた意味を保存していることをあらわしているだろう。本稿では条件用言における条件部が条件づけをあらわす基本的な条件形と異なっていることを示すことに主眼を置いたが、条件用言の条件部と条件形との親近性をも視野に入れていく必要があろう。
3..本稿で論じた条件用言は<義務><適切>などをあらわす複合述語であったが、条件づけをあらわす従属複文が主文と従属文との関係から導かれる推論により義務や適切をあらわすことがあるのは従来から指摘されている(蓮沼1987、赤塚1998)。たとえば、次の(42)
は「静かにしなければならない(静かにするべきだ)」ということを含みとしてもつ。
  (42) 静かにしないと、おやつをあげませんよ。
 また次のように「帰結部」により具体的な意味をもった条件用言に近い形式が存在する。
  (43)a. しなければ/しなかったら だめだ/困る/話にならない どうしようもない
b. すれば/したら/すると  結構だ/十分だ/大丈夫だ/オーケーだ/終わりだ/すむ
 おそらくこれらは条件用言をその極とし、(43)を介在して(42)まで切れ目なく続いている(連続体をなしている)と思われる。このようなことを考えに入れて、今後は(43)のような諸形式がどこまで文法的な形式になっているか、本稿で論じたような形態論的・統語論的特徴を、実際の使用される頻度なども考慮しつつ、考察していく必要があろう。また条件用言以外のモダリティ形式についてもそれぞれの形式がどこまで、どのように文法形式化しているか調べてみる必要がある。そのような考察の積み重ねが平叙文の述語部分におけるモダリティ組織の体系を明らかにすることにつながっていくことと思われる。


注1 網羅的ではないしモダリティにかかわるかどうか問題のあるものも含む。
注2 Palmer1986、工藤1989など。なおモダリティを「主観的」形式とすることへの異論としては尾上1996を参照。
注3 本稿では「〜しなければならない」「〜しなければいけない」とは「ならない」「いけない」が単独で使われる可能性の差異を考慮してこれらを区別する。そのような意味をあらわしていても「〜しなくては ならない/いけない」など「条件形+評価成分」の形式でないものは扱わない。なお「〜しなければならない」は条件部に「〜しなきゃ/せねば」、帰結部に「なんねえ/ならん」などさまざまなヴァリアントをもつが、それらは「〜しなければ」、「ならない」の変種として特に区別をしない(「〜しなければいけない」「〜する/〜したら/〜すれば いい」における条件部、帰結部のヴァリアントも同様)。また、それぞれの形式の意味については「〜しなければならない/いけない」は<義務><必然>、「〜するといい」は<勧め><願望>、「〜したら/すればいい」<適切><願望>をあらわすとしておく。
注4  同様の例として、他の語として定着したもの、たとえば条件形出身の接続詞なら条件形との共起が可能となる(例えば、明日彼が来れば、君はどうする?)。また条件形でも並列をあらわす場合など複数出現できる場合もあるし、(5) でみた異なった形式の条件形の共起できる条件など、南のB段階を細分化するという視点からも条件形一般の複数出現について考えていく必要があろう。
注5 もちろん、すべての「〜すれば」に「もし」などが共起できるわけではない。条件づけの性質からしてこれら仮定副詞が共起しえない場合があるだろう。たとえば習慣や普遍の真理などをあらわす場合の「〜すれば」には「もし」は共起しにくいだろう(「?もし春がくれば、花が咲く」)。
注6  ただし、「〜すれば、」が独立性を保っている従属複文の場合でも、蓮沼1987のいうように(45)のような文は「<必要性>ないし<義務>をあらわすモダリティ表現に極めて近い」ものとなるが、この段階で既に従属文(前件)の述語が否定形であることが要求される。
  (45)もう起きなきゃ、遅刻しちゃうよ。<→モウ起キルベキダ>
 このように従属複文で<義務><必然>をあらわす段階で従属文の述語が否定形であることが要求されているといえる。「〜しなければならない」のもつ<義務><必然>の意味が上のような条件文における推論から導き出されるものだとすれば、条件部が常に否定形であるのはある意味で当然だともいえる。
 ただし、そうだとしても(45)のような文が<義務><必然>といった意味をあらわす(したがって従属文の述語が否定に限定される)には後件が<反期待性>であるなどの一種の語用論的な要件が必要となる。つまり(45)のような場合に従属節の述語に否定形を要求されるのは、形式上の要求というより語用論上の要求であるといえる。たとえば語用論上の条件を変えれば、同じ形式で肯定・否定の対立を持ち得る(「.この薬を飲まなければ死ぬよ」「この薬を飲めば死ぬよ」)。一方、「〜しなければならない」の場合には、((11)で示したように)「?行けばならない」という形式自体があり得ない。よって、やはり「〜しなければならない」の条件部が文法的カテゴリーを失っていると見ることは出来よう。
注7 この節でみた現象は文法化の議論でいわれる脱カテゴリー化の現象であるということが出来るだろう。Hopper and Traugott1993は文法化によって動詞が本来持つ動詞としての特性を失ってしまうことを、分詞のconsidering(修飾語や完了形を取ることが可能)と接続詞化したconsidering(修飾語や完了の形を取り得なくなる)との対照で示している。
Carefully considering/Having carefully considered all the evidence,the panel delivered its verdict.(considering=分詞)
Considering(*having carefully considered) you are so short,your skill at basketball is unexpected. (considering=接続詞)             (Hopper and Traugott1993:105)
注8 (12.b')は「読み、」が「はじめる」の削除されたものでなければ不適格ではないが、その場合は(「読みはじめる」ではなく)「読む」の連用形と解釈される。
注9 ただし連文の単位で「削除」のようなものを考えてよいのかということについては別に議論をしなければならないだろう。よってここでは連文における「削除」ではなく「省略」とした。
注10 なお、この現象は2.3でのべる語としての一体性の問題としてもとらえられる
注11 ただこの「ならない」は変化・成立をあらわす「(〜に)なる」の否定ではなく、不許可とでもいうべき意味をあらわす「ならない」で、歴史的に見ればこのような「ならない(ならぬ)」はかつては単独の語としての用法を持っていたのであるが、その段階でも対応する肯定の形をもたないものとして既に固定化していたようである(cf.湯沢1936)。現代語においてはそのような使い方はほとんどなく、よって「〜しなければならない」における「ならない」の意味自体を想起することも出来にくくなっている。よって、この場合は条件用言に入りこむことによって語としての性質を失うというよりも、近世語の「ならない」が条件用言の中で化石的に残っているといった方が正確だろう。
注12 「ぜひ行きたければ、行きなさい」「ぜひ行ってほしければ、丁寧に頼んでみなさい」のような例は条件文中に「ぜひ」が共起しているが、これは条件形自体と共起しているのではなく「〜したい」「〜してほしい」の希望の形式と共起していると見るべきだろう。
注13 ただ、「〜すれば」「〜したら」を述語にもつ条件文とは共起することから、「〜するといい」が条件形と共起するとはいえる(「具合が悪ければ休むといいよ」(塩狩峠)「……小さな池で死にかかっていたら、大きな池に放してやるといいんだ」(太郎物語))。
注14 用例は資料一覧にあげた32作品から採取した。
注15 「〜したらそれでいい」の形は内省では作りうるが(「別にトップで通らなくてもいい。合格さえしたらそれでいい」)、資料中には「〈嫁さんになってくれんでもええ。お母んになってくれたらそれでええ。竹神の家で、わいの面倒をみとくれやす……〉」(雁の寺)のような関西方言の例が2例見つかるのみである。
注16 高梨1995参照。また、赤塚1998などの一連の研究において、いわゆるデオンティック・モダリティの多くが本稿で示したような[条件+評価成分]という文法的手続きにより形成される日本語や韓国語では、幼児がたとえば英語圏の幼児よりはるかに早く条件文を身につけるという報告がなされている。親が子供に対して頻繁に用いる「D条件文(本稿の条件用言はその一部に当たる)」を通して日韓の幼児は条件文を早く身につけるというものだが、これが正しいとすると条件用言においてもやはり条件の意味は消え去っていないということになるだろう。

<資料一覧>赤川次郎『女社長に乾杯!』新潮文庫/阿川弘之『山本五十六』新潮文庫/浅田次郎『極道界』双葉文庫/安部公房『砂の女』新潮文庫/有吉佐和子『華岡青洲の妻』新潮文庫/石川達三『青春の蹉跌』新潮文庫/井上靖『あすなろ物語』新潮文庫/井上ひさし『ブンとフン』新潮文庫/五木寛之『風に吹かれて』新潮文庫/池波正太郎『剣客商売』新潮文庫/遠藤周作『沈黙』新潮文庫/岡田斗司夫『ぼくたちの洗脳社会』朝日新聞社/大岡昇平『野火』新潮文庫/川端康成『雪国』新潮文庫/開高健『パニック・裸の王様』新潮文庫/沢木耕太郎『一瞬の夏』新潮文庫/司馬遼太郎『国盗り物語』新潮文庫/椎名誠『新橋烏森口青春篇』新潮文庫/曾野綾子『太郎物語』新潮文庫/田辺聖子『新源氏物語』新潮文庫/立原正秋『冬の旅』新潮文庫/高野悦子『二十歳の原点』新潮文庫/福永武彦『草の花』新潮文庫/藤原正彦『若き数学者のアメリカ』新潮文庫/星新一『人民は弱し官吏は強し』新潮文庫/松本清張『点と線』新潮文庫/眉村卓『ねらわれた学園』角川文庫/三島由紀夫『金閣寺』新潮文庫/水上勉『雁の寺・越前竹人形』新潮文庫/三浦綾子『塩狩峠』新潮文庫/村上春樹『世界の終りとハ−ドボイルド・ワンダ−ランド』新潮文庫/山田風太郎『怪談部屋』出版芸術社(これら以外に引用した資料については著者名と共に示した。)

参考文献
赤塚 紀子 1998 「条件文とDesirabilityの仮説」  赤塚紀子・坪本篤朗『モダリティと発話行為』研究社
奥田 靖雄 1973「言語における形式」 (奥田靖雄1985『ことばの研究・序説』むぎ書房、所収)
 ――――   1977「アスペクトの研究をめぐって」(奥田1985所収)
尾上 圭介 1996「文をどう見たか-述語論の学史的展開-」『日本語学』16-6
影山 太郎 1993『文法と語形成』ひつじ書房
工藤  浩 1982「叙法副詞の意味と機能」『研究報告集3』秀英出版
 ――――  1989「現代日本語の文の叙法性・序章」『東京外国語大学論集39』
言語学研究会1985〜6「条件づけを表現するつきそい・あわせ文」(1)〜(4)『教育国語』81〜84
渋谷 勝巳 1988「江戸語・東京語の当為表現」『日本学報』7 大阪大学
新屋 映子 1989「文末名詞について」『国語学』159
鈴木 重幸 1972『日本語文法・形態論』むぎ書房
高梨 信乃 1995「スルトイイとスレバイイとシタライイ」『日本語類義表現の文法』くろしお出版
高橋 太郎・松本泰丈・鈴木泰・金子尚一・金田章宏・須田淳一1998『日本語の文法』
田中 章夫1967「江戸語・東京語における当為表現の変遷」『国語と国文学』44-4
 ―――― 1969「近代東京語の当為表現」『佐伯梅友博士古希記念国語学論集』表現社
寺村 秀夫 1984『日本語のシンタクスと意味U』くろしお出版
仁田 義雄 1997『日本語文法研究序説』くろしお出版
蓮沼 昭子 1987「条件文における日常的推論」『国語学』150
前田 直子1993「逆接条件文『〜テモ』をめぐって」益岡隆志編『日本語の条件表現』くろしお出版
松本  曜 1996「語とは何か」『言語』25-11
南 不二男 1993『現代日本語文法の輪郭』大修館書店
森田良行・松木正恵 1989『日本語表現文型』アルク
湯沢幸吉郎 1936『徳川時代言語の研究』刀江書院(復刊、風間書房1982)
魏意ヰ(WEI Yi-fong)1997「『ーばいい』『ーたらいい』『ーといい』の意味と機能」 東京外国語大学修士論文
Hopper, P. J. and E.C.Traugott 1993 Grammaticalization  Cambridge University Press
Ohori, T. (ed.) 1998 Studies in Japanese Grammaticalization  くろしお出版
Palmer, F.R. 1986 Mood and Modality   Cambridge University Press 
Sapir, E. 1921 Language:an Introduction to the Study of Speech   A Harvest/HBJ Book

[付記]この論文をまとめるにあたり、草稿を丹念に読んで詳細なコメントをくださった小矢野哲夫先生、三原健一先生、早津恵美子先生、内容の一部についてご教示くださった工藤浩先生、仁田義雄先生、前田直子氏、またアイディアの段階から長時間の議論にお付き合いくださった加藤昌彦氏に深く感謝いたします。

――大阪外国語大学大学院生――
 
(平成11年1月6日受理)