■■ 語・品詞について ■■


「dia」を「彼(女)」と書いてあるのは、名詞に性がないからですか?ロシア語はすべての名詞が男性・女性・中性に分類されています。
「彼」と「彼女」が同じなのは、何か思想的な背景があるのか、それとも単純化の結果なのか、知りたいものだ。
Dia=「彼・彼女」なのが素晴らしい!!差別していない感じがした。

 便宜上、代名詞 dia を「彼(女)」としました。「彼」「彼女」と、男性・女性の両方に使えますが、思想的な背景によるもの、あるいは男女の差別をするしないの問題とはおそらく関係ないでしょう。また、単純化した結果一つの語にまとまったわけでもないでしょう。

 本学の名誉教授・佐々木重次先生は三人称の代名詞を「第三者」ではなく「対話者間の了解要素」と述べています。
 重要なのは「話し手・聞き手の双方にとって誰を示すのかがわかっている」ことであって、それが男性なのか女性なのかにこだわる必要があるとは必ずしもないでしょう(余計かもしれませんが、誰を示すのかがわかっていれば、それが男性か女性かもわかるでしょうし)。

語順で格が決まってくるのは興味深かったです。
単語の位置によって格が変わったりするというところが独特で......
Saya で「私の」「私は」と主格と所有格どちらも表してしまうのか。

 「格」は他の語との関係、あるいは文中での働きを明示する(主として)名詞の表示形式ですが、インドネシア語にはこのような表示形式はありません。けれども、語順などで他の語との関係や文中での働きがわかります。つまり、「格」がなくてもそれに相当する方法はあるのです。
 例えば "saya" は主格と所有格のどちらも表してしまう、というのではなく、文中の位置(あるいは他の語との位置関係)によって「私は」という主部の働きをしたり「私の」という所有を表す働きをします。

そういえば「過去形もない」とかきいたような......
「私は日本人です」という文は動詞を使っていないが、それを過去形にするにはどうするのか、疑問に残った。

 インドネシア語の動詞には、現在形・過去形などの時制変化はありませんが、時相を表す助動詞や時を示す副詞(句・節)などを使うことによって、あるいは文脈から判断できます。
 例えば「私は日本人です」(Saya orang Jepang.) も、過去の話でしたら: Dulu saya orang Jepang. 「以前私は日本人でした。」(dulu :「以前」) Saya orang Jepang dua tahun yang lalu. 「2年前、私は日本人でした。」(dua tahun yang lalu :「2年前」)と言えばいいわけです。

単語の並べ方で形容詞になったりするというのが新鮮だった。

 語それ自体の属性と、文中での働きは違うレベルのものであることに注意してください。
 nama saya 「私の名前」の saya 「私」について述べているのなら、単語の並べ方で「形容詞になる」のではなく、「(所有関係を表す)修飾語になる」と言うべきでしょう。

助動詞がないからおどろいた。
はっきりした動詞がないのに驚いた。
文法について、動詞がなくても良いというのは変な感じがする。日本でも「私、○○、よろしく」などと言うことはあるが、それは口語で、場合によって成立すること。インドネシア語では文法的にそうなのだろうけれど、文章として書いてあるときはイントネーションもないし、どうするのか。わかりにくそうだ。

 例示した語、文中に現れた語について細かく話をしませんでしたが、動詞や助動詞がないとは授業中では述べていなかったはずです。授業で紹介した Dia sedang mandi.「彼(女)は今水浴をしています」の sedang は「〜している(最中)」という助動詞に、mandi は「水浴する」という動詞に分類されています。
 名詞文(Saya orang Jepang.「私は日本人です」)で動詞を用いずに文が成立するのは、実はイントネーションによる文節だけでなく、saya のあとに orang が続く場合には "saya orang" という一つのフレーズを作ることがない、つまり "saya" のあとにフレーズの区切りが入るという文法規則がきちんとあるのです。

"Anak saya // di Jakarta." と習ったけれど、もし「私の子どもはジャカルタで働いています」というときはどうなるんだろう、とかいろいろ考えてしまった。

 答えは簡単です。"bekerja" (働く)という語を用いて、"Anak saya // bekerja di Jakarta." とします。

特に私が最も文の構造の中で重要だと思っていたbe動詞にあたる部分がないことに驚かされた。

 いわゆる be 動詞に相当する語(コピュラ)がないわけではありません。"Saya orang Jepang."「私は日本人です」は、adalah というコピュラを使って "Saya adalah orang Jepang." と言うこともでき、フォーマルな文ではむしろコピュラを多用します。
 ただ、コピュラを使わない前者のような文もインドネシア語では文法的に正しいのです。

 なぜ be 動詞に相当する部分が文の構造の中で最も重要だと思っていたのか、考え直してみるといいでしょう。

インドネシア語は子音と母音の間に接中辞が存在し、文法的意味が変わってくる。
インドネシア語のことではありませんが、「接中辞」というものがあるということに驚きました。

 誤解のないように付け加えておきますが、インドネシア語には接中辞は痕跡的には若干認められるものの、文法的には意識する必要はありません。
 接中辞を用いる言語の例としては、ジャワ語、スンダ語(いずれもインドネシアの地方語)、タガログ語などがあります。

接辞法は難しそうだ。

 インドネシア語を学んでいく際に大きなハードルとなるのが接辞法です。
 でも、インドネシア語のおもしろさの一つに接辞法がある、とも言えるでしょう。

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